池田長休

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池田 長休(いけだ ながのり、天明3年(1783年)- ?)は、江戸時代後期の旗本

旗本池田清弥の次男。母は牧野忠知の娘。正室は立花種周の娘。子は池田長顕池田長発松平勝実室。通称伊三郎。官位従五位下加賀守、甲斐守。

天明3年(1783年)、7000石の旗本池田清弥の次男として江戸に生まれる。寛政6年(1794年)8月、将軍徳川家斉に拝謁する。同年9月、世子徳川家慶山王社参詣に騎馬で供をする。寛政8年(1796年)11月、父清弥が不行跡のため押込隠居となり家督相続するが、父の処分で拝謁を止められる。寛政9年正月、処分を解かれ許される。御書院番頭御側衆などを務め、天保12年(1841年)8月病気のため辞職する。

先代:
池田清弥
池田家(長賢流)
第8代
次代:
池田長顕