植田龍仁朗
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名前 | ||||||
愛称 | リュウ | |||||
カタカナ | ウエダ リュウジロウ | |||||
ラテン文字 | UEDA Ryujiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年1月29日(36歳) | |||||
出身地 | 大阪府門真市 | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2003-2005 | ガンバ大阪 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2008 | ガンバ大阪 | 0 | (0) | |||
2009-2015 | ファジアーノ岡山 | 150 | (7) | |||
2016-2019 | ロアッソ熊本 | 77 | (3) | |||
通算 | 227 | (10) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
植田 龍仁朗(うえだ りゅうじろう、1988年1月29日 - )は、大阪府門真市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)だった。
来歴
[編集]2006年にガンバ大阪ユースからトップに昇格した6人組(植田、安田理大、平井将生、横谷繁、伊藤博幹、岡本英也)、通称「G6」の一人である。選手会長を務めた2008年シーズン終了後に戦力外通告を受け、ファジアーノ岡山へ完全移籍した。
岡山では2013年まで主力として出場したが相重なる怪我に悩まされ、篠原弘次郎の台頭もあり2014年以降は出番を減らし、2015年に契約満了となった[1]。2016年にロアッソ熊本へ完全移籍した[2]。
熊本では大きな怪我もなくチームの主力に定着、2得点を挙げる活躍を見せ、2017年も負傷により出遅れたがチームの主力として活躍した。2018年開幕前に重度の負傷で長期離脱となり、出番を減らすことになった。2019年もポゼッションサッカーを標榜するチームの方針に合わないことから出場機会がほとんどなく、同年12月6日に現役引退が発表された[3][4]。
引退後の2020年に香里ヌヴェール学院高校の監督に就任[5]。
2023年、FCティアモ枚方のアシスタントコーチに就任[6]。
2023年12月、奈良県社会人サッカーリーグのバンディート生駒が2024年より選手兼任監督として加入することが発表された[7]。
人物・エピソード
[編集]- 子供のころ、サッカー教室で元チームメイトの播戸竜二にサインをもらい、部屋に飾っている。
- 2008年5月16日、自らの自動車を運転していた際に、大阪府寝屋川市内で追突事故を起こし、相手側2名に怪我を負わせていたことが判明する。
- 2011年10月30日、J2第33節の横浜FC戦で、決勝点となる57.8メートルのヘディングシュートを決める。ヘディングシュートの最長記録としては同年9月25日にノルウェーのエリテセリエンでオッド・グレンランドの選手ヨネ・サミュエルセンが57.3メートルのシュートを決めており[8] このシュートはそれを上回る。グレンランドはギネス世界記録への申請を計画しているが、植田が所属するファジアーノは相手GKの関憲太郎に判断ミスがあったとして横浜FCへの気遣いからギネスへは申請しない方針[9]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1994年 - 1999年 門真スポーツクラブ (現・ガンバ大阪門真ジュニア)
- 2000年 - 2002年 門真スポーツクラブ/ガンバ大阪門真ジュニアユース
- 2003年 - 2005年 ガンバ大阪ユース (南寝屋川高等学校)
- プロ経歴
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | G大阪 | 28 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2009 | 岡山 | 23 | J2 | 31 | 0 | - | 0 | 0 | 31 | 0 | |
2010 | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | ||||
2011 | 30 | 3 | - | 2 | 0 | 32 | 3 | ||||
2012 | 5 | 34 | 1 | - | 2 | 0 | 36 | 1 | |||
2013 | 33 | 3 | - | 0 | 0 | 33 | 3 | ||||
2014 | 5 | 0 | - | 1 | 0 | 6 | 0 | ||||
2015 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | ||||
2016 | 熊本 | 36 | 2 | - | 0 | 0 | 36 | 2 | |||
2017 | 30 | 1 | - | 2 | 0 | 32 | 1 | ||||
2018 | 9 | 0 | - | 1 | 0 | 10 | 0 | ||||
2019 | J3 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J2 | 225 | 10 | - | 8 | 0 | 233 | 10 | |||
日本 | J3 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
総通算 | 227 | 10 | 0 | 0 | 8 | 0 | 235 | 10 |
- その他の国際公式戦
- 2008年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 1試合0得点
- 出場歴
代表歴
[編集]- U-15日本代表
- U-16日本代表
- U-17日本代表
- U-18日本代表
タイトル
[編集]クラブ
[編集]ガンバ大阪
- ナビスコカップ:1回(2007年)
- 天皇杯:1回(2008年)
- ゼロックススーパーカップ:1回(2007年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2008年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回(2008年)
ロアッソ熊本
- NHK杯熊本県サッカー選手権大会:1回(2019年)
指導歴
[編集]- 2020年 - 2022年:香里ヌヴェール学院高校 監督
- 2023年 :FCティアモ枚方 アシスタントコーチ
- 2024年 -:バンディート生駒 監督 (選手兼任) [7]
脚注
[編集]- ^ 契約満了選手のお知らせ - 2015年11月26日
- ^ 植田龍仁朗選手、ファジアーノ岡山より完全移籍加入のお知らせ - ロアッソ熊本オフィシャルサイト 2015年12月27日
- ^ “植田龍仁朗選手、現役引退のお知らせ”. ロアッソ熊本 (2019年12月6日). 2020年7月11日閲覧。
- ^ “熊本DF植田龍仁朗が31歳で現役引退…G大阪、岡山でもプレー”. 超ウルトラサッカー! (2019年12月6日). 2020年7月11日閲覧。
- ^ “【群馬】“元女子高”の新興校・香里ヌヴェール学院のMF中田湧大が来季加入内定!「長谷部誠のようなボランチ」と評価”. サッカーダイジェスト. (2020年10月9日) 2023年1月5日閲覧。
- ^ 『【コーチ スタッフ情報】植田 龍仁朗 2023シーズン トップチーム アシスタントコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)FCティアモ枚方、2022年12月24日 。2023年1月5日閲覧。
- ^ a b 『【2024シーズン】植田龍仁朗監督兼選手加入のお知らせ』(プレスリリース)バンディート生駒、2023年12月6日 。2023年12月14日閲覧。
- ^ 57メートルのヘディングシュート=ノルウェー・サッカー 2011年10月31日付[リンク切れ]
- ^ 岡山・植田、世界最長ヘッド弾!/J2 サンケイスポーツ 2011年10月31日付
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 植田龍仁朗 - Soccerway.com
- 植田龍仁朗 - FootballDatabase.eu
- 植田龍仁朗 - WorldFootball.net
- 植田龍仁朗 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 植田龍仁朗 - J.League Data Siteによる選手データ