マイケル・ローウェ
2005年 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1922年11月2日 イギリス オックスフォード |
出身校 | モードリン・カレッジ、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院 |
学問 | |
研究分野 | 東洋学、中国史(中国古代史) |
研究機関 | ケンブリッジ大学 |
学位 | 文学博士 |
マイケル・ローウェ (英語: Michael Arthur Nathan Loewe、1922年11月2日 - ) は、イギリスの東洋学者。
専門は中国古代史。漢字名はローウェを写した「魯惟一(Lu Wei-yi)」。
経歴
[編集]出生から第二次世界大戦まで
[編集]1922年、オックスフォードでユダヤ人家庭に生まれた。ケンブリッジのパース・スクール(The Perse School)で学び、 モードリン・カレッジに進んだ。1941年に太平洋戦争が始まると、イギリス海軍のオズワルド・タック(Oswald Thomas Tuck)らが運営する日本語学校で日本語を学ぶ人員となった。5か月間の研修修了後、ブレッチリー・パークの海軍関係の部署で太平洋戦争終結まで翻訳と解読に従事した。同時に、空き時間を利用して中国語も学んだ。
戦後
[編集]1947年、北京に6か月滞在し、中国史や伝統文化に関心を持った。英国帰国後、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で学び、1951年に卒業。1956年よりロンドン大学の極東史の講師となった。1960年、京都大学人文科学研究所に研究留学。英国から京都へ向かう途中に台北へ立ち寄り、労榦が刊行したばかりの『居延漢簡甲編』(1959)を購入して来日し、以降漢簡の研究を進めた。指導教員の森鹿三や藤枝晃、米田賢次郎、大庭脩、永田英正らと居延漢簡の輪読会を行い、研究を深めた[1]。1963年、学位論文をロンドン大学東洋アフリカ研究学院に提出して博士号を取得。その後ケンブリッジ大学の教員となり、1990年に退職するまで教鞭をとった。ケンブリッジ大学クレア・ホールのフェロー、王立アジア協会メンバー、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員。
研究内容・業績
[編集]専門は中国古代史で、秦漢史。居延漢簡など出土文献資料を調査し、’’Records of Han Administration” (『漢代の行政記録』)など従来の史書以外の資料も含めて歴史研究を行った。
家族・親族
[編集]- 妻:カーメン・ブラッカー(1924-2009年)は日本学者、民俗学者。ケンブリッジ大学東洋学部教授。
- 兄:ラファエル・ローウェ(Raphael Loewe )(1919–2011)はヘブライ語ならびにユダヤ学者。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授。
- 祖父:ルイス・ローウェ(1809-1888年)はシレジア語の言語学者。ジュディス神学大学校長(Judith Theological College)を務めた。
著作
[編集]著書(邦訳されたもの)
[編集]- 『古代の宇宙論』カーメン・ブラッカー・M. ローウェ編, 矢島祐利・矢島文夫訳, 海鳴社, 1976年
- 『占いと神託』M. ローウェ・カーメン・ブラッカー編, 島田裕巳訳, 海鳴社, 1984年
著書
[編集]- Imperial China : the historical background to the modern age, Allen and Unwin, 1966
- Records of Han administration, Cambridge University Press, 1967
- Everyday life in early imperial China during the Han period, 202 BC-AD 220, B.T. Batsford, 1968 (『漢帝国の日常生活:紀元前202年~紀元後220年』)
参考
[編集]脚注
[編集]- ^ 籾山明2014「日本における居延漢簡研究の回顧と展望-古文書学的研究を中心に-」『文献と遺物の境界II』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に居延漢簡輪読会のメンバーと写る写真がある。
外部リンク
[編集]- Michael Loewe Scholarship Fund, Cambridge University.
- Roel Sterckx interviews Michael Loewe, for Conversations .