清田益章

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清田 益章(きよた ますあき、1962年4月30日 - )は、1970~80年代にかけて超能力者としてマスメディアに取り上げられた人物。「エスパー清田」とも呼ばれる。スプーン曲げなどの念力念写などを披露した。2003年春に「脱・超能力者」を宣言し[1]、イベント企画会社の代表を務める。

経歴[編集]

東京都生まれ。専修大学松戸高等学校専修大学文学部卒業。1974年ユリ・ゲラーが話題になったのを機に全国で見出された、いわゆる「超能力少年・少女」たちの一人。

かつての超能力少年たちのほとんどがトリックを暴かれるなどして姿を消していった中で、青年になって以降も何らかの形で(その機会はきわめて数少ないながらも)メディア出演等といった表舞台で活動していたと言えるのは清田一人のみであった。

1974年には火星にテレポートしたと話しており[2][3][4]、ゼネフという肉体を持たない宇宙人とは何度もコンタクトしていたという[5]。当時は火星で見た景色は実際の火星の景色と似ていると話題になったという。なお、実際に行ったかどうかはわからないとも語っている。本はまったく読んだことが無く、勉強もしたことがないという。つのだじろうと交友があって、書状を巻物で送ってくるなどが「ちょっとウザい」とも話している(『博士の異常な鼎談』清田益章)。

防衛大学校電気通信大学等にて長年行われてきた超能力研究に積極的に参加。海外においても、さまざまな研究機関において超能力研究に有益な実験データを残している。研究者の論文で日本のスプーン曲げの超能力者として「Masuaki Kiyota」の名前は有名で『超常現象のとらえにくさ』でも清田の名がみられる。

1984年にテレビ番組で、スプーン曲げと念写でトリックや不正をしていた一部始終が放送される(後述)。

1989年頃には「辻仁成のオールナイトニッポン」にも時折ゲストとして出演していた。 その後ミュージシャンへの転身を宣言、1990年にアルバム「さよなら神様」(MMG) にてロック歌手としてデビューしたが、8000枚を売るにとどまった。当時はさくらももこらの著名人との交流でも知られていた。しかしその後はメディア等への露出の機会も激減し、自由奔放な生活を送っていたとされる。

2003年春に「脱・超能力者宣言」をし、超能力実験の被験者になるのはやめたものの、テレビ番組やイベントではスプーン曲げを披露していた[1][6]

近年は「祈り」と「踊り」を組み合わせた「おのり」なるものを探求している。

2度結婚しているが、離婚している。妻との間に子供はいない。妻との離婚後に、2004年までバリ島に在住した [7]

2006年10月6日、知人から大麻13gを譲り受けたとして大麻取締法違反容疑で逮捕され[8]、同年12月5日、東京地方裁判所にて懲役1年・執行猶予3年の判決を下された[9]

トリック使用と不正の発覚[編集]

1984年2月3日フジテレビ金曜ファミリーワイド』「超能力を100倍楽しめる徹底解剖」で超能力ではなくトリックを使っているのを見破られ、その手口の一部始終を放映された。スプーンは力任せに曲げて、念写のポラロイドフィルムは事前にトイレで感光させておいてすり替えるという手口だった[5][10]。もともと番組の趣旨は、清田を7日間ホテルにカンヅメにしてスプーン曲げの全課程を撮影し、超能力を実証するというものだった。当初は番組ゲストの立花隆もすっかり信じ込んでいたという。しかし2日目の撮影が終わると、スプーンが曲がり始めるのが常に人の目に触れないときであることにスタッフが疑問を抱くようになり、3日目に清田に気づかないようにそれとなく監視していたところ、人目を盗んで瞬時に力尽くでスプーンを曲げるのを立花隆らが目撃。4日目からは隠しカメラを何台も使って清田のトリックの瞬間を録画した。こうして最終的に清田のトリックを暴く番組になった[11]

これについて本人は「プレッシャー(テレビ局の圧力)などからたまたまインチキをしてしまっただけで、普段は超能力で曲げており、自分が超能力者であることは間違いない」と主張している。これについてフジテレビの宇留田俊夫プロデューサーは圧力やプレッシャーをかけた事実はないと反論した[12]

一方で、科学ドキュメンタリー番組「知られざる世界」において放送された、科学者2人と日本マジック協会幹部監修の元での実験はトリックが見つかることなく成功させている。

