ノート:南京事件/過去ログ2

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改名提案[編集]

すでにノート:南京大虐殺#改名提案で議論を行っていますが、正式に改名提案をしたいと思います。
【経緯】
(1)本記事「南京事件 (1937年)」は、前名「南京大虐殺」だった2010年6月7日 (月) 05:02 (UTC)に改名提案がなされ、2010年6月14日 (月) 08:45 (UTC)に現記事名となった。
(2)この時、賛成したのはNakata88氏、PSIA氏だけであり、改名決定まで1週間という短い期間だった。
(3)その後、論争になりやすい記事において性急な決定であったこと、当初の提案の根拠が事実に反すると看做される点があったこと、などの批判が提示された。また、「南京大虐殺」を記事名とした方がより相応しいという意見も提出された。
【提案】
以上の経緯を踏まえ、現記事名「南京事件 (1937年)」を「南京大虐殺」へ改名すること提案します。その根拠は以下の通りです。
(1)Nakata88氏の提案根拠である「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えているので」という記述には、事実に反する。
(2)「南京事件」より「南京大虐殺」の方が認知度が高い。教科書の記述、書誌検索ヒット数ではほぼ同数だが、雑誌記事・学術論文で「南京大虐殺」の方が多用されている。
(3)「南京事件」は曖昧である。「南京事件」という記事名の記事は3つあり、この記事名を用いることは曖昧である。
(4)『広辞苑』(岩波書店)『大辞泉』(JapanKnowledge)『大辞林』(三省堂)など国語辞典の記述でも、『世界大百科事典』(平凡社)の記述では、「南京事件」と「南京大虐殺」は区別して記述されている。
【資料】
■国会図書館OPACで書誌検索、雑誌記事検索、国立情報学研究所の論文データ検索サイトciniiの検索ヒット数は次の通り。
          国会図書館      国立情報学研究所
       書誌検索  雑誌記事検索  cinii
南京事件   67件   214件    219件
南京大虐殺  69件   258件    260件
■教科書の記述では、平成13年前後の教科書の記述
[1]では「南京事件」5件「南京大虐殺」3件。2007年~2008年の歴史教科書の記述の不完全な統計では「南京事件」7件「南京虐殺事件」7件「南京大虐殺」6件。
--ちゃんこなべ 2011年1月30日 (日) 13:55 (UTC)

  • とりあえず、再調査を依頼します。南京大虐殺事件と南京大虐殺を分けて調査してください。また、南京大虐殺ということばを批判している雑誌の文献をその数からの除いてください。前者については、南京事件と南京大虐殺事件と南京大虐殺がそれぞれ違うにもかかわらず、南京大虐殺事件と南京大虐殺の二つが同じにカウントされることから別に調べる必要があると、以前に指摘しました。それにもかかわらず、同じデーターを出してくるというのは問題です。
  • 教科書の採用例では上記のとおり、南京事件が多数であり、これは現在の趨勢だと思われます。これについて論駁するならそのソースをお願いします。
  • 南京大虐殺という言葉は言葉が結論を先に言ってしまっており、論争に対して、中立的な言葉ではありません。この言葉を採用するということは、論争点に対して中立性を破ることを意味しています。それをあえてするほどの利益がある状況ではないと考えます。
  • 以上、より現状では南京事件の方が妥当と考えますが、論議を正確にするために、二つの点についてのソースの再提出をお願いします。Nakata88 2011年1月30日 (日) 16:33 (UTC)
ちゃんこなべ氏の提示した数字資料は、南京大虐殺のノートで指摘され、本人も認めたにもかかわらず、上記では変更の無い数値の改ざんが見られます。自身の主張に突っ込まれ、その説明ができないからと数で何とかしようとする姿勢はいかがなものでしょうか?WKIPEDIAは民主主義の実験場ではありません。議論の放棄、および、このような虚偽資料による提案を呑むことはできません。また改名提案としても正式な手順に則っていません。--PSIA 2011年1月31日 (月) 17:04 (UTC)
  • コメント「南京大虐殺事件」と「南京大虐殺」は同じであることは、ノート:南京大虐殺における「2011年1月16日 (日) 11:48 (UTC) 」でお答えしましたので、そちらをご参照ください。
    なお、私が挙げた資料は、検索結果から導き出される生データですので、それを如何に評価するかは各人の自由となります。何らかの不備があるお思いでしたら、不備であることを立証し、その事をもって合意を得るよう努力するのが筋でしょう。説得力のある意見を出すことを希望します。
    なお、この改名提案はまさしく提案であり、合意に至るプロセスの一つです。建設的な議論を行うことを強く望みます。「議論の放棄」や「虚偽資料による提案」などという非建設的な主張はお控えなさるようにお願い申し上げます。--ちゃんこなべ 2011年2月1日 (火) 12:15 (UTC)
  • ちゃんこなべさん。「「南京大虐殺事件」と「南京大虐殺」は同じであることは」とかかれていますが、違いますよ。あなたの提起した議論は、題名をなににするかの議論です。「南京大虐殺事件」、「南京大虐殺」、「南京事件」それぞれ別の題名です。
  • ちょっと、ちゃんこなべさんは冷静さを失ってる気がします。もう一回、自分のお書きになったものを読み直してみてください。そのような混乱した提案をなされる限り、改名提案を提出されているとはいえません。[南京大虐殺」に題名を提案しているなら、南京大虐殺「事件」を提案しているわけではないということをきちんと理解してください。
  • したがって、両者が含まれる数字は不正です。ちゃんこなべさんの数字にはその処理が必要です。
  • なお、教科書については論拠となる数字が提出されていません。重ねて要求します。Nakata88 2011年2月1日 (火) 14:21 (UTC)
  • 反対 改名提案から来ました。ざっと過去の論争を拝見した上で、今回の改名提案は反対します。なお、議論とは直接関係ないですが、<br>とか*の多用は読みにくいので避けてもらいたいです。Wikipedia:改行時の注意点も参照してください。--TENDERAS 2011年2月1日 (火) 14:33 (UTC)
  • 反対 改名提案に反対します。論争のある主題に対し偏った観点の名前は中立的とは言えません。--はぬまん 2011年2月2日 (水) 12:06 (UTC)
  • コメント 現在の名称で問題ないと考えるが、もう少し議論を尽くしてからの改名でも良かったと思う。以前、「南京事件 (1937年)」にこだわった利用者:Hare-Yukaiが無期限ブロックされた経緯があり、提案者はその点が気になっているのかもしれない。--花蝶風月雪月花警部 2011年2月3日 (木) 01:56 (UTC)
  • 反対 「南京事件 (1937年)」が客観的で分かりやすいでしょう。私がぐぐって探してきた原剛さんのPDF資料では「南京事件」とされており[2][3]、標記的に適切だとの印象を持っています。「虐殺」という語自体が結論を含んだ語(論点先取)ですので適切ではありません。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 04:47 (UTC)賛否変更--TENDERAS 2011年2月3日 (木) 22:39 (UTC)他人の意見を勝手に操作してはこまりますヨ。--大和屋敷 2011年2月4日 (金) 22:19 (UTC)
  • 賛成  「南京大虐殺」への改名に賛成します。
1.記事名は、まず何よりも読者にとって最も曖昧でなく、最も理解しやすいものである必要があります
Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインの冒頭には、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」と書かれています。(「理解しづらくても中立的な名称を選ぶ」というやり方は否定されています。)「大虐殺」より「事件」は曖昧な言い方です。また、南京大虐殺があった年を覚えている人は少なく、「南京事件 (1937年)」とか「1937年の南京事件」と言われて何のことか分かる人がどれだけいるでしょうか? 「南京大虐殺」のほうが「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい」ことは明らかです。
2.大虐殺があったことは学界の定説です
小学館『日本大百科全書』の「南京大虐殺」には以下のように書かれています。「一般市民に対して虐殺・強姦(ごうかん)・略奪・放火と蛮行の限りを尽くし、勝利祭の饗宴(きょうえん)ともいうべきこの蛮行は数週間にわたって繰り広げられた。」、「旧陸軍の正規将校の団体である偕行(かいこう)社が、『南京戦史』(非売品、1989)を公刊して、少なくとも約1万6000名に上る捕虜などの殺害があったことを認めた」、「被虐殺者の数については、中国政府が約30万説をとっているが、日本の国内では、10数万から20万前後とする説、4~5万とする説、1万前後とする説、事件そのものの虚構説などの諸説が存在する。」
平凡社の『世界大百科事典』、『日本史大事典』、岩波書店の『広辞苑』、三省堂『大辞林』JapanKnowledge『大辞泉』、その他ほとんどの事典において、南京大虐殺は歴史的事実として記載されています。
これらのことから、大虐殺があったことは学界の定説であり、虚構説はごく少数の主張であることがわかります。
3.ごく少数の主張を過大視して、学界の定説をひっこめるようなことは中立的な観点に反します
ナチスのホロコーストはなかったと主張する人たちがいるそうですが、そのようなごく少数の声高な主張を過大視して、学界の定説をひっこめるようなことは、中立的な観点に反します。
読者にとってはるかに理解しやすく最も認知度が高い「南京大虐殺」を記事名にしたうえで、虚構説も本文に適切な分量、内容で記述することが、中立的な観点に沿った公平な記述と思います。
4.教科書の表記について
Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意には、「高校や中学校の教科書は権威を保とうとするよりは、政治的な認可に従っています。」と書かれています。今回の場合、教科書の表記はあまり参考にできないと思います。
5.結論を先取りしているという批判について
「南京大虐殺」という記事名になれば、大虐殺があったという前提で書かなければならない、ということはありません。逆に、「大虐殺はなかった」という見解も含めて、記事では「全ての立場がフェアに説明されていなければ」なりません。--Miki08 2011年2月3日 (木) 07:59 (UTC)
  • ナチスのホロコースト否定説は、否定説の主張です。現在の論争の題名として適切かどうかです。Miki08さんは、論点をあえて混乱させてると思います。
  • 教科書はその題名について学説の中立的な状況を反映していると考えられます。多くの論争者が南京大虐殺という言葉を使わないのは、論争の先取りになるという当たり前のことであることなど、適切に状況を議論するには中立的な言葉がいいという判断だと思います。Nakata88 2011年2月4日 (金) 13:51 (UTC)
  • いくらノートとは言え貴殿の演説台ではないのでもう少し冷静にお願いしますよ。素朴に賛成票だけ投じればいいのでは?貴殿の論点の全部に反論・対論が必要なのですか?不要なら演説は控えてください。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 08:09 (UTC)
  • (コメント)まだ、投票ではありませんので、合意に至る努力をすべきと思います。ですので、賛成/反対それぞれの理由を述べていただければ、議論にとって有益だと思いますよ。--ちゃんこなべ 2011年2月3日 (木) 12:40 (UTC)
  • 賛成 一応、一票を入れておきます。なお、中立的ではないという批判については、否定論者が意味づける「南京事件(大虐殺の否定としての)」もありますので、「南京事件」が中立的であるとも言えません。--ちゃんこなべ 2011年2月3日 (木) 12:40 (UTC)
  • あれ、投票ではなかったのですか(汗・・・。「なかった派(まぼろし派)」は「事件などなかった」だと思うのでどうなのでしょう。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 12:49 (UTC)どうも「南京事件」という呼称は「"南京大虐殺"と呼びたくない派」が詭弁を弄して言い替えてごまかそうとしている策謀であるかのような論調[4](P.13)があって、その嫌悪感から反発されてるようであるのですが。1937年12月16日(陥落の3日後)の公電[5]( DjVu必要。C04120275800 で検索可能→[6] )で陸軍省自体が「南京事件」という用語を使っておるわけでして、これは在漢口米国大使が12月13日に在日米国大使あてに通報したメモの引用Recent event at Wuhu and Nanking(蕪湖及南京事件)の訳であり、「蕪湖及南京ニ於テ発生セル事件」とも呼称しております。ティンバーリの初出What War Means: The Japanese Terror in China(1938)や東京裁判と比べても時期的に早く、すくなくとも陸軍省の呼称としては「南京事件」だと思いますのですが。だいたい「虐殺」か「事件」かという論点はきわめて文法的な視点(論点回避か教導命題か)であり、問題設定のレベルが低すぎるというか、なんだか学部生レベルないしはWikipediaレベルにお似合いの低廻した議論で、まともな論者はこんな「結論の見えた」道楽に血道はあげてないんじゃないですかねえ。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 13:59 (UTC)
賛成 南京事件 (1937年)は中立的で無味乾燥です。南京大虐殺という表現は「悪の支那中共帝国による卑劣な反日捏造プロパガンダ」という印象が感じ取れるので、日本国民の危機意識を高められる良い名前だと思います。--蟻蜂蚣 2011年2月3日 (木) 14:52 (UTC)
コメント中立的記述が必要なウィキペディアで中立的だから駄目というのはかなり問題があります。Nakata88 2011年2月4日 (金) 13:51 (UTC)
賛成 じゃあぼくも賛成で。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 15:07 (UTC)勝手に反対票をdelされていたのが不満なのでやっぱり取り消しました。--大和屋敷 2011年2月4日 (金) 22:17 (UTC)
コメント大和屋敷さんが賛否変更ということで、今のところ賛成4反対2ですね。反対の立場から意見を追記しますが、仮に「南京大虐殺」の記事名になったとしても、現状として「南京事件」という表記もおおくなされている現状には配慮すべきかと思います。改名前では、名称の表記で意見があることについてはあまり触れられていませんでしたし。--TENDERAS 2011年2月3日 (木) 22:39 (UTC)

* 反対  なんかいつの間にか投票始まってますが、投票開始って宣言してないので、この投票は有効じゃないと思います。ただ一応反対票いれときますが。 コメント:上でもかきましたが投票を、有効なものにするには、改名の提案内容をしぼって、再度、宣言をしてください。Nakata88 2011年2月4日 (金) 13:51 (UTC)

  • 反対  投票でないということが上記でも確認されているのを見落としてました。すみません。反対理由は、上記で書いたとおり、
  1. 南京事件のほうが、論文でも教科書でも一般的用法である。(教科書で多数派は確認済み、論文でも現在の主流の論文では多数派ではないかと考えられる)。
  2. 南京事件のほうが「南京大虐殺」よりも中立的で、論争の対象の表現として適切である。ということです。
  3. Miki08さんのような議論に答えておくと、実質的には、歴史的事件は、そのことが現在の私たちの行動に反映されるため、正確に見ておく必要があります。特にプロパガンダは有害かつ悪意に基づくものであり、それが現実をゆがめる可能性は排除されなければなりません。南京大虐殺という題名は数々のプロパガンダの色彩を激しく帯びていますから、その題名は適切ではなく、中立的要請を最初からかなぐり捨てていて妥当ではないと思います。
  • とくに、Miki08さんに、言っておきたいのは、ある悪事について責任あるものが贖罪意識をもつことは悪いことではありませんが、「嘘の事実に」「責任がないもの」が、贖罪意識を持つのは悪いことだということです。それは、もっともましなレベルでも、過失による精神的加害であり、多くの場合、精神的物質的故意の加害を伴います。したがって、まず、必要なのは「真実をできるかぎり正確に追求すること」です。Nakata88 2011年2月4日 (金) 14:05 (UTC)
  • OPACで、再調査しました。
  1. 南京大虐殺 69件(内、南京大虐殺を虚偽と批判した本が、10冊含む、また題名では南京事件をつかっているのが数件ある一方で、かなりの数が題名で南京大虐殺を使っていないのにもかかわらず、目次などから検索に引っかかっている)
  2. 南京事件 67件 (笠原十九司. -- 大月書店, 2008.6 、 南京事件の総括 / 田中正明. -- 展転社, 2001.11 南京事件を考える / 藤原彰. -- 大月書店, 1987.8 . 南京「事件」研究の最前線. 平成19年版 / 東中野修道. -- 展転社, 2007.1 天皇の軍隊と南京事件 / 吉田裕. -- 青木書店, 1986.1 )など、ほぼすべての立場の学者が最近の書物ではっきりと「南京事件」を選択している。
  • CINII(国立情報学研究所)の南京大虐殺を採用した論文(260件)は約半数が、「南京大虐殺」という主張に対する批判であり、この事件の題名としてかいているわけではない。また、CINIIでも、南京大虐殺を肯定する側の人が、「南京事件」(南京事件)を使っている例が多数ある(中帰連など)。
  • 以上より、南京事件が題名として妥当だと再確認できました。特に、信頼できる二次資料として最も重要な代表的学者が、その立場にかかわらずほとんど最近の本で南京事件をつかっており、この表現が妥当だということを強く確認できると思います。Nakata88 2011年2月4日 (金) 15:26 (UTC)
  • 反対  ガイドライン「記事名の付け方」において記事名には「認知度」が必要であるが、教科書をはじめ、国会図書館での書誌検索でも「南京事件」が最も多く(上記、提案者の調査結果は虚偽である)、どれを調査しても僅差であり、「南京事件」も「南京大虐殺」もどちらも「認知度」はあると言える。何よりもWIKIPEDIAにおいてすべての前提としなければならない方針の観点から見ると、肯定派・否定派関わらず研究者が使用している用語が「南京事件」であり、方針NPOVとするためには、この用語が適切である。--PSIA 2011年2月4日 (金) 19:31 (UTC)
  • コメント反対であった大和屋敷氏が説明も無く「じゃあぼくも賛成」とはどういうことなのでしょう?「じゃ」という何か納得できる説明があったのでしょうか?まことに残念です。--PSIA 2011年2月4日 (金) 19:42 (UTC)

提案者には強引な姿勢が見られ、この投票も数で何とかしようと正式なルールに則らずに始めたものです。念のために申しておきますが、改名提案とは数で決めるものではなく、異論が無いかを探るためのシステムであり、異論があった場合は異論者を納得させる「合意」が必要であることを申しておきます。--PSIA 2011年2月4日 (金) 20:33 (UTC)

