西ジャワ州
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グドゥンサテ(州庁舎) | |
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| 州の標語: "Gemah ripah repeh rapih" | |
|---|---|
| 座標 | 南緯6度45分 東経107度30分 / 南緯6.750度 東経107.500度座標: 南緯6度45分 東経107度30分 / 南緯6.750度 東経107.500度 |
| 州都 | バンドン |
| 知事 | デディ・ムルヤディ |
| 面積 | 35,377.76[1] km² |
| 人口 | 48,274,162人(2020年国勢調査[2]) |
| 人口密度 | 1,364.5人/km² |
| 民族 | スンダ人 (79%), ジャワ人 (10%), チルボン人 (7%), ブタウィ人 (4%) |
| 宗教 | イスラム教 (97%), キリスト教 (1.81%), 仏教 (0.58%), 儒教 (0.22%), ヒンドゥー教 (0.05%), スンダ人の原始宗教など |
| 言語 | スンダ語、インドネシア語 |
| 時間帯 | WIB (UTC+7) |
| ISO | ID-JB |
| 公式サイト | jabarprov.go.id |
西ジャワ州(にしジャワしゅう、インドネシア語: Jawa Barat、スンダ語: ᮏᮝ ᮊᮥᮜᮧᮔ᮪ (Jawa Kulon))はインドネシアの州。ジャワ島西部に位置する。州都はバンドン。西ジャワ州はバンテン州とジャカルタ首都特別州が西に、中部ジャワ州が東に隣接しており、北はジャワ海、南はインド洋に面している。ジャワ人に次いで2番目に人口の多い民族であるスンダ族の原郷でもある。
西ジャワ州はインドネシア独立宣言の後にできた最初の8州のうちの1つであり、その後1950年7月14日に法的に再設された。1966年に州と同じ地位の『首都特別州』(Daerah Khusus Ibukota) としてジャカルタが分割され[3]、同様に州の西部も 2000年にバンテン州となる形で分割された[4]。
これら2州が分割された後も2020年中期時点で西ジャワ州の人口は49,935,858人とインドネシア国内で最多の州となっている [5]。州最大の都市であるブカシ、バンドンはインドネシアでそれぞれ3位、4位の人口を誇る都市である。ジャボデタベック都市圏内の衛星都市としてブカシは非常に急速な人口増加を経験し、2012年に州都のバンドンを上回るまでになった。それでいながらジャカルタの衛星都市ブカシ、デポックがそれぞれ世界で7番目、10番目に人口の多い地域である一方でバンドンは世界で最も人口密度の高い市域となっている[6]。
表記
[編集]「西ジャワ州」は、各言語ではそれぞれ以下のように表記される。
歴史
[編集]先史時代とブニ文化
[編集]西ジャワ州地域における最古の人類居住の考古学的発見は、ジャワ島西岸のアニエール (インドネシア)で発掘されたものであり、西暦1千年紀にさかのぼる青銅器および鉄器の冶金文化の存在を示している[7]。現在のブカシ周辺で栄えた先史時代のブニ文化は土器文化を発達させ、その痕跡はアニエールからチルボンに至る地域で確認されている[7]。紀元前400年から西暦100年頃に年代づけられる食器や飲料容器などの遺物が発見されており[8]、その多くは副葬品として埋葬されたものであった[7]。
王国による統治
[編集]5世紀の西ジャワ地域は、タルマナガラ王国の一部であった[9]。同王国の碑文は西ジャワ各地に分布している。パッラヴァ朝期に用いられた文字およびサンスクリット語で記された碑文が7点確認されており、その多くは王の事績を伝えている[10]。
タルマナガラ王国の崩壊後、西部ジャワ島のウジュン・クロンからスラユ川に至る地域は、スンダ王国が継承したとされる[11][12]。都はパクアン・パジャジャラン(現在のボゴール)に置かれていた[12]。同王国期の碑文の一つに、932年のケボン・コピ2世碑文がある[11]。
16世紀に入ると、デマク王国が経済的・政治的な競合勢力として台頭した[11]。チルボン港(のちのチルボン市)はその影響を受けてスンダ王国から離脱し、やがてチルボン王国として独立した[11]。さらにバンテン港もチルボン王国の支配下に入り、後にバンテン王国へと発展した[11]。
これに対し、スンダ王スリ・バドゥガ・マハラジャは、主要港スンダ・クラパを守るため、王子スラウィセサ(ポルトガル側の記録ではラトゥ・サミアン)をマラッカへ派遣し[13][14]、1522年にスンダ・ポルトガル防衛通商協定(友好条約)を締結した[15][14]。しかし1527年、ファタヒラ率いるチルボン・デマク連合軍にスンダクラパを占領され、ポルトガル側の要塞建設の遅れもあり協定は決裂した[13][15][14]。5年間にわたる激しい戦闘を経て、1531年にスラウィセサとスナン・グヌン・ジャティ(シャリフ・ヒダヤトゥラ)の間で和平が成立した[13][15]。その後、スンダ王国は新興のバンテン王国による継続的な圧力で衰退し[15]、1579年に最後の王ムルヤ(プラブ・スリヤ・クンチャナ)の統治下で、首都パクアン・パジャジャランが陥落し滅亡した[13][15]。王国の崩壊に伴い、西ジャワ南東部のプリアンガン地域は、後に中部ジャワで台頭したマタラム王国の支配下へと入った[13][15]。
オランダ植民地時代
[編集]17世紀から18世紀にかけて、オランダ東インド会社(VOC)は、マタラム王国やバンテン王国への介入を通じて西ジャワ地域の支配権を段階的に獲得していき、1610年から1619年まではアンボンに事務所を置いていた[11]。同地域(特にプリアンガン地方)は「プリアンガン・システム」と呼ばれるコーヒー等の商品作物の強制栽培と独占買い上げ制度を中心とした植民地経済の拠点となった。この仕組みは、現地住民に指定作物を栽培させ、収穫物を植民地政府が独占的に買い上げるというもので、のちの強制栽培制度の先駆けとなった[16]。
