沙耶のいる透視図
『沙耶のいる透視図』(さやのいるとうしず)は、伊達一行が1983年に発表し、第6回すばる文学賞を受賞した小説。またこれを原作として同年製作され、1986年に公開された日本映画[1]。
ストーリー[編集]
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映画[編集]
沙耶のいる透視図 | |
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監督 | 和泉聖治 |
脚本 | 石井隆 |
原作 | 伊達一行 |
出演者 |
名高達郎 高樹沙耶 土屋昌巳 加賀まりこ 山田辰夫 沢田和美 |
音楽 | 一柳慧 |
撮影 | 佐々木原保志 |
編集 | 大島ともよ |
製作会社 | プルミエ・インターナショナル |
配給 | ヘラルド・エース |
公開 |
1986年10月17日![]() |
上映時間 | 102分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
主演・高樹沙耶、脚本・石井隆、監督・和泉聖治。製作・プルミエ・インターナショナル、配給・ヘラルド・エース。製作は1983年だが公開は1986年[1]。
ビニ本業界を舞台にビニ本カメラマン橋口裕(名高達郎)、ビニ本編集者神崎(土屋昌巳)、ビニ本モデル沙耶(高樹沙耶)の三角関係を描く[2]。
キャスト[編集]
スタッフ[編集]
製作[編集]
1981年の池田敏春監督『天使のはらわた 赤い淫画』を見て石井隆の脚本に惚れ込んだ増田久雄プロデューサーが、石井に脚色を依頼し製作がスタートした[2]。『天使のはらわた 赤い淫画』もビニ本業界を舞台にしている。 高樹沙耶は映画初出演で初主演し[3]、ヌードも披露したが[4]、二作目の出演作『チ・ン・ピ・ラ』が先に公開された[3]。高樹は本作製作時はオスカープロモーションに所属し[3]、ティーン雑誌などで活躍する売れっ子モデルだったが[3][5]、「モデルの仕事は失っても悔いはない」[3]「女優になりたい」という一心から[3]、19歳のとき[6]、本作のオーディションを受け合格した[3]。ビニ本のモデルという役柄から、ヌードやハードな演技が要求され、本作出演でモデルの仕事は無くなった[3]。役名も気に入り本名は古臭いと感じていたため[3]、役名を芸名にした[3](2008年に本名に改名)[7]。高樹の奮闘虚しく、映画はお蔵入りし[3]、その後出演二作目だった映画『チ・ン・ピ・ラ』が先に公開され、高樹が「オールナイトフジ」の司会に抜擢されるなど[3]、人気が出た三年後にヘラルド・エースの配給で陽の目を見た[3]。
興行[編集]
山窩研究で知られた三角寛の経営する東池袋の名画座・文芸坐の尽力で、1986年10月「埋もれた新作発掘ロードショー」と銘打ち[2]、その第一回作品として文芸地下劇場で製作から3年が経った1986年10月17日に劇場公開された[2]。
作品の評価[編集]
受賞歴[編集]
- 第8回ヨコハマ映画祭
- 撮影賞 佐々木原保志(『南へ走れ、海の道を!』と併せて)
- 審査員特別賞 本作のスタッフ [8]
ソフト状況[編集]
脚注[編集]
- ^ a b 沙耶のいる透視図のチラシ - ぴあ
- ^ a b c d 日本シナリオ作家協会編「作品解説『沙耶のいる透視図』文・鬼頭麟兵」『年鑑代表シナリオ集'86』ダヴィッド社、1987年、278-279頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「TALK special ニューいい女 INTERVIEW 高樹沙耶 『(?) ビニ本モデルをやってましたね 裸になるのは覚悟していました。わたし、思いっきりがいいですから』」『週刊平凡』1986年11月21日号、平凡出版、 100-101頁。
- ^ a b 沙耶のいる透視図 デラックス版 | NBCユニバーサル・エンターテイメント
- ^ カリスマモデル・益戸育江が高樹沙耶容疑者になるまで
- ^ 高樹沙耶“大麻女優”と呼ばれて石垣島へ…男性4人と共同生活の現在
- ^ 高樹沙耶さん ⇒ 益戸育江さん 相棒スタッフブログ
- ^ ヨコハマ映画祭公式サイト