パソコン雑誌

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パソコン雑誌(パソコンざっし)とは、パソコンに関する様々な情報を提供する雑誌である。パソコン誌という言い方も一般的である。週刊、月二回刊、月刊など様々な刊行形態がある。内容も、入門者向け、マニア向け、専門家向け、など様々なものがある。

日本におけるパソコン雑誌[編集]

黎明期[編集]

パソコン雑誌の黎明期は1976年に星正明が『I/O』(工学社)を創刊したことに始まると言える。そして、そこからスピンアウトした西和彦が1977年に『月刊アスキー』(アスキー出版)を創刊、同1977年に『月刊マイコン』(電波新聞社)、1978年に『RAM』(廣済堂)が創刊され、初期の4大総合誌が出揃っている。

国産初のパソコンとされる日立のベーシックマスターや、シャープのMZ-80Kの発売は1978年であり、それ以前の誌面に国産パソコンが登場することはなかった。Apple IIやPET2001など海外のパソコンは1977年に発売されているが、その所有者は非常に限られた数だった。この頃にはまだパソコンという言葉はなく、マイコンと呼ばれていたため、パソコン雑誌という言葉もなかった。

この時期の雑誌はハードウェアに関する記事、プログラムのリスト、アルゴリズムの研究などが紙面の中心であった。市販ソフトウェアはまだまだその数は少なく、紹介記事もそれほど多くはなかった。この頃にはまだパソコンのビジネス利用も一般的ではなく(NECのPC-9801発売は1982年10月)、パソコンは基本的に趣味の分野であった。多くの読者が、雑誌に掲載されたプログラムリストやダンプデータを直接打ち込んで、ゲームなどを楽しんだりしていた。また掲載プログラムをカセットテープ通信販売するサービスも行われ、人気を博した。

発展期[編集]

パソコンを発売するメーカーが急速に増えた頃から、パソコン雑誌の発行部数も伸び、広告が増加したため分厚くなっていった。また、当時日本国内のパソコンは、各メーカー毎に独自のアーキテクチャであり、日本ソフトバンクによって『Oh!PC』『Oh!MZ』『[Oh!FM]』などの機種別雑誌が発行された(1982年頃)。 少し遅れて、主としてビジネス利用向けの『日経パソコン』(日経BP社)、プログラム投稿に重点を置いた『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)、『TheBASIC』(技術評論社)、『PiO』(工学社)なども創刊された(1983年)。

この頃には、ソフトウェアは自分で開発したり、プログラムリストを打ち込んだりするものから、徐々に市販品を購入したり、フリーソフトを導入したりするものとなってきた。パソコン雑誌はこのようなソフトウェアの紹介をしたり、フリーソフトを収録したフロッピーディスクを綴じ込み付録とするようになった。また、ソフトウェア開発者を主な対象とする雑誌(『C MAGAZIN』(ソフトバンク)、Dr.Dobb's Journalなど)の創刊はこの頃である。

『LOGiN』のように、技術情報誌から娯楽誌へと路線変更する雑誌もあり、多様化も進んでいった。

1995年Windows 95が発売されると、パソコン利用者層の裾野が大きく広がることになり、初心者を対象に平易な表記を心がけた雑誌が登場するなど、パソコン雑誌の最盛期を迎える。

またWindows 95によって、それまでより手軽にネットへの接続ができるようになったことにより、パソコン通信情報誌『月刊パソコン通信』(エーアイ出版)、『 Networker Magazine』→『Networks』(アスキー)、『 ネットピア』(学習研究社)や、インターネット情報誌『Internet Magazine』(インプレス)、『OPENDOORS』(朝日新聞社)などが創刊された。雑誌の付録も、フロッピーディスクから容量の多いCD-ROMに変わった。

衰退期[編集]

パソコン雑誌は、いちはやくインターネットを誌面で取り上げていたが、皮肉にもそのインターネットの普及により、パソコンに関する情報を得る手段はパソコン雑誌からインターネットに取って変わられることになった。雑誌に載るような情報の多くがインターネット上でより早く無料で入手できるようになり、パソコン雑誌の役割は一部の読者向けを除きほとんど失われたと言える。 その結果、ただでさえ不況による雑誌の売上げが激減している中で、多くのパソコン雑誌はますます読者を減らすことになった。

また、不況の影響により企業からの広告の出稿が減り、読者が減ることでさらに広告が減るという悪循環も生じた。 パソコン雑誌に限らず、多くの雑誌は雑誌そのものによる売上げと企業からの広告出稿によって利益を得ているため、この状況下では経営が成り立たず、多くのパソコン雑誌が休刊に追い込まれることとなった。もっとも、これはパソコン雑誌に限らず、出版不況と言われる状況で他分野の雑誌にも言えることである。

この他、雑誌巻末部分などに積極的に広告を出していたパソコンショップが規模の大小問わず大型家電量販店による淘汰に呑まれ、業界自体のレガシービジネス化が進んだ事による広告料収入の激減も衰退原因の一つに挙げられる。