  • なんだかぼくの反対票を勝手に取り消していたひとがいましたので修正しました。コメントの改竄は注意してください。ぼくは反対票を投じた後で蟻蜂蚣さんのこの[7]投稿に対して賛意を表したものですのでよろしくお願いします。--大和屋敷 2011年2月4日 (金) 22:28 (UTC)
  • コメント 提案者が強引な姿勢であるかどうかはともかく、今のところ改名提案をしたという意味では私は「反対」の意思表示をしております。提案者の批判をするのであれば別の場所でお願いしたいと思います。さて今のところ、賛成3反対5ということでよろしいか。この現状では改名の合意形成は難しいのではないかと思います。なお特に理由は付しませんでしたが、提案者の理由を4つあげられていますが、反対者としてはどれも根拠にならないと思っています。特に3に関しては、全く意味不明で、多くの論説で「南京事件」が使われているから曖昧な記事でもなんでもないと思います。また4に関しては、それを論拠にするのであれば「南京事件」と「南京大虐殺」を分割すればよいと思います。--TENDERAS 2011年2月5日 (土) 00:38 (UTC)
  • コメント 提案の是非はともかく、こんな論争のある記事でたいした議論もないまま改名を決めたのは性急でしたね。あとノート:南京大虐殺はどうして移動されていないのでしょうか?原因がよくわからないので、改名した方に説明をお願いしたいです。--Kurz 2011年2月5日 (土) 04:42 (UTC)
    • コメントKurzさんへ、改名者によれば先にページがあったようです。これ。あと改名が性急であったようにも思いますが、不備があったとまでは言えないかなぁと思います。--TENDERAS 2011年2月5日 (土) 06:23 (UTC)
    • コメントKurzさんへ。改名提案をしたものですが、完全にウィキペディアの手順とおりにしています。不備はありません。むしろ、改名提案の直後に、改名提案をすること自体が手続き上問題があります。多くの論争のある記事の場合、一定期間をおいて改名提案をするべきという取り決めがなされています。
    • なお、ノート:南京大虐殺が移動されない理由は、単に使い切るまでその名前でいいだろうという判断だろうと思います。すでにこのノートができているため、継承を示すことで処理されることになると思います。Nakata88 2011年2月5日 (土) 07:22 (UTC)
コメント 手続き論でもめてもあまり意味はないのでそこはおくとして。上の論点のうち中立的な観点(NPOV)の主張についてですが、これはあまり重視しないほうがよいかと思います。この点は英語版の記事名の付け方で触れられていまして(例としてボストン虐殺事件が挙げられています[8])、その理由としては中立性については我々編集者の判断ではなく出典(=世間の判断)に従うべきであることを挙げています。実際、仮にNPOVを主な根拠とするとポリティカル・コレクトネス言葉狩り放送禁止用語のような事態になり読者にとってわかりにくい記事名が氾濫するおそれがありますので、これは妥当な判断かと思います。
あとノート:南京大虐殺については、ではなぜ先にあったんだという話になりますがそこはどうなってるんでしょうね。これでは議論が散漫になるおそれがありますし何よりややこしいことこの上ないので、問題なければ機会を見てノート:南京大虐殺をこのノートの過去ログとしたほうがいいんじゃないでしょうか。--Kurz 2011年2月6日 (日) 09:53 (UTC)
  • 中立性はポリティカルコレクトとは違い、論争における中立性のことです。つまり、信頼できる二次ソースに準拠した中立性を意味しています。その意味でも南京事件のほうが妥当だという意味です。
  • また、この事件の名称として人口に膾炙しているかどうかについても、実際に上記で検証したとおり、事件名称としては南京事件のほうが多くなっています。南京大虐殺ということばはこの事件の見方のひとつに対する名称として用いられていることが現在の状況としては普通です。
  • 南京大虐殺のノートが先にあったのは、この事件の名称を南京事件に変更する前は、南京大虐殺という名称だったから、ノートの題名もそれになっているだけです。なお、南京大虐殺のノートのほうはこちらの過去ログにするのが妥当ですから議論が収束しだい、過去ログにしてリンクを張っておくことになります。Nakata88 2011年2月6日 (日) 17:59 (UTC)
コメント 一般的な名称がどちらかについては、上の議論を追った限りではせいぜいどちらも似たようなものだろうとしか思えませんでした。中立性についてはNakata88さんが先に挙げられた証拠が事実であればそうでしょうが、まだ学界レベルの話のようなので微妙なところかと思いますし、上で述べたように主な論拠にはしにくいでしょう。なお現時点での私の意見としては 中立です。個人的には曖昧さ回避のためにカッコを使うのは避けるべきとの考えなので(1937年)などとつけるのは好まないのですが、まぁこの件のように論争的なテーマにおいて言うことではないですね。--Kurz 2011年2月7日 (月) 12:42 (UTC)
  • ウィキペディアは百科事典です。また信頼できる情報源として合意されているのは学界などの公刊物などです。つまり、ウィキペディアは、辞典として世の中の新しい現象を掲載することも許容してますし、それについては学界などの公刊物は通常ないですから、さまざまな雑誌や署名のあるネットのHPなどもソースになりますが、学界などの公刊物があった場合はそれが上位になるということです。つまり、単純な世間の言葉の多数決をとることをウィキペディアは原則としていません。この記事の場合は、学界でこの事件を述べる場合は、南京事件とされるのが通常ですし、そういう題名にするべきだということになります。グーグルチェックや、CINII(国立情報学研究所)の検索では雑誌記事などがチェックされるので、南京大虐殺という見解についての批判が多く検索され、数では南京事件と拮抗するようになりますが、それらでも多くは確かめていると事件名は、南京事件を使っています。その意味で、教科書、学界論文、学界の主要学者の刊行物でも南京事件ですから南京事件が妥当だということになります。Nakata88 2011年2月8日 (火) 08:48 (UTC)
  • 保留 反対票を投じたいところだが、「南京大虐殺」から「南京事件 (1937年)」への改名も性急かつ強引な面が見られるため、保留。
Kurz氏およびTENDERAS氏へ。[9]および[10]の件に関して、「先にあったページ」とはノート:南京事件 (1937年)(移動以前の過去ログ)(旧名「ノート:南京事件 (1937年)」[11])。過去に作成された「南京事件 (1937年)」が削除された(Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年))際、ノートは削除されずに残っていたため、ノート:南京大虐殺を移動できなかった模様。--花蝶風月雪月花警部 2011年2月7日 (月) 14:51 (UTC)加筆修正--花蝶風月雪月花警部 2011年2月7日 (月) 15:13 (UTC)
  • 強引だと言う批判だと思うので、反論しておきます。南京大虐殺から南京事件への提案手続きは完全に守られています。この手続きが問題だといいうのならわかりますが、強引なやり方など全くありません。
  • なお、強引だというのは、南京事件への名前の変更直後に、このような再度の変更提案をすることのほうがより当てはまります。このような行為は普通、論争になっている記事では頻繁な改名提案となるため、時期をあけることを要求するのが普通です。したがって、この改名提案の議論が終了したら、しばらくは改名提案を双方がしないことが妥当だと思います。Nakata88 2011年2月8日 (火) 08:48 (UTC)
手続き的には問題ないとの主張でしょうか。本項目は大変に論争的なテーマで、名称についても争いがあることが容易に想像がつくにもかかわらず、賛成派だけの意見だけで問題ないとしたのは、形式的にはともかく実質的には強引なきらいがあると言われても仕方ないでしょう。Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年)の経緯を見るとなおさらそう思います。この場合にはコメント依頼に出して意見を募るほうが適切だったでしょうね。また議論不十分&論拠不十分につき再改名提案が出るのも当然でしょうし、せっかく賛成派反対派の両者がそろっているのですからこの機会に十分議論するのが適切ではありませんか。--Kurz 2011年2月9日 (水) 11:06 (UTC)
  • 論争者がいない論争的なテーマなどありません。改名提案は、公示されており論争者が出てこない段階で論争的テーマではなかったのです。また、南京事件はずいぶん前からわたしは論争に携わってますが、その間もふくめてこのテーマについて論争者がいまほどいた時期はありません。その点で、「賛成派だけの意見で問題がないとした」と非難するというのは誹謗に当たります。実際に参加者がいなかっただけなのですから別その意図はありません。
  • また、告知も以下の手順3でなされています。
<<改名提案の告知は、次の手順が推奨されます。>>(Wikipedia:ページの改名
3.さらに、より多くの編集者に知ってもらうために、Wikipedia:改名提案への掲載を行ってください。
  • 十分に論争をするのについては問題がないと思います。しかし、改名提案の仕組みを問題にするのではなく、手続きを踏んだ人間に批判を向ける行為は合理的批判ではありません。その点については、Kurzさんに撤回を求めます。Nakata88 2011年2月9日 (水) 12:10 (UTC)
  • Kurzさんの意見(「本項目は大変に論争的なテーマで、名称についても争いがあることが容易に想像がつくにもかかわらず、賛成派だけの意見だけで問題ないとしたのは、形式的にはともかく実質的には強引なきらいがあると言われても仕方ないでしょう。」)に賛成します。--Miki08 2011年2月10日 (木) 04:06 (UTC)
  • Miki08さん。賛成派だけの意見だけで問題ないとしたのではなく、改名を公示して議論を募ったのにもかかわらず、反対派がいなかったのです。だから、当然改名提案はとうります。したがって、「形式的にはともかく実質的には強引なきらいがある」というのは誹謗に当たります。以後、繰り返さないでください。
  • なお、改名提案は、いまのように議論参加者が多くても、現状の学界の論文の題名や主要な論者の、この事件を呼ぶときの呼び方が、その立場にかかわらず「南京事件」を使っていることから通ったと思います。Nakata88 2011年2月10日 (木) 18:59 (UTC)

コメント 南京大虐殺は1937年12月から1938年初めにかけての事件なので、「南京事件 (1937年)」という記事名は不正確です。また、Otherusesで曖昧さ回避をおこなっているので、曖昧さ回避ページは不要です。「南京大虐殺」で合意が得られないなら、せめて「南京事件」にすべきではないでしょうか? --Miki08 2011年2月9日 (水) 08:05 (UTC)

  • コメント事件名については、南京事件 (1927年)と区別するために必要なので1937年と書かれています。また、事件名は一般に発生した時の年月日を使うのが通例となっていますので、「南京事件 (1937年)」が妥当ではないかとおもいます。Nakata88 2011年2月9日 (水) 08:45 (UTC)
  • (提案)「南京事件 (南京大虐殺)」への改名を提案します
(理由)括弧の中を年にする必要はなく、読者が一番見分けやすい語にするとともに、一種の併記によって改名論争を解決しようとするものです。--Miki08 2011年2月10日 (木) 04:06 (UTC)
  • コメント「虐殺」という語自体が結論を含んだ語(論点先取)ですので適切ではありません。日本軍は当時からこの一件について「南京事件」と呼称しており、後日裁判として取上げられて以降の呼称である「南京(における)虐殺(事件裁判)」とは区別すべきものです[12]。最大の問題は「南京大虐殺」とすべきだとするWikipedianから客観的で検討するに足る資料が提示されていないまま、【なんとはなく「虐殺」のほうが良かろう】的議論が進められていることです。ちゃんと「虐殺」と表記したほうが適切である、と検討できる資料を【探してきて】提示してください。--大和屋敷 2011年2月10日 (木) 04:27 (UTC)だいたい、そもそも「南京大虐殺」なる字句の初出はどこなのですか?せめてそれくらい調査してほしいものです。初出すら分からないのであれば、いったい「南京大虐殺」なる字句をラベルに使用して何が書けるというのだろうか。--大和屋敷 2011年2月10日 (木) 04:33 (UTC)
  • 反対 定義文で『南京事件』『南京大虐殺』双方がしっかり触れられており、現状でわざわざ項目名を変える必要が見いだせない。--彩華1226 2011年2月10日 (木) 15:02 (UTC)
  • 反対  併記しても論点先取でるという批判はあたります。また、事件名を併記して述べた論文などの文献は全く見当たらないなど信頼できる情報源による根拠がありません。Nakata88 2011年2月10日 (木) 16:18 (UTC)
コメント Nakata88氏は既に反対票を入れている([13])。--花蝶風月雪月花警部 2011年2月11日 (金) 02:47 (UTC)
コメント 論点先取って・・・。私の説明は聞いてもらえなかったみたいですね。とりあえず申し上げておきますが、Wikipedia:記事名の付け方に沿って議論してくださいね。--Kurz 2011年2月11日 (金) 03:40 (UTC)
  • Kurzさん。わたしに対して、改名提案を手順に沿って提起したにもかかわらず、「賛成派だけの意見だけで問題ないとしたのは、形式的にはともかく実質的には強引なきらいがあると言われても仕方ないでしょう。」と書かれた点について、撤回を求めます。論点先取に関しては一般的な批判ですが、この点に関しては完全に誹謗です。Nakata88 2011年2月11日 (金) 07:54 (UTC)
  • コメント論点先取かどうかについては、「南京大虐殺」という言葉が一般的でなく、その観念を広めようとする何らかの少数派が「虐殺ありき」で語っているのであれば、そう言えるでしょうが、すでに否定派もその名辞に対して否定的な意味合いを含ませているにせよ、いわゆる「南京大虐殺」という形で本事件に言及しているのであり、「虐殺があったかないか」の論点を越えてとりあえず事件の通称として成立している観があります。したがって、「南京大虐殺」という名称にすると論点先取が成り立って不適切というのは、論理的には言えなくはないとしても、実際上そう解釈するには無理があるでしょう。上で提示された統計データで、肯定派・否定派ともに「南京大虐殺」という名辞を取り上げていること、その言及数が拮抗していることがそれを裏づけていると見えます。そのうえで、データ上は現状「南京事件」と「南京大虐殺」の数は拮抗しているように見えますので、「南京大虐殺」のほうが一般的であるという主張は苦しく、現状「南京大虐殺」に改名すべき積極的な根拠はないんじゃないかなぁと私は思います。以前の改名措置が手続き的に問題であったかなかったかという争点は残るとしても、「手続きは少し不備があったが結果的にそれでよかった」という場合もあるので、それは今回改名すべき根拠としてはやはり材料として弱いと思うのです。--Kanbun 2011年2月11日 (金) 04:52 (UTC)
  • 反対  「大虐殺」だけが「南京事件」ではありません。それ以外の側面も大きいので、「南京大虐殺」への改名は明確に反対します。◆ただし「(1937年)」が不正確であるという理由での「南京事件 (1937-1038年)」への改名には賛成できます。◆また南京攻略戦のように子記事として「虐殺」に焦点を絞った南京大虐殺を新たに立項することには反対しません。--miya 2011年2月12日 (土) 00:09 (UTC)
コメント南京攻略戦に際して起こった日本軍による南京市民虐殺(疑惑)事件を「南京事件」とか「南京大虐殺」というので、「大虐殺」だけが「南京事件」でなく、それ以外の側面が「大きい」というのはちょっと私の理解と異なるので、よくわからないです。もしかすると、議論の打開点になるかもしれませんから、よろしければ詳しくお聞かせ下さい。南京大虐殺で記事を立てるというのも一瞬アリかなと思ったのですが、「南京大虐殺」が1937年の「南京事件」を指すのならば、同じ事件に対して複数の観点での記事を併記することになり、そのこと自体は直接的には問題とすべきほどでもないのかもしれませんが、現在は統合された史的イエスナザレのイエスの事例のごとく、記事内容とその議論が分散し、ほぼ同内容が独立して併存する事態になりはしないかと思います。私自身は改名に反対で、(必要があれば)南京大虐殺記事を新たに作ってもよいという立場なのですが、立項に際してはそこらへんを少し詰めないと同様の混乱が起こる気がします。安易に現在の記事とは別観点の南京大虐殺記事の作成を推奨しているとも受け取られ、虐殺肯定派と否定派で記事を分け合いましょうという提案をしているとも取られかねない気がします。私はあくまで今回の件は、同じ事件に対する別観点の別記事が複数あるより、一つの記事に複数の観点が併記されているほうが中立的であると思いますし、無用な議論の分散が起こることもないと思うのです。念のため私が言っているのは、一般化して、同じ事柄に対する複数の別観点記事がいけないという意味ではないということは述べておきたいと思います。うまく伝わりますでしょうか。--Kanbun 2011年2月12日 (土) 03:44 (UTC)
コメント 日本語版の今の記事は虐殺を中心に組み立てられていて時系列順に解説されていないので、予備知識のない読者には事件がどんな経緯をたどったかわかりにくくなっています。また東京裁判の法廷で南京事件の実態が明らかになるにつれて日本人が大変な衝撃を受けたはずなのですが、今の記事ではその点は軽くしか触れられていません。私は読者として、まず時系列順に事件を把握したいと感じますし、東京裁判でどのように南京事件が取り上げられていったかも可能ならば詳しく知りたいです。現在は
名称→論争→事件の概要→戦争裁判→南京入城までの状況→中支那方面軍の編成
となっていますが、事件の全貌を把握するためには
事件の背景→南京入城までの状況(+軍の編成)→南京攻略戦→「虐殺」→その後
とした方がわかりやすいと思います。一方「南京大虐殺」では
名称→事件の概要→「虐殺」とされた内容と報道→東京裁判による情報公開と弁護団の抗弁
という構成で解説すれば「事件」と「大虐殺」と「論争」の記事が並立可能なのではないか考えています。--miya 2011年2月12日 (土) 17:30 (UTC)
コメント南京事件と南京大虐殺論争は対象が、事件と論争であるというはっきりとした区分ができますが、南京大虐殺と南京事件は同一の歴史的事象を示めすことを意図していると考えられるため、重複してしまいます。したがって、並立はできないことになります。時系列の整理は、南京事件の記事の編集でその項目を入れられたらいいのではないでしょうか。Nakata88 2011年2月12日 (土) 18:08 (UTC)
  • 反対 miyaさんと同様の理由及び記事タイトルに引きずられて記事の内容について中立的な観点を保てなくなる危険性が高いため改名に反対します。ただし、「虐殺」及びその後の論争に焦点を絞った記事「南京大虐殺」を立てることについては反対しません。--Himetv 2011年2月12日 (土) 00:28 (UTC)
コメント論争に焦点をしぼった記事は「南京大虐殺論争」という記事がすでにあります。--Kanbun 2011年2月12日 (土) 03:50 (UTC)

報告 本件に関連してWikipedia:コメント依頼/Kurz 20110212を提出しました。--Kurz 2011年2月13日 (日) 02:51 (UTC)

