上村従義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
上村 従義
Tsuguyoshi Kamimura.jpg
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1902年 - 1924年
最終階級 海軍大佐
除隊後 貴族院議員
テンプレートを表示

上村 従義(かみむら つぐよし/じゅうぎ、1881年明治14年)1月 - 1937年昭和12年)3月23日)は、日本の海軍軍人政治家華族。最終階級は海軍大佐貴族院議員、男爵従三位勲二等[1]

親族[編集]

実父は西郷従道元帥でその四男。養父上村彦之丞海軍大将の嗣子となる。岳父は山本権兵衛海軍大将で、その四女「なミ」と結婚。財部彪海軍大将は義兄にあたる。次男で上村男爵家を継いだ上村邦之丞は、いわゆる華族赤化事件治安維持法違反に問われ検挙された。

略歴[編集]

1902年(明治35年)海軍兵学校卒業(30期)。席次は187名中120番[2]。同期生に百武源吾大将、今村信次郎中将、松山茂中将らがいる。

出雲」乗組みの中尉として日本海海戦に参戦。「出雲」は第二艦隊旗艦で、のちに養父となる上村彦之丞司令長官として座乗していた。戦後海軍大学校選科学生として東京外国語学校ドイツ語を学び、ドイツに留学している。大尉時代にドイツ皇族ハインリッヒ親王が来日した際は、接伴補助員として八代六郎を補佐した。第一次世界大戦では第1特務艦隊所属の「明石」副長として出征。その後、「筑摩」・「春日」の各副長、軍事参議官副官、「勝力」特務艦長などを務めた。1923年(大正12年)、海軍大佐に昇進し、翌年予備役に編入された[3]

1916年(大正5年)、養父彦之丞の死去により男爵を襲爵。1926年(大正15年)3月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に属し1932年(昭和7年)7月まで在任した[4]

挿話[編集]

第一次世界大戦では、酷暑のなか夜間警備に従事した際、パーティーを開催中の英国艦隊に探照灯を照射し混乱させた。日本海軍の司令官、艦長も参加しているパーティーである。部下であった高木惣吉によれば上村は長身、巨眼で髭を蓄え、司令官(将官)よりも堂々としていたという。なお酒豪であった[5]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本海軍士官総覧』p113
  2. ^ 『海軍兵学校沿革』
  3. ^ 経歴はアジア歴史資料センターの資料、『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』68頁によった。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』68頁
  5. ^ 『自伝的日本海軍始末期』「上村副長の鬱憤ばらし」
  6. ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。

参考文献[編集]