パイワン族

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パイワン、あるいはパイユァン(排湾族、パイワン語:Payuan、中国語拼音: Páiwān)は台湾南部に住むオーストロネシア語族に属する台湾原住民の一種族。広義にパイワン族と呼ばれるものには、北部より山地のルカイ族と北東部より平地のプユマ族とが含まれ、南部山地に分布するのが狭義のパイワン本族で、その北西部を除けば自らパイワンと称する。ここではルカイとプユマを含むパイワン族について記述していく。

パイワンの人々の石ぶきの屋根の家。1945年以前に日本の人類学者・森丑之助が撮影した、来義社と呼ばれる集落の長の家

人口[編集]

1931年末には全体で8467戸、4万1746人、1942年末には9020戸、4万4627人。1931年の内訳人口はルカイ6339人、プユマ5289人、パイワン本族3万118人であった。2000年の調査ではパイワン本族は7万331人で、台湾原住民の 17.7%にあたり、台湾原住民で三番目に人口の多い民族集団である。言語はパイワン語北京語で話している。

階級の区別[編集]

高砂諸種族の多くでは見られない貴族系統と平民系統との区別がプユマ族で相当明確に現れ、ルカイ族とパイワン本族では一層それが目立つ。後二者ではヘビヒャッポダはしばしば貴族系統と神秘的な関係があると信ぜられ、それを殺傷することは一般に禁忌である。貴族系統の内にも家格の相違があり、首長家はその最高位に立つ。一村一首長、数村一首長、一村数首長などの形があり、パイワン本族では長子相続、ルカイ族では長男相続が行われる。

農耕[編集]

他の高砂族と同じくの栽培が儀礼的にも重視されるが、タロイモの畑地栽培も盛んである。

文化[編集]

この両族は木彫にすぐれ、現在のと類似の文様が彼らに伝わる青銅器、主として剣柄にも見出されるのは注意されるべきだろう。また彼らがなお豊富に持つトンボ玉、いわゆる古代ガラス玉にはインドネシア方面、特にボルネオと共通性が認められる。

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生蕃の歌謡研究者により蒐集された生蕃の歌の一例をここに示す。

パイワン族卑南社の護郷兵・凱旋の歌[1]

とひやあ びぬらぶらお ぴぬりやー ぐたいやんー ぴぬしがー ぐんがんさがぬ びーるの かいばがー ぬかんまの だだるぬ いくすの くやぬーす

(大意: 射撃の音は鈴の様で非常に面白かった 敵の方より来る臭気は心地よく思ったがその首を見ては悲しい思いをした)

祭祀[編集]

收穫祭 (Masalut)[編集]

毎年7月から10月の間に、各村によって行なわれる祭祀である。精霊に感謝し収穫を祝うものであり、パイワン族にとっての年度の区切れとなる。祭祀の内容は、祭師が収穫したアワを倉庫に運び、また来春の播種用のアワを選別し、収穫した農作物を食べる内容となっている。現在では娯楽活動へと転換しており、歌謡コンクールや、射弓試合などが行なわれ、ショー化している。

人神盟約祭 (Maleveq)[編集]

パイワン族最大の祭典であり、五年祭とも称される。伝説ではパイワン族の祖先は神界に向かい女神に祭祀と農業を習うと同時に、五穀豊穣を祈ったものであり、また女神と一定の期間内にアワを焼き、降臨を請う事を盟約したという内容によって執り行われている。人神盟約祭は15日の長きにわたって執り行われ祭師の指示の下、部落の全男性が参加する。

六年祭(五年後祭)(Pusau tavuvu)[編集]

人神盟約祭で降臨した神が5年後に神界に戻ったのち、一部の精霊がなおも地上に留まり、6年目に神界に戻るという伝承にしたがって執り行われる。

著名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 植松 安「記紀名歌鑑賞」(短歌講座・第3巻・名歌鑑賞篇)改造社、1932年、57頁。さらにその引用元は「臺灣教育會編纂発行の書」という。

関連項目[編集]