久松定謨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
久松 定謨
Sadakoto Hisamatsu.jpg
生誕 1867年10月6日
死没 (1943-02-19) 1943年2月19日(75歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

久松 定謨(ひさまつ さだこと、慶応3年9月9日1867年10月6日) - 昭和18年(1943年2月19日)は、日本の陸軍軍人華族伯爵)。伊予松山藩主である久松家の当主で、歩兵第1旅団長・歩兵第5旅団長を歴任し、階級は陸軍中将。位階勲等は正二位勲一等

旧名鋹三郎。妻の貞子島津忠義公爵の娘。長男の定武貴族院議員参議院議員を経て昭和20年から愛媛県知事を5期20年務めた。孫(定武の子)の定成は元愛媛大学農学部教授靖国神社崇敬奉賛会会長。

経歴[編集]

栄典[編集]

外国勲章佩用允許

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  2. ^ この際、補導役として旧松山藩士の子である秋山好古騎兵大尉(当時)が渡仏している。
  3. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  4. ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。
  5. ^ 『官報』第7046号「叙任及辞令」1906年12月22日。
  6. ^ 『官報』第3379号「叙任及辞令」1894年10月1日。

関連項目[編集]

日本の爵位
先代:
叙爵
伯爵
松山久松家初代
1884年 - 1943年
次代:
久松定武
先代:
­久松定昭
定勝流久松家当主
1872年 - 1943年
次代:
久松定武