「メフディ・マハダヴィキア」の版間の差分
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|名前=メフディ・マハダ |
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|ユースクラブ1={{flagicon|IRN}} {{仮リンク|バンク・メッリFC|label=バンク・メッリ|en|Bank Melli F.C.}} |ユース年1=1991-1995 |
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|クラブ={{flagicon|IRN}} [[ペルセポリスFC]]<br>→{{flagicon|GER}} [[VfLボーフム]] (loan)<br>{{flagicon|GER}} [[ハンブルガーSV]]<br>{{flagicon|GER}} [[アイントラハト・フランクフルト]]<br>{{flagicon|IRN}} [[スティール・アジンFC]]<br>{{flagicon|IRN}} [[SCダーマーシュ|ダーマーシュ・ギーラーン]]<br>{{flagicon|IRN}} ペルセポリスFC |
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|クラブ1={{flagicon|IRN}} [[ペルセポリスFC|ペルセポリス]] |年1=1995-1999 |出場1=54 |得点1=18 |
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|年=1995-1998<br>1998-1999<br>1999-2007<br>2007-2010<br>2010-2011<br>2011-2012<br>2012-2013 |
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|クラブ2=→{{flagicon|GER}} [[VfLボーフム|ボーフム]] (loan) |年2=1998-1999 |出場2=12 |得点2=3 |
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|代表国={{IRNf}} |
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|クラブ5={{flagicon|IRN}} [[スティール・アジンFC|スティール・アジン]] |年5=2010-2011 |出場5=34 |得点5=4 |
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|代表1={{IRNf}} U-20 |代表年1=1994 |代表出場1=2 |代表得点1=0 |
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|監督チーム1={{flagicon|GER}} [[ハンブルガーSV|ハンブルガー]] U-17 (コーチ) |監督年1=2015- |
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'''メフディ・マハダヴィキア'''(メフディー・マフダヴィーキヤー; <small>[[ペルシア語]]:</small> {{lang|fa|مهدی مهدویکیا}}、Mehdī Mahdavī-kiyā、[[1977年]][[7月24日]] -)は、[[イラン]]出身の[[サッカーイラン代表|同国代表]] |
'''メフディ・マハダヴィキア'''(メフディー・マフダヴィーキヤー; <small>[[ペルシア語]]:</small> {{lang|fa|مهدی مهدویکیا}}、Mehdī Mahdavī-kiyā、[[1977年]][[7月24日]] -)は、[[イラン]]・[[テヘラン]]出身の元[[サッカーイラン代表|同国代表]][[サッカー|サッカー選手]]、現サッカー指導者。現役時代のポジションは[[ミッドフィールダー|MF]]。主に右サイドを主戦場とし、高い突破力とクロスを持ち味とする。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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=== クラブ === |
=== クラブ === |
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[[1997年]]に[[アジア年間最優秀ユース選手賞]]に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィから[[ドイツ]]の[[VfLボーフム]]に移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められて[[ハンブルガーSV]]に移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、[[2003年]]の[[アジア年間最優秀選手賞|アジア最優秀選手]]に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、[[アイントラハト・フランクフルト]]へ移籍した。2010年1月、母国の[[スティール・アジンFC |
[[1997年]]に[[アジア年間最優秀ユース選手賞]]に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィから[[ドイツ]]の[[VfLボーフム]]に移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められて[[ハンブルガーSV]]に移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、[[2003年]]の[[アジア年間最優秀選手賞|アジア最優秀選手]]に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、[[アイントラハト・フランクフルト]]へ移籍した。2010年1月、母国の[[スティール・アジンFC]]に移籍し、約11年ぶりに母国リーグ復帰を果たす。2011-12シーズンは[[SCダーマーシュ]]でプレー。2012年に古巣であるペルセポリスに復帰した。2013年3月、現役を引退することを表明した<ref>{{Cite web |url=http://theiranproject.com/blog/2013/03/16/persepolis-captain-mahdavikia-retires-from-football/ |title=Persepolis captain Mahdavikia retires from football |publisher=The Iran Project |date=2013-03-16 |accessdate=2015-08-10}}</ref>。 |
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=== 代表 === |
=== 代表 === |
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[[2009年]]6月、ワールドカップ予選の[[サッカー韓国代表|韓国]]戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(当選した[[マフムード・アフマディーネジャード|アフマディネジャド]]の保守派による不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダ |
[[2009年]]6月、ワールドカップ予選の[[サッカー韓国代表|韓国]]戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(当選した[[マフムード・アフマディーネジャード|アフマディネジャド]]の保守派による不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダヴィキアのほかに[[アリ・カリミ]]ら3選手が処分された。<ref>{{Cite web |
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|author=スポーツ報知 |
|author=スポーツ報知 |
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|date=2009.6.26 |
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=== 指導者 === |
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2015年6月、[[ハンブルガーSV]]の17歳以下部門のオフェンス・コーチに就任した<ref>{{Cite web |url=http://www.mopo.de/hsv/von-st--pauli-zum-hsv--jugend-coach--christian-rahn-wird-wieder-rothose,5067038,31026698.html |title=Jugend-Coach: Christian Rahn wird wieder Rothose |publisher=Hamburger Morgenpost |date=2015-06-24 |accessdate=2015-08-10}}</ref>。 |
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== エピソード == |
