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伊藤圭介 (理学博士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 圭介いとう けいすけ
伊藤圭介
生誕 享和3年1月27日
1803年2月18日
日本の旗 日本尾張国名古屋
(現・愛知県名古屋市
死没 1901年1月24日(97歳没)
日本の旗 日本東京府(現・東京都
研究機関 東京大学
影響を
受けた人物
シーボルト
影響を
与えた人物
田中芳男柳川春三千村五郎
主な受賞歴 勲三等瑞宝章受章
勲四等旭日小綬章受章
男爵綬位
命名者名略表記
(植物学)
Ito
プロジェクト:人物伝
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伊藤 圭介(いとう けいすけ、1803年2月18日享和3年1月27日)- 1901年明治34年)1月24日[1])は、幕末から明治期の本草学者蘭学者博物学者医学者。日本初の理学博士男爵従四位勲三等)。尾張国名古屋(現愛知県名古屋市)出身。名は舜民、清民。 は戴堯、圭介。は錦。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。

略歴

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伊藤圭介の碑(愛知県名古屋市千種区平和公園)
  • 享和3年(1803年)、町医者の西山玄道の次男として名古屋呉服町に生まれる。
  • 文政3年(1820年)、町医の資格を得て開業。
  • 文政4年(1821年)、京都に遊学し、藤林泰助より蘭学を学ぶ。
  • 文政10年(1827年)、長崎にてシーボルトより本草学を学ぶ。翌年、長崎から名古屋に帰る際にシーボルトよりツンベルク『日本植物誌』を受け取り、文政12年(1829年)に『泰西本草名疏』として翻訳刊行した。
  • 嘉永5年(1852年)、尾張藩より種痘法取調を命ぜられる(種痘所)。
  • 文久元年(1861年)、幕府の蕃書調所物産所出役に登用される。
  • 明治3年(1870年)末、名古屋より東京へ移住して大学出仕、翌年より文部省出仕となった。同14年(1881年)、東京大学教授に任ぜられた(1886年に非職、1889年に非職満期)。同21年(1888年)、日本初の理学博士の一人として学位を受ける。また初代の東京学士会院会員となった。
  • 明治34年(1901年)1月24日午前2時、慢性胃腸炎のため[2]数え99歳で永眠。なお22日には、男爵位(華族に被列)とともに、東京帝国大学名誉教授の称号も授けられた[3]

墓所谷中天王寺墓地。愛知県名古屋市の平和公園内(光勝院墓域)にもが建立されている[4]

栄典

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位階

勲章等

伊藤圭介にちなむ植物

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伊藤の業績を称えてシーボルトらにより献名された日本の植物には有名なものが多い。

など。

伊藤文庫

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伊藤文庫は伊藤圭介が収集した本草学に関する書籍コレクション[10]。伊藤圭介文庫とも。伊藤圭介およびその孫の篤太郎より1944年に国立国会図書館が購入した。カール・ツンベルクの『日本植物誌』(1784年)、それを元に圭介が著した『泰西本草名疏』(1829年)、森立之服部雪斎の『華鳥譜』(1861年)など、約2000冊を数える[11]。蔵書には「尾張伊藤圭介之記」「九十一翁」等の蔵書印が押印されている[11]。国立国会図書館のほか、名古屋大学図書館名古屋市東山植物園などに見ることが出来る[11]

著書

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論文

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親族

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脚注

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  1. ^ 『官報』1901年1月25日「彙報○官庁事項○華族卒去」、『中外医事新報』501号、1901年2月、208頁。
  2. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)4頁
  3. ^ a b 『官報』第5265号「授爵、叙任及辞令」1901年1月23日。
  4. ^ 千種区史跡散策路”. 名古屋市千種区. 2021年3月16日閲覧。
  5. ^ a b c 国立公文書館所蔵「従四位勲四等理学博士伊藤圭介勲位進級ノ件」。
  6. ^ 『官報』1889年3月15日「叙任及辞令」。
  7. ^ 『官報』1892年7月11日「叙任及辞令」。
  8. ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
  9. ^ 『官報』第5266号「叙任及辞令」1901年1月24日。
  10. ^ 国立国会図書館-江戸時代の博物誌. “伊藤文庫”. 2009年7月1日閲覧。
  11. ^ a b c 国立国会図書館-蔵書印の世界. “伊藤圭介”. 2009年7月1日閲覧。
  12. ^ 西島 2008, pp. 55–57.
  13. ^ 吉川 1955, pp. 58–61.
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 吉川 1955, pp. 4–5.
  15. ^ 吉川 1955, p. 6.
  16. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻、171頁。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
伊藤(圭介)家初代
1901年
次代
伊藤一郎