ゴロンタロ州
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| 州の標語: | |
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| 州都 | ゴロンタロ |
| 知事 | グスナール・イスマイル |
| 面積 | 11,257.07 km²[1] km² |
| 人口 | 1,171,681人(2020年国勢調査)[2] |
| 人口密度 | 104.1人/km²/km² |
| 民族 | ゴロンタロ人、ブギス人、ポラヒ人、ジャワ人、マカッサル人、バリ人、ミナハサ人 |
| 宗教 | イスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教 |
| 言語 | ゴロンタロ語、インドネシア語 |
| 時間帯 | WITA(UTC+8) |
| ISO | ID-GO |
| 公式サイト | www.gorontaloprov.go.id |
ゴロンタロ州(ゴロンタロしゅう、インドネシア語: Gorontalo)は、インドネシアのスラウェシ島北部に位置する州である。州都はゴロンタロ市。ゴロンタロ人を主要な民族集団とし、住民の大部分がイスラム教を信仰している。州内には多様な自然環境が広がり農村地域が多い一方、州都ゴロンタロは行政・経済・教育の中心地として発展している。また、ゴロンタロ語をはじめとする独自の文化や伝統が残されている。オタナハ要塞やリンボト湖、沿岸部のビーチなど、歴史・文化と自然の両面で特色を持つ地域である。
概要
[編集]ゴロンタロ州は、2000年12月5日に北スラウェシ州から分離して設置された州である[3]。
ゴロンタロ州はイスラム教徒が多数を占める地域であり、2000年当時の人口に占めるイスラム教徒の割合は98.2%であった。一方、分離元の北スラウェシ州では同時期のイスラム教徒の割合が49.8%であり、ミナハサ人が主要な民族集団を構成していた。これに対してゴロンタロ州ではゴロンタロ人が人口の大部分を占めている。このような宗教的・民族的な違いは、両地域の関係における緊張や差別の一因となったと指摘されている[4]。
岡本正明によれば、北スラウェシ州の州知事にゴロンタロ出身者が就任したことがなかったことや、開発予算の配分が少なかったことなどが、ゴロンタロ側における自治州設立を求める運動の背景となった[4]。
州内は農村部が多く、典型的な農村社会が形成されている一方、地域社会を支配する大規模な地主層は形成されていないとされる[4]。
歴史
[編集]州設立運動
[編集]1997年のアジア通貨危機によってインドネシアの経済情勢が悪化し、スハルト政権が動揺すると、国内各地で学生運動が活発化した。この動きはゴロンタロにも及び、ゴロンタロ出身の学生の間で地方自治や州分離についての議論が行われるようになった[4]。
ゴロンタロ出身インドネシア学生・大学生連盟(HPMIG)においても自治州設立について議論が行われたが、この問題が公の場で本格的に取り上げられたのは、1999年2月上旬に開催されたHPMIG第5回総会であった。同総会では、HPMIGマナド支部に所属するサム・ラトゥランギ大学の学生が、マナドにおいてゴロンタロ人がミナハサ人から受けている差別などについて訴えた[4]。
当初、ゴロンタロの地方政治エリートの多くは新州設立に積極的ではなく、州設立を公約に掲げる政党も存在しなかった[4]。そこでHPMIGは、ゴロンタロにおける主要な学生組織の一つであるイスラム学生協会(HMI)ゴロンタロ支部と協力し、ラジオ・セレベスなどのメディアを通じて州設立運動への支持を拡大していった[4]。
その後、ゴロンタロ・トミニ・ラヤ州設立準備委員会結成のための準備委員会(FP3GTR)が組織され、1999年12月3日にはゴロンタロ・トミニ・ラヤ州設立準備委員会(P4GTR)を設立することが決定された[4]。
学生側でもHMIゴロンタロ支部を中心に、ゴロンタロ青年・学生行動連盟(KPMGP)が結成され、ゴロンタロ市・県議会に対して新州設立を求めるデモを行った。マナドでは州設立支持派の学生が記者会見を開き、マカッサルでも複数の学生組織がゴロンタロの分離を求める活動を行った[4]。
州設立要求は次第に全国的な運動へと発展した。第22回HMI総会では、HMIゴロンタロ支部の働きかけによって、ゴロンタロ・トミニ・ラヤ州の新設要求が勧告に盛り込まれた。また、1999年12月6日にはHPMIGの学生数十人が国会・国民協議会前で州設立を求めるデモを行った[4]。
州の成立