19世紀に入り、イギリス統治期のラッフルズによる地租改正などの財政政策が破綻し、さらにジャワ戦争(1825年 - 1830年)の莫大な戦費や本国におけるベルギー分離独立(1830年)によって植民地財政が極めて逼迫すると、オランダはジャワ島全域において「強制栽培制度」(Cultuurstelsel)を本格的に導入した[16]。西ジャワ地域はコーヒーの主要な栽培拠点として位置づけられたほか、1840年代以降は東部を中心に砂糖の強制栽培も急速に拡大し、地域の経済構造や在来の農業・社会構造に甚大な影響を与えた[16]。
1922年の行政改革法(Bestuurshervormingwet)の施行によってオランダ領東インドは州単位に区分されたことにより、西ジャワ州が設置された[12][11]。実際の設置は、オランダ領東インドにより1925年8月14日に官報第378号として公布・1926年1月1日に施行された西ジャワ州の設置法による[11][17]。その後も地方分権および行政再編の一環として段階的な整備が続き、1928年の第27号・第28号、1930年の第438号、1932年の第507号などによって、州内の地方自治体の設置や管轄区域の統合、および行政組織の改定・順次変更が重ねられた[17][18]。
インドネシア独立戦争
[編集]1945年8月19日、西ジャワ州(インドネシア語: Provinsi Jawa Barat)は独立直後のインドネシア共和国が設置した8州の一つとして発足した。初代州知事にはスタルジョ・カルトハディクスモが任命され[19]、州都はバンドンに置かれた[20][21]。なお、2010年には、8月19日は西ジャワ州政府の記念日に設定された[11]。
独立戦争期の西ジャワ州は、独立を維持しようとするインドネシア共和国と、旧植民地支配の回復を目指したオランダおよびそれを支援する連合軍との主要な戦場となった[22]。1946年3月には、連合軍への明け渡しを拒否した共和国側住民と部隊が南バンドン一帯を自ら焼き払う「バンドン火の海」(インドネシア語: Bandung Lautan Api)を実行した[23]。同事件は独立闘争の象徴として位置づけられている。また、西ジャワを拠点とした共和国軍のシリワンギ師団は、独立戦争を通じて各地で重要な役割を果たした。
1947年7月の第一次オランダ軍事侵攻により西ジャワ各地が攻撃を受けると、州政府はタシクマラヤ県のインディヒアンへ移転し、その後さらにルバックシウへ移転した[24][25]。レンヴィル協定によって西ジャワの大部分がオランダ支配地域に組み込まれると、共和国側は内陸部へ後退し、1948年8月にはオジャ・スマントリの指導の下で非常時地方政府である西ジャワ共和国政府(インドネシア語: Pemerintahan Republik Jawa Barat、PRJB)が組織された。
一方、オランダ当局は1948年2月に西ジャワ国(インドネシア語: Negara Jawa Barat)を設立し、同年4月にパスンダン国へ改称した。これはオランダが推進した連邦構想の一環であったが、多くの民族主義者や共和国支持者はこれをオランダの傀儡国家とみなした[26][27]。1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立すると、パスンダン国はその構成国の一つとなった[28]。
1950年1月、APRAクーデターが発生するとパスンダン国は政治的正当性を失い、同年3月に解体された。西ジャワはインドネシア共和国へ統合され、同年7月に西ジャワ州として再編された[29][30]。
インドネシア独立後
[編集]独立後の西ジャワ州は、インドネシア国家建設の過程で政治的・軍事的に重要な地域であり続けた。1948年に西ジャワで始まったダルル・イスラム運動[31]では、カルトスウィルヨがイスラム国家樹立を掲げて武装蜂起し、1949年には「インドネシア・イスラム国」(インドネシア語: Negara Islam Indonesia)の樹立を宣言した[31]。この運動はその後アチェや南スラウェシなどにも波及した[31]が、1962年にカルトスウィルヨが逮捕・処刑され、終息へ向かった[31]。
1955年4月には、バンドンでバンドン会議(アジア・アフリカ会議)が開催された。同会議にはアジア・アフリカ29か国・地域の代表が参加し、植民地主義への反対や平和共存を確認する「バンドン十原則」が全会一致で採択された[32]。この会議は後の非同盟運動の形成にも大きな影響を与え、西ジャワ州およびバンドンの国際的な知名度を高めた。
スハルト政権下の新秩序体制期(1966年 - 1998年)には、ジャカルタ近郊を中心に急速な工業化と都市化が進んだ。特にブカシ県、カラワン県、プルワカルタ県では大規模な工業団地の造成と外国直接投資の流入が進み、自動車、電子機器、繊維などの製造業が集積した[33][34]。また、首都ジャカルタの人口増加に伴い、ボゴール、デポック、ブカシなどを含むジャボデタベックが形成され、西ジャワ州は首都圏の住宅地および産業拠点として急速に発展した[34]。日本企業も600以上進出している[35]。
行政区画としては、インドネシア独立後にジャカルタが特別首都地域として独立した行政単位となり、1961年には第一級自治体であるジャカルタ大首都圏が設置された。2000年には州西部がバンテン州として分離し、現在の西ジャワ州の州域が形成された[4]。
2023年にはジャカルタ-バンドン高速鉄道(Whoosh)が開業し、ジャカルタとバンドン間の交通利便性が向上した[36][37]。州北岸部のスバン県パティンバンでは、日本の円借款事業として新たな国際貿易拠点となるパティンバン港の整備が進められており、ジャカルタのタンジュンプリオク港の混雑緩和とともに、西ジャワ州に集積する自動車産業などの物流機能強化が図られている[38][39][40]。
地理
[編集]地形
[編集]
西ジャワ州(インドネシア語: Jawa Barat)はジャワ島西部に位置し、西はバンテン州およびジャカルタ首都特別州、東は中部ジャワ州、北はジャワ海、南はインド洋に面している[41]。面積は37,053.33平方キロメートルであり[41]、ジャワ島西部の人口集積地域の大部分を占める。州都バンドンは沿岸部ではなく州中央部の山岳地帯に位置している。現在のバンテン州は2000年に西ジャワ州から分離して設置された[42]。
