筑紫地震

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筑紫地震
本震
震央 九州地方北部
規模    M6.7
被害
被害地域 九州地方
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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筑紫地震(つくしじしん)は、飛鳥時代後期(白鳳時代)に九州北部で発生した大地震。『日本書紀』に記述されており、震源域がほぼ判明しているものとしては日本最古の歴史地震である。

『日本書紀』には筑紫地震前後から地震の記述がしばしば登場し、本地震の約6年後には南海トラフ巨大地震である白鳳地震が発生している。

地震の記録[編集]

天武天皇7年[注釈 1]12月中(ユリウス暦679年1月18日 - 2月15日、グレゴリオ暦679年1月21日 - 2月18日の間)に筑紫国を中心に大地震が発生した。地震の発生日は不明である。

巾2(約6m)、長さ3000丈余(約10km)の地割れが生成し村々の民家が多数破壊され、また丘が崩れ、その上にあった家は移動したが破壊されることなく家人は丘の崩壊に気付かず、夜明後に知り驚いたという[1]

  • 『日本書紀』巻第二十九

天武天皇七年十二月是月

筑紫国大地動之。地裂広二丈。長三千余丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。当于地動夕。以岡崩処遷。然家既全、而無破壌。家人不知岡崩家避。但会明後。知以大驚焉。

また『豊後国風土記』によれば五馬山が崩れて温泉が所々で噴出し、そのうち1つが間欠泉であったという[2]戊寅年は天武天皇7年である。

五馬山(在郡南)昔者比山有土蜘蛛名曰五馬媛。因曰五馬山。飛鳥浄御原宮御宇天皇御世戊寅年大有地震山崗裂崩、此山一峡崩落、温之泉処処而出。湯気熾熱炊飯早熟。但一処之湯其穴似井臼注丈余無浅深。水色如紺。常不流。聞人之声驚慍騰埿一丈余許。今謂慍湯是也

この地震の条項「十二月是月」の直前にある『日本書紀』12月27日の条項には、臘子鳥(あとり)[注釈 2]が天を覆って西から東北方向へ移動したとあり、宏観異常現象の1つと考える説もある[3]

十二月癸丑己卯

臘子鳥蔽天。自西南飛東北。

河角廣は本地震に対し規模MK = 3.6を与え[4]マグニチュード M = 6.7に換算されている。宇佐美(2003)は M = 6.5 - 7.5[5] と巾を広く取っている。

震源断層[編集]

1988年に大宰府の上津土塁の調査を行っていた久留米市教育委員会によって、上津土塁の一部が滑り落ちて8世紀後半の版築土で修復された痕跡が発見された[6]。その後、7世紀後半頃の墳砂痕、三井郡北野町(現・久留米市)の古賀ノ上遺跡の地割れおよび墳砂痕など続々と地震痕跡が発見された[7]

1992年には、水縄断層帯を構成する追分断層上にある山川前田遺跡において粘土層と姶良Tn火山灰層(2万数千年前)の2mの食違いが発見された。追分断層のトレンチ調査から、2万5千年の間に3回の水縄断層の活動と見られる地震痕跡が発見され、これらの内最新の活動は6世紀以降、13 - 14世紀以前と推定された。この間の九州北部の顕著な地震記録は679年の筑紫地震のみであり、周辺の地震痕跡が7世紀後半に集中する事から最新のものは筑紫地震の痕跡と推定される[8]。この水縄断層系の総延長は東西約20km、活動度は年間変位が0.1 - 1.0mm程度、右横ずれの応力を持つ正断層と推定されている[9][10]

2015年には、水縄断層上に位置する益生田古墳群(久留米市田主丸町益生田、6世紀後半の築造)のうちで、円墳4基が筑紫地震による倒壊被害を受けたと見られる状態で発見された[11]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ かつて壬申の乱のあった672年弘文天皇元年、翌年(673年)を天武天皇元年とする見方もあり、筑紫地震発生を天武天皇6年と記載する史料も存在するが(『大日本地震史料』)、現在では『日本書紀』の記述通りとするのが一般的である(『地震の事典』)。
  2. ^ スズメ目アトリ科の鳥

参考文献[編集]

  1. ^ 宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店 2010年、 ISBN 978-4254160536
  2. ^ 東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 一巻』 日本電気協会、1981年
  3. ^ 日本地震学会地震予知検討委員会編 『地震予知の科学』 東京大学出版会、2007年
  4. ^ 河角廣(1951) 「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, hdl:2261/11692
  5. ^ 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年
  6. ^ 松村一良(1990): 『日本書紀』天武七年条にみえる地震と上津土塁跡について, 九州史学,98,1-23., NAID 10004186386, doi:10.11501/4413097
  7. ^ 寒川旭 『地震の日本史 -大地は何を語るのか-』 中公新書、2007年
  8. ^ 千田昇, 松村一良, 寒川旭, 松田時彦(1994) 「水縄断層系の最近の活動について」 第四紀研究 1994年 33巻 4号 p.261-267, doi:10.4116/jaqua.33.261
  9. ^ 千田昇(1981): 中部九州・水縄山地北麓の断層変位地形 岩手大学教育学部研究年報,40,pp67-78, hdl:10140/1325
  10. ^ 千田昇(1990) 「九州における活断層ストリップマップの試作」 活断層研究 1990年 1990巻 8号 p.105-113, doi:10.11462/afr1985.1990.8_105
  11. ^ “679年の筑紫国地震で倒壊 円墳4基見つかる”(読売新聞2015年5月21日記事)。