ハリー・クプファー
ハリー・クプファー | |
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生誕 | 1935年8月12日 |
出身地 |
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死没 | 2019年12月30日(84歳没) |
ジャンル | クラシック音楽演出 |
職業 | オペラ演出家 |
ハリー・クプファー(Harry Kupfer, 1935年8月12日 - 2019年12月30日)は、ドイツのオペラ演出家。
概要[編集]
1950年代に旧東ドイツのライプツィヒで劇場演出を学ぶ。1958年にはハレ・オペラ(現:ザクセン=アンハルト州ハレ)の演出助手となり、ドヴォルザークの「ルサルカ」を演出する。1958年から1962年までメクレンブルク=フォアポンメルン州シュトラールズント、1962年から1966年までカール=マルクス=シュタットで活動。
1967年にはヴァイマル・ドイツ国民劇場の演出家となり、1973年から1980年までゼンパー・オーパー(ドレスデン州立歌劇場)で演出を続ける。
1981年にはベルリン・コーミッシェ・オーパーの首席演出家となり、ここでの活動によりヨーロッパで最も前衛的なオペラ演出家としての評価が定着する。2002年にベルリンを離れるが、同年にはブリテンの「ねじの回転」を演出し話題をさらう。すでに175を超える作品を演出しており、国外でもコペンハーゲン、アムステルダム、ウィーン、ロンドン、サンフランシスコ、モスクワなどで活動している。
バイロイト音楽祭では1978年に「さまよえるオランダ人」、1988年から1992年にダニエル・バレンボイム指揮の「ニーベルングの指環」を演出し、大きな評価を得た。1986年のザルツブルク音楽祭ではクシシュトフ・ペンデレツキの「Die schwarze Maske」を初演している。
ミュージカルの演出にも携わり、1992年にはアン・デア・ウィーン劇場でピア・ドゥーヴェス主演の「エリザベート」を初めて舞台に乗せた。
またクプファーはベルリン芸術アカデミー、ハンブルク自由芸術アカデミーの一員であり、ベルリン芸術大学で教鞭をとり、後進の指導に当たった。
2019年12月30日、長い闘病生活の末に死去した[1]。2019年12月30日(84歳没)。
家族・親族[編集]
夫人は声楽家、音楽教育家のマリアンネ・フィッシャー=クプファー、娘に女優のクリスチアーネ・クプファーがいる。
脚注[編集]
- ^ "オペラ演出家のハリー・クプファーさん死去 84歳 バイロイト「さまよえるオランダ人」". デジタル毎日. 毎日新聞社. 4 January 2020. p. 1. 2020年1月4日閲覧。