北部はジャワ海に面した広大な沖積低地によって構成される。一方、中部から南部にかけては火山性の山地が連なり、ジャワ島西部を横断するパラヒャンガン高原(プリアンガン高原)の一部を形成している。パラヒャンガンは「神々(ヒャン)の住まう地」を意味し、古くからスンダ族の文化的中心地とみなされてきた[43]。
西ジャワ州とバンテン州は環太平洋火山帯に属しており、インドネシア国内でも特に火山活動が活発な地域の一つである。州内にはタンクバンプラフ山、パトゥハ山、パプンダヤン山、ガルン山など多数の火山が分布する。州内最高峰はチルマイ山(標高3,078メートル)であり[44]、クニンガン県とマジャレンカ県の境界に位置する[44][45]。
火山活動によって形成された肥沃な土壌は州内の農業発展を支えてきた。伝統的なスンダ族社会では天水農耕(huma または ladang)が広く行われていたほか、オランダ東インド会社時代以降にはコーヒー、茶、キナノキなどの商品作物の栽培地として発展した。現在でも高原地域では野菜や花卉の生産が盛んである[46][47]。

また、州南部には石灰岩地形や海食地形もみられ、チュカン・タヌー(グリーン・キャニオン)をはじめとする景勝地が存在する。
水系と水資源
[編集]西ジャワ州には多数の河川が存在する。主要河川としてはチタルム川、チマヌク川、チサダネ川などがあり、その多くはジャワ海へ流入する[48][44]。
なかでもチタルム川は全長約300キロメートルを有する州内最大の河川であり、バンドン盆地を北東方向へ流れてジャワ海へ注ぐ[48]。流域にはサグリンダム、チラタダム、ジャティルフールダムの3大ダムが建設されており、水力発電、農業灌漑、工業用水および首都圏への上水供給に利用されている[49]。
一方、チタルム川流域にはインドネシア有数の工業地帯と人口集積地域が形成されており、長年にわたり工業排水、生活排水および農業由来の汚染が問題となっている。チタルム川はしばしば世界で最も汚染された河川の一つとして言及されており、重金属や有機汚染物質による水質悪化が指摘されている[50]。これに対し、インドネシア政府は2018年から「チタルム・ハルム」(Citarum Harum)計画を推進し、河川浄化や流域管理の強化を進めている[51]。
気候
[編集]西ジャワ州の気候は主として熱帯気候に属し、年間を通じて高温多湿な環境にある[44]。州政府は月間降水量が150mm以上となる時期を雨季、150mm未満を乾季としていて[44]、概ね11月から4月にかけて雨季、5月から10月にかけて乾季となる[44][52]。
州全体の平均気温はおおむね16℃から34℃の範囲である[44]。2025年の観測データによると、北部沿岸の低地平野部にあるマジャレンカ県のクルタジャティ観測局では最高気温 37.8℃を記録した[41]。一方、内陸高地や山岳地帯は比較的冷涼であり、標高の高いボゴール県のチテコ観測局では最低気温 16.7℃ が観測されている[41]。
年間降水量は1,000mmから4,000mm程度である[44]。2025年の州全体の総降水量は3,709.1mm(2024年は4,857.9mm)であった[41]。降水量の少ない地域は北部沿岸からブカシ、チルボン、クニンガンにかけての平坦な低地、および中央部の一部(スカブミ、バンドン、ガルットなど)に分布する[44]。対照的に、西部のボゴール県やスカブミ県などの急峻な山岳地帯は降水量の極大地域となっている[44]。
湿度は年間を通じて高く、2025年の州平均湿度は84.0%(2024年は82.9%)を記録した[41]。
州都バンドンの詳細な気候については、バンドンの気候 を参照。
行政
[編集]州知事
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州知事は、西ジャワ州政府における最高職である。2018年から2023年までの西ジャワ州知事はリドワン・カミルであり、副知事はウー・ルズハヌル・ウルムであった。両者は2018年西ジャワ州知事選挙で当選した。2018年9月5日、ジョコ・ウィドド大統領によりジャカルタのムルデカ宮殿で就任した[53]。
その後、リドワンとルズハヌルの任期が2023年9月5日に終了すると、ベイ・トリアディ・マフムディンが西ジャワ州知事代行に任命された。彼は2023年9月5日、内務大臣ティト・カルナフィアンによって、中央ジャカルタの内務省庁舎ササナ・バクティ・プラジャ会議室で就任した[54]。
2025年2月20日には、2024年西ジャワ州知事選挙の結果として選出された正式な州知事であるデディ・ムルヤディと、副知事エルワン・スティアワンが、プラボウォ・スビアント大統領によりジャカルタのムルデカ宮殿で正式に就任した[55]。
| 肖像 | 州知事 | 就任 | 退任 | 在任期間 | 期 | 肖像 | 副知事 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| デディ・ムルヤディ (1971年生) |
2025年2月20日 | 現職 | 1年 + 151日 | XXI (2024年) |
エルワン・スティアワン (1970年生) | ||||
地方代表
[編集]西ジャワ州地方議会(インドネシア語: Dewan Perwakilan Rakyat Daerah Jawa Barat、略称: DPRD Jawa Barat)は119人の議員で構成され[41]、5年ごとの総選挙によって選出される[56]。西ジャワ州地方議会の指導部は、最多議席および最多得票を有する政党から選出される1人の議長と5人の副議長によって構成される[57]。
現職の西ジャワ州地方議会議員は、2024年インドネシア総選挙の結果に基づき選出され、2024年9月2日にムルデカ会館で就任した[58]。2024年から2029年期の西ジャワ州地方議会は10政党によって構成されており、そのうちグリンドラ党が20議席を有する最大政党となっている[59]。
