小田原地震

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小田原地震(おだわらじしん)は、神奈川県西部で発生する地震である。過去に数回発生している[1]。再来周期はほぼ73年[1]で、1645年(正保2年)、1647年(正保4年)、1870年(明治3年)にも発生したとされているが、いずれも小被害である。

本記事では、江戸時代の地震に於いては発生時の元号を冠し区別している。

寛永小田原地震[編集]

寛永10年1月21日1633年3月1日[2] 北緯 35.2 東経 139.2 マグニチュード 7.1-7.2[3](7.0とも)。小田原で最も強く揺れ、小田原城矢倉、門塀などに被害が出た。民家倒壊も多く、150人が圧死により死亡。箱根で山崩れが起こる。海に近い熱海や網代で津波の被害が出た[1]

慶安小田原地震[編集]

慶安元年4月22日 (1648年6月13日)。北緯 35.2 東経 139.3 マグニチュード 7.0程度。小田原城破損。

天明小田原地震[編集]

天明2年7月15日(1782年8月23日)[4]。北緯 35.4 東経 139.1 マグニチュード 7.0程度(7.3[1]とも)。月初めより前震あり 、被害は大きく、小田原城の石垣に被害が出る[3]。民家は約一千戸が倒壊し、江戸でも死者。箱根山大山富士山で山崩れが発生した。熱海で津波が有ったとの記録がある[5]。なお、宇佐美龍夫(1984)らは震源は足柄平野にあり小田原地震には該当しないとの見解もある[6]。一方、都司嘉宣は震源域は海底下まで伸びていたとしている[5]

嘉永小田原地震[編集]

嘉永小田原地震の震度分布

嘉永6年2月2日(1853年3月11日)[7][注釈 1]。マグニチュード 6.5[1]。推定されている各地の震度は、6から7が小田原(特に東南部)・塚原・金子、6が布川・中沼・関本・山田・矢倉沢・最乗寺・高尾、5強から6が川村・中日向・巣雲川・仙石原[8]で、江戸でも震度4から5程度の揺れであったとみられている[9]。本震は午前10時過ぎ頃に発生し、10分から15分の間に2度の地震が起こったと考えられている[10]。本震後も余震が続いたが翌日夕方4時頃に最大余震があり、さらに被害が出た[11]

最も強く揺れた小田原では、天守の瓦や壁が落ち[1]小田原城三の丸の藩校集成館が倒壊した[10]。全壊した家は1,032戸、半壊した家は2,477戸、被害が出た家は544戸。死者も24人出た。箱根、根府川関所にも被害が出た。箱根など341か所で山崩れが起こり、真鶴(真鶴町)にも被害を与えた[1]。真鶴湊では津波による引き波がみられたが被害はなかった[11][12]。江戸城でも大手門の渡櫓内の壁がすべて落ちた[9]東海道は道路や関所などが被災したため1週間ほど通行不能となった[13]

2007年の地震[編集]

神奈川県西部地震
本震
発生日 2007年(平成19年)10月1日
発生時刻 2時21分00.0秒 (JST)
震央 日本 神奈川県西部
北緯35.135度
東経139.071度(地図)
震源の深さ 14 km
規模    マグニチュード (M)4.9
最大震度    震度5強:神奈川県 箱根町
津波 なし
地震の種類 スラブ内地震
余震
回数 なし
被害
死傷者数 軽傷者2名
被害総額 不明
被害地域 神奈川県西部、静岡県伊豆地方など
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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2007年(平成19年)10月1日午前2時21分に、神奈川県西部で最大震度5強の地震が発生した。気象庁が命名した名称はなく、「神奈川県西部の地震」と呼称されている。震度5強という強い揺れではあったが、大きな被害は発生しなかった。

被害[編集]

  • 人的被害[14]
    • 小田原市にて、軽傷者2名
  • 住家被害
    • 箱根町にて、一部破損5棟
  • ライフライン
    • 神奈川県内にて、214世帯一時断水

各地の震度[編集]

震度4以上が観測された気象庁の発表地点
震度 都道府県 観測点名
5強 神奈川県 箱根町湯本
5弱 神奈川県 小田原市荻窪(旧2)
4 神奈川県 真鶴町真鶴
静岡県 熱海市泉・東伊豆町奈良本
  • 気象庁の震度データベース検索を元に作成[15]

このほか、関東甲信越から東海地方にかけての1都10県で震度3から震度1の揺れを観測した[16]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 石橋によれば震源域は小田原 - 関本[8]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 神奈川県西部地震”. 大井町で想定されている地震. 神奈川県大井町 (2010年3月31日). 2011年7月29日閲覧。
  2. ^ 大地動乱の時代』 134頁。
  3. ^ a b 石橋克彦、「小田原付近に発生した歴史地震とその地学的意義」 『地学雑誌』 1993年 102巻 4号 p.341-353, doi:10.5026/jgeography.102.4_341
  4. ^ 大地動乱の時代』 136頁。
  5. ^ a b 都司嘉宣(1986)、「天明小田原地震 (1782-VIII-23) の津波について」 『地震 第2輯』 1986年 39巻 2号 p.277-287, doi:10.4294/zisin1948.39.2_277
  6. ^ 宇佐美龍夫他「天明の小田原地震 (1782-VIII-23) について」『地震 第2輯』第37巻No.3、日本地震学会、1984年9月、 506-510頁、 doi:10.4294/zisin1948.39.2_2772012年9月27日閲覧。
  7. ^ 大地動乱の時代』 8頁。
  8. ^ a b 大地動乱の時代』 11頁。(「図1-1 嘉永小田原地震による震災地の震度」参照)
  9. ^ a b 大地動乱の時代』 13頁。
  10. ^ a b 大地動乱の時代』 10頁。
  11. ^ a b 大地動乱の時代』 12頁。
  12. ^ 相田勇 (1992): 「1853年嘉永小田原地震の津波」 『地震学会講演予稿集』 No.1, p.83.
  13. ^ 大地動乱の時代』 11頁。
  14. ^ 神奈川県西部を震源とする地震について(第1報) (PDF) 内閣府
  15. ^ 気象庁|震度データベース検索 (地震別検索結果)”. www.data.jma.go.jp. 2019年7月1日閲覧。
  16. ^ 気象庁|震度データベース検索 (地震別検索結果)”. www.data.jma.go.jp. 2019年6月30日閲覧。

参考文献[編集]

  • 石橋克彦『大地動乱の時代 - 地震学者は警告する』岩波書店岩波新書 新赤版 350〉、1994年8月。ISBN 978-4-00-430350-3

関連資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]