  • コメント 南京大虐殺への改名提案については、賛成3反対8という現状でよろしいでしょうか?なお、miya氏やHimetv氏の意見については、改名提案が終結した後、議論する余地はあると個人的には感じています。なお、Miki08氏提案の南京事件 (南京大虐殺)への改名提案は、南京大虐殺の改名提案中の異質な提案であり、また記事名に即しているとは言い難いです。--TENDERAS 2011年2月14日 (月) 00:47 (UTC)
コメント 教科書や文献検索では拮抗しているような結果が出ますが、百科事典、xx事典、辞書では、たいてい「南京大虐殺」に解説が記載されています。
小学館『日本大百科全書』の南京事件南京大虐殺、三省堂『大辞林』の南京事件南京大虐殺、JapanKnowledge『大辞泉』の南京事件南京大虐殺 をそれぞれ比べてください。
平凡社の『世界大百科事典』では、1981年版では「南京事件」の(2)に記載されていましたが、2006年改訂版では「南京大虐殺」に記載されています。広辞苑(第六版)、平凡社『日本史大事典』でも「南京大虐殺」に記載されています。
これらの出典から、現実社会では日本軍の南京占領にともなう残虐事件は「南京大虐殺」で通っており、「南京事件」は他の事件を指すことが多いことがわかります。
また、「南京大虐殺」は虐殺だけでなく暴行・放火・略奪等も含んだ呼称であることがわかります。論点先取や中立的でないという批判については、2月3日に反論済みですので、そちらもあわせてご覧ください。--Miki08 2011年2月15日 (火) 06:23 (UTC)
①論点先取について【「南京【事件】」という記事名になれば、大虐殺があったという前提で書【いてはならない】、ということはありません。逆に、「大虐殺は【あった】」という見解も含めて、記事では「全ての立場がフェアに説明されていなければ」なりません】(引用元)のように置換すれば、Miki08さんの論証は「大虐殺」が論点先取であるか論点先取でないかとは無関係な、単に記事の編集方針についての言説であり、検討命題「虐殺という語が論点先取である」に回答していない(これもまた論点回避型の言説)ことが分かります。つまり回答できていません。虐殺という語は結論を含んだ語であり「論点回避」となります(「恐慌」「混乱」「工作」「謀略」などと同様)②現実には多くの書籍で「南京大虐殺」をTitleとして叙述したものが存在しています。③「南京大虐殺」という語はウィキペディアによれば本多勝一「中国の旅」が初出、とのことですが検証されていません④仮に本多のエッセイが初出だとして、「南京事件」は陸軍省の通報にも見られる歴史的用語であり、どちらを採用するかは検討する意義がある。⑤むろん「南京事件」とtitleした研究報告や書籍、歴史教科書も多く存在しています。--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 07:08 (UTC)
大和屋敷氏へ。たとえ「南京大虐殺」というタイトルでも「論点先取」も「論点回避」も成り立たないのは以前の記事で複数の論点が現に記載されていることから明らかであり、これについてここで問題にする意義はないと私は思います。虐殺の事実がなかったというのは少数派なのですから、たとえば「南京大虐殺」から「大」の字を落として「南京虐殺事件」にすれば論点先取とか論点回避とかいう問題は実際的にほとんど問題にする価値もなくなってしまうことからもわかると思います。通称として「南京大虐殺」という言葉は多用されているのはデータが裏づけるところであり、現実に論争自体は成り立っているのですから、それが「論点先取」とか「論点回避」というのは苦しいでしょう。事件がなかった派、つまりいわゆるマボロシ派からするとそりゃ論点先取でしょうが、その意見を全面的に汲むことが中立的とは思えません。だから私には「南京大虐殺」というタイトルにすると「論点先取」だとか「論点回避」だとかいう主張には全く賛成できません。--Kanbun 2011年2月15日 (火) 14:20 (UTC)
「虐殺」という語そのものに結論を含んでいる点を指摘しております。1名をむごたらしい方法で殺害することでも「虐殺」にあたりますので人数はこのさい関係ありません(参考「虐殺」[14])。むろん「合法」「不法」の観点も関係ありません。連続殺人犯が正当に裁判の判決をうけ、その結果として凌遅刑で処刑されたばあい、それを「刑の執行」とよぶか「残虐刑」と呼ぶかの差、といったっ程度の言語上の観点によるものです。--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 15:44 (UTC))【「①南京における大量殺害事件」なとは余計な結論を含まない比較的適切な語のひとつです。これに「②南京におけるむごたらしい大量殺害事件」としたものが「南京大虐殺」となります。本来は①でよろしいのですが「大量殺害」という表記もまた結論を含んだ語(論点回避)となります。】以上傍論--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 16:20 (UTC)いずれにせよ「論点回避」との観点はひとつの提示であり、信頼できる引用元で確認できそうなタイトル案は「南京事件」「南京暴行事件」「南京虐殺(事件)」「南京大虐殺(事件)」あたりのようですが、「南京大虐殺」は本多が初出らしいという未確認情報だけが提出されているだけで正確な情報がよくわかりません。この語が本多のエッセイが初出であるなら冒頭定義が「南京大虐殺とは、ジャーナリスト本多勝一が「中国の旅」(197?年?)において、1937年に発生したとされる南京事件に関するルポルタージュを作成したさいに創作された用語であり、これ以降の南京事件を呼称するさいにしばしば用いられることになった術語である」となってしまいます。これではあんまりだ(以上・編集競合のためあとから追加<(_ _)>)。--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 16:20 (UTC)
冒頭文を「南京大虐殺とは、ジャーナリスト本多勝一が「中国の旅」(197?年?)において、1937年に発生したとされる南京事件に関するルポルタージュを作成したさいに創作された用語であり、これ以降の南京事件を呼称するさいにしばしば用いられることになった術語である」にしなくてはいけないというのは変な論理です。「南京大虐殺」も「南京事件」もある事件を指す術語あるいは用語であって、どちらも創作されたものであるという次元では全く一緒です。同じ論法でいったら「南京事件」の冒頭文も「南京事件は、~陸軍によって採用された用語である。」となってしまいます。私たちは「南京大虐殺」とか「南京事件」の用語についての記事について議論しているのではなく、その用語の指す事件の記事名をどの用語にするかという議論をしているのですよ。--Kanbun 2011年2月15日 (火) 16:26 (UTC)
「南京事件」の冒頭文が「南京事件は、日中戦争支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の投降した便衣兵、一般市民などを殺したとされる事件、【あるいはそれにともなう市民・外国人の恐慌に対する呼称で、当時の日本陸軍によって採用された用語である。】」は語の事実関係が非常に明晰に記述されたよい書き出しだと考えますが。--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 16:46 (UTC)
この記事は用語についての記事ではなくて、事件についての記事であると私は認識していましたが。用語の説明であれば明らかに字引き的なものですし、その冒頭文を採用すべきというのであれば、方針にも反するので明確に「南京事件 (1937年)」の記事名は不適切です。この記事は陸軍の特定の用語についての記事ではありません。--Kanbun 2011年2月15日 (火) 17:21 (UTC)
私が言いたいのは「虐殺」という語が何かしらの語感を持っていたとしても、論争自体の方向性をそれが何らかの方向へとしているわけではないようですので「論点先取」とか「論点回避」には当たらないであろうし、実際の論争の場でそれを指摘するのは有意義でしょうが、ウィキペディアの議論の場でそれを問題にしても始まらないと言っているのです。また検証可能な形で「南京大虐殺」という名称を採用している文献が多いことはそれだけで「南京大虐殺」には支持すべき何らかの利点があることは示唆しますから、たとえ「論点先取」が成り立つとしてもおそらくそれはこの議論の争点にはなり得ないと私は思うのです。ただ私自身は現状「南京大虐殺」という記事名にすることに積極的な利点を見いだせないので、「南京事件 (1937年)」という記事名をとりあえず支持しますが、実際「虐殺」という言葉を入れて論じている検証可能な文献群は、それによって論点が封じ込められているわけではないのですから「論点先取」とか「論点回避」とか説得力のない話でこれ以上議論を進めるのはよくないのではないでしょうか。改名賛成派の人もそういう強引な議論展開では納得しないでしょう。--Kanbun 2011年2月15日 (火) 16:03 (UTC)
つまり「南京事件」を支持するであろうデータは67件+214件+219件の500件、「南京大虐殺」を支持するであろうデータが69件+258件+260件の577件あって、あくまでデータ上はわずかに「南京大虐殺」が上回っているように見えます。数の上だけで話をしてしまえば、「南京大虐殺」という語はかなり定着している事実はおそらく認められうると思います。数の上ではどちらをとっても大して違いがないといえますから、どちらかを選択するということはどちらかのメジャーな観点を捨てることになります。記事名の問題とはいえ、中立的な観点から考えると、ここでどちらを取るかは案外大きな問題ではないかと思います。もし「南京大虐殺」が「論点先取」だからという議論が成り立つならば、逆に「南京事件」という言葉はこの事件の負ってきた歴史的経緯やこの事件を巡る論争史にあまりに無頓着すぎる名前とも言えましょう。「南京事件」という言葉が歴史的用語としてその価値があるというなら、やはり「南京大虐殺」という言葉にも歴史的用語としての価値は十分にあると思います。どちらかの用語が一方的にだめだという議論ではなくて、双方の用語の利点・欠点を洗い出した上で、もう少し建設的な議論をすべきではないでしょうか。私がmiyaさんの提案を悪くないと思うのも、その案では曲がりなりにも双方の観点が保存されそうな気がするからです。私には現状「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」のどちらも十分妥当で正しい記事名のように思われ、単純に優劣は付けがたいのです。--Kanbun 2011年2月15日 (火) 16:18 (UTC)
論点回避をWikipediaで提示しても意味がない、とのご説にはご尤もと思いました。Wikipedia編集上の立ち居地の確認(検証可能性・中立性)という点のみの主張と致します。--大和屋敷 2011年2月15日 (火) 16:23 (UTC)
  • miyaさんの、「南京大虐殺」ということばが中立的ではないという批判は当たらないという反批判については、『「南京大虐殺」という記事名になれば、大虐殺があったという前提で書かなければならない、ということはありません』と書かれていますが、これは反批判ではありません。単なるウィキペディアの記述原則を書いているだけで、中立的な記事名を使わなくていいという理由にはなりません。
  • 実際に、現在、学界の主要な論者が、その立場にかかわらず、「南京事件」を使用し、また教科書でも「南京事件」が多数派になっているのは、「南京大虐殺」と言う言葉が、議論を先取しているということが非常に大きいのだろうと思います。
  • また、利用者:Miki08さんは辞典で「南京大虐殺」という名称が使われていることが多いということから、「大虐殺があったことは学界の定説です 」と、書かれていますが辞典の項目名は、「学界の定説」そのものではありません。むしろ、逆に項目名は、学界の通説をなぞるかたちで名称がつけられるので論理関係が逆です。さらに、定説や名称も変遷していくことは、Miki08さんが辞典の項目名の変遷で上げられているとおりです。
  • Kanbunさんは、『「南京大虐殺」が「論点先取」だからという議論が成り立つならば、逆に「南京事件」という言葉はこの事件の負ってきた歴史的経緯やこの事件を巡る論争史にあまりに無頓着すぎる名前とも言えましょう。』と書かれていますが、論点先取りは論理的な批判です。すなわち、大虐殺があったのかどうかということは議論の対象自体ですから、虐殺はあっても「大虐殺といえるようなものはなかった」という立場にとっては論点先取りになります。
  • それにたいして、『「南京事件」という言葉はこの事件の負ってきた歴史的経緯やこの事件を巡る論争史にあまりに無頓着すぎる名前とも言えましょう』という指摘は完全に主観的です。
  • また、その両者は相互に別々に成り立つか成り立たないかが決められ(決定不能も含めてです)論理関係はありません。
  • したがって、「南京大虐殺」と言う事件名が、最近の主要な論者による論文ではとられていないのも、教科書の採用が「南京事件」が多数を占めるのも論理的には当然だろうと思います。
  • また、南京事件は、主要に議論されてきたのは、民間人の意図的虐殺の有無についてです。これについては、本文でも述べられているとおり、民間人について軍が命じた意図的な大量虐殺はなかったのではないかという立場は、現在、日本側の論者ではほぼ通説的な状況にあります(明確な命令文書の不存在、および、大量の民間人虐殺の証拠がないことによる)。また、南京守備隊の壊乱時の攻防、兵員および捕虜の虐殺の有無については、あっただろうこともあまり争いはありません。むしろ、その、法的な評価のほうが議論の中心だとおもいます。このような、議論状況を考えるとき、Kanbunさんとは逆に、『南京大虐殺』「という言葉はこの事件の負ってきた歴史的経緯やこの事件を巡る論争史」のため、正確な議論のためにはむしろ障害になっているのだというのがこの言葉が使われなくなってきている理由なのだろうと思います。
  • わたしは、南京で兵士が大量に虐殺されたことがあるとすれば(前述のとおり、それはある可能性がかなり高いと思います)、それが非常に問題なのは異論はありません。しかし、この事件全体を考えた場合、なぜ、日本軍が国民党軍と戦争をしていたのか、そして、国民党軍はなぜ、無血開城を拒否したのかなど、正確に考える必要があり、そのことがこのような事態を繰り返さないためには不可欠なのだと思います。ある事態がおきたことを、その場にいた日本軍だけのせいにしていたら、問題はほとんどみえなくなるからです。そうした意味では、この事件の責任を、現場の軍隊だけに押し付けるような表現である「南京大虐殺」というのはまったく、「科学的」に正確な表現ではないとおもいます。なぜなら、日本軍の行動原則は、南京攻防戦の時も、南京占領のときもほぼ同じはずだからです。この戦争を通じて、日中両軍ともお互いに捕虜をほとんどとっていません。したがって、そのような軍人の生命を相互に尊重しない軍隊が、ある局地戦で勝ったときになにをするかは、その軍事行動における軍事的・国際法的な立ち位置によって決定されてしまっているといえます。
  • その意味では、Kanbunさんとは逆に、論争史をしっているからこそ、「南京事件」を使うべきだと思います。それは、このような事件がなぜ起こったのかを正確に考えることが、このようなことが繰り返されないためには、非常に重要であり、「南京大虐殺」という言葉を使っていた時代の論争にはそのような要素が非常にかけているからです(わたしは現在の主要な歴史学者の主要な著作を、それぞれ網羅的に読んでいるわけではありませんが、この事件の論争史はかなり追ったことがあります。)
  • 再言すると、「南京事件」という名称が妥当なのは、1.現在の学界の主要論文で立場に変わらず使われている。2.教科書でも多数派である(教科書は学界の通説に準拠するので学界の論文の動向の結果だと思いますが)、3.事件名としても、前述したとおり、多数派である。という理由からです。これで、ウィキペディアとしては「南京事件」が妥当だということになります。しかし、実質的に議論の流れを見た場合でも、「南京事件」という言葉による事件背景の精密な分析を行うことが、このような事件を繰り返さないために本質的に重要であり、「南京大虐殺」という言葉に伴う論点先取的な決め付けと、そのような議論の歴史を帯びた言葉は、事件を再び起こさないためにはむしろ有害なのだという一般論がこの場合も当てはまると思います。Nakata88 2011年2月15日 (火) 21:39 (UTC)
データ上は「南京大虐殺」も現在の学界の主要論文で立場に変わらず使われています。教科書が学界の通説に準拠するというのは少なくとも歴史教科書に限れば、真ではありません。総じて現在の歴史教科書は1960年代の知見に基づいて記されているものがほとんどです。事件名としては「南京事件」は数の上で多数派ではありません。したがって、Nakata88さんのあげる根拠は何れも根拠薄弱です。また「実質的に議論の流れを見た場合でも、「南京事件」という言葉による事件背景の精密な分析を行うことが、このような事件を繰り返さないために本質的に重要」という言葉は主観的な意見の表明としか見なせず、「実質的に議論の流れを見た場合でも、「南京大虐殺」という言葉による事件背景の精密な分析を行うことが、このような事件を繰り返さないために本質的に重要」ということもできます。「そのような議論の歴史を帯びた言葉は、事件を再び起こさないためにはむしろ有害なのだという一般論がこの場合も当てはまると思います。」は私はそんな一般論聞いたことないので、どこで一般的に論じられているのでしょう。検証可能な文献を挙げて論じていただきたく思います。あるいは「臭い物には蓋をしろ」ということでしょうか。「南京大虐殺」という言葉に伴う論点先取的な決め付けという言葉は実際上論点が成り立っていますから、客観的に論点先取は成り立っていないように思われますから、論じる必要性はないということはもう一度確認していただきたく思います。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 00:38 (UTC)
  • Kanbunさんは、「総じて現在の歴史教科書は1960年代の知見に基づいて記されているものがほとんどです。」とかかれていますが、これはちょっとびっくりです。そもそも、南京大虐殺という言葉がよく使われるようになったのは1970年代の本多勝一の著作からです。また、歴史教科書が非常によく論争対象になり記述内容が変遷した例としては、慰安婦強制連行の記述などかなりあげられると思います。本記述はそのような例の一つでしょう。
  • 歴史的事実をきちんと分析することが、問題を再び起こさないために重要だというのは、言い換えればば真実をしることが重要だということと同じ意味です。これほど一般論として口頭で語られることはないと思いますが?主要な論者がすべて、南京事件を使っているのもそのような立場だからだとわたしは思います。
  • 南京大虐殺における論点先取とは、そもそも、論者の大虐殺とはなにかというところから議論しなければならないはずのものを、それをとばして、結論だけ「大虐殺」があったかなかったかという不毛な議論になってるという意味です。
  • アウシュビッツと同様の行為なのか、戦闘における兵士の生き残りのための利己的な行為なのか、その意味は非常に違います。ゲリラ戦に直面した正規軍がどのような対応をとるかは、南京、ベトナム、イスラエルガザ地区で非常によく似た共通性があります。このような状態に叩き込まれた兵士たちがどう行動をとるかというのは彼らが生き残ろうとすればどのようになるのか。だとすれば、誰が悪いのかは、おのずと見えてくるはずだと思いますが?Nakata88 2011年2月16日 (水) 01:02 (UTC)
「歴史的事実をきちんと分析することが、問題を再び起こさないために重要だというのは、言い換えればば真実をしることが重要だということと同じ意味です。これほど一般論として口頭で語られることはないと思いますが?主要な論者がすべて、南京事件を使っているのもそのような立場だからだとわたしは思います。」→あなたが思ったことを述べても検証不可能です。ただ感傷的に意見を述べるならウィキペディアじゃなくて自分のブログに書けばよいのです。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 03:55 (UTC)
「アウシュビッツと同様の行為なのか、戦闘における兵士の生き残りのための利己的な行為なのか、その意味は非常に違います。ゲリラ戦に直面した正規軍がどのような対応をとるかは、南京、ベトナム、イスラエルガザ地区で非常によく似た共通性があります。このような状態に叩き込まれた兵士たちがどう行動をとるかというのは彼らが生き残ろうとすればどのようになるのか。だとすれば、誰が悪いのかは、おのずと見えてくるはずだと思いますが?」→こういう議論は検証不可能な上に主観に過ぎず、記事内容にも全く関係ないので、どこかよそでやってほしいと思います。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 03:55 (UTC)
  • そもそも、真実を調べるのが歴史の教訓を得るためには重要だというようなことが一般常識ではないと言う発言にびっくりしてます。また、ノートの議論に、いちいち検証可能性を求められても困ります。それは本文に要求されていることですがノートではそこまでの要求はされていません。
  • ゲリラ戦と正規兵の戦闘における遵守すべき原則がなんであるかは、検証不能でも記事に関係ないわけでもなく、これが戦時国際法の主要な問題であること、したがって、南京事件でも日本軍および、国民党軍の責任をどう判定するかという点で繰り返し議論されてきたことであることは、戦時国際法の議論過程や最近の議論でもわかるはずです。南京事件でも当然その点は議論の対象になってます。南京大虐殺論争でも本文でも触れられています。Nakata88 2011年2月16日 (水) 11:21 (UTC)

(改行 1)[編集]

・投稿しずらくなってきましたので小項目で改行。--大和屋敷 2011年2月16日 (水) 01:20 (UTC)

