インドネシア独立宣言

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ジャカルタにある独立宣言記念碑
署名入りのインドネシア独立宣言書。インドネシアの10万ルピア紙幣の図柄になっている

インドネシア独立宣言(いんどねしあどくりつせんげん)は、1945年8月17日スカルノが、ハッタの立ち会いのもとで、中央ジャカルタ東ペガンサアン通56番地(スカルノ邸)で読み上げた、インドネシアが独立したことを宣言する文言である。インドネシア独立宣言草案は、大日本帝国軍政時代にインドネシアに設置された独立準備調査会において起草され、独立準備委員会において採択されたものである[1]。宣言の日付の「05年」とは「皇紀2605年」を指す。

内容[編集]

宣言
我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
ジャカルタ、05年8月17日
インドネシア民族の名において
スカルノ / ハッタ

エピソード[編集]

終戦翌日の8月16日、前田精海軍少将はスカルノハッタを自らの公邸に受け入れ、インドネシア独立宣言の打ち合わせを行った。会議は16日23時から始まり翌17日の午前2時過ぎまで続いた。会議には50人ほどが出席していた。その間にも、多数の青年グループ達が会議の結果を待っていた。日本人は前田の他に日蘭商業新聞記者・吉住留五郎、第一六軍軍政監部司政官三好俊吉郎、海軍嘱託西嶋茂忠が同席した。 後にインドネシア共和国初代外務大臣となるスバルジョは自著の中で、1945年8月17日未明に行われた独立準備委員会による独立宣言に関する会合について「こうして、一人の勇敢な日本海軍少将の家での、忘れることのできない夜の会合は終わった。」と述懐している。1976年(昭和51年)、前田は建国功労章を授与された。

参考文献[編集]

  • アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳『インドネシアの独立と革命』龍渓書舎、1973年
  • 増田与後藤乾一村井吉敬『現代インドネシアの社会と文化』現代アジア出版会、1979年
  • Mata Elang Media. (2011). Kabinet Indonesia Bersatu II (Jilid II)+UUD 1945 dan Perubahannya. Mata Elang Media. Jakarta.
  • H. Endang Saifuddin Anshari.(1997). Piagam Jakarta 22 Juni 1945:sebuah konsensus nasional tentang Dasar Negara Republik Indonesia(1945-1959). Gema Insani Press. Jakarta.

脚注[編集]

  1. ^ H. Endang Saifuddin Anshari.(1997).43頁他。