新南 (海防艦)

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新南
公試中の新南 (1944年10月16日、東京湾)
公試中の新南
(1944年10月16日、東京湾
基本情報
建造所 浦賀船渠
運用者  大日本帝国海軍
Flag of Japan.svg 第二復員省/復員庁
Flag of Japan.svg 運輸省
Ensign of the Japanese Coast Guard.svg 海上保安庁
Flag of Japan.svg 石油開発公団
艦種 海防艦(日本海軍)
掃海艦(第二復員省/復員庁)
特別輸送艦(復員庁)
定点観測船(運輸省)
巡視船(海上保安庁)
宿泊船(石油開発公団)
級名 鵜来型海防艦(1944年9月)
おじか型巡視船(1954年1月)
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)[注釈 1]
艦歴
計画 マル急計画
起工 1944年5月24日
進水 1944年9月5日
竣工 1944年10月21日
除籍 1945年11月30日(日本海軍)
1947年11月1日(復員庁)
1966年6月3日(海上保安庁)
改名 新南(1944年9月)
新南丸(1947年12月)
つがる(1954年1月)
要目(特記無き限り竣工時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.06m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名[注釈 2]
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 3連装5基、単装1基
三式迫撃砲 単装1基
九四式爆雷投射機2基
三式爆雷投射機16基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 竣工時から装備
22号電探改四 1基
1945年3月1日新設
13号電探改三 1基
ソナー 九三式水中聴音機二型甲 1基
仮称三式水中探信儀二型甲 1基
仮称三式水中探信儀二型乙 1基
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新南(しんなん)は、日本海軍の海防艦鵜来型海防艦の5番艦。太平洋戦争を生き延びて戦後は掃海に従事し運輸省の定点観測船、次いで海上保安庁巡視船、最後は石油開発公団の宿泊船となった。

起工までの経緯[編集]

マル急計画の海防艦甲、第310号艦型の29番艦[注釈 3]、仮称艦名第338号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型(基本計画番号E20)の基本計画の決定により第322号艦型に計画変更[注釈 4]。1943年7月5日、海防艦改乙型(基本計画番号E20b)の設計が完了したため、第310号艦型と第320号艦型の未起工艦のうち本艦を含む8隻は、基本計画番号E20bに従って建造されることになった。また、未起工艦8隻のうち日立造船に建造が割り当てられていた3隻は、用兵側から要望のあった掃海具を装備した通称「日振型」として建造されることになる。

艦歴[編集]

起工-竣工-訓練[編集]

1944年5月24日、浦賀船渠株式会社で建造番号第570番船として起工。9月1日、新南と命名されて鵜来型海防艦の5番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。5日進水。16日、艤装員事務所を浦賀船渠株式会社浦賀造船所内に設置し事務開始。10月21日竣工し、艤装員事務所を撤去。同日付で本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められ、呉防備戦隊に編入。対潜訓練隊に配され基礎術力練成教育に従事。11月26日、第一海上護衛隊に編入。

船団護衛[編集]

1944年11月30日、ミ29船団(15隻)を護衛し門司発。12月2日、アメリカ潜水艦の攻撃を受け2隻が被雷沈没して以降、船団は分裂状態となり、10日高雄に入港した輸送船は1隻のみだった。同日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。

12月14日、タマ36船団(4隻)を護衛し高雄発。途中、枋寮サブタン島を経由し、24日サンフェルナンド着。25日、第二十一海防隊に編入。26日、サンフェルナンド発。31日、高雄着。

1945年1月1日現在、第二十一海防隊司令海防艦[1]。3日、タア01船団(9隻)を護衛し高雄発。5日、厦門着。6日、厦門発。7日、左営着。10日、ヒ87船団を護衛し左営発。13日、香港着。香港在泊中は連日空襲を受け新南は戦死2名、戦傷22名、至近弾により各所に破孔が発生するなどの損害を出す。20日、ヒ87B船団を護衛し香港発。21日、海南島南口で触礁し重油タンクの漏水、左舷推進器羽折損、水中探信儀使用不能の損害を出す。新南が香港で積載した託送品と便乗者を屋久へ移載し、新南は海南島で投錨して応急修理の後、香港へ回航。24日から29日まで入渠し修理を行う。29日、倉橋とともに基隆へ回航し、31日基隆着。