  • ①「大虐殺」という語は結論を含んでおり論点回避である。但しWikipedia編集ルール上ではその点を問うことに意味はない。現実の文献では多く「title:南京大虐殺」で起筆されている。②「南京事件」は1937年12月16日(陥落の3日後)の公電で陸軍省によりすでに使用されている語であることが確認できている③「南京大虐殺」とは本多勝一が197?年に執筆した「中国の旅」のなかで使用したのが初出であるとの検証されていない情報がある。④信頼できる文献では概ね拮抗している。利用頻度にあからさまな差が見られない。学校教科書においてはかつては「南京大虐殺」が圧倒したことがあるが現在は拮抗している。⑤国会では「南京事件」で昭和21年10月9日貴族院第90回議会で発言がある。「南京大虐殺」の初出は昭和46年7月23日の66回参議院外務委員会、「南京虐殺」の初出も昭和46年7月23日の66回参議院外務委員会、「南京暴行(事件)」の発言はなし。使用頻度については帝国議会のものを含め、「南京事件」69「南京大虐殺」100、「南京虐殺」60。ただしこれは質問者(質問・答弁者)の累数であって発語回数ではない。⑥昭和46年というのは1971年でして、本多の「中国の旅」とどちらが早いのでしょうか?⑦Wikipediaではシステムの都合上「記事title」は決定しなければなりません。その記事titleが決定された場合、当然それに関する辞書的なラベル説明がなされます。それが可能であるのに意図的に避けるするのは単なる編集者側の話題(論点)回避になります。記述できるものは適切に記述できます。--大和屋敷 2011年2月16日 (水) 02:06 (UTC)Web上の不確かな情報によれば「中国の旅」は1971年8月から12月まで朝日新聞紙上で連載された、とある。時期的に非常に微妙(7月にはまず本多は執筆していただろう)。あるいは本多以前、西村関一の国会発言(質問)以前にこの語の使用はなかったのか、あったのか。はっきりしない状況です。--大和屋敷 2011年2月16日 (水) 02:16 (UTC)
私が言う字引き的な説明とは方針文書にある用語で、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんで言及される用語です。この記事は事件についての記事であって、その事件についての用語についての記事ではないので、冒頭文に「陸軍の用語である」と加えるのは適切ではありません。また検証可能な範囲で「南京大虐殺」の用語の起源に迫るのはよいとしても、起源がはっきりしないから用語として成り立たないというわけではないので、今回のように記事名をどれにするかという問題ではやはり核心的な話題ではないと思います。問題はその語が先ず流通しているかどうかで、次にその語が中立的であるかどうか、そしてその語を選択することによって生じることが予想されるメリットとデメリットです。もともと「南京大虐殺」で本記事が起筆されていたという事実は現在の記事が少なくとも「南京大虐殺」という用語の指し示す意図に添って発展してきたことを意味していますから、その意味でも「南京事件 (1937年)」に突然変えることはウィキペディアにおけるこの記事の履歴からして適切かという当然の疑問はあるわけです。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 03:41 (UTC)
つまり、この改名議論はそもそも「南京事件 (1937年)」と「南京大虐殺」が同一の事象であり、同一の場で語られうるという前提に立っているのですが、たとえば冒頭文に「陸軍の用語である」とすれば、「南京大虐殺」のほうはそういう用語ではないので、その前提が崩れます。だとすれば、そもそも「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」は同一次元で成り立つ用語ではないので、以前の改名は不適切だったことになります。現在の改名の議論の前提はあくまで「南京事件 (1937年)」と「南京大虐殺」が同じ事件を指し、その意味は交換可能であるということです。そうでなければ、以前の改名は全く不適切であったことになります。「南京事件 (1937年)」と改名することによって、「南京大虐殺」として起筆された本記事の本質が失われるならば、以前の改名は記事の方向性を歪曲する誤った措置であったということになります。私はそうは考えていなかったのですが、Nakata88氏や大和屋敷氏の発言を読んでいると、記事内容について精査した後、この記事とは別に南京大虐殺という記事を用意したほうがよいように思えてきました。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 03:49 (UTC)
私が言っているのはこの記事の冒頭文に「~の用語である」という記述を加えると、この記事は南京事件という事象を陸軍用語を用いて記述した記事だということになってしまうので不適切だとまず申しているのです。「南京事件」という言葉を論者が皆陸軍用語として用いているとは思えませんし、そう記述するとこの記事で「南京大虐殺」という用語は排除されることになります。しかし、元々この記事は「南京大虐殺」として起筆されたのであり、陸軍用語ではなく事件を記述するための記事であることは明白です。改名によって「南京大虐殺」的な内容が失われるのであれば、それは適切な改名であったとは言えないでしょうということを言っているのです。この記事を字引き的にしてはいけないといったのは、この記事は「南京事件」に関する用語の定義を扱うのが第一義的なのではなくて、あくまで本筋は事件の説明で、用語の問題は付随事項ですから、それを冒頭文に載せることはこの記事の趣旨に反するという意味で言っているのです。この記事は用語の定義を解説する記事ではなく、事件を扱っている記事内容のはずです。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 04:42 (UTC)
換言すれば、私が言っているのは記事は単一の話題について明解な定義と解説で始まるべきということです。この記事は事件の記事であって、用語の記事ではありません。事件を扱う上で用語に付随的に触れる必要はあるでしょうが、それは本題ではないので、冒頭文の定義に入れるべきではありません。それを冒頭文に入れてしまうと、この記事は事件と用語という相異なる主たる話題を扱ってしまうことになります。あと私が不用意に使ってしまった字引き的という言葉はたしかにウィキペディアでは「スタブ的」という意味と同義で使われる特殊用語でもありますので、前言は撤回し誤解を避けるためその用語は使わないようにします。字引的の本来の意味は、「そのため、ウィキペディアの目的を誤解し、ことばや表現を取り上げてその定義を書いた記事をたてていく人もいます。ウィキペディアでは、このような記事を「字引的な記事」と呼んでます。」(Wikipedia:ウィキペディアは字引ではない#なにが字引的な記事か)にあるような意味であることは一応確認しておき、私の主張はそういう意味で言っているのだとご理解下さい。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 04:55 (UTC)
事件が東京裁判で扱われたときには南京事件と呼ばれていたのでしょうか?--Sweeper tamonten 2011年2月16日 (水) 06:27 (UTC)
title化できるような形では記述されていないっぽいですね(端的に呼ぶ場合は「訴因四十五」)。起訴状のほうはA級極東国際軍事裁判記録(和文)(NO.1)の28ページにあります(アジ歴[15]レファレンスコード A08071274100 で検索可能。DjVuブラウザ必要)。ただ肝心の文字がニジんでおり精確に読み取れないデスネ。【訴因 第四十五 被告荒木、橋本、畑、平沼、廣田、板垣、賀屋、木戸、松井、武藤、鈴木及ビ梅津ハ千九百三十七年(昭和十二年)十二月十二日及ビ其ノ後引続キ本件訴因第二記載ノ条約ニ違背シテ南京市ヲ攻撃シ且国際法ニ反シテ該住民ヲ鏖殺スルコトヲ日本軍ニ不法ニ命ジ為サシメ且許スコトニ因リ不法ニ目下其ノ氏名及ビ員数不詳ナル数萬ノ中華民国ノ一般人及ビ武装ヲ解除セラレタル軍隊ヲ殺害シ殺戮セリ(※一部旧字体が変換できませんでした※鏖殺:おうさつ:みなごろしにすること)】、判決のほうはレファレンスコード A08071307000 の42-43ページ【...これらの殺人は、日本軍隊に対して、これらの場所を攻撃し、住民を殺害することを不法に命令し、行わせ、許可し、それによつて、一般人と武装解除された軍人を不法に殺害することによつて行われたものとされている。...】。なお←の発掘はあくまでワタクシいちWikipedianによる独自発掘ですので見当違いな箇所を発掘しているなり、全体を理解していない可能性がありますのであくまで参考程度に。この観点について論じた文献がgoogleっただけでは見つからないのでワタクシのポリシーとしてはこれ以上は探索できません。--大和屋敷 2011年2月16日 (水) 16:26 (UTC)
  • そもそも、冒頭の文章に「軍隊用語であるという説明」を入れるかどうかという議論はしていないとおもいます。あくまで「ウィキペディアにおける事件名として適切かどうか」が議論の対象です。その意味でkanbunさんの議論は少しずれてると思います。そもそも冒頭の文章とは誰の文章なのでしょうか?
  • 南京事件と南京大虐殺が同一の「事件」を扱っている(あるいは、扱うべきだ)という、kanbunさんが書かれていることには同意します。それは、名称変更ができるための前提条件です。Nakata88 2011年2月16日 (水) 09:20 (UTC)
冒頭の文章に「軍隊用語であるという説明」を入れるという話は大和屋敷氏の考えです。私はそれについて返事をしているのです。話の流れの確認をお願いします。--Kanbun 2011年2月16日 (水) 09:44 (UTC)
  • よみなおして、確認しました。たしかに、この事件を語る場合、軍隊用語であるかどうかは主要な問題ではないと思います。名称のひとつとして触れておけばいいのではないでしょうか。
  • 南京事件と南京大虐殺という記事の並立は、同一の事件にはひとつの記事名がつけられなければならないという原則から反対します。Nakata88 2011年2月16日 (水) 09:59 (UTC)

コメント南京事件、南京大虐殺、南京大虐殺事件など意見が分かれてるようですが、本質的な問題として南京での事件に「虐殺」という文字を入れるべきかどうかに焦点を絞って議論すべきと考えます。私の意見としては、南京での虐殺についての記事であることは明確なので、現状の「南京事件(1937年)」では「南京虐殺」について取り扱ったものであるかが分かりづらいので反対です。よって一般に広く認知されている「南京大虐殺」(意味は同じなので「事件」が入ってもかまいません)に変更するのが妥当と感じます。細かい経緯は存じ上げませんが、議論参加者が少ないまま僅か1週間で改名提案の審議が果たされたとみなして変更するのは、見方によっては制度の悪用と取られかねませんので、一旦、元の「南京大虐殺」にタイトルを差し戻した上で審議しなおすべきでしょう。--kei 2011年2月17日 (木) 13:11 (UTC)

だからといって、タイトルを「虐殺」から「事件」へ変更したとて、南京での虐殺についての記事であることに変わりがありません。いくつかの点で論争がある旨と、そのページへの誘導が記載されていることで十分でしょう。「大虐殺」という語は一般に広く認知されてる表現なのでこちらを使用するのが妥当でしょう。これは中立性以前の問題と考えます。--kei 2011年2月17日 (木) 15:22 (UTC)
「南京事件」は多くの信頼できる文献において使用されるtitle術語です。「南京大虐殺」は本多勝一が初出らしいというあいまいな初出情報にもとづく1970年代にようやく登場したにすぎない術後であり、語義として結論を含んだ論点回避のtitleであり、またいくつかの論争や批判の多い文献で使用されているtitle用語です。宜しく申し上げます。--大和屋敷 2011年2月17日 (木) 15:40 (UTC)
横から失礼します。国会図書館の検索結果に示されているように、「南京大虐殺」も多くの信頼できる文献で使用されています。
「南京大虐殺」という語が(学界の通説となっている)結論(虐殺)を含んでいるというなら、「南京事件」という語は虐殺を曖昧にしている(見えにくくしている)と言うこともできます。
また、記事名の付け方の基準に 初出が明確であることは含まれていません。ガイドラインには、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」と書かれています。「1937年の南京事件」より「南京大虐殺」のほうが曖昧でなく、はるかに理解しやすいことは明らかです。--Miki08 2011年2月18日 (金) 01:26 (UTC)
【学界の通説となっている結論が「虐殺」である】との説はMiki08さんによる仮定ですので、その仮定にもとづいて結論を得ようとすることが「論点回避」になります。「大虐殺であった」というのは学会の通説なのですか?そこが重要です。Miki08さんの観測ではなく、結論としての信頼できる文献を用意してください。その結論が用意して頂けないので延々と「仮定を前提に結論を得ようとする行為は論点回避である」と申し述べています。「訴因第四十五事件」は「大虐殺であった」が学会の結論なのですか?そうではなく様々な論争が行われているにもかかわらず、結論を含んだTitleを用いれば、それは論点回避になります。誤解があるのは「訴因第四十五事件」は大虐殺であった、とする研究者が「南京大虐殺」とtitleするのは全く問題がない、ということです。ですがその研究者の説が学会の結論なのですか?と問うています。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 05:21 (UTC)勘違いされたくないので記述しておきますが、私は「南京事件」を推す以外に「南京暴虐事件」「THE RAPE OF NANKING」(東京裁判判決-和文・英文)はスジの良いタイトルだとかんがえます。また実際に大量殺害が行われたとし、また東京裁判での事実認定もあったこをとうけて「虐殺」の存在を暗黙の前提として含意した「南京+虐殺(+事件)」もそんなに悪くないと思っています。しかし「南京大虐殺」は初出からして作家のルポルタージュであり素性が悪く、しかもなんで「大」なんですか、というところであからさまな論点回避になっています。(以上は語義そのものの検討であり、あくまでWikipedia編集ルール検討上の傍論であることを明記しておきます)--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 05:39 (UTC)
2月3日のコメントの2.で具体的に述べましたが、1937年12月から翌年1月にかけて南京およびその周辺で日本軍が多数の残虐行為をおこなったというのが学界の通説であることは、ほとんどすべての百科事典やxx事典、辞書において、多数の残虐行為が事実として記述されていることによって検証できます。
記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。ガイドラインにもとづいて記事名を選んだうえで、その記事名に「論点回避」などの問題があれば、信頼できる出典にもとづいて本文中に適切に記載すればよい、というのがウィキペディアの方針です。--Miki08 2011年2月18日 (金) 14:24 (UTC)
浜島書店[16]という問題集などを出版している会社のPDFに中学校歴史教科書における用語の使用状況をまとめたものがありました(2002年版[17],2006年版[18])。ここを見る限り「南京事件」が圧倒していますね。【日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの】が記事の題名であるべきだとの観点について、ご意見がありましたらどうぞ。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 15:14 (UTC)

コメント少し整理させていただきたいんですが、

  1. 前回のタイトル変更は、僅か3名による審議とのことなので一旦、タイトルの差し戻し
  2. 改めてタイトルについての合意形成を図る

という流れで行くのはいかがでしょうか。 他国のwikipediaをいくつか拝見した中では、全て「虐殺」に該当する文字が入ってました。加害国である日本だけが「虐殺」とせず、「事件」とするのはあまりにも問題が多いと感じます。よって早急に一旦、タイトルを差し戻したいと考えます。で、改めてのタイトル案ですが、大和屋敷氏によれば「大」を省いた「南京虐殺」もしくは「南京虐殺事件」ならOKということですが、私の提案の主は「虐殺」の文字で「大」については、今のところ判断を保留と考えてます。Miki08氏は「大」が必須との認識でよろしいでしょうか。--kei 2011年2月18日 (金) 15:41 (UTC)

【前回のタイトル変更は、僅か3名による審議とのことなので一旦、タイトルの差し戻し】などという根拠のない主張は混乱の元ですので、どのWikipedia編集ルールにのっとった提言か明記してください。改名提案と改名は1名でも可能です。びっくりするような提案はやめてください。【大和屋敷氏によれば「南京虐殺」もしくは「南京虐殺事件」ならOKということですが】とありますが、勝手に他人の見解を改竄しないでください。【そんなに悪くないと思っています】と申し上げたのはあくまで【語義そのものの検討であり、..Wikipedia編集ルール検討上の傍論であることを明記】してあります。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 15:56 (UTC)史料の記述や歴史教科書の記述状況、研究論文の状況から見て【日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの】は「南京事件」というtitleだと考えております。「南京大虐殺」がより良いという方の提言をお願いいたします。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 16:02 (UTC)
ああ、そうですか。では少し早急すぎましたね。「勝手に他人の見解を改竄」とされてますが、では「虐殺」の存在を暗黙の前提として含意した「南京+虐殺(+事件)」もそんなに悪くないと思っています。との記載はどういった見解ですか?それと他国では「虐殺」と表現されてるのに対して日本だけが「事件」と表現することに問題は感じませんか。--kei 2011年2月18日 (金) 16:29 (UTC)
Wikipediaは論争する場所ではないので、論点を限定していただけませんか。現在の話題は当記事のtitleが「南京事件 (1937年)」であるが、それは適切か、ということです。他国では「虐殺」と表現されている、というのは貴殿の勝手な和訳による独自研究ですので、何かを申し上げようにも何も申し上げられません。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 16:48 (UTC)またWikipedia自身は引用元の検証可能性を満たす信頼できる情報源とは一般にみなされていないようでして、他国の記事において引用元が明記されていない情報をそのまま引用することはWikipedia編集ルール違反になる可能性があります。慎重によろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 16:53 (UTC)たとえば中文版は「屠殺」であって「虐殺」ではないですね。Wikipediaはシステム上、記事のタイトルは決定しなければなりません。どのようなタイトルが適切か宜しくご検討下さいますようお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 16:55 (UTC)逆にいえば、「南京虐殺事件」のほうが「南京大虐殺」より適切なTitleである、といえる十分に説得的な根拠も必要です。単にWikipedianの好みで「多数決」で極めてよいというのは、いかにも非百科事典的で「民主主義の実験的」な結論の導出になります。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 17:00 (UTC)【傍論】というのは、文字の語感だけをもてあそんであれこれ推敲するのではなく、実際にgoogleなり図書館で文献をあさるなりして具体的で検討するにあたいする文献情報を持ち寄ってくださいよ、ということです。--大和屋敷 2011年2月18日 (金) 17:05 (UTC)

(改行 2)[編集]

一旦、タイトルを巻き戻して、改めて合意形成を図るという提案に賛成します。記事名は「南京大虐殺」のほうが一般的と思いますが、理解しやすさからいって「南京虐殺」でも許容できます。--Miki08 2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC)
「南京虐殺」はまだしも「南京虐殺事件」なんて出鱈目すぎます。「南京虐殺事件」なんて文言が出てくるなんて提案のレベルが低すぎる。--Truesight 2011年2月19日 (土) 03:28 (UTC)
「南京虐殺事件」なんて文言ないと思ったので上のようなコメントを書いたのですが、調べてみたところ、どうも一部であるようでしたので上のコメントは撤回するとともに失礼をお詫び致します。但し、一般的なのは「南京事件」、「南京大虐殺」なのでその他の記事名は支持しません。これは固有名詞なので理解し易さ云々は一切関係なく、より一般的な名称が使用されるべきです。--Truesight 2011年2月19日 (土) 03:38 (UTC)

Truesightさん。「南京虐殺事件」なんて文言が出てくるなんて提案のレベルが低すぎるとのことですが、大和屋敷氏の「「南京+虐殺(+事件)」もそんなに悪くない」とご発言されたのをただ批判されてるだけになってしまうので、もう少しご配慮された書き込みをしていただければと思います。 大和屋敷さん。要点が得れません。上記で記述された通り、「「南京+虐殺(+事件)」もそんなに悪くない」というご発言は、NOという意味ですか?普通に教育を受けたものなら、あの文はYESの意思表示と受け取れます。簡潔にYES or NOでお答えいただくとともに、もしNOであるならば、前回のご発言がなぜNOという意味なのかもご説明願います。あともう少し議論相手を尊重した配慮のある文章にしていただけるとありがたいです。 Miki08さん。同意ありがとうございます。ただ大和屋敷氏のご指摘とおり、一応ルールに則った改題とのことなので差し戻しは無理そうですね。尤も前回の改名の論拠である「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている」との主張は

ちゃんこなべ氏が提示された
国会図書館のOPACでの結果
■「書誌一般検索」のタイトル検索でのヒット数
「南京事件」=67件
「南京大虐殺」=69件
■「雑誌記事索引検索」の論題名検索でのヒット数
「南京事件」=214件
「南京大虐殺」=258件