超心理研究会を主宰する市村俊彦は、『金曜ファミリーワイド』放送後に自らの『テレパシー』誌上でESPERの筆名で、清田がメディアに登場し始めた小学生6年生の頃から時折インチキでスプーン曲げをしていることは見抜いていたと記した[13][14]

超常現象に肯定的なオカルト情報誌『ムー』は1984年4月号と5月号の記事で『金曜ファミリーワイド』の番組内容が偏向していたとしている。スプーンの破断面を分析すると手で曲げた以外のものがあったこと、ガラス容器の中の糸に吊った5円玉を動かすことが出来たこと、脳波や体温の変化があったことなど、清田の超能力に肯定的な部分は放送しなかったと『ムー』は報じた[13]

これとは別に1991年に雑誌『デジャ=ヴュ』第6号の記事では、ポラロイドフィルムの念写に何度も失敗した末に念写に成功した。しかし、事前にフィルム番号が控えられていたことが清田には伏せており、その編集部が用意したフィルムでの念写は全て失敗していた。一方、念写に成功したフィルムの番号は控えられていないもので、清田によって密かにフィルムがすり替えられていた事実が発覚した[15]。その他に、外国の超心理学の学者との念写の実験では、成功したのは清田にカメラを渡して2時間くらいしたときに限られていたという[16]

なお、『週刊少年サンデー』1974年7月7日号には手を触れないでスプーンを曲げる少年として登場。記事中では手に触れずにスプーンを曲げたということになっていたが、これは触れずに曲がったと書かないと掲載を拒否すると清田の父親から通達があったためで、実際には触らないとスプーンを曲げられなかった。しかし記事を落とさないためにやむなく事実をねじ曲げて、掲載したのだという[13]

監修[編集]

マインドシーカー
ナムコより1989年4月18日に発売されたファミコンソフトで、清田のレクチャーに従って「透視」「予知」「念力」を訓練する「超能力開発ソフト」。

出典[編集]

  1. ^ a b 元スプーン曲げ少年、人生も曲げた…大麻所持で逮捕 スポーツ報知 2006年11月1日(2006年11月14日時点のアーカイブ
  2. ^ 『エニグマ』1976年12月号
  3. ^ 日笠雅子編『超能力野郎 清田益章の本当本』扶桑社、1988年
  4. ^ 山本弘、皆神竜太郎、志水一夫『トンデモUFO入門』洋泉社、2005年、pp.201-202
  5. ^ a b 山本弘「超能力者の人生・その光と影」『トンデモ本の世界W』と学会著、楽工社、2009年、pp.150-159
  6. ^ 皆神龍太郎、石川幹人『トンデモ超能力入門』楽工社、2010年、p.154
  7. ^ スプーン曲げ「清田少年」が大麻で捕まるまで 『日刊ゲンダイ』 2006年11月1日付[リンク切れ]
  8. ^ 大麻取締法違反:元スプーン曲げ少年、清田容疑者を逮捕 毎日新聞 2006年10月31日[リンク切れ]
  9. ^ “大麻初公判:元「スプーン曲げ」超能力少年有罪 東京地裁”. 毎日新聞. (2006年12月5日). オリジナル2006年12月13日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20061213014331/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061206k0000m040083000c.html 2012年5月1日閲覧。 
  10. ^ 「超能力のインチキをバクロ フジテレビが隠しカメラで 能天気な立花隆のコメント」『噂の真相』1984年3月号、pp.18-19
  11. ^ 埴谷雄高、立花隆『無限の相のもとに』平凡社、1997年、pp.13-18
  12. ^ 森達也『スプーン 超能力者の日常と憂鬱』飛鳥新社、2001年
  13. ^ a b c 志水一夫「志水一夫の科学もドキ! スプーン曲げ関係者の秘部と恥部」『SFイズム』12号、シャピオ、1984年、pp.112-118
  14. ^ ESPER「2月3日のフジTV、大衆判定は『やっぱりインチキだった』。だがテレビ局の内幕では!」『テレパシー』No.99
  15. ^ 皆神龍太郎、石川幹人『トンデモ超能力入門』楽工社、2010年、p.194
  16. ^ 皆神龍太郎、石川幹人『トンデモ超能力入門』楽工社、2010年、p.35

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]