2月3日、タモ40船団(4隻)を護衛し基隆発。途中、泗礁山を経由し12日、六連に到着。13日から3月5日まで、佐世保海軍工廠で入渠し修理と整備を行う。この修理中に13号電探を設置。

3月5日、ヒ88F船団と合同のため佐世保発。伏瀬灯台-彦島を経由し、7日に対馬北端で同船団と合同。8日、六連着。12日、ヒ99船団を護衛し六連発。15日、居金島南方で宇久とともに光島丸船団と合流のため同船団から分離。22日、厦門沖で光島丸船団と合同。韮山列島と泗礁山を経由し、26日六連着。

4月2日、AS3作戦参加のため門司発。以後、主として的山浦を拠点に五島列島周辺海域の対潜掃蕩に従事。終戦時は佐世保に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍された。

なお、各海防艦が艦橋前に装備した三式迫撃砲は1945年5月頃に撤去の訓令が出されていたが、新南については佐世保海軍軍需部に提出した兵器還納目録に八糎迫撃砲の記載があり、終戦時まで迫撃砲を装備していたことが判明している。

復員庁掃海艦新南
(1946年9月1日、舞鶴港

掃海艦[編集]

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、佐世保地方復員局所管の掃海艦に定められる。

1946年7月10日、掃海艦籍のまま掃海母艦と呼称され、定員を除かれる。

1947年2月10日、復員庁第二復員局掃海監部附属に編入。6月26日、復員庁第二復員局掃海監部附属を解かれ、佐世保地方復員局所管の特別輸送艦に改められる。同日付で特別保管艦に指定され、舞鶴特別保管艦艇第二保管群に配される。11月1日、特別輸送艦の定めを解かれた。

石油開発公団宿泊船つがる

定点観測船-巡視船-宿泊船[編集]

1947年12月26日、新南は運輸省へ移管され、中央気象台定点観測船となり新南丸(しんなんまる)[注釈 5]と命名。

新南丸は、三陸東方沖の北方定点で1948年から1953年にかけて26航海を、四国南方沖の南方定点で1949年から1953年にかけて11航海をそれぞれ行い、定点観測に従事した。

1954年1月1日、海上保安庁に編入され巡視船つがる (PL-105)となり、第八管区舞鶴海上保安部に配属となった[2]。 海上保安庁に移籍の際、外板、上甲版、隔壁など船体主要構造部の新替、補強。船首楼、マストの改造、発電機、配電盤などの新替及び増設、通信機の周波数の変更及び通信施設の増設され、舞鶴海上保安部配属後に3インチ砲1門、20ミリ機銃2門の武装を施工された[2]。また、 こじま(PL-106)を除く他のおじか型に比べて、操舵室(旧羅針艦橋)前面から両舷にまたがる回廊が設けられたことがつがるの外見上の特徴である[2]
つがるは四国南方沖の南方定点で1954年から1956年にかけて6航海を行い、定点観測に従事した。
1955年(昭和30年)6月11日、皆既日食の観測のためベトナムへ派遣され接食時刻、コロナの撮影、地磁気の観測に成功した[3]。この皆既日食観測は外国において初めて実施したものとなった[4]
1956年(昭和31年)11月8日、満船飾に飾り付け晴海埠頭にて南極観測出港式典に参加。式典終了後、第一次南極観測に往く隊員と宗谷乗組員の家族をのせ羽田沖まで宗谷に伴走した。
1957年(昭和32年)11月6日、樺太に抑留されていた漁船員と引揚者を小樽まで輸送[5]。その際ソ連側の意向により武装を撤去したが、業務終了後、再武装の際に定点観測に必要な装備を外し、レーダー及びファンネルを新装した[2]
1960年(昭和35年)3月31日、第一管区釧路海上保安部に配属替えとなった[2]。10月に船体を耐氷型に改造。1963年4月に宗谷が移籍してくるまでは第一管区最大の巡視船だった。
1965年(昭和40年)11月24日、さつま (PL-104)と交替し第十管区鹿児島海上保安部に配属となった[2]。さつま (PL-104)は同日解役されたことにより、つがるはおじか型で唯一の現役巡視船になった[2]。11月30日、さつまの後継船えりも(PL-13)が第一管区釧路海上保安部に配属となった。
1966年(昭和41年)6月3日、後継船のさつま(PL-14)が就役前につがるは海上保安庁を解役された[2]