からも、論理が成立していないように感じます。

他の方法があればお教えいただきたいと思います。 さて、最近の議論参加者4名(私、大和屋敷氏、Miki08、Truesight氏)ともに「南京虐殺」との表現なら認容とのようです(大和屋敷氏の反論後があるかも知れないので確定ではありません)が、こちらで合意形成出来るのであれば先に進めませんか。--kei 2011年2月19日 (土) 05:13 (UTC)

上記書き込み後、Truesight氏が謝罪及び撤回されてるのを確認しました。よってこちらも該当部分を取消させていただきます。--kei 2011年2月19日 (土) 05:17 (UTC)
私は「南京事件」が最も適当と考えています。また、ちゃんこなべ氏の調査結果には疑義が表明されていることをお知らせしておきます。--Truesight 2011年2月19日 (土) 14:08 (UTC)
語の明晰さの視点では「南京事件」「南京暴虐事件」を推奨します。英文の「Recent event at(Wuhu and)Nanking」「THE RAPE OF NANKING」に対応し、前者は事件発生直後の公文からくりかえし使用され、後者は東京裁判という歴史的に重要な一次史料の判決文のタイトルに使用されていることが確認できる非常にスジのよいtitleだと考えます。「南京大虐殺」はいまのところ本多勝一が自身のルポルタージュで使用して以降に知られ定着したらしいという、あまりスジのよろしくない用語であり、なぜ過去の在野研究者や活動家がこの用語を使用したのかよくわからないレベルのはっきりしない語だという印象があります。歴史教科書の点では「南京事件」が圧倒しており、「南京大虐殺」「南京大虐殺事件」「南京虐殺事件」との呼称もあるといった程度のようです。ciniiによる検索では「南京事件」「南京大虐殺」が圧倒しています。以上の観点を総合的に考量して「南京事件」を推します--大和屋敷 2011年2月19日 (土) 19:10 (UTC)「南京虐殺事件」は【外務省・日中歴史共同研究[19]PDF.P.267~270以降】でもちられているtitle用語であり、スジの良し悪しとしては問題がない(wikipediaが使用すべき語の選択としては、かなりスジは良い)と考えます。--大和屋敷 2011年2月19日 (土) 19:26 (UTC)
大和屋敷さんが指摘している点について同意です。("「南京大虐殺」はいまのところ本多勝一が自身のルポルタージュで使用して以降に知られ定着したらしいという、あまりスジのよろしくない用語であり、なぜ過去の在野研究者や活動家がこの用語を使用したのかよくわからないレベルのはっきりしない語だという印象があります。" という点)南京安全区国際委員会が報告した日本軍の問題からすれば南京事件で十分と考えますし、東京裁判でも南京事件として扱われたのではないでしょうか?なお英文では"Rape of Nanking"が主流のようですね。--Sweeper tamonten 2011年2月20日 (日) 04:57 (UTC)

英語の場合定冠詞「THE」が省略されがちなのは何か事情があるのでしょうかね。また英語版Wikipediaのtitleは、何をもってNanking Massacreを選択したのか分からない状態なので困ったものです。「英語版のWikipediaに書いてあるから正しい」と考えがちなのは日本語話者にありがちな誤謬なので注意したいところです。--大和屋敷 2011年2月20日 (日) 05:42 (UTC)

Truesight氏は理由を述べられてないので、お気持ちということですね。では今回の議論には影響しないものと考えさせていただきます。大和屋敷さん。丁寧なご返答有難うございます。では大和屋敷氏、Sweeper tamonten氏にお伺いしたいんですがスジが良くないというのは、どういった意味でしょうか。本多勝一氏が最初に言い出したのかは存じ上げませんが、仮にそうだとしてジャーナリストが命名(と言うほどでもありませんが)したものは品性に欠けるという意味ですか?--kei 2011年2月20日 (日) 16:29 (UTC)

①「本多勝一が「南京の旅」で用いてそれ以降ひろまり定着した」という言説が、そもそも本当かどうか検証できない状態である(なんだかよく分からないあいだになんとなく利用されるようになって、在野の研究者により頻繁に利用されるようになった特殊な用語、というのが実体に近い?少なくともおなじ漢字文化圏である中国では「大屠殺」と呼んでいるらしいので)。②仮に本多勝一の「南京の旅」が初出だとすれば、この事件についての呼称titleを、なぜ日本政府の公文での呼称名詞や東京裁判の判決のtitleをさしおいて、あるいは日中歴史共同研究での呼称をさしおいて利用しなければならないのか、という観点です。--大和屋敷 2011年2月20日 (日) 17:09 (UTC)東京裁判の「訴因第四十五」の英訳中のslaughter the inhabitants は「住人の屠殺(屠:動物や家畜の体を切ってバラバラにする意[20][21])」「住人の虐殺」の意味であり、該当箇所の日本語は「住民ヲ鏖殺」であり「大虐殺」ではありません。--大和屋敷 2011年2月20日 (日) 17:39 (UTC)

コメント議論の推移を見ていましたが、私は「南京大虐殺」にまず差し戻してからもう一度改名提案をするという意見に賛成します。まずこの記事が本来「南京大虐殺」で起筆された経緯を考えますと、記事名によって論点先取が成立する、つまり名称が記事内容を規定するという見方にたった場合、この記事は「南京事件 (1937年)」の観点で書かれた記事ではなくて、「南京大虐殺」の観点で元々書かれていた記事であったのだと認識するに至ったからです。私は今まで「南京事件 (1937年)」と「南京大虐殺」は同一の事件についての交換可能な名称であると思っていたのですが、これまでの議論で大和屋敷氏らから「南京大虐殺」は事件の名称として「南京事件」とは違う解釈を含んでいるという主張が為されていますから、そうだとすれば本来の「南京大虐殺」の記事は「南京事件 (1937年)」と同一の事件を扱ったものではあったのでしょうが、その取り扱い方が異なっており、記事名称として「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」は交換可能ではないのではないかと思い至りました。したがって、本記事はその本来の名称であった「南京大虐殺」に復帰し、そのうえで「南京事件 (1937年)」への改名を議論するか、より事件に焦点を当てた別記事として「南京事件 (1937年)」を立項するかしたほうがよいのではと思います。私には名称を「南京大虐殺」にするか「南京事件 (1937年)」にするかでそんなに極端な意見対立が生じるならば、ウィキペディアの中立な観点というものを考えれば、両方の観点をうまく包摂する解決策を選ぶのが適当と思います。
それと私は「南京大虐殺」という用語の来歴は記事名の決定にあまり関係がないような気がします。「南京大虐殺」という名称はデータ上十分通用している事実があるのですから、来歴を云々するのは記事内容の充実には資するでしょうが、記事名を選ぶ際の判断基準としての優先順位は低いように思われます。Wikipedia:記事名の付け方には「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」ということが書かれているのですから、現在挙げられているデータ上は「南京大虐殺」でも不便を感じないはずなのです。その来歴まで問題にして「南京大虐殺」という名称が異常だという議論は私には理解しがたく、むしろ意図的に「南京大虐殺」を斥けようとする観点が反映されているのではないかと危惧します。そういった観点における偏向を防ぐためにも、本来の記事名にいったん戻し、改名するのか、別記事で「南京事件 (1937年)」にふさわしい記事を作るべきか考えるべきと思います。
議論が「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」、いずれかの観点を排除しようとする方向に進んでいるように私には思われ、そうならないよう大変憂慮しています。そうではなく、まずこの事件が両様に呼ばれるのだという事実を前提にして、両様の見方をなるべく検証可能な形で中立的に保持する決着点を模索すべきではないでしょうか。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 04:12 (UTC)
エッセイ的な主張なので論点がよく分かりません。①「南京大虐殺」に差し戻すべきだ②「南京大虐殺」として起筆されたものであり「南京事件」と改名したことにより内容とタイトルに齟齬が生じている③「南京大虐殺」と「南京事件」の両方を包摂する解決策を選ぶのが適当だ④「南京大虐殺」という語の来歴はタイトル決定にあまり関係が無い⑤「南京大虐殺」で不便を感じないはず⑥むしろ意図的に「南京大虐殺」を斥けようとする観点が反映されているのではと危惧する⑦「南京大虐殺」「南京事件」両様の見方を包括的に表示するtitleであるべきだ、以上の主張で宜しいでしょうか?抜けや誤読ありますでしょうか?--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 04:20 (UTC)
いきなりエッセイ的な主張と言われることは心外であり、大和屋敷氏の議論姿勢を些か疑うのですが、⑦を除いて合っています。私が最後に言っているのは、両方の観点を保持するためにはこの記事の改名に止まらない包括的な対応策が必要なのではないかと申しており、その具体的な対策の一つが「南京事件 (1937年)」と「南京大虐殺」を別記事にしてしまうというやり方です。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 04:27 (UTC)
よく読むと②もややニュアンスが違っていますね。内容とタイトルに齟齬を生じている可能性が高いということ、また大和屋敷氏の主張通りなら、「南京事件」と「南京大虐殺」で記事の発展する方向性が全く異なり、おそらく一方の名称は他方の名称が示唆する観点をかなり失わせる結果になるであろうという意味です。また補足としてWikipedia:記事名の付け方に則れば、ちゃんこなべ氏のデータに基づけば「南京事件」も「南京大虐殺」も記事名としてふさわしいものであると思われます。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 04:32 (UTC)
Wikipediaでは「なんらかのtitleは決定しなければならない」という制約があり、それゆえにわたくしは今回のような一見不毛な編集議論が生じているのだと考えております。何か一つに剪定しなければなりません。そこで選定基準が必要で、過去の議論では①信頼できる情報源でどの程度利用されているか基準②語そのものは何から引用したものであるか基準③語義そのものの解釈基準、が提示されているのではないかと拝察します(②③は大和屋敷提示)。①については拮抗しており、③については「(語義そのものを検討するのは)実際の論争の場でそれを指摘するのは有意義でしょうが、ウィキペディアの議論の場でそれを問題にしても始まらない[22]」ため③についてのWikipedianの主張はあまりアテにしてはいけない、との批判があります。よって現在のところ有力な基準は①および②基準になります。②基準については例示させて頂いておりまして[23]、『南京大虐殺』はスジは悪そうだと申し述べました。ただし①基準においては明白に有力なtitleであることは確認されています。さて、仮に「南京虐殺事件」に決定するにせよ、かならず選定の理由が必要です。「南京大虐殺」と決定するにせよ理由が必要です。十分に説得的な理由がなければ際限のない改名合戦が生じます。--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 04:43 (UTC)
わかりやすく具体例を挙げますと、たとえば現在勝海舟となっている記事を挙げれば、勝安芳という記事名であっても勝海舟という記事名でも、その内容は同じであり、勝海舟という記事名を勝安芳という記事名に変えても記事自体に本質的な変化をもたらさないという意味で交換可能です。この記事も「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」が全く同じ事象を指し示しており、その意味するところも同一であれば、交換可能であるはずです。その場合、記事名の焦点は事件記事に関する限り、まずどっちが通用しているかであって、どっちが本来的な名称であるとかというのはせいぜい副次的な考慮対象に過ぎないはずです。もし「南京大虐殺」という記事名にすると「南京事件 (1937年)」とする場合と違った観点を示唆する、たとえば一方の側から見ると論点先取が成り立つとか、事件の本質を見失わせている、というようなことが主張できるとすれば、そもそも「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」は同一事件を指しているとしても、同一の意味内容を指す言葉ではないことになります。そうすると、そもそも「南京大虐殺」を「南京事件 (1937年)」に改名した前回の改名提案は結果的に不適切であったという見方も十分成り立ちます。私が言いたいのは双方の言い分それぞれに納得できるところがあるのですから、この記事の記事名の差し戻しも含めてよりよい決着の形を、つまりお互いが満足できて検証可能性も保持されて中立性も確保できる、ベストでないまでもベターな決着点を模索すべきだと思うのです。今の議論はどちらかの名称だけを取って一方を顧みないものになってしまっていませんか。
記事名称を一つにすることに困難があるのならば、それはそもそも記事内容に一つのものとしてまとまりきれていない問題点があるとは考えられませんかと私は言っているのです。「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」が同一事件を指し示すとしても、それぞれの意味内容がウィキペディア的に独立で成立可能であれば、記事を分けることが出来ますし、いままでの議論を見ると双方共に説得的な根拠があるのですから、十分可能だと思うのですが。
(「スジが悪そうだ」というのは来歴を問題としているので、私はそれは考慮するに当たらないと思っている旨、すでに申し上げていることは確認して下さいませ。)--Kanbun 2011年2月21日 (月) 05:01 (UTC)
記事の並立提案ですね。たとえば「日本における「南京大虐殺」研究」「日本における「南京事件」研究」「中国における「南京大屠殺」研究」「米国における「THE RAPE OF NANKING」研究」といったtitleを用いれば並立記事化することは可能です。例えばですが。--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 05:05 (UTC)「南京事件(1937年)」を南京大虐殺に差し戻すべき、との趣旨については、2010年6月14日の改名から相当に加筆・修正されており[24]、現在の記事の内容が「title:南京大虐殺」を前提にしたものだ、との主張は難しいでしょう。--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 05:12 (UTC)
私が想定しているのは以前のMiyaさんの提案に則った形です。① 事件そのもの経緯を記す記事としての「南京事件 (1937年)」と②虐殺とされた事象とその後の経緯について焦点を絞った「南京大虐殺」に分ける形がいいのではと今は考えています。改名提案が繰り返されそうとの見方についても、それを見越して改名提案が起きないような決着をはかることが結果的に中立性を確保できる方法ではないのかと私は思っていますが。いまのままではこの改名議論が決着しても、状況次第ですぐに同様の議論は繰り返されてしまう気がします。また最後の加筆・修正の件は、逆に改名後に結果としてそのような大規模な記事改変が成立していること自体が、「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」が意味的に交換可能ではなかったのではないかという疑いを私に抱かせています(もちろん、これは様々な事情が考慮されるので一概に言っているわけではありません)。意味的に交換可能であったならば、修正は最小限で済むはずなのですから。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 05:15 (UTC)
【②虐殺とされた事象とその後の経緯について焦点を絞った「南京大虐殺」】という記事の立項はどうですかね。これはすぐに論争になるとおもいますよ(なぜ「南京大虐殺」であって「南京虐殺事件」ではないのか】。つぎに改名以前の段階の版についてですが、独自研究や要出典状態であまり立派な記事だという印象はありませんので、2010年6月14日以前の版の状態については買いかぶりすぎでしょう。--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 05:25 (UTC)
今までの議論の推移を見ますと、【なぜ「南京大虐殺」であって「南京虐殺事件」ではないのか】は成り立たないと思いますよ。「南京大虐殺」の名称のほうが「南京虐殺事件」より圧倒的に通用していますから。改名以前の版の内容についてはどちらにせよそれが「南京大虐殺」という記事名で立項されていたという事実が私には大事なのであって、その内容を評価しているわけではないですよ。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 05:30 (UTC)
「南京虐殺事件」は外務省・日中歴史共同研究[25]PDF.P.267~270以降に記述された用語であり「圧倒的に通用しています」などという過渡的・現時点的な判断材料のみで決定することは不適切です、と言えますね。「南京暴虐事件」は東京裁判の判決文で使用された用語です。ともいえます。「南京大虐殺」はどうですか?「本多勝一が~」以外に「過渡的・現時点的」ではない説明ができますか?後段部分についてはkanbunさんの個人的な「想い」にすぎませんのでご自身の価値判断の核心を形成している、という主張以上の広がりを認めることは出来ません。最初に立項されたtitleが優先する、との主張であると仮定すれば、すべての項目の改名提案は不可能になります。--大和屋敷 2011年2月21日 (月) 05:40 (UTC)
以前提出されたちゃんこなべ氏のデータに基づけば「南京事件」と同程度かそれ以上に通用しており、大和屋敷氏自身が挙げられた「①信頼できる情報源でどの程度利用されているか基準」において「①については拮抗しており、」「①基準においては明白に有力なtitleであることは確認されています。」と述べていらっしゃる名称です。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 06:42 (UTC)
「最初に立項されたtitleが優先する、との主張であると仮定すれば、すべての項目の改名提案は不可能になります。」については私が勝海舟の記事の例で示した如く、意味的に交換可能であれば改名提案はいくらでも可能ですが、意味的に交換可能でなければ、記事内容とは別の記事名をつけてしまうことになりますから、改名は不適切ですと述べています。一般化して「最初に立項されたtitleが優先する」という話をしているのではありません。--Kanbun 2011年2月21日 (月) 06:45 (UTC)
  • 南京事件と、南京大虐殺の二つの項目を立てることについては、同一の事柄についてひとつの記事名を与えるという原則に反するので反対です。またタイトルからわからない、内部項目の分け方は、読者にとって予測不可能であり、有害です。南京事件で虐殺が起こったのかという問題を議論をするなら、すでに南京大虐殺論争という論争に焦点をしぼった記事名があり、これなら対象が明白に分かれるため妥当だと思います。
  • 南京事件という名称は、現在、教科書で多数が使用している名称であり、かつ、論文で多くの主要な学者がその立場にかかわらず使用していることから、ウィキペディアの信頼できる情報源の基準によれば、特に後者、つまり学界の主要な学者がほぼ、「南京事件」を使用していることからそちらが妥当だということになります。
  • OPACや雑誌記事名では、上でも書きましたが、
  1. 南京大虐殺 69件(内、南京大虐殺を虚偽と批判した本が、10冊含む、また題名では南京事件をつかっているのが数件ある一方で、かなりの数が題名で南京大虐殺を使っていないのにもかかわらず、目次などから検索に引っかかっている)
  2. 南京事件 67件 (笠原十九司. -- 大月書店, 2008.6 、 南京事件の総括 / 田中正明. -- 展転社, 2001.11 南京事件を考える / 藤原彰. -- 大月書店, 1987.8 . 南京「事件」研究の最前線. 平成19年版 / 東中野修道. -- 展転社, 2007.1 天皇の軍隊と南京事件 / 吉田裕. -- 青木書店, 1986.1 )など、ほぼすべての立場の学者が最近の書物ではっきりと「南京事件」を選択している。
  3. CINII(国立情報学研究所)の南京大虐殺を採用した論文(260件)は約半数が、「南京大虐殺」という主張に対する批判であり、この事件の題名としてかいているわけではない。また、CINIIでも、南京大虐殺を肯定する側の人が、「南京事件」(南京事件)を使っている例が多数ある(中帰連など)
ということから、南京事件と南京大虐殺は使用数で拮抗していても、明らかに南京事件のほうが事件名としてよく遣われています。特に雑誌の南京大虐殺という言葉の使用例は、その言葉を批判する立場の記事がかなりあり、これを南京大虐殺の支持事例とするのは、記事の趣旨とは逆になります。
  • なお、南京虐殺事件、南京大虐殺事件、南京大虐殺、すべて違う名称です。虐殺という言葉を入れるかどうかという議論を選考させている方がいますが、議論はあくまでタイトル名の話ですので、これらは、別々の題名として議論する必要があります。
  • 結論として、南京事件のほうが、タイトル名として中立で、ある立場に偏らない、「大虐殺とはどこからなのか」などという不毛な議論を、少なくともタイトル名で議論しなくてすむという意味で、中立的な言葉であること、議論しやすいこと、学問的に主要な学者がほぼ一致して「立場にかかわらず」使用していることから、南京事件が妥当と考えます。Nakata88 2011年2月21日 (月) 09:19 (UTC)
一度記事名を「南京大虐殺」に差し戻してから合意形成を図るべしという意見がみられますが、「南京大逆殺」→「南京事件」は正規の改名手続きにしたがったもので、なおかつ、2月4日に出された「南京事件」→「南京大虐殺」の改名提案が否決されていることからこのまま「南京事件」としたままで議論を行うのが適切でしょう。私個人の見解は、一般的かつ学会での使用例の多い「南京事件」を使用すべし、です。--Truesight 2011年2月21日 (月) 12:05 (UTC)
  • Truesightさんのおっしゃとおり、改名手続きは正当なものですので、当然、差し戻しはできません。もとに戻すには改名手続きが必要です。そして、2月4日に出された「南京事件」→「南京大虐殺」の改名提案も否決されてますので、記事名は、「南京事件」でいくという結論がでた、ことになります。Nakata88 2011年2月21日 (月) 20:51 (UTC)