また、ブロードバンド時代の到来により、付録CD-ROMによるソフトウェアの配布についても、時間やコストを掛けずに入手可能となったことにより、ナローバンド時代ほどの需要を見いだせなくなり、衰退に拍車を掛けた。

Windows95登場の頃から激増した「パソコンマニアでは無い普通のパソコン利用者」が消費者層に大きく食い込んできた事により、読者に占めるエンドユーザーの割合が激増し、プログラミング中心の雑誌も存在が埋没、やがて出版社から見切られて休刊・廃刊が相次いだ。

また、ゲームソフト関連のマニア、いわゆるゲーマー傾向の強い読者層のパソコン雑誌離れも早い時期に起こった。パソコンOSのGUI化が普及するよりも早く、家庭用ゲーム機は飛躍的に性能や機能が向上した。ゲームソフトのクォリティは、パソコンのものよりも、いわゆるコンシューマ・ゲーム機の方が高くなり、ゲーム雑誌と呼ばれる雑誌が続々と創刊された。ゲームの話題は必ずしもパソコン雑誌の売り上げを稼ぐ要素では無くなり、ゲームソフト業界地図の再編がもたらした開発規模の大型化・ゲームソフトの大作化で新作の登場サイクルも伸び、必然的に商品数の少なくなったソフトを何度も記事に採り上げる事で、ただでさえ少なくなっていたパソコンゲーマー読者を飽きさせ易い状況が自然形成されてしまった面もある。

これらの状況のため、パソコン雑誌を中心とする出版社は経営難となり、エクスメディアなどのように経営破綻や、アスキー・メディアワークスのように救済合併が進んでいる。

雑誌における傾向[編集]

Windows 95の発売により、パソコンは一般家庭に広がり、パソコン雑誌は、内容、読者とも、多様な広がりを見せるようになった。いわゆる初心者向け、オフィスワークを念頭においたMS-Officeの特集を中心としたもの、ソフトウェア開発者向けにプログラミングのノウハウを中心としたもの、システム構築を扱ったもの、新発売のハード・ソフトをいち早く紹介してそれらを読者が購入する際の情報源となるもの、果てはオンラインソフトウェアを大量に収録して購買に結びつけるものもある。また、扱うOSもWindowsから、MacintoshLinuxなど、Windowsでもコンシューマー向けのバージョンから企業向けのサーバ用バージョンのものまで、利用者のニーズにあった雑誌が作られてきた。また、一部雑誌は各種ソフトウェアを収録したCD-ROM、あるいはDVD-ROMをつける雑誌もあり、これが読者の購買意欲を煽ると共に、ソフトウェアの流通を促してきた。ただし、雑誌に固い不燃物のメディアが付属することによって、手に持ちにくい、捨てるのが面倒などの苦情もあった。

誌名の傾向[編集]

黎明期の4誌は全て専門用語からネーミングされ、発展期には、○○FAN・○○Magazine・○○USER(○○は機種・OS名)という誌名が主流であった。しかしWindows95の発売以降はWindowsのみを扱う雑誌が多くなったため、従来の命名方法にとらわれない独自の誌名をつけることが多い。

雑誌とハードウェア、ソフトウェア企業[編集]

雑誌の多くは、ハードウェア、ソフトウェアの新製品の評価、特集コーナーを持つ。雑誌によっては商品の名称や型番、仕様やスペックといった客観的事実を確認するために原稿を開発元、販売元に事前に見せることがあるが、広告との関係も相俟って、辛口の評価をだせない雑誌もある。これに関しては「パソコン批評」という雑誌が広告を取らず、評価対象となる製品も全て購入して評価するなどしてきたが、結局これも志半ばで倒れている。また、前出のように、癒着が指摘される場面も少なからずあり、あからさまな場合は「提灯記事」などと揶揄される場合もある。

このように、パソコン雑誌における評価記事は鵜呑みに出来ない側面もあるが、これらのコーナーが製品の紹介を兼ねていることもあわせて、今後とも、雑誌と企業だけでなく、利用者(消費者)もあわせた、良好な関係を目指していく必要もある。

速報性、情報量[編集]

インターネットの普及により、雑誌や新聞などの既存の媒体は、速報性が徐々にインターネット上のニュースサイトに奪われるようになった。IT業界に関しても例外でなく、新しい製品発表はIT系ニュースサイトが当日に掲載するのが当たり前になった。当然のことながら、既存の雑誌は既にその情報が十分出回った後での書店での販売となり、記事の新規性がどんどんと弱まることになっていった。また、情報量に関しても、無限大ともいえるリソースを持つネット上のニュースサイトには太刀打ちできなくなりつつある。各雑誌は次なる展開を模索しているが、総じて明確な打開策が打てていないのが現状のようである。

関連項目[編集]