マリアナ・デ・アウストリア

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マリアナ・デ・アウストリア(1652年、ディエゴ・ベラスケス画)

マリアナ・デ・アウストリア (Mariana de Austria, 1634年12月23日-1696年5月16日)は、スペインフェリペ4世の2度目の王妃。マリア・アナ(Maria Ana)ともいう。ドイツ語名ではマリア・アンナ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna von Österreich)と呼ばれた。

神聖ローマ皇帝フェルディナント3世と皇后マリア・アナの長女としてウィーンで生まれた。兄にローマ王フェルディナント4世、弟に皇帝レオポルト1世がいる。

子供の頃からフェリペ4世の一人息子バルタサール・カルロスと婚約していたが、彼が1646年に早世すると、男子の後継者が必要になったフェリペの後添えとなり、1649年に14歳で結婚。マリアナの母マリア・アナはフェリペ4世の妹であるという関係から伯父と姪の近親結婚になる。

2人の間に生まれた子で成人したのは一男一女である。

1665年にフェリペが亡くなると、3歳のカルロス王の摂政として1675年まで国政をみたが、実際は亡くなる年まで影響力を保持した。カルロスは10歳になるまで抱かれて運ばれるほど、歩行も会話も不自由だったためである。マリアナはカルロスの在位期間の大半の摂政だったが、1678年にフアン・ホセ・デ・アウストリアの宮廷革命で一時追放された(彼女が重用したフェルナンド・デ・バレンズエラに不満をつのらせたため)。翌年フアンが死んだため、宮廷へ戻った。

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