(改行 3)[編集]

大和屋敷さん、「南京大虐殺」だと「スジが悪い」というのが明確な理由ということですか?--kei 2011年2月21日 (月) 14:12 (UTC)

  • コメントOPACの検索において「南京大虐殺を虚偽と批判した本」が含まれていることですが、これは、記事名を「南京大虐殺」とすることについて、否定する要素とはなりません。それが否定対象であるか、肯定対象であるかに関わらず、その事象を「南京大虐殺」と捉えているという事実を表しているにすぎません。
    また、ヒット数の中に「目次などから検索に引っかかっている」という指摘ですが、その条件は「南京事件」を検索する際にも同等に適用されるものですから、統計上の不備にはあたりません。
    すべての立場の学者が「南京事件」を選択しているという主張は、検索結果から明らかなように「南京大虐殺」についても言えることです。
    さらに言うならば、「南京事件」という名称については、史実派はおおむね「南京大虐殺」もしくは「南京大虐殺事件」、洞富雄氏は「南京大残虐事件」「南京大暴虐事件」の略称として使用しています。このケースにおいては「南京事件」という略称を用いることは、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに違反することになります。したがって、「南京事件」を使用しているケースの内、史実派の多くの部分は省く必要があることになるのですから、「南京大虐殺」が圧倒的に多数派ということになりますね。--ちゃんこなべ 2011年2月22日 (火) 23:29 (UTC)
  • OPACの検索で「南京大虐殺を虚偽と批判した本」は、事件名としては南京事件を使っているのがほとんどです。したがって、南京大虐殺の支持事例にはなりません。
  • また、ちゃんこなべさんは、「南京大虐殺事件」、洞富雄氏は「南京大残虐事件」「南京大暴虐事件」の略称として使用しているから、南京大虐殺が妥当だと何回も、繰り返し、書かれていますが、「南京大残虐事件」「南京大暴虐事件」「南京大虐殺」は全部違う題名です。記事名としてどれを選ぶかですから、最大公約数では南京事件が妥当ということになります。
  • なにより、そもそも、「南京大虐殺」自体も、「南京大残虐事件」「南京大暴虐事件」の明らかに略称かそれに類するものです。にもかかわらず、それらの方々は、それを選択せずに、「南京事件」を略称として選択してるわけです。したがって、論理的に、ちゃんこなべさんの言ってることは理由になりません。Nakata88 2011年2月23日 (水) 20:58 (UTC)

Kanbunさん<2011年2月21日 (月) 05:01 (UTC)>のコメントの中に『この記事も「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」が全く同じ事象を指し示しており、その意味するところも同一であれば、交換可能であるはずです。』とありましたが、これを読んで南京事件の存在、規模に議論があるのだから議論の一方に加担する南京大虐殺はないと判断しました。このような考えは上海クーデターにあります。記事の中に南京大虐殺の言葉も出しているのだから問題もないでしょう。 ちゃんこなべさんの意見でも明らかに「南京大虐殺」と「南京事件 (1937年)」は異なるものであるとのことです。言葉による事件の質の受け取られ方が異なるのであることがはっきりしています。--Sweeper tamonten 2011年2月23日 (水) 05:44 (UTC)

  • ちゃんこなべさんは「南京事件」という略称を用いることは、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに違反すると書いておられますが、ここでは、「南京大虐殺」「南京大虐殺事件」「南京大残虐事件」「南京大暴虐事件」など、なにが正式名かが一意ではないため、史実派のかたも使っておられる簡潔な呼び名である「南京事件」を最大公約数として記事名とするのが中立的であると思います。--miya 2011年2月23日 (水) 07:03 (UTC)
miyaさんへ。私もちゃんこなべさんの「南京事件」という略称を用いることは、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに違反するという意見はちょっと違うと思いますが、同時に史実派のかたも使っておられる簡潔な呼び名である「南京事件」を最大公約数としてというのはデータ上は確認できない事実ではないかと思います。データ上はこの事件に否定的な論者も「南京大虐殺」という用語を否定的な意味であれ使っているので、通用性の観点で最大公約数的に考えると、「南京事件」と「南京大虐殺」はデータ上拮抗しています。もし最大公約数的に考えるのが中立的な観点としてふさわしいというのであれば、「南京大虐殺」という用語を使っているうち否定派が半数にのぼることからも、否定派の間でもむしろ「南京大虐殺」がかなり定着しているとも言えるわけですから、「南京大虐殺」にもかなり分が出てきます。miyaさんの意見では「最大公約数的」と「簡潔な」という二つの理由が出されているのですが、前者についてはこのように明確に優劣つけがたく、後者はWikipedia:記事名の付け方から見ても根拠がないのですから、それで「南京事件」が中立的というのはちょっと納得できません。--Kanbun 2011年2月23日 (水) 09:23 (UTC)
一つ提案したいのですが、別の観点としてこういうのはどうでしょう。
すでに信頼できる文献での引用数の上で両用語ともに拮抗しており、この観点で通用性に優劣を決定するのは厳しい気がします。ほかに通用性をはかる方法の一つに、私はたとえば「南京事件 (1937年)」と呼称されるときと、「南京大虐殺」と呼称されるときで、どっちがよりこの事件を強く想起させるかというのもあると思います。私はこういうあまり検証可能性の高くないやり方は好まないのですが、議論は双方十分説得的な根拠を出しているように思われ、また論点もずっと平行線を辿ってる気がしますから、たとえばウィキペディア内でこの問題について観点を変えていろいろ調査投票をし、その結果を一つ一つ確認しながら議論をしていくというのはどうでしょう。調査投票のテーマの例としては、たとえば「南京事件と南京大虐殺のどちらが中立的と思えるか」とか「南京事件と南京大虐殺のどちらがより直接的にこの事件を想起させるか」とか「あなたが考える南京事件あるいは南京大虐殺としたときのメリットとデメリットは」とかです。
今回の議論では、今後おこりうる記事名を巡る議論にとっても重要な論点がかなり出されている気がしますし、たくさんのウィキペディアンの意見や協力をあおぐべきと私は思います。反論を禁じた形での調査投票ならば、議論に参加したくないウィキペディアンも意見を寄せてくれると思いますので、「集合知」に基づいて議論が出来るようになると思うのですが。--Kanbun 2011年2月23日 (水) 09:41 (UTC)
うーん。titleは決めなければならないという特殊事情であるにせよ、ご提案はさすがにWikipediaの性格を変革する性質のものなのでうーん。井戸端お知らせで新規参加者を募るくらいしか無いような気がしますけれども。(私はこういうあまり検証可能性の高くないやり方は好まないのですが)とお感じになっておられる編集感覚と同じような感覚は私も持ちます。--大和屋敷 2011年2月23日 (水) 19:24 (UTC)
議論内容があくまで改名提案に基づくものである以上、両者に説得力があり平行線なのであれば、改名提案に基づく合意が取れず現状ままというのが結論となるのではないでしょうか。調査投票を行わねばならない状況にはないと思われます。また、編集者の投票によった議論というのも非常に根拠の欠けるものにしかならないように思えます。「南京事件と南京大虐殺のどちらがより直接的にこの事件を想起させるか」といったちゃんこなべさん主張のWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことにおいてどちらかという投票をしても、拘束力を持たない調査投票においてその必要性があるのか疑問です。例として挙げられた3つどれにしても結局はどちらの名前の方がよいのかという事に変わらず、改めて調査投票という形を取らなければならない理由に欠けます。議論に参加したくないウィキペディアンに阿って調査投票を用い意見を募るというのはいかにも理屈として分かりません。意見を募るのならばコメント依頼として既になされています。議論によってなされる合意が、議論に参加したくない方とどうして合意形成できましょうか。--はぬまん 2011年2月23日 (水) 16:30 (UTC)
  • わたしもkanbunさんの調査投票には反対です。そもそも、ウィキペディアが方針として、世論の多数派を反映させた記事名にするものなら、わからなくもありませんが、ウィキペディアははっきりと、最も信頼できる情報源、たとえば、学界の主流の意見に依拠する事典であると宣言しています。したがって、調査投票は妥当ではありません。
  • なにより、そもそも、ウィキペディア内の意見の多数は一般的な社会における多数派でさえありません。したがって、ウィキペディア内で調査投票をやろうと、社会の多数派を調べる投票にはなりえません。
  • また、この問題では、学界の主要な論文の題名、および、それに依拠した教科書の題名から、「南京事件」が優れいてると論理的に判定できます。投票でも、はっきりと「南京事件」が支持されたわけですから、この件では別の資料などがでてきたりして、学界の意見構成がかわるなどの状況が生じるまでは、このまま行くのが筋だろうと思います。Nakata88 2011年2月23日 (水) 21:19 (UTC)
  • ciniiカウントしてきました。cinii検索の「南京事件」[26]「南京大虐殺」[27]「南京虐殺事件」[28]「南京虐殺」[29]。このうち大学から出版され、1937年の事件と特定できたもの「南京事件」[30][31][32][33][34][35][36][37][38][39][40]の11件、「南京大虐殺」[41][42][43][44][45][46][47][48]の8件でした。大学系の出版物で最初に取り上げられたのは吉田裕「一五年戦争史研究と戦争責任問題 : 南京事件を中心に」[49]で 1987-02-01のようでした。「南京大虐殺」のほうは陳 安吉(他)「南京大虐殺史研究の歴史 : 回顧と今後の課題」[50]で1999-02のようでした。ciniiはすべての論文・公表文を採録しているわけではない点注意してください[51]。--大和屋敷 2011年2月23日 (水) 21:58 (UTC)

(改行 4)[編集]

  • 大和屋敷氏の返答をお待ちしてましたが回答が無く、議論参加されないようなので先に進めます。「スジが悪い」との主張で「南京大虐殺」の名称をNGとするのは、合理的な理由とはなりませんので、「南京事件」を採用すべき根拠とはなりません。また、「他国のwikipediaをいくつか拝見した中では、全て「虐殺」に該当する文字が入ってました。」と発言したのを「英語版のWikipediaに書いてあるから正しい」と考えがちなのは日本語話者にありがちな誤謬なので注意したいところですと勝手に英語版のみで判断したとされたのか分かりません。よってこれは反論とはなりません。あと<i東京裁判の「訴因第四十五」の英訳中のslaughter the inhabitantsは「住民ヲ鏖殺」であって「大虐殺」ではないとの意見ですが、同じ意味をなします。これは「住民を虐殺」と訳せます。よって、大和屋敷氏が根拠としたスジ・東京裁判どちらも論理が通らないものとなります。
  • 基本的にちゃんこなべ氏が2011年2月22日 (火) 23:29 (UTC)に発言されたのを支持します。長く「南京大虐殺」で一般的に使用されていた名称なので、仮に「南京事件」の呼び名が増加しようとも、圧倒的にそちらの呼び名が一般化される環境とならない限りは時期尚早といえるでしょう。OPACの検索結果をついでに付け加えるなら「南京事件」の検索結果の中には、南京事件 (1913年) 、南京事件 (1927年) の2事件が含まれている可能性も十分に考えられるので、実際はもっと少ないかもしれません。その可能性を含めても、まだ「南京大虐殺」のほうが上回ってるわけです。よって当初の改名された論拠が何も成立していないものと考えます。--kei 2011年2月23日 (水) 16:17 (UTC)
  • 「スジが悪い」というのは過去ログ(少なくとも-改行2-以降)をざらっと読んでいただければ説明してあります。説明してあることについて説明を求められても困ります。『「南京大虐殺」は本多勝一が「中国の旅」で使用した造語であり、それ以降の在野の研究者により繰り返し用いられたことで広まった用語らしい』という定義のはっきりしない語であり、現在提示されている3種類の語の選択基準(①信頼できる情報源でどの程度利用されているか基準②語そのものは何から引用したものであるか基準③語義そのものの解釈基準)の②の観点から考量して、「南京事件」「南京虐殺事件」と比較して分が無いと申し述べてあるはずです。「南京大虐殺」を推す方は①の基準のみで主張されており、②の基準を一切考量されない点に問題があります(意図的な「論点回避」)。また①基準においても中学校教科書においては「南京事件」が圧倒している[52](浜島書店[53]2002年版[54],2006年版[55])という事実を無視しており、「南京大虐殺」を推す方の議論は非常に誤った推論方法(都合のよい事実にのみ着目し、自説に都合の悪い事実を無視する誤謬-チェリーピッキング、およびデータのハッキリしない推測に基づいた断定)に陥っています。ちなみに語義解釈そのもの(③)基準については「(語義そのものを検討するのは)実際の論争の場でそれを指摘するのは有意義でしょうが、ウィキペディアの議論の場でそれを問題にしても始まらない[56]」ため③についてのWikipedianの主張はあまりアテにしてはいけない、との批判があります。【他国のwikipediaをいくつか拝見した中では、全て「虐殺」に該当する文字が入ってました。」と発言したのを「英語版のWikipediaに書いてあるから正しい」と考えがちなのは日本語話者にありがちな誤謬なので注意したいところですと勝手に英語版のみで判断したとされたのか分かりません。よってこれは反論とはなりません。】とのことですが中文版では「南京大屠殺」であり「大虐殺」ではないと指摘してあるはずです[57]。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年2月23日 (水) 19:01 (UTC)
  • keiさん、 【長く「南京大虐殺」で一般的に使用されていた名称なので、仮に「南京事件」の呼び名が増加しようとも、圧倒的にそちらの呼び名が一般化される環境とならない限りは時期尚早といえるでしょう。】[58]との提示がありましたが、これはどのような根拠によるものなのでしょうか。資料をご提示ください。中学校教科書によれば「南京事件」がすでに圧倒的です。また「南京事件」は1937年から使用されており、1971年(らしい)「南京大虐殺」よりあきらかに長期間にわたり一般的に使用されていた名称です。--大和屋敷 2011年2月23日 (水) 19:13 (UTC)
Kanbunさんの調査投票の件については、はぬまんさん、Nakata88さん、そして大和屋敷さんの意見に賛成。
keiさんの他国版云々については、ここは日本語版なので他国での呼称は関係ないでしょう。あとkeiさんの2点目はしっかりした根拠に基づかない感想の域を越えないものだと思います。--Truesight 2011年2月24日 (木) 13:20 (UTC)
  • (賛成)ノート:南京大虐殺#改名提案を含め、大雑把ですが、議論を読みました。いろいろと論点はあるでしょうが、基本的な問題として、2010年6月14には十分な合意が得られていないと思います。改名以降の長きに渡る議論はその証拠です。この時の改名提案者の議論を見ると、ルールに藉口し、合意を得ようとする姿勢が見受けられません。記事名を差し戻して、議論を続けるべきです。--ゴルンスキー 2011年2月25日 (金) 05:58 (UTC)
  • (反対)大和屋敷さんによる論点のまとめに感謝いたします。大和屋敷さんによると『「南京事件」は1937年から使用されており、1971年(らしい)「南京大虐殺」よりあきらかに長期間にわたり一般的に使用されていた名称です。』とあります。それまではどの学者すらも「南京大虐殺」を使用せず、本多勝一が使用し始めたということですから学会での研究がもとになったわけでもないのですね。本多勝一の主張がもとであり、その主張は議論の一方であるのですからやはり「南京事件」がいいでしょう。彼の著述と南京安全区国際委員会の報告は大きく異なっていますよね。肯定派の差異を考慮してもやはり南京事件でしょう。--Sweeper tamonten 2011年2月25日 (金) 07:22 (UTC)
  • 大和屋敷さん、スジについての説明はもちろん拝見してますが、単なる推測に基づいたものなので、「考えられてることは分かりましたが」という以上に感想は持ち合わせていません。「南京大虐殺」との呼称はジャーナリストが使用したのが初めて「らしい」とされてますが、それを根拠とするならソースを提示願います。(データのハッキリしない推測に基づいた断定)に陥ってませんか?
  • 中文版では「南京大屠殺」についてですが、日本語に翻訳すると「南京大虐殺」になろうかと・・・。中国と日本を比較して漢字が違うと指摘されても・・・。念のため申し上げますが、翻訳は日本語に近い表現や語句をあてはめるものです。今回のように「事件」か「虐殺」かの2拓とした場合、中国における「屠殺」を日本語に訳せば「事件」か「虐殺」のどちらか。ドイツの「Massaker von Nanking」、イタリアの「Massacro di Nanchino」、ルーマニアの「Massacro di Nanchino」、スペインの「Masacre de Nankín」、ノルウェーの「Nanjing-massakren」、フランスの「Massacre de Nankin」、ポルトガルの「Massacre de Nanquim」等は日本語に当てはめた場合、「事件」と「虐殺」のどちらが近いかということです。
  • チェリーピッキングについては普段馴染みの無い言葉ですが、ちゃんこなべ氏が
          国会図書館      国立情報学研究所
       書誌検索  雑誌記事検索  cinii
南京事件   67件   214件    219件
南京大虐殺  69件   258件    260件
と南京大虐殺が上回っていることを示されたのを、何の脈絡もなくいきなり「大学系の出版物」「最初に取り上げられた」等の条件を付けて集計しなおすようなことをチェリーピッキングとは言いませんか。そういった条件を示されるのなら、なぜそうしたいのかを合理的に説明した上でデータ提示するべきでしょう。
  • コメント記事本文の『「南京大虐殺」という名称は本多勝一が1971年8月から朝日新聞紙上で連載を開始した『中国の旅』の中で使用されそれ以降広まった』という記述を鵜呑みにして、議論が進められているようですが、この記述は明らかに間違いです。とりあえず、私の手もとにある資料だけですが挙げてみます。
    • 1966年刊行『南京作戦の真相』(下野一霍講述、五島広作編)の目次において、「2、南京大虐殺の汚名を晴らそう----一〇四」「二、南京大虐殺の無実と谷師団長----二一九」と書いてある
    • 前書223-224頁には谷寿夫の上申書(民国36年(1947年))が掲載されているが、ここでは「三、南京大虐殺事件ニ関係アル、多数ノ部隊長ヲ…」と書いている
    • 1964年刊行『文芸8月号』(河出書房)には、榛葉英治「城壁」が掲載されているが、この雑誌の表紙には「強姦略奪!南京大虐殺の真相!長編三〇〇枚 城壁 直木賞作家 榛葉英治」と書かれている。
他にも東京裁判や南京法廷を報じる新聞記事を見れば出てくるかもしれませんね。いずれにせよ、本文の記述は誤りですので、削除するのが妥当でしょう。なお、「南京大虐殺」は「定義のはっきりしない云々」ということですが、どう定義がはっきりしないのか不明確です。おそらく、その論拠からすると「南京事件」もまた「定義のはっきりしない」語ということになるのではないでしょうか?もう少し、この辺を明確にしないと説明としては成立しないと思います。--ちゃんこなべ 2011年2月25日 (金) 15:18 (UTC)
ちゃんこなべ様、有難うございます。では、続けて大和屋敷氏にお伺いしますが「南京大虐殺」よりも「南京事件」を推す論理が成立しなくなってきましたが、「そんなに悪くない」とされた「南京+虐殺(+事件)」を肯定されるという解釈でよろしいですか。それとも、新たに「南京事件」を推挙する論理を持ってこられるんでしょうか。--kei 2011年2月25日 (金) 15:49 (UTC)
おお、ちゃんこなべさん!そういう情報が欲しかったです。僕も現行のWikipediaの「南京大虐殺」の語の解説がいかにもアイマイで疑わしいので本当かなと思っていました。「南京大虐殺」という語を採用したい派の方は、もっとこの語そのものに興味をもって調査してほしいです。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 16:51 (UTC)keiさんへ。【②語そのものは何から引用したものであるか基準】については今回のちゃんこなべ氏の貢献で相当詰まってきたと考えています。ただ初出が1964年としても、まだ事件の1937年から相当開いており、モレがあるような予感がしています。生きてゐる兵隊がこの方面では最も古いハズなんですが、どうなんでしょうね。いずれにせよ「南京事件」と比較しても百科事典的な叙述可能性はかなり埋まりつつあると考えます。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 16:51 (UTC)谷寿夫の情報もありがたいです。谷は南京軍事法廷で裁判を受けましたのでそちらのほうをたぐるとオーソライズできる引用元にたどり着きそうな感じがしますね。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 16:58 (UTC)keiさんにおかれましては、他のWikipedianの調査の尻馬にのってご自身のご見解を開陳されるのはけっこうですが、ご自身も調査にご協力頂く事でWikipedia記事の発展にご協力頂く形での貢献のほうも宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 17:20 (UTC)keiさん、 【長く「南京大虐殺」で一般的に使用されていた名称なので、仮に「南京事件」の呼び名が増加しようとも、圧倒的にそちらの呼び名が一般化される環境とならない限りは時期尚早といえるでしょう。】[59]との提示がありましたが、これはどのような根拠によるものなのでしょうか。資料をご提示ください。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 18:32 (UTC)他言語版について他国版Wikipediaからコピーペースト頂いておりますが、各言語版の各タイトルの選定理由についても調査頂けないでしょうか。根拠のはっきりしない選定であった場合や、引用元のハッキリしない文献からの翻訳であった場合Wikipediaルール上問題がありますので、よろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 18:32 (UTC)
  • 他言語には他言語の環境があるので、日本語の環境でのこの記事の題名について、基本的には参考になりません。「南京事件」についてソースが最もある国のひとつは、日本であり、かつ研究者も多いわけですから、それに依拠した記述をするのが原則になります。他言語の題名は、他言語における環境で選択されます。たとえば英語ではアイリス・チャンの著書の題名に基づく、「Rape of Nanking」などがかなり、一時期、使われているように、ベストセラーなどの影響が強くあればそれが使われたりします。そういう点では、日本でも「南京大虐殺」が一時期広く、使われたのは本多勝一の「中国の旅」の影響が大きいのと同じだとおもいます。それらの影響が低下すると、学問的な用語の影響力が強くなってくるのではないでしょうか。日本はその意味で、ほかの国より先をいっているのかもしれません。要するに、ウィキペディアは生きている事典ですから、その時点で、その言語環境でもっともよい題名を選択すればよいのです。日本では、今は、「南京事件」という題名が最善だと考えられます。Nakata88 2011年2月25日 (金) 21:21 (UTC)

