息長氏

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息長氏
氏姓 息長真人
出自 意富富杼王
(第15代応神天皇皇子若野毛二俣王王子
種別 皇別
本貫 近江国坂田郡
凡例 / Category:氏
朝妻津
息長氏の名残を残す息長郵便局

息長氏(おきながうじ)は、「息長」をの名とする氏族。古代近江国坂田郡(現滋賀県米原市)を根拠地(河内説、播磨・吉備説も有る)とした古代豪族である。

概要[編集]

息長氏は近江国(現在の滋賀県にほぼ該当する)坂田郡(現在の米原市のほとんどと長浜市の一部)を本拠とした古代豪族であるとするのが一般的な見解である[1]。しかし、河内に息長氏末裔が近世まで存在しており、文献などには信頼性が欠ける部分も多いが、看過出来ない部分も有り河内が本拠であるという説も有る。また、播磨・吉備などにも息長を名に持つ関係者が古代資料には残っており播磨・吉備が本拠である可能性もある[1]

息長の名義発祥の由来は、上古から持つ製鉄・鍛冶に関する技術からこの氏が生じたとみられる[2]

『記紀』によると応神天皇皇子若野毛二俣王の子、意富富杼王を祖とするとされている[3]。また、山津照神社の伝によれば国常立命を祖神とする。皇室との関わりを語る説話が多い。(かばね)は公(または君、きみ)。同族に三国公(のち、三国真人)・坂田公(のち、坂田真人)・酒人公(のち、酒人真人)などがある。

また岡田精司による『継体天皇=息長出自説が有力な継体王朝論』になっている[4]。古事記において継体天皇の出身地を近江とする記述については、『応神天皇の子孫である袁本杼命を近江から迎え入れる、』(竹田恒泰 現代語古事記 ポケット版 474ページ7-8行目より引用[5])に記載が有り、中村啓信の新版古事記現代語訳付きにも同様の記載が有る[6]

息長氏の根拠地は美濃への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。また、息長古墳群を擁し相当の力をもった豪族であった事が伺える。ただし文献的に記述が少なく謎の氏族ともいわれる。

脚注[編集]

  1. ^ a b 宝賀 2014, p. 7.
  2. ^ 宝賀 2014, p. 17.
  3. ^ 宝賀 2014, p. 8.
  4. ^ 大橋 1984, p. 122.
  5. ^ 竹田 2016, p. 7-8.
  6. ^ 中村 2015, p. 453.

参考文献[編集]

  • 大橋信弥『日本古代国家の成立と息長氏』吉川弘文堂、1984年3月10日、1st。ISBN 4-642-02153-1
  • 竹田恒泰『現代語古事記 ポケット版』学研プラス、2016年6月28日、1st。ISBN 978-4-05-406454-6
  • 中村啓信新版 古事記 現代語訳付き』株式会社KADOKAWA〈角川文庫 15906〉、2015年5月15日、11th。ISBN 978-4-04-400104-9
  • 宝賀寿男『息長氏 ー大王を輩出した鍛冶氏族』星雲社〈古代氏族の研究(6)〉、2014年11月5日、1st。ISBN 978-4-434-19823-6

関連項目[編集]