「メフディ・マハダヴィキア」の版間の差分
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2013年1月4日 (金) 08:27時点における版
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mehdi MAHDAVIKIA | |||||
ペルシア語表記 | مهدی مهدویکیا | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イラン | |||||
生年月日 | 1977年7月24日(46歳) | |||||
出身地 | テヘラン | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ペルセポリスFC | |||||
ポジション | MF、FW | |||||
背番号 | 2 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1995-1998 1998-1999 1999-2007 2007-2010 2010-2011 2011-2012 2012- |
ペルセポリスFC → VfLボーフム (loan) ハンブルガーSV アイントラハト・フランクフルト スティール・アジンFC SCダマシュ・ギラン ペルセポリスFC |
54 (18) 12 (3) 208 (26) 32 (0) 34 (4) 14 (0) 21 (3) | ||||
代表歴2 | ||||||
1996-2009 | イラン | 111 (13)[1] | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月21日現在。 2. 2009年6月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
メフディ・マハダヴィキア(メフディー・マフダヴィーキヤー; ペルシア語: مهدی مهدویکیا、Mehdī Mahdavī-kiyā、1977年7月24日 -)は、イラン出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはMF。現在はイランのペルセポリスFC所属。主に右サイドを主戦場とし、高い突破力とクロスを持ち味とする。
経歴
クラブ
1997年にアジア年間最優秀ユース選手賞に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィからドイツのVfLボーフムに移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められてハンブルガーSVに移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、2003年のアジア最優秀選手に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、アイントラハト・フランクフルトへ移籍した。2010年1月、母国のスティール・アジンに移籍し、約11年ぶりに母国リーグ復帰を果たす。
代表
2009年6月、ワールドカップ予選の韓国戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(現大統領アフマディネジャドによる不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダビキアのほかにアリ・カリミら3選手が処分された。[2]
エピソード
所属クラブ
- 1995-1998 ペルセポリスFC
- 1998-1999 VfLボーフム
- 1999-2007 ハンブルガーSV
- 2007-2010 アイントラハト・フランクフルト
- 2010-2011 スティール・アジンFC
- 2011-2012 SCダマシュ・ギラン
- 2012- ペルセポリスFC
脚注
- ^ “Mehdi Mahdavikia - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ スポーツ報知 (2009年6月26日). “イランのサッカー代表4人追放…W杯予選で改革派支持リストバンド”. 2009年7月7日閲覧。