大和屋敷様、実は書き込んだ後で気になっていたんですが、前々回および前回の上げ足を取ったような発言は良くないので謝罪します。過去、他で議論した際、都合が悪くなると次々と根拠を変えたり、自身がしっかり確認しないまま不十分なソースを提示するなどで議論参加者を混乱させた方がおられたので、何となくその方に接するような態度が出てしまったようです。ただwikipwdiaへの貢献に関しましては調査だけでなく、色々な形があろうかと思います。とりあえずは気になってた謝罪を取り急ぎさせていただいて、その他の返答は後ほどさせていただきますのでよろしくお願いします。--kei 2011年2月26日 (土) 02:09 (UTC)

  • 「チャイナリスク」磯和男[60](PDF-P.31)に語としての「南京事件」「南京大虐殺」についての言及あり*「歴史叙述と「教科書問題」」桂島宣弘[61]PDF-P.13で言及あり。南京軍事裁判の資料は国立公文書館に寄贈されているようなのですが、デジタル化されていないらしくWeb上で閲覧できません。--大和屋敷 2011年2月26日 (土) 08:58 (UTC)
  • コメント もう一点、「名称」の節でおかしな部分があります。それは「1937年12月16日(陥落の3日後)の陸軍省公電云々」の部分です。ここで書かれている「蕪湖及南京事件」というのは、当時の状況から考えて、蕪湖で起きたレディーバード号事件、南京で起きたパナイ号事件を意味していると見るべきです。
    この覚書は、米国極東艦隊司令長官からのメッセージを、東京の駐日アメリカ大使館より外務省に通告されたもので、日付は12月15日となっています。覚書の内容は、漢口に避難している大使館・領事館員ほかと、同地に停泊中の英・米・仏・伊の艦船が、「蕪湖及南京事件」によって安全に不安を感じており、安全を保障を要求するものです。つまり、南京大虐殺のような中国人に対する無法行為の防止を訴えるものではなく、欧米人の保護を訴えるものです。その原因が「蕪湖及南京事件」ということですから、イギリス艦が攻撃対象となったレディーバード号事件、アメリカ艦が攻撃対象となったパナイ号事件であると見るべきでしょう。この記述も削除すべきだと思います。
    なお、Nakata88さんは、「本多勝一の「中国の旅」の影響」が「低下」し、「学問的な用語の影響力が強くなってくる」として「南京事件」の妥当性を主張しています。しかし、この問題の第一人者である笠原十九司氏が、「南京大虐殺事件」の略称として「南京事件」を用いることを失念されているように思います。--ちゃんこなべ 2011年2月26日 (土) 10:07 (UTC)
  • ちゃんこなべさん。わたしは、本多勝一の影響が低下し、南京事件が使われているように「なってきているのではないか」という事実認識を書いているのです。実際、南京大虐殺という言葉は教科書などでも使われなくなってきてますから。それを根拠にしてるわけではありません。
  • また、笠原十九司氏は、「南京大虐殺」という『略称』と「南京事件」という略称の二つから、「南京事件」を選択しているのです。「南京大虐殺」も南京大虐殺事件の略称です。Nakata88 2011年2月27日 (日) 10:04 (UTC)

(コメント)ちゃんこなべさんの調査に感謝します。さて、1937年の陸軍公電の「南京事件」が本事件を指さないとなると、「南京事件 (1937年)」という呼称はやはり問題になってきませんか。現時点で1937年には2つの別個の「南京事件」があるということが明らかになってしまってますね。そして陸軍は本来パナイ号事件を「南京事件」といっていた可能性が出てきてますから、少し面倒になってきましたね。--Kanbun 2011年2月26日 (土) 12:24 (UTC)

  • いまのところ「南京事件」と「南京大虐殺」は完全に並んたというのが私の印象です。うーむ。【信頼できる情報源でどの程度利用されているか基準】を完全に無視できるなら「南京暴虐事件」(東京裁判・和文・判決)あるいは「南京虐殺事件」(外務省・日中歴史共同研究[62]PDF.P.267~270以降)を推したい所ですね。大和屋敷としてはとりあえず判断上の切り札は無くなりました。--大和屋敷 2011年2月26日 (土) 14:41 (UTC)--大和屋敷 2011年2月26日 (土) 17:37 (UTC)

2011年2月23日 (水) 05:44 (UTC)に発言しておりますが、南京事件の存在、規模に議論があるのだから議論の一方に加担する南京大虐殺はないと判断し、このような例は上海クーデターにあることを指摘しています。これには反論はありませんか?--Sweeper tamonten 2011年2月27日 (日) 06:00 (UTC)

まず、Wikipedia:記事名の付け方には通用しているものを選ぶという基準が示されるのみであります。次に「南京大虐殺」という名称は虐殺否定派も用いているので、それを使うと議論の一方の側に加担するという論理は私は成り立たないと思います。こういう事例は個別に対応するしかないと思うので、上海クーデターは参考にはなるでしょうが、だからこっちもというのはちょっと違うかと思います。こっちはこっちで事情がある、というのが私の見方ですね。だから反論ではないですけれども、「南京事件の存在、規模に議論があるのだから」というのは特に重要とは思えません。--Kanbun 2011年2月27日 (日) 09:27 (UTC)
Kanbunさん、コメントありがとうございます。虐殺否定派が「南京事件」より「南京大虐殺」を選ぶ理由はなさそうです。南京事件について主張されるだれもが南京大虐殺がふさわしいとする理由があるのでしょうか?南京事件ということで記事が識別できるのであえて南京大虐殺にする必要はないと考えます。--Sweeper tamonten 2011年2月27日 (日) 09:51 (UTC)
ちゃんこなべさんが示したデータの分析で「南京大虐殺」という名称の著述の著者のほぼ半数が虐殺否定派であるということが挙げられていたと思います。あくまでデータはデータなので、それが何を語るかは難しいのですが、表面的に見れば否定派が「南京大虐殺」という用語は一応は受け入れて議論していると言うことも可能です。そういう意味で「南京事件の存在、規模に議論があるのだから」虐殺はだめだ、というのは私には筋が通らない意見に思える、と言っているのです。問題は「南京事件」で記事が識別可能かという問題だけでなく、「南京事件」という名称で本当にこの事件が想定できるのか、また「南京大虐殺」という名称で中立性が担保できるのか、両者は本当に意味的に交換可能かなどといった様々な観点が考えられると思います。そういう次元で考えると、「南京事件ということで記事が識別できるのであえて南京大虐殺にする必要はないと考えます。」というのは、「南京大虐殺ということで記事が識別できるのであえて南京事件にする必要はないと考えます。」という表明と同じくらいの正当性でしかなく、両者の間に決定的な差は見いだせないと私は思います。--Kanbun 2011年2月27日 (日) 09:59 (UTC)
Kanbunさん、南京事件で識別可能であることに異論はないようですね。さて貴方のおっしゃることはやはり一部の意見に基づき、数の論理で自己の主張を正当化しているように思われます。それはさておき、「南京事件の存在、規模に議論があるのだから」それなりの配慮があってしかるべきでしょう。ロス疑惑の例から南京事件疑惑あるいは南京大虐殺疑惑ですら可能と考えます。このような配慮が必要とされるのであれば改名もやむなしでしょう。--Sweeper tamonten 2011年2月27日 (日) 12:37 (UTC)
「南京事件」で識別可能かというのは未解決の問題だと思いますが。私は「南京事件」で本事件が識別可能かどうかということは一つの問題になるということを述べただけで、何らかの判断を下しているわけではありません。そして、私は「南京事件の存在、規模に議論があるのだから」虐殺はだめだ、というのは筋が通らないと言っているのですが。また「ロス疑惑の例から南京事件疑惑あるいは南京大虐殺疑惑ですら可能と考えます。」というのは通用性の問題を度外視した暴論です。「ロス疑惑」という言葉は一般に通用していますが、本事件を指して「南京事件疑惑」あるいは「南京大虐殺疑惑」などと一般に通用しているなんて話は今まで出ていません。なんだか大変な誤解があるようですので、落ち着いて私の意見を確認していただきたく思います。--Kanbun 2011年2月27日 (日) 13:33 (UTC)
Kanbunさん、直前のコメントのほとんどを了解しました。疑問が残るのは「南京事件の存在、規模に議論があるのだから」大虐殺はだめだ、というのは筋が通らないと言っているのですが。との部分です。「ザ・レイプ・オブ・南京」は南京事件とは関係しそうだなと分かりますが南京大虐殺とは違うかもしれないと字面を見て考えることはありえますね。これを根拠にするわけではありませんが南京事件ならどんな内容でもありでしょう。あえて大虐殺を前面に出す必要はないと考えています。--Sweeper tamonten 2011年2月27日 (日) 14:27 (UTC)

(インデント戻します)返信ありがとうございます。まず「「ザ・レイプ・オブ・南京」は南京事件とは関係しそうだなと分かりますが南京大虐殺とは違うかもしれないと字面を見て考えることはありえますね。」というのは確かにそういうことはあるかもしれない、ということは言えるだろうと思います。ただ、それを言ってしまうと同様に逆の立場で「「ザ・レイプ・オブ・南京」は南京大虐殺とは関係しそうだなと分かりますが南京事件とは違うかもしれないと字面を見て考えることはありえますね。」ということも言えるので、結局これだけでは決定的ではないと思います。次に、「南京事件ならどんな内容でもあり」というのは、ちょっと言い過ぎてしまって誤解を招く気がします。この文脈では、おそらく「南京事件」のほうが「南京大虐殺」という意味内容よりも広いと考えるのではないかという意味だと思いますが、いかがでしょう?私の推察どおりの意味だとして話を続けます(違ってたら言って下さい)。「南京事件」のほうが「南京大虐殺」の意味内容よりも広いというのはそうだと思いますが、だからこそすでに指摘されているように「南京事件」というのが南京で起きた事件というような普通名詞に近い意味であるので、ほかの南京事件があるということを考えると、識別可能という面では「南京大虐殺」(この用語はこの事件以外でまず使われないでしょう)に劣るかもしれないという観点が成り立ち得ます。ただ、だからといって私は「南京大虐殺」がいいと言っているのではありません。そうではなくて、そういう問題があるから「識別可能」という条件というか仮定は不明確であり、見方によって「識別可能」の意味内容が変わる可能性があり、議論が結局個々人の主観的な方向に流れてしまう気がするうえ、そもそも原則的に優先されるべき通用性とあまり関わらない気がするので、取り上げない方がよろしいのではということです。議論をややこしくする気がします。Sweeper tamontenさんは数の論理に否定的な考えのようですが、少なくとも何か条件を付けて数の問題に出来れば、通用性をより明確に立証できる気がしますので、それなら私は数の論理のほうが格段に優れていると思います。「識別可能」というのはそれこそ調査投票でもしない限り、ちょっと測定不可能というか客観化するのは難しい気がしますから、ここまで込み入っている議論の中でそれを持ち出すと、もっと混乱してしまうのではと思われます。--Kanbun 2011年2月27日 (日) 14:51 (UTC)

Kanbunさん、私が理解していただきたかったのは「南京事件」のほうが「南京大虐殺」という意味内容よりも広いという意味でした。その点を理解してもらいました。さて「南京大虐殺」(この用語はこの事件以外でまず使われないでしょう)とありましたが歴史に強くない人は南京という都市には何回の虐殺事件があったのか分からないでしょうし、それよりも1937年であることが重要でしょう。今の記事名で識別できます。また国会図書館で南京事件(1937)として区分されていることを確認しました。--Sweeper tamonten 2011年2月27日 (日) 15:17 (UTC)
私は別に「南京事件 (1937年)」が識別不可能だといっている訳じゃなくて、「南京大虐殺」でもある観点からすると、識別可能だから「識別可能かどうか」という論点は成り立たないのではということです。「さて「南京大虐殺」(この用語はこの事件以外でまず使われないでしょう)とありましたが歴史に強くない人は南京という都市には何回の虐殺事件があったのか分からないでしょう」というのは、もし複数回「南京大虐殺」があったのなら、年号を入れれば良いんじゃないですか。「南京大虐殺 (1937年)」とか。その程度の話だと思います。--Kanbun 2011年3月1日 (火) 12:38 (UTC)

(改行5)[編集]

南京事件を支持します。--Truesight 2011年3月2日 (水) 13:18 (UTC)
  • 「南京事件」というのが虐殺事件であったというのは全ての論者共通しているようですから、記事名に「虐殺」と入れると中立的でない、ということはないと思います。争点としては「大」を入れると中立的ではないというのがありましたが、私は否定的な論者も「南京大虐殺」を用いているという事実とデータ上多数である事実を尊重して、「南京大虐殺」のほうがよいように思います。陸軍が用いた「南京事件」は別のパナイ号事件(1937年)を指すという指摘もあり、南京事件よりは南京大虐殺のほうが相対的に優れていると思います。以前は「南京事件」でよいと思ってましたが、議論の過程で変えました。--Kanbun 2011年3月3日 (木) 00:59 (UTC)
  • 改名反対です。南京大虐殺という呼称は、既に時代遅れの感があります。国会議員からなる南京問題小委員会の総括においては、南京で起きたことは、南京攻略戦以上のものではないと結論付けられており「虐殺」を否定しています。これらを始めとして「虐殺」に疑問が呈されている昨今、「虐殺」という言葉は概念として抽象的すぎ(論者によって虐殺の定義が異なるため定義の違う者同士では議論の上で無用な混乱が生じる)、論理的でなく感情的すぎ(虐殺と殺人の境界が論者の主観的感情で左右されている)、結論ありきの感を与え(戦後、肯定説・否定説が熾烈な論争を繰り広げているにもかかわらず、それらが無いような印象を与えるのは問題)、読者に予断・偏見を抱かせる原因になる(実際に、大虐殺はあったことにしなければならないと予断・偏見を持っている人が編集合戦をしているみたいです)。プロパガンダに繋がる記述はなるべく排除した方が冷静で公平な議論ができると思います。--ジャグジャグ 2011年3月3日 (木) 20:36 (UTC)
  • 大和屋敷氏、Sweeper tamonten氏は当初、「スジが悪いから南京大虐殺は不可」との主張をされてました。ちゃんこなべ氏が詳しく調査されたところ、お二人の主張である「スジ」は問題ないとのことでした。ところがご両名とも「南京大虐殺」の改名は不可との意思表示をされてるようですが、スジ以外にあと何が必要とお考えでしょうか。--kei 2011年3月3日 (木) 12:35 (UTC)
  • えっと指名を頂きましたので回答いたします。当方の提示しました観点・基準について、すでに(改行4)で陳べましたように決定的な結論をもち得ないことが判明しましたので現在のところなんらかの提案すべき内容はございません。1編集者として現行タイトル「南京事件 (1937年)」が適切だとの立場を表明する以上のご提案はありません。これは「大虐殺」なる語が論点先取であり客観的な記述をめざすべき百科事典titleとして不適であるという、Wikipedia編集方針以外の観点による個人的な判断によるものです。また「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」は叙述可能性が高い百科事典titleとしてスジの良いものだと感じていますがあくまで個人的な判断にとどまる意見です。--大和屋敷 2011年3月3日 (木) 14:07 (UTC)「南京事件」と聞きましたら多くの人は1937年に南京で発生したと喧伝される当該事件を連想し、1927年のものを連想する人はまずいないと考えます。「南京大虐殺」と聞けば通常は本多勝一以降のよくわからない論争やら南京軍事法廷による30万人虐殺の「結論」(南京大殺)を指すものであり、東京裁判で論じられた「南京暴虐事件」のことを連想する人は少ないでしょう。南京暴虐事件として東京裁判で判じられた「訴因第四十五」事件の真相について検証している研究について紹介する記事においては「南京事件」「南京暴虐事件」が適切です。「南京大屠殺」は南京軍事裁判で判示され確定した30万人の虐殺についての紹介であり「南京大屠殺」をとるかぎり、30万人説が不変の歴史的前提(30万人として判じられた歴史的事実)が議論の発端になります。さて、「南京大虐殺」は昭和26年に朝日が使用し、1971年になって朝日新聞上で本多によって紹介された「あの話題」についての議論の紹介ということでしょう。よって論争史についてのtitleは「南京大虐殺論争」が適切であり、1937年に南京で発生したとされる「あの事件」(訴因第四十五)については「南京事件」「南京暴虐事件」が適切です。我々は東京裁判の史観(1937年12月13日から以降の約6週間)について記述しており、【南京軍事法廷の裁判記録をほとんど前提にしていない】記述をしているのですから。--大和屋敷 2011年3月3日 (木) 14:38 (UTC)
当初、「南京大虐殺」であった本タイトルが現行の「南京事件 (1937年)」に改名された論拠は「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている」とのことでした。ところが当時の経緯を確認すると、その「増えている」との主張はデータによる提示も無く、単なる印象のみで進められたものと見られます。よって改名の前提が誤りであったので、やはりここは一旦「南京大虐殺」にすべきと考えます。あと大和屋敷氏の「南京事件」を支持される根拠は了解しました。ありがとうございます。あと一点質問ですが、上記の問題(論拠)が解決すれば「南京事件」を支持する理由は無くなると考えてよろしいでしょうか。--kei 2011年3月3日 (木) 15:35 (UTC)
それと、上のほうにある改名提案はまだ生きてるんでしょうか?--kei 2011年3月3日 (木) 15:42 (UTC)

