マリーア・ヴィットーリア・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナ

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マリーア・ヴィットーリア・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナ
Maria Vittoria dal Pozzo della Cisterna
スペイン王妃
Rosa de Turín.jpg
全名 Maria Vittoria Carlotta Enrichetta Giovanna dal Pozzo della Cisterna
出生 1847年8月9日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリ
死去 (1876-11-08) 1876年11月8日(29歳没)
イタリア王国の旗 イタリア王国サンレモ
埋葬  
イタリア王国の旗 イタリア王国トリノ、スペルガ聖堂
配偶者 スペインアマデオ1世
子女 一覧参照
父親 第5代チステルナ公カルロ・エマヌエーレ・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナ
母親 ルイーズ・ド・メロード=ウェステルロー
宗教 ローマ・カトリック
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マリーア・ヴィットーリア・カルロッタ・エンリケッタ・ジョヴァンナ・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナイタリア語:Maria Vittoria Carlotta Enrichetta Giovanna dal Pozzo della Cisternaスペイン語:María Victoria dal Pozzo della Cisterna, 1847年8月9日 - 1876年11月8日)は、イタリアヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男アオスタ公アメデーオの最初の妻。夫が1870年から1873年までアマデオ1世としてスペイン王の座にあった間、スペイン王妃であった。

生涯[編集]

サルデーニャ王国の貴族で自由主義政治家であった第5代チステルナ公カルロ・エマヌエーレ・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナと、その妻でベルギー貴族のルイーズ・ド・メロード=ウェステルロー伯爵夫人の長女として生まれた[1]。母方の叔母アントワネットは、モナコシャルル3世の妃である。1863年5月30日にトリノでイタリア王子のアオスタ公アメデーオと結婚した[1]。2人の結婚式において、多くの不幸な出来事が起こったと言われている[2]。マリーア・ヴィットーリアは翌1864年に父が死ぬと、第6代チステルナ=ベルリグアルド女公、第7代ヴォゲーラ侯爵夫人および第9代ポンデラーノ伯爵夫人の爵位を相続した。

夫のアオスタ公が1870年11月16日にスペイン王に選出されると、マリーア・ヴィットーリアもスペイン王妃となった。王妃としての彼女は控えめで、慈善活動にのみ熱心に取り組んだ。1873年2月11日に夫が廃位されると、マリーア・ヴィットーリアもイタリアに帰国した。逃避行と出産で体を痛めていたマリーア・ヴィットーリアは、その年のうちに亡くなった[3]。夫のアメデーオは1888年、実の姪であるマリー・レティシア・ボナパルトと再婚している。

子女[編集]

夫アメデーオとの間に3人の息子をもうけた。

脚注[編集]

  1. ^ a b de Badts de Cugnac, Chantal. Coutant de Saisseval, Guy. ‘’Le Petit Gotha’’. Nouvelle Imprimerie Laballery, Paris 2002, p. 612 (French) 2-9507974-3-1
  2. ^ Death and the Wedding Party
  3. ^ Find a grave