西ジャワ州は、11の選挙区から国民議会 (インドネシア)(DPR RI)に91人の議員を送り出している[60]。また、地方代表議会(DPD)には4人の代表を有する[61]。これらの議員は、インドネシア共和国選挙総委員会が実施する選挙を通じて選出される。
行政区分
[編集]
西ジャワ州は18県(カブパテン)と9市(コタ)から構成される[41]。州都はバンドンである[41]。
県
[編集]| No. | 県 | 行政中心地 | 面積 (km2) |
紋章 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | バンドン県 | ソレアン | 1,740.843 | |
| 2 | 西バンドン県 | ンガンプラ | 1,283.439 | |
| 3 | ブカシ県 | 中央チカラン | 1,255.001 | |
| 4 | ボゴール県 | チビノン | 2,991.778 | |
| 5 | チアミス県 | チアミス | 1,595.936 | |
| 6 | チアンジュール県 | チアンジュール | 3,631.969 | |
| 7 | チルボン県 | スンバー | 1,073.772 | |
| 8 | ガルット県 | タロゴンキドゥル | 3,101.132 | |
| 9 | インドラマユ県 | インドラマユ | 2,076.266 | |
| 10 | カラワン県 | 西カラワン | 1,916.056 | |
| 11 | クニンガン県 | クニンガン | 1,193.449 | |
| 12 | マジャレンカ県 | マジャレンカ | 1,331.553 | |
| 13 | パンガンダラン県 | パリギ | 1,128.122 | |
| 14 | プルワカルタ県 | プルワカルタ | 993.092 | |
| 15 | スバン県 | スバン | 2,168.909 | |
| 16 | スカブミ県 | パラブハンラトゥ | 4,163.824 | |
| 17 | スメダン県 | 北スメダン | 1,566.204 | |
| 18 | タシクマラヤ県 | シンガパルナ | 2,706.972 |
市
[編集]| No. | 市 | 行政中心地 | 面積 (km2) |
紋章 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | バンドン | - | 166.593 | |
| 2 | バンジャル | - | 131.005 | |
| 3 | ブカシ | - | 213.036 | |
| 4 | ボゴール | - | 111.366 | |
| 5 | チマヒ | - | 42.432 | |
| 6 | チルボン | - | 39.398 | |
| 7 | デポック | - | 199.906 | |
| 8 | スカブミ | - | 48.314 | |
| 9 | タシクマラヤ | - | 182.964 |
人口統計
[編集]人口
[編集]西ジャワ州は、都市的性格と農村的性格が併存する地域である。都市人口の多くはジャボデタベックジュルの一部であるボデベック地域やバンドン大都市圏に集中し、ジャカルタ首都特別州に近接している。一方で、州内には依然として農村社会も広く存在する。
2020年国勢調査(SP2020)によると、州人口は48,274,162人であった[62]。これは2010年国勢調査から約520万人増加した数値である。2020年時点の都市化率は約77.5%と推計され、都市部への人口集中が続いている[63]。2010年から2020年までの年平均人口増加率は1.11%であり、2000-2010年期の1.90%から低下した[62]。人口密度は州の陸地面積35,380km²に対し1,365人/km²である[62]。また、2025年時点の推計人口は5,076万人である[41]。
2020年時点で生産年齢人口(15–64歳)の割合は70.68%と高く[62]、西ジャワ州は依然として人口ボーナス期にある。一方、60歳以上の高齢者人口割合は9.0%[62](2010年は7.04%)に上昇しており、徐々に高齢化社会へ移行しつつある。
男性人口は24,508,885人、女性人口は23,765,277人で、性比(男性100人あたりの女性数)は103と男性がやや多い[62]。県・市別ではボゴール県が最大で5,427,068人(全州の11.24%)を擁し、次いでバンドン県(3,623,790人、7.51%)となっている。最も人口の少ないのはバンジャール市(200,973人、0.42%)である[62]。
民族
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西ジャワ州の先住民族はスンダ人(インドネシア語: Suku Sunda)である。2010年インドネシア国勢調査によれば、西ジャワ州の民族構成は非常に多様である。2010年時点の西ジャワ州総人口4,298万2,865人のうち、スンダ人が3,088万9,910人(71.87%)で最多を占め、次いでジャワ人が571万652人(13.29%)、ブタウィ人が266万4,143人(6.20%)、チルボン人が181万2,842人(4.22%)であった[64]。また、ジャワ島外に起源を持つ民族としては、バタック人が46万7,438人(1.09%)で最多となり、続いてミナンカバウ人が27万2,018人(0.63%)、華人が25万4,920人(0.59%)、マレー人が19万224人(0.44%)となっている。さらに、南スマトラ州出身者が9万5,502人(0.22%)、ランプン人が9万2,862人(0.22%)、バンテン州出身者が6万948人(0.14%)、マドゥラ人が0.10%、その他の民族が0.99%を占めた[64]。
2000年インドネシア国勢調査および2010年インドネシア国勢調査のデータに基づく、西ジャワ州における民族構成は以下の通りである[65]。
