白露型駆逐艦
白露型駆逐艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 駆逐艦 |
前級 | 初春型駆逐艦 |
次級 | 朝潮型駆逐艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,685トン |
全長 | 111m |
全幅 | 9.9m |
吃水 | 3.5m |
主缶 | ロ号艦本式缶3基 |
主機 | 艦本式タービン2基2軸 42,000hp |
最大速力 | 34ノット |
航続距離 | 18ktで4,000浬 |
燃料 | 重油:540トン |
乗員 | 226名 |
兵装 | 50口径12.7cm連装砲 2基4門 50口径12.7cm単装砲 1基1門 40mm単装機銃 2挺[1] (改白露型は13mm連装機銃2基[1]) 61cm4連装魚雷発射管 2基8射線 (九〇式魚雷16本、のちに九三式魚雷搭載) 爆雷×16 |
白露型駆逐艦(しらつゆかたくちくかん)は大日本帝国海軍の駆逐艦。初春型駆逐艦の準同型艦ともいえる艦級であった。
概要
当初「マル1計画」で12隻の建造予定であった初春型は過剰な武装のため重心が上昇し、建造は6隻で打ち切られた。そして設計をF45Dと変更、武装を練り直した改良型として建造されたのが「白露型」であった。
主砲配置は改装後の初春型と同じであるが、仰角を55度に戻したC型が採用されている。魚雷は、6門では少ないとされ海軍初の四連装魚雷発射管を2基装備し8射線を確保した。竣工時には九〇式空気魚雷を搭載していたが、開戦前に九三式酸素魚雷搭載に改造したと言われている。また、改装という形であった初春型とは異なり、設計段階で発生した第四艦隊事件の結果を取り入れ、安定性と船体強度に気をつけた構造になった本型は、初春型より強度が上がっている。しかし、結局この排水量で満足する性能を持った駆逐艦建造は不可能と判断した海軍は10隻で建造を中止。より大型の朝潮型駆逐艦の建造に着手することとなる。
なお、初春・白露両型は、共に規定排水量をオーバーしているが、このことは諸外国には伏せられていた。
改白露型
第二次軍備補充計画(通称「マル2計画」)で計画された海風以降の4艦は第四艦隊事件の影響で設計が若干改められ、改白露型もしくは海風型と呼ばれることもある。変更は主に船体構造であった。外観の特徴としては艦橋形状が変更され、朝潮型、陽炎型と同一形状となった。
対空用に採用した40mm機銃2挺は、改白露型では13mm連装機銃2基に改められている[1]。また25mm連装機銃2基を搭載したとする文献もある[2]。
また第二次軍備補充計画では改白露型を14隻建造の予定であったが軍縮条約脱退もあり4隻で打ち切り、残りは設計を改め朝潮型として完成した。
兵装
主砲
12.7cm連装砲C型2基、同単装B型1基を装備した。これらは最大仰角55度のだった。なお白露は単装砲にA型改1を仰角55度に変更したものを搭載した。また夕立の連装砲は写真よりB型改2であることが判明している。
大戦後半になり機銃増備のため単装砲は撤去された。
魚雷
日本海軍の駆逐艦で初めて4連装発射管を装備する。当初魚雷は九〇式魚雷だったが開戦までに九三式魚雷に変更した。魚雷本数は昭和18年以降は12本(何時から12本となったかは不明)となっている。
機銃
上述したとおり竣工時は40mm機銃2挺もしくは13mm連装2基だった[1]が、大戦中に25mm3連装2基と交換された。その他に艦橋前に25mm連装1基、主砲1基を撤去し25mm3連装機銃1基を装備してあ号作戦時には合計25mm3連装3基、同連装1基となった(白露の例)。残存していた時雨と五月雨にはその後さらに単装機銃が装備され、時雨ではそのために搭載艇の一部降ろしている。
その他
電探(レーダー)は1943年以降、前マストに22号を装備した。その後13号も装備したものと思われる[1]。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」[3]によると、時雨、五月雨は昭和19年後半の時点で前マストトップに13号電探を搭載した。
水中探信儀は1940年の時点で装備されているが竣工時からの装備かどうかは不明。水中聴音機は開戦後の装備のようである。爆雷は大戦中に36個に増備した。
同型艦
- 白露 [II](しらつゆ)
- 竣工1936年8月20日(佐世保工廠) 戦没1944年6月15日
- 時雨 [II](しぐれ)
- 竣工1936年9月7日(浦賀船渠) 戦没1945年1月24日
- 村雨 [II](むらさめ)
- 竣工1937年1月7日(藤永田造船所) 戦没1943年3月5日
- 夕立 [II](ゆうだち/ゆふだち)
- 竣工1937年1月7日(佐世保工廠) 戦没1942年11月13日
- 春雨 [II](はるさめ)
- 竣工1937年8月26日(舞鶴工作部) 戦没1944年6月8日
- 五月雨(さみだれ)
- 竣工1937年1月29日(浦賀船渠) 戦没1944年8月26日
- 海風 [II](うみかぜ)
- 竣工1937年5月31日(舞鶴工作部) 戦没1944年2月1日
- 山風 [II](やまかぜ)
- 竣工1937年6月30日(浦賀船渠) 戦没1942年6月23日
- 江風[III](かわかぜ/かはかぜ)
- 竣工1937年4月30日(藤永田造船所) 戦没1943年8月6日
- 涼風(すずかぜ、本来の漢字表記は「凉風」であるとする説もある)
- 竣工1937年8月31日(浦賀船渠) 戦没1944年1月25日
脚注
- ^ a b c d e 『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』による。
- ^ 『軍艦基本計画資料』によると白露型は25mm連装機銃2基。ただし時期は不明。また「「利根」型の搭載機銃」によると海風以下の4隻は25mm連装機銃2基を搭載した。
- ^ 『日本駆逐艦物語』p270,280。
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦Ⅱ』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0461-X
- 「丸」編集部編『軍艦メカ4 日本の駆逐艦』(光人社、1991年)ISBN 4-7698-0564-0
- 秋元実・編 『ウォーターラインガイドブック 日本連合艦隊編』改訂版 (静岡模型教材協同組合、2007年10月改訂) JANコード 4945187990224
- 国本康文「「利根」型の搭載機銃」「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.47 利根型重巡』学習研究社、2005年。 ISBN 4-05-603653-5
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0611-6
- 福田啓二編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年。 ISBN 4-87565-207-0