親不孝通り

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親不孝通り(おやふこうどおり)とは福岡県福岡市中央区天神地区北西部を南北に走る「福岡市道 幹線2級 舞鶴薬院線」(天神万町通り[注釈 1])の一部分の通称である。

2010年当時の親不孝通り。1990年代始めのバブル時代まで多くの若者が集まる街として大いに賑わってきた。その反面で治安低下からついた悪いイメージを払拭するために2000年から2017年までの間「親富孝通り」と表記した。

親不孝通り」という名称は、元々地元の2大予備校が集まる地区であったところから浪人生が集まる街として付けられた通り名で、市民の間では天神万町通りの名称よりも浸透して親しまれてきた[1]。1980年代後半から1990年代初頭のバブル時代には若者たちが集まる繁華街として賑わったが、バブル崩壊後は人通りが少なくなるとともに治安悪化も指摘されるようになり、2000年に「親富孝通り」と改称された。しかし、その後の治安は回復するものの若者を中心とする最盛期の賑わいは取り戻せないままであったことから、地元商店街から愛着のある「親不孝通り」への名称復活運動がおこり、2017年に元来の「親不孝通り」へと名称が戻された[2]飲食店や若者向けのクラブ等の娯楽施設が立ち並ぶ繁華街として知られている。

歴史[編集]

由来[編集]

名の由来は、1976年昭和51年)に大手予備校がこの地に移転してきたことに始まる[1]1970年代当時、通りの北部に水城学園九州英数学舘という地元の予備校が運営されていた。通りの南部に公共交通機関の路線があったことや食堂などが通りに出店したことなどから多くの予備校生がこの通りをたまり場とするようになり、喫茶店に遊びに来る予備校生にオーナーが「(浪人生なのに勉強せずに遊ぶ)親不孝者ばかり来るから親不孝通りやな」と冗談で言ったことが、旧称「親不孝通り」が使われ始めたきっかけとされる[1][3]。これがやがて自然と定着してゆき、観光マップにも記載されるようになっていったといわれる[1]

旧称・親不孝通り時代[編集]

1970 - 1980年代当初は予備校生を含めた若者を対象とした喫茶店やゲームセンター、小さなライブ喫茶などが立ち並んでおり活況を呈していた。この時期に「めんたいロック」に関連するライブ喫茶「80's FACTORY」が一時期出店したり、輸入レコード店「ジュークレコード」が出店(現在も営業)している。

しだいに居酒屋バーカラオケボックスなどが立ち並ぶようになり、夜の街へと変貌していった。バブル期には九州最大級のディスコマリアクラブが開店。同時期にストリートミュージシャンの聖地にもなり若者の街として全国に知られるようになった。一方、親不孝通りの名前の由来となった2つの予備校は、少子化と、その後相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾代々木ゼミナール駿台予備学校など)の影響を受けて閉校または予備校としての営業を終了している。

親富孝通りへ改名[編集]

若者の集まる繁華街として賑わう一方で暴行薬物などの犯罪なども増加した。1993年には長浜公園に舞鶴交番が設置される。1997年平成9年)に警察がこの地区を重点的に監視して100人以上を補導し、そのうちの何人かが「親不孝通り」の名に惹かれてやってきたと答えたという[4]。もともと、大学受験浪人のことを「親不孝」と称して自然発生的に生まれた通称名であったが、予備校閉校後にその意味を知らない世代の若者に曲解され、「親不孝通り」という名称から抱くイメージが悪く、犯罪の誘発の一因となっているという声が上がり、警察署が福岡市に「親不孝通り」の名称を使わないようにと要請。これを受けた福岡市は、同じ年の1997年(平成9年)のうちに観光パンフレットから「親不孝通り」の名称を削除し、代わりに「天神よろず町通り」と記載した[4]。本来の「天神万町通り」の名称を浸透させようと福岡市や通り沿いの商店が「親不孝通り」と書かれた看板等を撤去したものの、長年馴れ親しんできた名前が削除された地元民には不評で浸透はしなかった[4]。その後は「よろず町通り」という名称を経て、論争の末に2000年(平成12年)に「オヤフコウ」の発音を残した「親富孝通り」と改称された[4]

原点・親不孝通りへの回帰[編集]

バブル期は深夜まで若者たちの賑やかな声が響いていた繁華街も、1991年に始まったバブル崩壊後はマリアクラブもなくなり、人通りも激減した[2]。イメージ刷新のために「親富孝通り」と改称をしたが、かつてのような賑わいが戻ってくる様子はなく、落ち着いたかのように見えた「親富孝通り」のネーミングも地元住民には十分に定着するには至らなかった。地元商店主たちがかつての愛着のある「親不孝通り」の名称で、足が遠のいた若者たちを商店街に取り戻そうと、地元住民らのアンケート調査と意見交換をして話し合った結果、7割以上の賛同を得て2017年2月に「親不孝通り」に再び改名された[2]

現在でも通りにはクラブやライブハウス、ダンススクール、ドラァグクイーンの劇場などが営業しているが、「天神」の南下(「北天神」参照)とともに一時期の過度な賑わいは薄れている。

通り近傍の長浜公園直近にはDrum logos、Drum Be-1など全国的にも有名なライブハウスが立ち並び2010年代のライブコンサートブームにおいて福岡の拠点となっている(特にZepp Fukuokaの閉鎖期間中)。

「親不孝通り」名称復活の論争[編集]

2015年頃から、地元商店主たちがかつての愛着のある名称で足が遠のいた若者を取り戻そうと、再び「親不孝通り」という旧称を復活させる動きが高まっている。旧称復活に動いた天神3丁目町内会長の吉永拓哉は「昔から親不孝者と自覚しながら(DJダンサー等の)夢を追い掛ける若者を受け入れ、応援してきた街だった。これからもそうありたい」と述べている[5]。また、福岡市長高島宗一郎も「猥雑な部分もまた街の魅力。個人的にはいいんじゃないかと思う」と名称復活を支持する発言をしている。西日本新聞福岡市界隈の市民50人に聞き取り調査をしたところ、親不孝派26人、親富孝派20人、どちらでも良いが4人との結果だった。親不孝派からは「世間の話題となり、集客につながるのではないか」「名前の由来は話のネタになる」「かつては韓国から遊びに来た友人に面白おかしく説明できたのに」という意見が寄せられた一方、親富孝派からは「『不』だと、本当に親不孝をしている気分になっちゃう」「(親不孝通りの名称は)いわくつきで昔、事件でもあったのかと思っていた」「せっかく縁起のいい字なのに、戻したらまた治安が悪くなりそう」といった意見が寄せられた[6]Yahoo!意識調査2015年11月28日12月8日に「『親不孝通り』に名称を戻すべき?」という題でアンケート調査を行ったところ、合計37,979票のうち「『親不孝通り』に戻すべき」が61.4%、「『親富孝通り』のままがよい」が13.5%、「違う名前にする」が15.5%、「わからない」が9.6%という結果だった[7]

2017年2月9日、地元の協議会が旧称「親不孝通り」を復活させることを決め、同年2月20日に福岡市に名称変更を申請した[8][9]。名称アンケートでは「親不孝通り」71%、「親富孝通り」19%、「親ふこう通り」9%という結果であった。今後は福岡市と共同で、酔客が座り込む花壇を撤去して歩道を拡大し、街路樹も枝葉が広がらない木に植え替えて見通しをよくするなどバリアフリー化する計画である[10]

接続する主な通り[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「天神万町通り」が正式名称という記事もあるが、これも通称である。

出典[編集]

外部リンク[編集]