竹下哲史

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竹下 哲史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県鈴鹿市
生年月日 (1983-05-26) 1983年5月26日(40歳)
身長
体重
177 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 育成選手ドラフト1巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • エディオン愛工大OB BLITZ
    エディオンBLITZ
    BLITZ

竹下 哲史(たけした あきふみ、1983年5月26日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手内野手)。2006年から2007年まで育成選手として中日ドラゴンズに所属していた。2008年からは、社会人野球エイデン愛工大OB BLITZ(現:BASEBALL ONE BLITZ)でプレー。2015年に選手兼任でコーチを務めた後に、2016年1月22日から監督を兼任し[1]2019年からは監督を専任していた。

経歴[編集]

豊田大谷高等学校から名古屋商科大学に入学。大学4年の秋に、愛知大学野球連盟2部リーグで優勝するとともに、同リーグの最優秀選手に選ばれた。

大学時代に中村順司監督の下で磨かれた堅実な守備が評価された[2]ことから、2005年のプロ野球育成ドラフト会議では、中日ドラゴンズから1巡目で指名。NPBでこの年から育成選手制度を導入したことを背景に、球団史上初めて、育成選手として入団した。ちなみに、背番号は202で、当時のNPB史上最も大きな数字を使用した[3][2]

2006年には、2月26日オープン戦に途中から出場すると、プロ初安打を放った。シーズン中は、ウエスタン・リーグ公式戦22試合に出場したが、通算21打席で19打数2安打(打率.105)という成績にとどまった。

2007年には、ウエスタン・リーグ公式戦10試合に出場。通算9打席で7打数2安打(打率.286)、1得点という成績を残した。しかし、支配下選手登録や一軍昇格に至らないまま、10月30日に球団から戦力外通告を受けた。

2007年11月の12球団合同トライアウトに参加したが、プロ野球他球団への移籍には至らず、地元の家電量販店エイデンの関連会社へ入社。2008年からは、社業に就くかたわら、同社がスポンサーを務める社会人野球クラブチームエイデン愛工大OB BLITZ(現:BASEBALL ONE BLITZ)でプレーを続けた。

エイデンが社名をエディオンEASTへ変更した2012年からは、エディオンコミュニケーションズの本社商品部に勤務。その一方で、チームでは主力選手として活躍を続けている。

2015年からはコーチを兼任し[4]2016年からは阪神タイガース投手だった梶原和隆の後任として監督を兼務する[1]

2019年からは監督専任となり、同チームのメインスポンサーがBASEBALL ONEになってからは、同社のベースボールアナライザーも務めている[5]。現在は監督からは退任している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 202 (2006年 - 2007年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 社会人野球 クラブチーム「ルーキーズ」、伊藤新監督が就任(『毎日新聞』愛知県版2016年1月23日付記事)
  2. ^ a b ベースボールマガジン2006年夏季号91ページ
  3. ^ 日本プロ野球では育成選手の背番号は100番以降と決められていたが、中日では球団スタッフに100番台が多かったので、区別する意味で200番台になったとされる
  4. ^ 中日スポーツ2016年1月22日付9面記事
  5. ^ 竹下 哲史|スタッフのご紹介”. BASEBALL ONE. 2022年12月7日閲覧。

関連項目[編集]