| 番号 | 民族 | 2000年 | 2010年 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 人口 | % | 人口 | % | ||
| 1 | スンダ人 | 26,297,124 | 73.73% | 30,889,910 | 71.87% |
| 2 | ジャワ人 | 3,939,465 | 11.05% | 5,710,652 | 13.29% |
| 3 | ブタウィ人 | 1,901,930 | 5.33% | 2,664,143 | 6.20% |
| 4 | チルボン人 | 1,890,102 | 5.30% | 1,812,842 | 4.22% |
| 5 | バタック人 | 275,230 | 0.77% | 467,438 | 1.09% |
| 6 | ミナンカバウ人 | 168,999 | 0.47% | 272,018 | 0.63% |
| 7 | 華人 | 163,255 | 0.46% | 254,920 | 0.59% |
| 8 | マレー人 | 162,201 | 0.45% | 190,224 | 0.44% |
| 9 | 南スマトラ州出身 | – | – | 95,502 | 0.22% |
| 10 | ランプン人 | – | – | 92,862 | 0.22% |
| 11 | マドゥラ人 | – | – | 43,001 | 0.10% |
| 12 | その他 | 967,782 | 2.71% | 428,914 | 0.99% |
| 西ジャワ州 | 35,668,374 | 100% | 42,982,865 | 100% | |
2000年インドネシア国勢調査のデータによれば、2000年当時の西ジャワ州22県市の大部分では、住民の多数派はスンダ人であった。ただし、チルボン、インドラマユ、ブカシ、およびデポックでは例外が見られた。チルボンではチルボン人が多数派であり、インドラマユではジャワ人が多数を占めていた。一方、デポックおよびブカシではブタウィ人が人口の多数派となっていた。また、ジャワ島外に由来する民族およびその他の民族としては、主にバタック人、ミナンカバウ人、およびインドネシアの華人が挙げられる。これらの民族集団は一般に、ブカシ、デポック、バンドン、およびボゴール地域に広く分布している[65]。
宗教
[編集]2022年時点で、イスラム教は西ジャワ州最大の宗教であり、人口の97.34%が信仰している。少数派宗教としては、キリスト教が2.39%(プロテスタント 1.78%、ローマ・カトリック 0.61%)、仏教が0.2%、ヒンドゥー教が0.035%、儒教が0.025%、民間信仰が0.01%を占めている[66]。
言語
[編集]
公用語であるインドネシア語のほか、西ジャワ州住民の大多数は母語としてスンダ語を使用している[67]。スンダ語は西ジャワ州で最も広く使用されている地域言語であり[67]、特にスンダ族の伝統的居住地域であるプリアンガン文化圏の方言が標準スンダ語として一般的に使用される[68]。
一方、西ジャワ州北東部のチルボン県およびチルボン、インドラマユ県、スバン県北部、さらにカラワン県北部(特にチラマヤクラロンおよびチラマヤウェタン)では、チルボン語およびインドラマユ語(デルマヨナン)が話されている[69]。チルボン語は、ジャワ語とスンダ語の特徴を併せ持つ[70][71]。また、ジャカルタ首都特別州との境界地域(ブカシの一部、ボゴール県北部、デポックなど)では、ブタウィ語がブタウィ族住民によって使用されている[72]。
スンダ語をめぐる近代史
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第3回西ジャワ会議が1948年2月23日[73](または1948年2月28日[74])にバンドンで開催された[73]。スンダ族出身の西ジャワ代表であり、パスンダン人民党(PRP)議長でもあったスリア・カルタレガワは、この代表会議(西ジャワ会議)においてスンダ語の使用を認めるよう提案した。しかし、この提案はチルボン族出身の代表スカルディによって直ちに反対された。スカルディは次のように述べた[73]。
| 「 | 「もしスンダ語による発言が認められるならば、チルボン語のような他の地域言語の使用も認められなければならない。」[73] | 」 |
西ジャワ大学(UPI)の調査において、西ジャワ州出身の西ジャワ大学学生のスンダ語使用率が32%、インドネシア語使用率が68%程度と、近年スンダ語の使用率が低下していることが報告されている[75]。また近年では、多くの移住者によってスンダ語およびスンダ文化が後退したことから、地域言語使用の再促進が進められている[76]。地方テレビ局やラジオ局は、ニュース番組やトークショーを中心に地域言語を放送言語として再導入しており、例えばバンドンTVではスンダ語によるニュース番組『Berita Bahasa Sunda』(『スンダ語ニュース』)を放送している[77]。スンダ語による印刷媒体も存在し、『Manglé』誌や、西ジャワ州ダアワ評議会によって刊行されている『Bina Da'wah』誌などがある[78]。
2013年西ジャワ州知事規則第69号[79]に基づき、スンダ語はチルボン語とともに西ジャワ州における地域言語・文学科目の一つとして定められている。スンダ語教育は、初等教育段階(小学校・イスラーム初等学校および中学校・イスラーム中等学校)と、中等教育段階(高等学校・イスラーム高等学校)の双方で実施されている[80]。
西ジャワ州政府は2015年、パジャジャラン大学およびランチャゲ文化財団と協力し、スンダ語教育維持の支援として『Kamus Utama』を刊行した[81]。これは全6巻・1万ページ・15万項目を収録する、スンダ語としては最も包括的な辞典である[82][83]。現在、この辞典はオランダのKITLVなどヨーロッパ各地の図書館にも送付されている[84]。
教育
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西ジャワ州はインドネシアにおける教育の中心地の一つである。