[編集]一方、ゴロンタロ・トミニ・ラヤ州設立宣言をめぐって、州設立運動は一時停滞した。P4GTRは州設立運動を統合する役割を担い、2000年1月23日に州設立宣言を行うことを決定した。しかし、州設立運動の主導権を握ろうとする各組織が相次いで参加した結果、P4GTRの構成員は200人を超え、組織として機動的に活動することが難しくなった[4]。
なお、1月23日はゴロンタロ出身の民族的英雄ナニ・ワルタボネが1942年(原文では1943年とされる)に独立を宣言したとされる日であり、ゴロンタロの人々にとって象徴的な日とされている[4]。
P4GTR以外にも、トミニ・ラヤ住民連合、ゴロンタロ州親愛住民連帯、中部スラウェシ州パルのゴロンタロ一致団結会、マカッサルのリマ・ポハラア共同フォーラム、ジャカルタのトミニ・ラヤ住民友愛フォーラムなど、州設立を支持する複数の組織が結成された[4]。
これらの組織をまとめるため、HMIゴロンタロ支部はゴロンタロ・トミニ・ラヤ州設立理事会を設立した。その後、ゴロンタロ県議会およびゴロンタロ市議会から州設立を支持する決議が出され、さらにボアレモ県のゴルカル党県支部長ニザム・ダイを住民代表とする州設立支持声明が発表された。また、北スラウェシ州副知事兼ゴロンタロ県知事代行のハサン・アバス・ヌシや、ゴロンタロ地方の政治に影響力を持つ政治家・実業家のアフマド・パカヤらの支持も得た[4]。
2000年2月8日にはゴロンタロ州設立に関する州議会本会議が開催され、同月12日には州設立を支持する決議が採択された[4]。
2000年7月以降、州設立の手続きが本格化すると、北スラウェシ州議会議員の一部から州設立を阻止しようとする動きが現れた。この議員グループは「M16」と呼ばれた[4]。
最終的に、州名を「ゴロンタロ州」、州都を「ゴロンタロ市」とする新州の設置が決定された。当初は中部スラウェシ州の一部や北スラウェシ州のボラアン・モゴンドウ県を含める案も存在したが、実現には至らなかった[4]。
ゴロンタロ州は2000年12月5日に正式に発足した[5]。
人口
[編集]ゴロンタロ州の人口は以下のように推移している。
2005年6月30日:922,176人 2010年5月1日:1,040,164人[6] 2020年:1,171,681人[7]
民族構成ではゴロンタロ人が主要な民族集団を占めるほか、ブギス人、ポラヒ人、ジャワ人、マカッサル人、バリ人、ミナハサ人などが居住している。
宗教ではイスラム教が多数を占めるほか、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教なども信仰されている。
地理
[編集]ゴロンタロ州はスラウェシ島北部に位置し、北はセレベス海、南はトミニ湾に面している。東は北スラウェシ州、西は中部スラウェシ州と接している。
行政区分
[編集]ゴロンタロ州は、5県(kabupaten)と1市(kota)から構成される。
県
[編集]市
[編集]- ゴロンタロ - Kota Gorontalo
交通
[編集]空港
[編集]観光
[編集]ゴロンタロ州には、歴史的建造物や海岸、島嶼などの観光地がある。
脚注
[編集]- ↑ “Statistical Yearbook of Indonesia 2022”. インドネシア中央統計庁. p. 10 (2022年2月25日). 2022年8月28日閲覧。
- ↑ “Indonesia: Provinces & Cities”. Citypopulation.de (2020年6月12日). 2022年8月28日閲覧。
- ↑ “5 Desember HUT Provinsi Gorontalo”. ゴロンタロ州政府. 2017年6月2日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 岡本正明 2007.
- ↑ “5 Desember HUT Provinsi Gorontalo”. ゴロンタロ州政府. 2017年6月2日閲覧。
- ↑ “City Population”. 2016年10月18日閲覧。
- ↑ “Indonesia: Provinces & Cities”. Citypopulation.de (2020年6月12日). 2022年8月28日閲覧。
参考文献
[編集]岡本正明「自治体新設運動と青年のポリティクス : ゴロンタロ新州設立運動(1998年-2000年)に焦点を当てて(<特集>インドネシア政治への新たな視座)」『東南アジア研究』第45巻第1号、京都大学東南アジア研究所、2007年6月30日、137-158頁。