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== 所属クラブ == |
== 所属クラブ == |
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*1995-1998 {{flagicon|IRN}} [[ペルセポリスFC]] |
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*2010-2011 {{flagicon|IRN}} [[スティール・アジンFC]] |
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*2011-2012 {{flagicon|IRN}} [[SCダーマーシュ |
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*2012-2013 {{flagicon|IRN}} ペルセポリスFC |
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== 指導歴 == |
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* {{flagicon|GER}} [[ハンブルガーSV]] U-17 (コーチ) |
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== タイトル == |
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=== クラブ === |
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; {{flagicon|IRN}} ペルセポリス |
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* [[イランサッカーリーグ]] : 1995-96, 1996-97 |
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; {{flagicon|GER}} ハンブルガー |
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* [[DFLリーガポカール]] : 2003 |
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* [[UEFAインタートトカップ]] : 2005 |
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=== 代表 === |
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; {{flagicon|IRN}} イラン |
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* [[アジア競技大会]] : 1998 |
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* [[AFC/OFCチャレンジカップ]] : 2003 |
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== 脚注 == |
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[[Category:アジア年間最優秀選手賞受賞者]] |
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[[Category:存命人物]] |
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2015年8月10日 (月) 09:53時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mehdi MAHDAVIKIA | |||||
ペルシア語表記 | مهدی مهدویکیا | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イラン | |||||
生年月日 | 1977年7月24日(46歳) | |||||
出身地 | テヘラン | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF、MF、FW (RSB、RSH、RWG) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1991-1995 | バンク・メッリ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1999 | ペルセポリス | 54 | (18) | |||
1998-1999 | → ボーフム (loan) | 12 | (3) | |||
1999-2007 | ハンブルガー | 208 | (26) | |||
2007-2010 | フランクフルト | 32 | (0) | |||
2010-2011 | スティール・アジン | 34 | (4) | |||
2011-2012 | ダーマーシュ | 14 | (0) | |||
2012-2013 | ペルセポリス | 27 | (3) | |||
1995-2013 | 通算 | 381 | (54) | |||
代表歴2 | ||||||
1994 | イラン U-20 | 2 | (0) | |||
1994-1999 | イラン U-23 | 12 | (2) | |||
1996-2008[1] | イラン | 111 | (13) | |||
監督歴 | ||||||
2015- | ハンブルガー U-17 (コーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年8月10日現在。 2. 2015年8月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
メフディ・マハダヴィキア(メフディー・マフダヴィーキヤー; ペルシア語: مهدی مهدویکیا、Mehdī Mahdavī-kiyā、1977年7月24日 -)は、イラン・テヘラン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。主に右サイドを主戦場とし、高い突破力とクロスを持ち味とする。
経歴
クラブ
1997年にアジア年間最優秀ユース選手賞に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィからドイツのVfLボーフムに移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められてハンブルガーSVに移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、2003年のアジア最優秀選手に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、アイントラハト・フランクフルトへ移籍した。2010年1月、母国のスティール・アジンFCに移籍し、約11年ぶりに母国リーグ復帰を果たす。2011-12シーズンはSCダーマーシュでプレー。2012年に古巣であるペルセポリスに復帰した。2013年3月、現役を引退することを表明した[2]。
代表
2009年6月、ワールドカップ予選の韓国戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(当選したアフマディネジャドの保守派による不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダヴィキアのほかにアリ・カリミら3選手が処分された。[3]
指導者
2015年6月、ハンブルガーSVの17歳以下部門のオフェンス・コーチに就任した[4]。
エピソード
元チームメイトの高原直泰曰く、いびきがかなりうるさいらしい。
所属クラブ
- 1995-1998 ペルセポリスFC
- → 1998-1999 VfLボーフム (loan)
- 1999-2007 ハンブルガーSV
- 2007-2010 アイントラハト・フランクフルト
- 2010-2011 スティール・アジンFC
- 2011-2012 SCダーマーシュ
- 2012-2013 ペルセポリスFC
指導歴
- ハンブルガーSV U-17 (コーチ)
タイトル
クラブ
- イランサッカーリーグ : 1995-96, 1996-97
- DFLリーガポカール : 2003
- UEFAインタートトカップ : 2005
代表
- アジア競技大会 : 1998
- AFC/OFCチャレンジカップ : 2003
脚注
- ^ “Mehdi Mahdavikia - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “Persepolis captain Mahdavikia retires from football”. The Iran Project (2013年3月16日). 2015年8月10日閲覧。
- ^ スポーツ報知 (2009年6月26日). “イランのサッカー代表4人追放…W杯予選で改革派支持リストバンド”. 2009年7月7日閲覧。
- ^ “Jugend-Coach: Christian Rahn wird wieder Rothose”. Hamburger Morgenpost (2015年6月24日). 2015年8月10日閲覧。