西ジャワ州には小学校が19,308校存在し、そのうち17,143校が公立校、2,165校が私立校であった[41]。また、中学校は5,946校(公立2,106校、私立3,840校)[41]、高等学校は1,723校(公立523校、私立1,200校)[41]、職業高等学校は3,006校(公立301校、私立2,705校)であった[41]。
高等教育機関は392校あり、このうち12校が国立大学、380校が私立大学である。これはインドネシアの州として最多である[85]。
高等教育機関
[編集]西ジャワ州はインドネシア高等教育の主要拠点であり、多数の著名大学が所在している。
- バンドン工科大学
- インドネシア教育大学
- パジャジャラン大学
- ボゴール農科大学
- テルコム大学
- バンドン・イスラム大学
- パラヒャンガン・カトリック大学
- UINスナン・グヌン・ジャティ
- グナダルマ大学
- プレジデント大学
2026年のuniRankによるインドネシア大学ランキングでは、西ジャワ州所在の大学が多数上位にランクインしている。主なものとして、インドネシア大学(1位)、テルコム大学(3位)、バンドン工科大学(5位)、ボゴール農科大学(8位)、パジャジャラン大学(11位)、グナダルマ大学(13位)、インドネシア教育大学(14位)などが挙げられる[86]。
このほか、西ジャワ州にはインドネシア内務行政大学院(IPDN)がスメダン県に、国家情報大学院(STIN)がボゴールに所在している。
文化
[編集]西ジャワ州はスンダ人(インドネシア語: Suku Sunda)の主要な居住地域であり、州内文化の大部分はスンダ文化を基盤としている。スンダ人はジャワ島をジャワ人と共有しているが、言語、芸術、慣習および歴史的発展において独自の文化を形成してきた[87]。その文化圏は一般に「パスンダン」(Pasundan)または「タタール・スンダ」(Tatar Sunda)と呼ばれ、西ジャワ州のほか、現在のバンテン州の大部分も含まれる[88]。
スンダ人の間では、西ジャワ州から中部ジャワ州や東ジャワ州へ移ることを「スンダの世界からジャワの世界へ移る」と表現することがある。州都バンドンはスンダ文化の中心地とみなされており、多くの伝統音楽、舞踊、演劇および文学がこの地域で発展した[89]。
アンクルンやワヤン・ゴレックなどの伝統芸術が発達している[89][90]。
音楽
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スンダ音楽は西ジャワ州を中心に発展した伝統音楽であり、スンダ式ガムランで構成されるドゥグン楽団や、カチャピとスリンによる合奏などが知られている。
テンバン・スンダはスンダ語による声楽形式であり、二台のカチャピと一本のスリンを中心とする楽団によって伴奏される[91]。テンバン・スンダの音楽と詩は、スンダ地方中南部の高原地帯であるパラヒャンガン高原と密接な関係を有している[92]。

カチャピ・スリンはテンバン・スンダから声楽部分を除いた器楽形式である。タラワンサはスンダ地方固有の民俗芸能であり、タラワンサとジェントレンによる合奏を中心とする。稲の女神デウィ・スリを讃える儀礼や収穫祭との結び付きで知られる[93]。
竹製楽器による合奏
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スンダ地方の竹製楽器による合奏形態としては、アンクルン、チャルン、アルンバ、カリンディンが代表的であり、それぞれ演奏環境や地域ごとの普及状況に特徴がある。
アンクルン[94]は、長さの異なる中空の竹筒を枠に吊り下げたラトル群の総称である。長さの異なる中空の竹筒を枠に吊り下げた構造を持ち、演奏者は楽器を振ることで音を発する。各奏者が1〜2音の単一音高を担当し、楽器を振って音を出し合いながら旋律を形成する。行列や祭礼、トランスを伴う儀礼や曲芸に用いられ、共同体の均衡と調和を維持する力を持つと信じられているほか、現代では教育教材としても広く導入されている[94][95]。1938年にダエン・スティグナが西洋の全音階を演奏できるよう改良したことで国際的な注目を集めた[94]。またバンドンはアンクルン文化の中心地に位置付けられており[96]、1955年のバンドン会議をはじめ、西洋楽器を交えたオーケストラ編成でも演奏されるようになった[94]。2010年にはUNESCOの無形文化遺産に登録された[94][95]。
チャルンは複数の竹筒を一枚の竹材に固定した楽器で、左手で保持し右手の撥で叩いて演奏する[97] 。高音域ほど竹筒が多く演奏も複雑で、最低音域は2本の竹筒で構成され、主として男性により庶民的なユーモアを交えて演奏される。「竹のガムラン」とも呼ばれる[97]。
アルンバは全音階に調律された竹製木琴群による合奏形態[98] であり、こちらは女性によって演奏されることが多く、ドラムセットやエレキギター、キーボードなどの現代的な楽器を交えて演奏されることも多い[99]。
カリンディンは竹(またはヤシの葉の葉脈)で作られた伝統的な口琴であり、口に当ててひもを引くか指で弾いて口腔を共鳴腔として音を出す[100] 。かつては農作物を守る虫除けや、若者の娯楽、儀礼の場で演奏され、独特の倍音豊かな響きを持つ。
食文化
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インドネシアの他州と同様に、西ジャワ州にも各地域を代表する多様な郷土料理が存在する。西ジャワ州の料理として特によく知られているものの一つがスムダン豆腐であり、その生産は現在ではインドネシア各地にも広がっている。また、ガルト名物としてドドルガルトも知られている。その他、西ジャワ州発祥の料理として、カレドック、サテマランギ、スラビ、バタゴール、スブラス、チロック、ププス、コンブロ、トゥトゥグオンチョム、セガジャムブランなどがある[101]。
餅は日本発祥の食品であるが、スカブミの名物料理としても取り入れられている。また、ララプ(ララパン)と呼ばれる、生野菜を用いた料理文化も西ジャワ州に由来する。これはキュウリ、レタス、ナス、ササゲ、キャベツ、バジルの葉など、加熱していない各種野菜で構成されるものであり、現在ではインドネシア各地でも広く見られる。