1967年つがるは深田サルベージに払い下げられ、1967年9月から10月にかけて日立造船向島工場で機関部の撤去、後部構造物上に折り畳み式ヘリコプター甲板を設置するなどの改造工事を受けて石油開発公団宿泊船となり、1967年12月25日ボルネオに曳航された[2]
ボルネオで使用されたのち1969年春に一時帰国し再改造されインドネシア石油資源開発に傭船され曳航倉庫兼宿泊母船として使用されたが、用務が終了した1971年夏頃に帰国し、同年秋頃に江田島の深田サルベージ作業場において解体され、数奇な船歴にピリオドを打った[2]

新南海防艦長/艦長[編集]

艤装員長
  1. 池田郷 少佐:1944年9月15日 - 1944年10月21日
海防艦長/艦長
  1. 池田郷 少佐:海防艦長 1944年10月21日 - 1945年9月30日
  2. 外山三郎 少佐:1945年9月30日 - 1945年11月25日
  3. 溝口智司 少佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1945年11月25日 - 艦長 1945年12月20日 - 1946年7月10日[注釈 6]
  4. (兼)田村久三 復員事務官:1947年3月5日 - 1947年6月26日(本職:復員庁第二復員局掃海監部長)
  5. 川畑幹榮 復員事務官:1947年6月26日 - 1947年10月25日[6]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20bとしての価格ではない。
  2. ^ これは法令上の定員数であり、特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
  3. ^ マル急計画の当初計画での番数。
  4. ^ のち、基本計画番号E20は建造予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした。
  5. ^ 本船の読みは、官報掲載の電波監理委員会告示による。一例を挙げるならば、昭和26年7月6日付 官報第7346号。本官報は、国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2963897 で閲覧可能。
  6. ^ 昭和21年7月10日付 復二第85号の定めによる自動解職。
脚注
  1. ^ 第一護衛艦隊戦時日誌(昭和20年1月1日-31日)。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『北の海の巡視船』78~79項。
  3. ^ 『写真録海上保安庁』pp. 174-175。
  4. ^ 『海上保安庁三十年史』58項。
  5. ^ 『写真録海上保安庁』p. 176。
  6. ^ 昭和22年11月6日付 第二復員局公報 第153号。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
    • 昭和19年9月1日付 達第288号、内令第1016号、内令第1019号、内令員第1652号。
    • 昭和19年10月21日付 内令第1206号、内令員第2104号、内令員第2105号。
    • 昭和19年12月25日付 内令第1381号。
    • 昭和19年9月19日付 秘海軍辞令公報 甲 第1597号。
    • 昭和19年10月27日付 秘海軍辞令公報 甲 第1629号。
    • 昭和20年10月13日付 海軍辞令公報 甲 第1951号。
    • 昭和20年10月18日付 海軍辞令公報 甲 第1955号。
    • 昭和19年9月26日付 秘海軍公報 第4809号。
    • 昭和19年10月30日付 秘海軍公報 第4838号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 第一海上護衛隊戦時日誌。
    • 第一護衛艦隊戦時日誌。
    • 海防艦新南戦時日誌。
    • 海防艦新南兵器還納目録。
  • 第二復員省
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号。
    • 昭和20年12月20日付 内令第12号、官房人第19号。
    • 昭和20年12月7日付 第二復員省辞令公報 甲 第6号。
    • 昭和20年12月31日付 第二復員省辞令公報 甲 第25号。
  • 復員庁
    • 昭和21年7月1日付 復二第67号。
    • 昭和21年7月10日付 復二第79号、復二第85号。
    • 昭和21年8月23日付 復二第187号。
    • 昭和22年2月10日付 復二第114号。
    • 昭和22年6月26日付 復二第461号、復二第462号
    • 昭和22年11月1日付 復二第799号。
    • 昭和22年3月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第144号。
    • 昭和22年7月7日付 復員庁第二復員局辞令公報 第45号。
    • 昭和22年11月6日付 第二復員局公報 第153号。
  • 『浦賀・追浜百年の航跡 1897-1997』、住友重機械工業株式会社横須賀造船所、1997年。
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 『写真録海上保安庁』、財団法人海上保安協会、1986年。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 饒村曜『気象ブックス013 台風と闘った観測船』、成山堂書店、2002年。ISBN 4-425-55121-4
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。