荒砥城 (出羽国)
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荒砥城 (山形県) | |
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別名 | 八乙女城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 荒川清泰 |
主な改修者 | 馬場氏、 泉沢久秀 |
主な城主 | 大江氏、荒川氏、伊達氏、水野氏(蒲生氏)、泉沢氏(上杉氏) |
遺構 | 曲輪、井戸 |
位置 | 山形県西置賜郡白鷹町荒砥 |
荒砥城(あらとじょう)は、出羽国置賜郡(現・山形県西置賜郡白鷹町)荒砥に存在した日本の城(平山城)。
概要[編集]
八乙女城山(標高212m)の山頂から山腹にかけて築かれた荒川氏の居城である。戦国時代には伊達氏の支配下にあり、最上領と隣接する「境目の城」として重要視された。江戸時代には米沢藩五支城[1]の一に数えられて重臣が城主(のち役屋将)を務め、八乙女周辺を統治した。
遺構・復元施設[編集]
- 八乙女神社 - 階段の途中には井戸跡もある。
- 「荒砥城(八乙女城)址と八乙女神社」碑
- 空堀跡
- 三の丸跡 - 学校跡地に建造の「荒砥地区コミュニティセンター」入り口になっている。
- 二の丸跡 - 帯曲輪が現存。
- 本丸跡 - 神社本殿から、もう一段登った場所に位置し、春には桜が咲く。
周辺施設・関連資料ほか[編集]
- 荒砥駅前の案内板 - 荒砥城下のイラスト地図。