社稷

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  1. 社稷(しゃしょく)とは、(土地神を祭る祭壇)と(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担う。本項で記述。
  2. 転じて、国家のことを意味する。

古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった。

新しい国が興ると、社稷の祭壇と宗廟が設置された。帝王の都は、左に太祖と呼ばれる先祖(宗廟)を、右に土地神を(社稷)祀ることとされており、現在残る社稷の多くが、この形式にしたがっている。この形式は、古くはの時代より存在したとされる。

中国では戦争に勝つと、戦いに勝利した国が敗北した国家の社稷の祭壇を破壊し、周囲の森を斬り拓いて天地のつながりを絶ち、前の王朝の廟や墓を破壊して祭祀を滅することによって、すなわち国家を滅ぼすこととされた。

社稷壇[編集]

社稷壇の上には、五色土と呼ばれる以下に示す方角の辺境から献上された五色の土が敷かれている。(中央は黄色、東は青色、南は赤色、西は白色、北は黒色) これは、陰陽五行の思想によって五色は万物、すなわち天下すべての土地を指し、「普天之下、莫非王土」(世界に中国皇帝の領有しない土地はない=世界の全てが中国の領土である)という意味である。(中華思想


中国の社稷[編集]

時代の皇帝の社稷壇は、現在の北京市内、紫禁城の南、天安門の西側にある、中山公園に存在する。 唐の時代から存在した寺を利用して、明の太祖である朱元璋が1420年に建立したとされる。 中山公園という名称は、1928年に改名されたもので、その由来は1914年に、中国革命の父と呼ばれる孫文(号:中山)の柩が園内の中山堂に安置されているためである。中山堂自体は元々は拝殿であり、明の時代に建設されたとされ、明、清の皇帝が風雨を避け神を祀る行事を行う場所であったが、孫文の棺が安置された後、1928年に中山堂と称されたものである。 中国の皇帝はここで天命を受けるものとされ、中山公園には、今もなお天地を繋ぐとされる樹齢千年に達するとも言われる柏の大木が多数存在し奇観を呈している。

韓国の社稷[編集]

初めは李氏朝鮮の太祖、李成桂が建立したとされる。 韓国では日本が祭祀を強制的に禁止したと教えられているが、日本の支配下においても破壊されず、ソウル市内、景福宮の東側に宗廟、西側に社稷壇が現存し、韓国の重要文化財に指定されている。 社稷壇という地名にもなっている。