経済
[編集]農業
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農業は西ジャワ州の主要経済部門の一つである。西ジャワ州の農業は、イネ、雑穀および園芸作物を主要作物としている。食用作物および果実類の生産には、ラッカセイ、リョクトウ、ネギ、タマネギ、ジャガイモ、キャベツ、ダイコン、ハクサイ、ササゲ、ニンジン、インゲンマメ、ホウレンソウ、キュウリ、トウガラシ、ナス、ハヤトウリ、インゲンマメ類、トマト、アボカド、柑橘類、ドリアン、ドゥク、グアバ、レンブ、ジャンブ・ボル、パイナップル、マンゴー、パパイヤ、バナナ、サポジラ、サラクおよびランブータンなどが含まれる。
また、いくつかの県は花卉栽培の主要生産地となっており、チアンジュール県、ガルト県、クニンガン県、バンドン県、チャミス県、プルワカルタ県、ボゴール県およびスカブミ県などが挙げられる[102]。
2025年のイネ (籾)生産量は約1,023万トン[41]、精米換算で約591万トンである[41]。その他の作物の栽培面積は、キャッサバが3万8,033ヘクタールサツマイモが1,238ヘクタール、落花生が1,302ヘクタールである。
海洋・漁業
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西ジャワ州は北側でジャワ海[41]、南側でインド洋に面し[41]、海岸線の総延長は約1,000kmに達する。西ジャワ州南岸では、魚の漁獲潜在量が年間120万トンと推定されているが、実際の漁獲量は年間約11万トンにとどまっている[103]。
西ジャワ州の総水産生産量は年間160万トンに達し、そのうち28万~30万トン、すなわち17.5~18.75%が漁獲漁業によるものである[103]。西ジャワ州南岸の漁獲量は、州全体の漁獲生産量のわずか3.67%にとどまっている。西ジャワ州海洋・漁業局(DKP)の報告によれば、西ジャワ州には少なくとも12万人の漁民がおり、養殖業従事者は数百万人に達すると推定されている[103]。
2024年は、海面漁業が約27万トン[41]、内水面漁業が約1.8万トン[41]、養殖業が約129.8万トン[41]であった。
地熱資源・鉱業
[編集]2025年の「採掘・砕石業」の地域総生産 (GRDP) は、名目価格で27.6兆ルピアに達している[41]。その内訳として、石油・天然ガス・地熱が約15兆ルピア、鉄鉱石採掘が約2.1兆ルピアを占めている[41]。
西ジャワ州の主要なエネルギー源は、石油・天然ガスおよび地熱資源である[44]。地熱エネルギーについては、州政府によって5つの州戦略地域 (KSP) が指定されており、ワヤン・ウィンドゥ、カモジャン・ダラジャット・パパンダヤン、サラック山・ポンコール、サンカンフルップがその拠点となっている[44]。
鉱物資源は、粘土岩、凝灰岩、安山岩などが分布していて[104] 、石灰岩、石英砂などの鉱物資源採掘活動が活発である[104]。特にプルワカルタ県などでは安山岩や石英砂が採掘されている[104]。サラック山・ポンコール地域は「地熱および鉱物採掘戦略地域」に指定されており、アネカ・タンバン(PT Aneka Tambang)による金開発が進められている[44]。
製造業
[編集]製造業は、2025年時点で西ジャワ州の地域総生産の約40.4%と最大の寄与率である[41]。電子機器、輸送機器(自動車)、食品・飲料、繊維・衣類などが高度に集積している[41]。2025年の実績では、以下の部門が大きなシェアを占めている[41]:
西ジャワ州はまた、少量ではあるものの輸出向けの鉄鉱石生産地の一つでもある[105]。このほか、西ジャワ州では鉄鋼、履物、家具、籐製品、電子機器および航空機部品の生産も行われている。
2023年末時点で、州内には8,699の大・中規模製造企業が存在し、約207万人の労働者を雇用している[41]。また、2025年の製造業(非石油・ガス部門)への投資額は106.92兆ルピアに達した[44]。また、従来のブカシ、カラワンといった高賃金・過密地域から、スバン・スマートポリタン[106]やマジャレンカ県のルバナ・メトロポリタン地域[107]への産業移転が進んでいる。
地方公企業(BUMD)
[編集]西ジャワ州政府は41の企業および地方公企業(BUMD)に出資している。これらの企業は、金融機関部門と非金融機関部門の2つに分類される[108]。
交通
[編集]主要交通インフラ
[編集]州内の主な交通インフラは以下の通り。
- 高速鉄道:ジャカルタ-バンドン高速鉄道(Whoosh)、KCJBフィーダー線
- 在来線・都市鉄道:インドネシア国営鉄道、KRLコミューターライン、ジャボデベックLRT、バンドン・ラヤ線
- バス:トランスメトロバンドン、トランスジャカルタ
- 有料道路(主要幹線):ジャカルタ=チカンペック有料道路、チコポ=パリマナン有料道路、チプララン有料道路
- 航空:クルタジャティ国際空港、フセイン・サストラネガラ国際空港
- 海運:パティンバン港
鉄道
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西ジャワ州の大部分の都市および町は狭軌(主として1067mm軌間)鉄道路線によって結ばれており、ジャワ島内の他州とも接続されている。西ジャワ州における通勤鉄道の例としては、バンドン・ラヤ線や、ジャカルタ都市圏を運行範囲とするKRLコミューターラインがある[109]。これらはボゴール線およびチカラン環状線を通じてボゴールやチカラン方面を結んでいる[109]。また、ジャボデベックLRTはブカシ線およびチブブール線によってブカシ、デポック、ボゴールを結ぶ都市高速鉄道網である[109]。さらに、ジャカルタMRT第3期計画として、バララジャからチカランを結ぶ路線が2024年に着工予定である[110][111][112]。
ジャカルタとバンドンを結ぶ路線として、ジャカルタ-バンドン高速鉄道が2023年10月に開業した[113]。バンドン駅へは、パダララン駅から無料のKCJBフィーダー線でアクセスできる[109]。
