孔子廟

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孔子廟(こうしびょう)は、中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟(霊を祀る建物)。

中国[編集]

曲阜の孔廟大成殿(中国)

中国語では孔子庙(簡体字)/孔子廟(繁体字)(コンツーミャオ、拼音: kǒngzǐ miào注音: ㄎㄨㄥˇ ㄗˇ ㄇㄧㄠˋ)という。一般的に孔庙(簡体字)/孔廟(繁体字)(コンミャオ、拼音: kǒng miào注音: ㄎㄨㄥˇ ㄇㄧㄠˋ)と呼ばれる。また関帝廟が武廟と呼ばれるのに対比して文廟とも呼ばれる。

曲阜の大成殿は、20世紀初頭に文廟、聖廟、孔廟と様々に呼ばれたが、現在の中国では孔廟とされ、儒教の総本山として厚く信奉されている。その廟には、孔子と四配(顔子子思曽子孟子)らの木像が安置され、『論語』が納められている。また、孔子に対する敬称のひとつ・夫子(ふうし)を使って単に夫子廟といった場合、南京にあるものを指す。

孔子の生まれたとされる魯の国の昌平郷陬邑(すうゆう)、現在の山東省曲阜(きょくふ)に、孔子の死後1年目に魯の哀公が孔子の旧宅を廟にしたとされ、そこに孔子廟が作られたのがそもそもの始まりであった。

日本にある孔子廟[編集]

長崎孔子廟大成殿

日本にも、各地に孔子廟がある。多くは儒学の学校に付随して建てられる。

有名なものでは東京都湯島聖堂があり、江戸時代(1690年)から設けられた。「昌平坂学問所」に付随して設置された。もともと朱子学林羅山が上野忍が岡に先聖殿を築いたものを、江戸幕府が日本における儒教の学校として、湯島御茶ノ水)に移築し、開き、林家の学問所としても発展した。また、最も見応えのあるものは、長崎の「孔子廟」である。江戸時代以降、外国貿易の地と定められ、唐人屋敷があった長崎に、明治26年(1893年)、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作られた。この「孔子廟」には、孔子と72賢人石像や孔子の教えを始め、中国の文化・学術を伝える施設の「中国歴代博物館」も孔子廟の「大成殿」裏にあり、中国の貴重な資料とともに、一般に公開されている。 ほかに、足利学校(栃木県足利市)や閑谷学校(岡山県備前市)の聖廟、多久聖廟(佐賀県多久市)などが有名である。また日本最南の孔子廟は沖縄県那覇市にある至聖廟である[1]。もともとあった廟[2]1676年に創建されたものであったが、沖縄戦により灰燼に帰したため、現在の廟は1975年に再建されたものである。

朝鮮半島にある孔子廟[編集]

朝鮮成均館の文廟大成殿

朝鮮半島では8世紀頃、新羅唐王朝から孔子廟の制度を受け入れ、当時国立最高学部であった国学の内に孔子の祀廟を設置したことを始まりとし、以後の王朝でもそれを受け継いで高麗では開城の「国子監」、李氏朝鮮では漢城の「成均館」に付随してこれが司る孔子廟を設け、それを「文廟」(문묘)と呼んだ。文廟では、中央に「大成殿」(대성전)を建て、孔子とその弟子十人周敦頤朱子などの宋代朱子学者、及び崔致遠鄭夢周李滉(李退渓)・李珥(李栗谷)等の朝鮮半島の有名儒学者を、大成殿の両翼に「東廡」(とうぶ・동무)・「西廡」(せいぶ・서무)の建物を設け、漢・唐以来の中国の儒学者と朝鮮半島の儒学者たちを共にも祀っていた。

地方でも成均館を倣って官学の「郷校」に孔子を祀る祀堂を置いた。なお、15世紀以後では、儒教の民間への拡散と共に各地で私塾である書院の設立が盛んとなり、書院でも必ずや孔廟が建てられ、孔子と儒学者たちを祀った。書院はのち各地の郷里士林の根拠となり、中央政治にも大きな影響を及ぼった。有名な書院で「陶山書院」などがある。

今でも成均館では年に二回(春の旧暦二月と秋の旧暦八月に各一回)「釈奠大祭」(せきてんたいさい・석전대제)と呼ばれる孔子を祀る儀式が行われているが、今の成均館は日本強占時代の以来、国立ではなく私立の大学になってそこに置かれている成均館がこれを司っている。そのほか各地の書院でも「釈菜」(せきさい・석채)と呼ばれる規模の小さい祀りが今までも行われている。

台湾にある孔子廟[編集]

孔子廟(台湾・高雄市)

台北台南など台湾の各地にある。

ベトナムにある孔子廟[編集]

順化国子監会安文廟海陽文廟安寧文廟などがある。

マレーシアにある孔子廟[編集]

マレーシア最初の孔子廟は檳城孔聖廟中華小學(zh:孔聖廟中華學校en:Chung Hwa Confucian School)と言う小学校に位置している。清朝の大使の張弼士によって建てられた。その昔、多くの児童が登校初日には孔子廟に連れていかれて、儒教の教えに従い勤勉に勉学に励むという希望を書く儀式に出席したという[3]

その他、マラッカにも馬六甲孔子大廈という学院が建てられており、そこでは毎年祭孔活動が行なわれている。

クアラルンプールにも吉隆坡尊孔独立中学(zh:吉隆坡尊孔独立中学)と言う学校が建てられており、そこでは毎年孔子の誕生日を祝い、孔子に関する講座が開かれている。

タイ王国にある孔子学院[編集]

儒学または孔子廟は時代に伴って色々な姿で社会に現れている。現在、タイ王国には12ヶ所に孔子学院が建てられている。それらは中タイ両国の学者達が一緒に計画したもので、『論語』を始め、中国語、中華文化、書道等の講座が提供されている。

  1. ソンクラーナカリン大学孔子学院
  2. プーケットにある ソンクラーナカリン大学大学孔子学院
  3. Mae Fah Luang 大学孔子学院
  4. チェンマイ 大学孔子学院
  5. Suan Dusit Rajabhat大学孔子学院
  6. タイ国立マハサラカム大学孔子学院
  7. Khon Kaen大学孔子学院
  8. Betong 大学孔子学院
  9. 農業大学孔子学院
  10. Bansomdejchaopraya RaJabhat孔子学院
  11. チュラロンコン大学孔子学院
  12. Traimit Wittayalai高校孔子課堂.(http://www.confucius.psu.ac.th/En/en_CIinThailand.aspx)

脚注[編集]

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  1. ^ この地はもともと“久米三十六性”と言われる中国からの移民とその子孫が居住していた地だったために建てられた。58号線沿いに『大門(うふじょう)』久米大通り沿いに『西武門(にしんじょう)』と言う地名が残っていることから如何に巨大な居留地だったかがわかる。
  2. ^ 現在の国道58号線、日本銀行那覇支店前。
  3. ^ SMJK School Portal - SMJK CHUNG HWA CONFUCIAN (School History)