江崎禎英
江崎 禎英(えさき よしひで、1964年〈昭和39年〉11月27日 - )は、日本の元通産・経産官僚。退官後、社会政策課題研究所所長[1]。
来歴[編集]
岐阜県美山町(現山県市)出身。1989年、東京大学教養学部教養学科第三(国際関係論専攻)卒業。同年、通商産業省入省。通商政策局に配属され、日米通商問題を担当した。出向先の大蔵省においては金融制度改革に携わった。
1996年、イギリスのサセックス大学大学院に留学。その後、欧州連合に勤務。帰国後、個人情報保護法の立案に携わる。資源エネルギー庁エネルギー政策企画室長として地球温暖化問題に取り組んだ。
2008年、岐阜県に出向し商工労働部長を務めた。出向解除後、経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループ生物化学産業課長、経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループヘルスケア産業課長などを経て、2017年、経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループ政策統括調整官(内閣官房健康・医療戦略室次長兼務)。
2018年、厚生労働省医政局統括調整官に併任され、医療制度改革に携わった。2020年、内閣府大臣官房審議官(科学技術・イノベーション担当)として新型コロナウイルス感染症対策を担当した。
2020年11月、経済産業省退官。2021年1月、岐阜県知事選挙に無所属で出馬するも、次点で落選。
2021年、社会政策課題研究所(岐阜県岐阜市)設立。同研究所所長就任。
2023年11月、2025年1月までに実施予定の岐阜県知事選挙に立候補の意向を示した[2]。
人物[編集]
- 「人は120歳の大還暦まで生きられる」という持論をもつ。「人生100年時代」に合わせた経済社会システムの構築を提言している。
- 岐阜県庁出向時にリーマン・ショックによる不況で失業したブラジル人労働者の帰国事業を推進。
- 東日本大震災の際に、福島県民の岐阜県への避難受け入れのため関係団体と協議した。被災者の広域避難の先例となった。
- 趣味は学生時代から始めた合気道。六段の師範である。
略歴[編集]
- 1964年 岐阜県美山町(現山県市)生まれ
- 1989年 東京大学教養学部教養学科第三(国際関係論専攻)卒業
- 1989年 通商産業省入省。通商政策局配属
- 1991年 大蔵省出向。大蔵省証券局総務課
- 1993年 通商産業省産業政策局新規事業振興室
- 1996年 サセックス大学大学院留学
- 1997年 欧州委員会産業総局(DGⅢ)
- 1998年 通商産業省機械情報産業局情報処理振興課
- 2000年 内閣官房内閣内政審議室個人情報保護担当室
- 2001年 経済産業省商務情報政策局情報政策課
- 2003年 経済産業省製造産業局参事官室
- 2004年 経済産業省大臣官房総務課企画官
- 2005年 資源エネルギー庁エネルギー政策企画室長
- 2008年 岐阜県総合企画部次長
- 2009年 岐阜県商工労働部長
- 2012年 経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループ生物化学産業課長
- 2015年 経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループヘルスケア産業課長
- 2017年 経済産業省商務情報政策局商務・サービスグループ政策統括調整官(命)内閣官房健康・医療戦略室次長
- 2018年 (併)厚生労働省医政局統括調整官
- 2020年 内閣府大臣官房審議官(科学技術・イノベーション担当)
- 2021年 社会政策課題研究所所長
著作[編集]
- 『社会は変えられる:世界が憧れる日本へ』国書刊行会 2018年6月25日 ISBN978-4336062789
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ “江崎禎英 Esaki Yoshihide | プロフィール | 社会政策課題研究所”. esaki-yoshihide.com. 2021年10月28日閲覧。
- ^ “江崎禎英氏が次の県知事選に立候補の意向”. NHKニュース. (2023年11月27日). オリジナルの2023年12月8日時点におけるアーカイブ。 2023年12月8日閲覧。