ジャカルタ-バンドン高速鉄道の西ジャワ州内における駅は以下の3駅である[112]。
バス
[編集]バンドン市およびチマヒ市の一部で、トランスメトロバンドン(都市バス)が運行されている[114]。
道路
[編集]
西ジャワ州は、その高い人口密度と急速な工業化を背景に、インドネシアで最も広範な有料高速道路網を有する州の一つである[44]。主要な道路は国営道路会社ジャサ・マルガ(PT Jasa Marga)や各民間事業者によって建設・運営され、運輸・倉庫部門から州の経済成長を支えている[41]。州道の85.24%がアスファルト舗装済み[41]で、また登録車両の82.7%が二輪車である[41]。
主な有料道路
[編集]ジャカルタ=チカンペック有料道路およびその上層を走るシェイク・モハメド・ビン・ザイード高架道路は、インドネシアで最も交通量の多い区間の一つである[44]。また、チコポ=パリマナン有料道路(アストラ・インフラ運営)は、ジャワ島を横断する物流の主軸となっている[44]。
チスムダウ有料道路は2023年に全線開通し、マジャレンカ県のクルタジャティ国際空港(BIJB)へのアクセスを向上させた[44]。また、チプララン有料道路およびパダララン=チルウニ有料道路は、ジャカルタと州都バンドンを最短距離で結んでいる[44]。
ジャカルタ外環状道路2号線(JORR 2)は、チマンギス=チビトゥン区間などの開通により、首都圏を迂回する広域ネットワークを形成している[44]。
州政府は、2022-2042年空間計画に基づき、さらなる接続性向上(目標値50-52%)を目指して以下の新線建設を優先的に進めている[41]。ゲデバゲ=タシクマラヤ=チラチャップ有料道路 (Getaci)は西ジャワ州から中部ジャワ州南岸を繋ぐ新ルートであり、国家戦略プロジェクトとして優先整備が進められている[44]。ボチミ有料道路はボゴールからスカブミ方面への延伸が進められており、チアウィ=スリンドゥン区間などが順次開通している[44]。またスバン県北部のパティンバン港(国際貿易拠点)へ直結する高速道路の整備が進められており、自動車輸出などの物流効率化が図られている[44]。
航空
[編集]バンドン市街地に近いフセイン・サストラネガラ国際空港は、かつて多くの国内線および国際線が就航していたが、2023年10月にすべての商業ジェット旅客機路線がクルタジャティ国際空港へ移転した[115]。現在、フセイン・サストラネガラ国際空港はプロペラ機(ターボプロップ)による一部の国内線、民間チャーター便、ビジネスジェット、およびインドネシア空軍(TNI-AU)の拠点としての運用にとどまっている[115][44]。
マジャレンカ県に建設されたクルタジャティ国際空港は、総面積1,800ヘクタール、滑走路延長3,000mを有するインドネシア第2位の規模の空港である[116]。フセイン・サストラネガラ国際空港の代替およびジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港における航空交通混雑の緩和を目的として計画され[117][118][119]、2018年の開港後、2023年10月29日より正式に西ジャワ州の主要ハブ空港として機能している[115]。同空港からは、メダン、デンパサール、バタム、マカッサル、クアラルンプールなどの国内外の主要都市への路線が運行されてきた[115]。2025年半ば、クルタジャティ空港はシンガポール便(スクート航空)を除き一時的に国内線が停滞したが、2026年を「国内線復活の年」と位置づけ、デンパサール、バリクパパン、マカッサル便の再活性化が進められている[120] 。
2026年5月には、プラボウォ・スビアント大統領の指示により、フセイン空港の商業便再活性化の検討が開始された[44]。これを受け、バンドン市政府はフセイン空港とクタジャティ空港を相互補完的に運用する「デュアル空港構想」を公式に提案している[44][120]。この構想では、フセイン空港はビジネス客向けの中距離国内線、クルタジャティ空港は長距離国際線、航空貨物(ロジスティクス)、および国家防衛産業ゾーン(MRO拠点)としての役割を担うことが期待されている[44]。
著名な人物
[編集]西ジャワ州は、政治、文化、スポーツ界など様々な分野において、重要な人物を輩出している。
政治
[編集]- ウマール・ウィラハディクスマ(Umar Wirahadikusah / Umar Wirahadikusumah, 1924年 - 2003年)
文化
[編集]- アイプ・ロシディ(Ajip Rosidi, 1938年 - 2020年)
- ジャティワンギ出身の詩人、小説家、伝統文化研究者。スンダ語文学の保存と発展に尽力し、スンダ文化保存の中心的人物とされる。日本の大学(大阪外国語大学・京都産業大学など)でも教鞭を執り、日本で教育研究活動を長年行うとともに、日本とインドネシア間の文学・文化交流に貢献した[122][123]。
- ロマ・イラマ(Rhoma Irama, 1946年 - )
スポーツ
[編集]- スシ・スサンティ(Susi Susanti, 1971年 - )
- タシクマラヤ出身の女子バドミントン選手。1992年バルセロナオリンピックの女子シングルス金メダリスト[125]。これはオリンピックの全競技を通じ、インドネシア共和国の歴史上「初の金メダル」である。
- アンソニー・シニスカ・ギンティン(Anthony Sinisuka Ginting, 1996年 - )
- バンドン出身の男子バドミントン選手。2020年東京オリンピック男子シングルス銅メダリスト[126]。
名所
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ↑ “Statistical Yearbook of Indonesia 2022”. 中央統計庁. p. 10 (2022年2月25日). 2022年8月28日閲覧。
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