ソウル社稷壇

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ソウル社稷壇(ソウルしゃしょくだん、ソウルサジクタン、서울 사직단)は、李氏朝鮮時代、国家として土地の神である「社」と、穀食の神である「稷」に対して祭祀をおこなった場所である。

歴史[編集]

李氏朝鮮の初代国王である太祖(李成桂)が、漢陽(現在のソウル)に都邑を定めたおり、周礼の「左廟右社」の原則にのっとり、景福宮の東側に宗廟を、西側に社稷壇を設けたのが始まりである。

社稷壇は2重の柵に囲まれており、柵の四方には紅箭門(屋根が無く桟がついている赤い門)が設けられている。土地の神に祭祀をおこなう社壇は東側に、穀食の神に祭祀をおこなう稷壇は西側に配置され、壇の形は「空は丸く地は四角い」という「天円地方」説に基づき方形で造られた。壇の周りは3段の石段が取り囲み、壇の上は各方角により黄、青、白、赤、黒の5色の土で覆った。

最初に建立されたとき、壇の周辺には東・西・北側の山のへりに沿い囲いをめぐらし、その中に神室を置いたが、文禄・慶長の役の際、神室などは焼失した。第14代国王である宣祖の末になりようやく修復され、歴代国王の世にまたがり修理が続けられた。神門は単層の切妻屋根で、元の位置より若干後退している。

日本の統治時代に、都市計画により、公園にされ面積が縮小された。以後1980年代末に社稷壇の整備事業が進められ、壇とその周辺が一部復元された。文化財保護施設として指定されているために、一般人の直接の立ち入りや通行はできない代わりに、社稷壇のホンサルムンや石垣ごしに祭壇の姿を見ることができる。

参考[編集]

関連項目[編集]