荒砥城

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荒砥城
長野県
荒砥城
荒砥城
別名 新砥城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 山田越中守二郎?
築城年 室町時代
主な改修者 山田氏、吾妻氏
主な城主 山田氏、屋代政国屋代秀正
廃城年 天正11年(1583年)
遺構 土塁、空堀
指定文化財 千曲市指定史跡
『荒砥城跡群』
位置 北緯36度28分47.3秒
東経138度08分11.2秒
地図
荒砥城の位置(長野県内)
荒砥城
荒砥城

荒砥城(あらとじょう)は、信濃国更級郡長野県千曲市)にあった日本の城山城。別名、新砥城。千曲市指定史跡[1]

概要[編集]

この地の豪族で村上氏の一族の山田氏の居城であった。村上氏の本城、葛尾城の支城としての役割を果たしていた。

天文22年(1553年)には武田信玄により葛尾城が落城すると、武田氏に従った屋代政国の替え地として、荒砥城を与えられ屋代城から移った。

天正10年(1582年)、武田氏が滅亡した後は、屋代秀正が上杉氏に従い海津城の副将として遇された。しかし主将の山浦景国(村上義清の息子)とはしっくり行かなかったようである。村上氏一族の中で最初に武田方に寝返った屋代氏は信頼されず、上杉景勝稲荷山城を築いて監視していた。天正12年(1584年)4月1日、秀正は徳川氏に通じたため上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放ち、徳川の下へ出奔して旗本となる。荒砥城は以降、廃城となった。しかし屋代氏出奔後の領地の一部は景勝の人質となっていた真田信繁(幸村)の領地として与えられたとされている。

かつてテーマパーク建設の際に遺構は破壊され、低い石積程度しか残存していなかったが、現在は千曲市城山史跡公園として整備されている。石積を用いた虎口などやりすぎの感もあるが、それでも館や兵舎、櫓など中世の山城の雰囲気を再現しており、平成19年(2007年)の大河ドラマ風林火山」(ドラマでは海ノ口城として使用。)平成23年の大河ドラマ江~姫たちの戦国~小谷城として使用)のロケ地として使用されている。

逸話[編集]

頼清流村上氏の当主村上義清の一族で名を馳せた山田国政と吾妻清綱の居城。その山田国政は吾妻清綱とともに天文20年(1551年)4月、対立していた矢沢頼綱を援助したその兄の真田幸隆の策略によって、城代を務めていた砥石城において討死した。

所在地[編集]

  • 長野県千曲市上山田3509-1

参考画像[編集]

脚註[編集]

参考文献[編集]

  • 『廃城をゆく 2』イカロス出版社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]