日牟禮八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日牟禮八幡宮
日牟禮八幡宮
所在地 滋賀県近江八幡市宮内町257番地
位置 北緯35度8分27.73秒
東経136度5分22.56秒
座標: 北緯35度8分27.73秒 東経136度5分22.56秒
主祭神 誉田別尊
息長足姫尊
比賣神
社格 県社・別表神社
創建 (伝)131年
本殿の様式 三間社流造
例祭 4月15日
地図
日牟禮八幡宮の位置(滋賀県内)
日牟禮八幡宮
日牟禮八幡宮
テンプレートを表示

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市にある神社。 祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱。 古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財である。境内地は八幡伝統的建造物群保存地区の構成要素。

歴史[編集]

創建[編集]

伝承によれば、131年成務天皇高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている(この大嶋大神を祀ったのが、現在の大嶋神社奥津嶋神社なのか、境内社の大嶋神社なのかは定かではない)。275年応神天皇奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられたという。

691年藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)。

991年正暦2年)、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、1005年寛弘2年)、遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける(現在の社殿は下の社に相当)。

中世以降[編集]

1585年天正13年)に豊臣秀次八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀した。その替地として日杉山に祀りなおすこととなったが、1590年(天正18年)に秀次が自身の居城を尾張国清州城に移したため、移転作業は行われなかった。次に八幡山城の城主となったのは京極高次だが、1595年文禄4年)に前城主であった秀次が高野山で自害したことにより秀次ゆかりの八幡山城は廃城され、高次も大津城に移ってしまい、日杉山への社殿の移転は結局全面中止とされ、現在のように一社の姿となった。しかし八幡山城は廃城となったが、城下町は近江商人の町として発展し、当社は守護神として崇敬を集めた。

1600年慶長5年)9月18日徳川家康関ヶ原の戦い後、武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領五十石の地を寄附した。後に、家光家綱も御朱印を残している。

1876年明治9年)に郷社1916年大正5年)には県社に列せられる。1966年昭和41年)、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。

祭神[編集]

  • 誉田別尊
    • 応神天皇の神霊
  • 息長足姫尊
    • 神功皇后の神霊
  • 比賣神
    • 田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神と三姫神の神霊

ギャラリー[編集]

祭事[編集]

左義長まつり[編集]

歴史
織田信長安土城下で毎年正月に盛大に行い、自ら異粧華美な姿で踊ったという奇祭。信長亡き後、豊臣秀次が八幡山城を築き、安土(現・近江八幡市安土町)から移住した人々によって城下町が開町される。町民は日牟禮八幡宮例祭「八幡まつり」の荘厳さに驚き、これに対抗して、町開町による新進気鋭の喜びと感謝の意を込め、厄除・火防の由緒ある御神徳を仰ぎ、左義長を奉納したと云われる。
概要
現在、近江八幡での左義長まつりは毎年3月の中旬の土日に八幡開町以来の66ヶ町の氏子によって行われる(以前は14・15日であり、現在は14・15日に近い土日に行われる)。
左義長は、藁で編んだ約3メートルの三角錐の松明の上に赤紙等で飾りつけた数メートルの青竹を取り付け、杉葉で作った頭の上には「火のぼり」という御幣、中心には毎年の干支にちなんだ飾り物(ダシ)が付けられる。土曜の午後に、約10数基の左義長が神社から町に繰り出し、化粧して女装した若者が拍子木を持ち、下駄を履いて「チョウヤレ、ヤレヤレ」と声を掛け合い担ぎ踊りながら町内を御渡りする。
踊り子が女装をするのは、信長が異粧華美な姿で祭りに参加したことに由来する。ただ、信長は身分を隠すために、花笠を被り女物の長襦袢を着た程度だったと思われ、女装とは少し違うと思われる。また、現在では女装と言うより仮装に近く、時勢に合わせた様々な格好をした若者が見られる。
日曜の午前は、旧市街地を自由に練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士の組み合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、燃え盛る左義長は湖国に春の訪れを告げる。

八幡まつり[編集]

歴史
275年、応神天皇が母神功皇后の生地・近江国(後の息長村、現在の米原市)を訪問する途中、大嶋大神を参詣するため琵琶湖から上陸した。その際、湖辺の松明を作り、火を灯して天皇一行を八幡まで道案内したのが、祭の始めと伝えられる。
概要
毎年4月14日と15日に、八幡開町以前の旧村落山根12郷(市井・北之庄・鷹飼・大林・中村・宇津呂・土田・多賀・船木・小船木・大房・南津田)の氏子によって行われる(以前は13郷であったが、秀次の八幡開町により、馬場が消滅)。12郷を神戸(かんべ)・土田(つちだ)・郷(ごう)の3つの座に分け、神戸が上の郷、郷が下の郷、土田が中の郷(祭礼の中役)と呼ばれる。
松明祭と呼ばれる14日の宵宮祭は、各郷から葦と菜種がらで作られた松明が奉納される。午後8時頃に、10mもの大松明をはじめ、大小各種30本以上の松明が古例の順序に従い奉火される。
15日の本祭は太鼓祭とも言われ、12郷の大太鼓が太鼓宿から荘厳な音を響かせながら、古例の順序に従い宮入りする。拝殿の前で大太鼓を差し上げ、神職・神役などの祝詞(シューシ)を受ける。

太鼓の打ち方は各郷異なり、宵宮太鼓・休み太鼓・シューシ太鼓・上り太鼓・御渡り太鼓など独特の伝承を持っている。

境内社[編集]

  • 地主神・大嶋神社
  • 天満宮

など

文化財[編集]

重要文化財
  • 安南渡海船額 - 江戸時代に安南貿易で活躍した近江商人西村太郎右衛門が奉納。
  • 木造誉田別尊坐像・木造比売神坐像・木造息長足姫尊坐像 3躯
  • 木造男神坐像

ご利益[編集]

  • 商売繁盛/出世開運
  • 厄除、火除

所在地・アクセス[編集]

住所

〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257

交通
駐車場
  • 普通車70台、大型車10台
見学
  • 境内自由
  • 時間 - 9時~17時

外部リンク[編集]

関連項目[編集]