知寄町停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知寄町停留場*
伊野行きの電車が停留場に進入する
ちよりちょう
Chiyoricho
知寄町三丁目 (0.4 km)
(0.2 km) 知寄町二丁目
地図
所在地 高知県高知市知寄町二・三丁目
北緯33度33分28.39秒 東経133度33分41.35秒 / 北緯33.5578861度 東経133.5614861度 / 33.5578861; 133.5614861座標: 北緯33度33分28.39秒 東経133度33分41.35秒 / 北緯33.5578861度 東経133.5614861度 / 33.5578861; 133.5614861
所属事業者 とさでん交通
所属路線 後免線
キロ程 9.1 km(後免町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1957年昭和32年)4月21日
* 1987年に知寄町車庫前停留場から改称
テンプレートを表示

知寄町停留場(ちよりちょうていりゅうじょう)は、高知県高知市知寄町にあるとさでん交通後免線路面電車停留場

歴史[編集]

当停留場は1957年昭和32年)に土佐電気鉄道知寄町車庫前停留場(ちよりちょうしゃこまえていりゅうじょう)として開業した[1]。知寄町車庫は当停留場の北側にあった車両基地と南側にあったバス部門の車庫[2]宝永町停留場の南側付近にあった下知車庫に代わって、当停留場の開業と同じ日より稼働を開始した[2][3]。なお、知寄町車庫前を名乗る停留場はそれまで後免線の宝永町 - 知寄町一丁目間に存在したが、当停留場の開業に代わって廃止されている[1]

往時の知寄町には車庫のほかにも土佐電気鉄道の本社、1962年(昭和37年)に新設された東雲町車両工場など多くの現業機関が集積し、土電の心臓部を担っていた[2][4]。しかしこれらの施設は1987年(昭和62年)に桟橋地区へ移転[2]。この移転と同日に、当停留場は知寄町へと改称している[1]

年表[編集]

構造[編集]

知寄町停留場は後免線の併用軌道区間にあり、ホームも道路上に置かれる。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配されるが、互いのホームは東西方向にずれている[7]。東にあるのが後免町方面行きのホーム、西にあるのがはりまや橋方面行きのホーム[7]

後免町寄りに渡り線があり[7][8]、朝のラッシュ時と夜間にはりまや橋方面への折り返し運転が行われる。

周辺[編集]

知寄町車庫の車両基地の跡地はパチンコ店[2]、南側のバス部門の車庫の跡地は分譲マンションとなっている。

路線バス[編集]

「知寄町」バス停留所があり、以下の路線が乗り入れる。一般路線バスははりまや橋方面のみが停車。高速バスの「知寄町」バス停の乗り場は、よさこい号(大阪行)は当地であるものの、それ以外は隣の知寄町二丁目バス停に併設されている(降り場は、よさこい号が知寄町二丁目バス停、それ以外は当地)。

乗場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
  よさこい号   大阪 とさでん交通
阪急バス
昼行、夜行
T1 はりまや橋 桟橋車庫 とさでん交通
C1 はりまや橋 県庁前
G1 はりまや橋 高知駅

隣の停留場[編集]

とさでん交通
後免線
知寄町三丁目停留場 - 知寄町停留場 - 知寄町二丁目停留場

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  2. ^ a b c d e 『土佐電鉄が走る街 今昔』74-77頁
  3. ^ a b c d e 『土佐電鉄が走る街 今昔』156-158頁
  4. ^ 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、86頁。ISBN 4-87503-268-4 
  5. ^ 高知県公共交通経営対策検討委員会 電車部会第4回 土佐電気鉄道提出資料” (PDF). 高知県. p. 2 (2011年12月6日). 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月27日閲覧。
  6. ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 
  7. ^ a b c 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、36,92頁。ISBN 978-4-06-295161-6 
  8. ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、292頁。ISBN 978-4-7942-1615-1 

参考文献[編集]

関連項目[編集]