撤回はされていないと思いますが。「南京大虐殺」というタイトルは個人的にうさんくさくて嫌いなのでわたくし個人の思想信条を説得するような形の論調ではなく、あくまで公論をもってtitleの適正性を論じていただく範囲でよろしくお願いしますヨ。wikipeiaは他の参加者の思想信条を説得しあう場所ではないです。思想信条に対する説得のしあいはこういった匿名参加者(事実上の)が作業をおこなうWikipediaという場所においては不毛です。事実関係の確認と検証が重要です。--大和屋敷 2011年3月3日 (木) 15:50 (UTC)

  • 著名学者のここ10年の主要著作では、立場にかかわらず、「南京事件」が採用されていること、教科書で「南京事件」の採用が最も多いことは事実です。また、「南京大虐殺」を主張している方は、「南京大虐殺事件」などと区別しない主張がみられ、題名としてなにを採用するかという観点からは妥当ではない議論になっています。
  • したがって、南京事件が妥当だとおもいます。Nakata88 2011年3月4日 (金) 03:47 (UTC)
  • コメント ここまでの議論を読むと、まるで本多勝一氏が事件のことを「南京大虐殺」と呼んでいたかのように見えますが、本多氏自身はこの事件のことは「南京事件」と呼んで、虐殺をさす時に用いた「南京大虐殺」とは区別して使っておられます(『中国の旅』昭和47年版「15 南京事件」255-300ページ。『南京への道』1987年版「あとがき」261ページ)。というわけで、事件記事「南京事件 (1937年)」と虐殺記事「南京大虐殺」を並立させるのがよい、と再度主張します。事件記事では「いかに起きたか」を解説し、論争記事では「いかに論じられたか」を説き、虐殺記事では「いかに報じられ裁かれたか(東京裁判と南京軍事法廷)」を提示するのがよいと考えています。--miya 2011年3月4日 (金) 05:28 (UTC)微修正--miya 2011年3月4日 (金) 05:30 (UTC)
おー!また新たな真実が。--大和屋敷 2011年3月4日 (金) 07:22 (UTC)
  • そういう使い分けを本多勝一がしていたとすると事件名としてはやはり南京事件のほうが妥当だということになりますね。しかし、一般人に対するものならともかく、大虐殺なのか掃討戦における殺害なのかというのは、法的な評価の問題なので大虐殺と書いたらやはり一方の立場に立つことになりますし、大虐殺があったと断定していることにもなります。
  • 当時、国民党軍は南京で指揮系統が崩壊して、集団的に投降もできず、また投降しても日本軍は捕虜を採らない方針だったという記事もありますからそうとう絶望的な状況です。これをどう評価するか、どこに責任があるかを、大虐殺ということばに押し込めるのは単純すぎる気がしますし、実際、記事の担当範囲を分けるもの難しいのではないでしょうか。やはり、現在のところ、事件名の「南京事件」と、論争名の「南京大虐殺論争」で書き分けて明確にしておいたほうがいいのではないかとおもいます。Nakata88 2011年3月4日 (金) 08:20 (UTC)
  • コメント本多勝一氏が「南京事件」と「南京大虐殺」とを区別して使用しているというmiyaさんのご指摘ですが、根拠として挙げられている『中国の旅』『南京への道』の当該記述を見た限りでは、そのような判断はできないように思われます。当該記述からは次の3点の特徴が見られます。①「南京事件」「南京大虐殺」という二つの語句が混在して使用されている、②両語句についての定義はされていない、③両語句を使用する場合に法則性は見られない 私の読解力に不足な点もあろうかと思います。miyaさんには、本多氏の記述において、どの様な部分が区別して使用していることを示すのか、具体的に提示して頂きたいと思います。
    なお、本多氏の認識を具体的に示す記述がありますので、以下、提示します。これは、第三次家永訴訟に提出された意見書「私の調査した南京大虐殺(アトロシティーズ)」(本多勝一編『裁かれた南京大虐殺』(晩聲社、1989年)所収)です。同意見書「四、本件争点に関する私の見解」の「(1)南京での残虐行為は「日本軍」によるもの」と題し、冒頭「この問題は南京大虐殺の全体像から考えなければならない」(前掲書p.74)とした後、南京大虐殺の全体像の説明を行っています。ここでは、南京大虐殺の時期範囲と「残虐行為」の種類を述べており、「残虐行為」の内容として、「残虐行為には、虐殺・強姦・放火・掠奪等いろいろな行為があるが…」と明言しています。また、冒頭の記述のすぐ後には、この記述から考えると、本多氏は「一般にいわゆる南京大虐殺とか南京事件というと…」と記述していることから、本多氏が認識する一般的な解釈として、「南京大虐殺」=「南京事件」だと考えることができます。以上の本多氏の記述からすると、本多氏の認識もまた、「南京大虐殺」=「南京事件」であると考えるのが妥当でしょうね。
    また、すでに指摘しているとおり、この問題の第一人者である笠原十九司氏が呼称を「南京大虐殺事件」と定義し、「南京事件」を略称と定義している点は重要だと思います。2次情報における根拠がこれしかない点も重要なポイントだと思います。--ちゃんこなべ 2011年3月4日 (金) 15:05 (UTC)
  • 笠原氏は「日本の代表的「南京大虐殺」派の研究者」[63](P.5、P.4から記述あり)との評価がありますので「第一人者」との認識は共有できかねますハイ--大和屋敷 2011年3月4日 (金) 15:59 (UTC)いずれにせよ【本多勝一が◎◎と認識していた。よってWikipediaの当記事titleは××とすべき】は立論として苦しいので、title選定のための材料とは別に、事実関係として興味は興味としておきたいところです。本多の「南京事件」「南京大虐殺」の認識が「あからさまに(明白に)」記述できるようならWikipedia記事化しても面白そうだと思っていたのですが。--大和屋敷 2011年3月4日 (金) 15:59 (UTC)
  • 大和屋敷さん、ありがとうございます。論点を絞ってお話ししたほうが議論が進みやすいと思ったんですが。Sweeper tamonten氏はKanbun氏に対しては連続で質問されてますが、こちらの質問には2回ともお答えいただけてないです。では先に進めます。
  • 外務省は「南京大虐殺」という呼称[64]を使用しています。これは公式見解になりますので、国内外で使用する用語はこちらを採用することになります。むしろ内外で使用することを想定した用語となるのでスジが良いものとなります。あと笠原十九司氏が「第一人者」と認識しなくとも「有力な論者」であることには変わりないと思います。--kei 2011年3月5日 (土) 15:42 (UTC)
  • 「」付とカッコなしを区別頂けますようよろしくお願い申し上げます。仮に外務省の当該ページに依拠すると仮定したばあい、titleは【「南京大虐殺」】であって【南京大虐殺】とはなりません。--大和屋敷 2011年3月5日 (土) 16:34 (UTC)
名称なので「 」が入ることに何ら違和感を持ちません。外務省HPではそれ以外の名称(例えば「南京事件」など)は検索した限りでは見当たりませんでした。よって、外務省で使用する呼称は「南京大虐殺」となるでしょう。--kei 2011年3月5日 (土) 16:46 (UTC)
ところがですね。国会議事録では昭和57年(96参外務14号)に橋本恕(外務省情報文化局長)が【南京虐殺】と呼んで以降、平成17年(162衆外務6号)で斎木昭隆(外務省大臣官房審議官)が地の文で【南京事件】、問題とされている話題について【南京大虐殺の問題】、同年(162衆外務8号)でも【南京事件】、同年(162外務12号)【南京のいわゆる虐殺問題】【南京事件】、平成18年(164衆外務5号)で岡田眞樹(外務省大臣官房広報文化交流部長)が【南京事件】、平成19年(166衆内閣2号)で伊藤純一(外務省大臣官房参事官)が【南京事件】、同年(166衆内閣18号)で【いわゆる南京事件】と、それぞれ答弁しているわけでして、判断には慎重を期して頂きたく宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年3月5日 (土) 17:32 (UTC)
  • なるほど、綺麗に統一はされてないということですね。ただ地の文は問題外ですし、答弁と公式見解では当然ながら公式見解のほうが重みを増します。よって、比較対象にはならないと思います。
  • あと改名された論拠であった「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている」との情報がなんら客観的なデータもなく誤りであったとの件はどうなりましたか。そこらあたりの考えもお聞かせいただけますか。--kei 2011年3月8日 (火) 14:16 (UTC)
Aを否定することでBが採用されるという発想でしたら典型的な「誤った二分法」の可能性がありますよ。外務省HPの当該記述が「公式見解」とするのはkeiさんによる独自解釈ですので証明が必要です。外務省HP[65]は想定問答集(Q&A)として仮定の質問として【「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか】を想定したうえで、外務省の解説を述べている体裁となっており、その解説文においては【「南京大虐殺」】の表記は使用していません。つぎに【歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている】についてですが、【歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件の方を採用することが増えている】についてはすでに証明済みですので、論点は【南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている】のかどうかの証明になります。そしてこの命題【カッコ1937年カッコとじつき】に関してはデータ的に誤った命題だと考えます。もっとも【カッコ1937年カッコとじ】を証明すべき命題文に記述してしまったのは[66]提案者のwikipedia投稿文上での瑕疵にすぎず、実体として提示すべき本来の命題【歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件の方を採用することが増えている】を書き損じたものに過ぎないでしょう。「南京事件」という表記方法は「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として・・・増えて」います。--大和屋敷 2011年3月9日 (水) 03:37 (UTC)そもそも「南京大虐殺に改名したい」との提案なのに、南京大虐殺にすべき積極的な意見ではなく「南京事件ではよくない」という意見、しかもあやまった見解による意見しか提示されていないのは、いったいどういうことですか。南京大虐殺を積極的に推す理由を紹介ください。単に『多くの文献や百科事典、ごく一部の歴史教科書で使用されている語』という観点のみですか?--大和屋敷 2011年3月9日 (水) 03:48 (UTC)
では外務省の一般に公開された公式HPに記載されたものが「非公式な見解」であるとのことですか?例えば、企業の経済活動でも「地の文」や「一個人が発言したもの」と「公開された公式HPでの文書」ではどちらが重みを増すとお思いですか。あと【歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件の方を採用することが増えている】についてはすでに証明済みとのことですが、私が見た限りではそういったものは確認できませんでした。ちょっと見落としてるかも知れませんので、もしそういったのがありましたら、該当箇所をお知らせ頂きたいんですが。--kei 2011年3月9日 (水) 13:05 (UTC)
外務省の一般に公開された公式HPに記載されたものが「公式見解」とし、その用語を使用するならば、外務省の表現と同じように「」カッコ付きですべてを統一するしかないでしょうね。なぜカッコを使用しているのか?疑問|kei氏にはそこらをお考えになっていただきたいものです。
いわゆる肯定派・否定派の両者が使用している用語が南京事件であり、その用語が偏りの無いNPOVとして最適なものです。--PSIA 2011年3月9日 (水) 23:09 (UTC)
ではPSIA氏にお伺いしますが「なぜカッコを使用している」のでしょうか?あと肯定派・否定派の両者が使用している用語は「南京大虐殺」も同じでしょう。むしろ肯定派は「南京事件」を使用してない方もいるような気がしますが。--kei 2011年3月10日 (木) 10:47 (UTC)

ちょっと読ませて頂きましたが外務省の該当HPにおいてカッコつき南京大虐殺なる記章が表現されていますが、それはたんなる事実関係の確認ですので、他のWikipedianにその解説を求めるのは筋違いではないですか?あと「肯定派」「否定派」というのは安直な二分法ですので(実際の論争の解釈ではそのように二分法されていなかったはずです)ご両者ともレッテル(ラベル)の取り扱いは慎重にお願いいたしますヨ。以上2点疑問に思いましたので岡目からの発言お許し下さいm(_ _)m 外務省HPの記載はこれはこれで一つの論点の提示ですが、我々は国会議員でもなんでもない単なる無名・匿名の1wikipedianに過ぎませんので、外務省HPをもって【外務省の公式見解は【「南京大虐殺」】である】と容易には認定するのはなかなか難しいです。いずれにせよkeiさんが外務省の当該HPを発掘してくださったご貢献に敬意を表したいと思います m(_ _)m毎々ご足労様でございます。当記事のtitle(システム上何某かを選ばなければならない!)としてもっともふさわしい字句の選定について議論が深まりますよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年3月10日 (木) 23:28 (UTC)

  • Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件にあるように、歴史的事件の記事名については、「関ヶ原の戦い」、「ベルリンの壁崩壊」、「地下鉄サリン事件」のように、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」となっています。その名称がNPOV(中立的)かどうか、論点先取かどうかは問わないということです。--Miki08 2011年3月11日 (金) 08:36 (UTC)
kei氏へ。括弧とは「特定の語句を囲って他の部分と区別する記号。」がひとつの意味ですから、一般語句として使用しない場合に用いる記号ではないでしょうか。普通はその感覚を持っていると思いますが。私の感覚がおかしいのでしょうか。「南京大虐殺」が「肯定派・否定派の両者が使用している用語」とのことですが、たとえば否定派の代表ともいえる東中野が括弧書きでも無い一般用語として使用している証拠(著書とページ数)をご提示ください。
大和屋敷氏へ。「二分法」は議論においてわかりやすくしただけの話しです。「虐殺」の数の多さに関わらず、また「なかった」論者も含めて、多くの研究者が使用しているのが、括弧なしの「南京事件」であるということです。これは中立的観点の方針に則り、逸脱できないものでしょう。「なかった」論者や数十万人の虐殺を主張する研究者も「南京事件」を括弧なしで使用しているのですから(南京事件調査研究会のメンバー:井上久士、小野賢二、笠原十九司、藤原彰、吉田裕、本多勝一、渡辺春巳)
Miki08氏へ。「NPOV(中立的)かどうか、論点先取かどうかは問わないということです。」と言っている方針をご提示ください。ガイドラインが方針を上回るという証拠をご提示ください。個人的感想は必要ありませんから証拠を提示してください。--PSIA 2011年3月13日 (日) 00:21 (UTC)

(改行6)[編集]

Wikipedia:記事名の付け方に、歴史的事件の記事名は、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と書かれています。中立的(両論併記的)な記事名にするとは書かれていません。逆説的に聞こえるかもしれませんが、歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」ことが中立的な観点に沿った記事名の付け方だというのがコミュニティの合意です。
ただし、どうしても記事名で合意できず、出来る限り一般的に知られており、なおかつ中立的(意見が対立しているときは両論を併記する)な記事名にするなら、記事名は " 南京大虐殺(南京事件)" が最適と思います。--Miki08 2011年3月15日 (火) 05:50 (UTC) ※改行追加につきインデントを戻しました。--ちゃんこなべ 2011年3月15日 (火) 12:40 (UTC)

  • 賛成  Miki08さんの提案に賛成します。決定意的根拠がないのですから、妥協は必要でしょう。両論併記の精神にも合致すると思います。--ちゃんこなべ 2011年3月15日 (火) 12:40 (UTC)
  • 賛成 Miki08氏の提案に同意。スジの問題→解決、南京事件のほうが使用例多い→根拠なし。元々、根拠のない情報で改名されてしまった訳ですから戻すべきです。--kei 2011年3月15日 (火) 13:04 (UTC)
  • PSIA氏へ。「特定の語句を囲って他の部分と区別する記号。」がひとつの意味であることを理解しつつ、それを一般語句として使用しない場合に用いる記号と言いきっちゃうのは正しくないと思います。複数ある中からの一つの意味ですから。厚生労働省では[67]の「子ども手当」や「振り込め詐欺」や「個人情報の詐取」で「 」を用いられてます。特に"子ども手当"では使用・不使用があり、何の法則性も見られないようです。また警察庁のパンフレット[68]では「在ペルー日本国大使公邸占拠事件」、「米国における同時多発テロ事件」、「インドネシア・バリ島における爆弾テロ事件」と全ての事件名に「 」がつけられているようです。最後に東中野氏の研究は日本思想史・東ドイツ史なので、南京大虐殺に関しては「一般よりも詳しい人物」との評価でしかないでしょう。また東中野氏は著書「南京虐殺の徹底検証」で名誉毀損裁判を起こされ、裁判長に「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と裁判長から言い切られるのは通常ではありえなく、余程のことだと思いますので、彼が「 」を使用してようがしてまいが何ら影響は無いものと考えます。
  • 大和屋敷さん、こちらは「筋違い」同意しました。一つお願いですが、大和屋敷氏が記述された「 」付とカッコなしを区別頂けますようよろしくお願い申し上げます。仮に外務省の当該ページに依拠すると仮定したばあい、titleは【「南京大虐殺」】であって【南京大虐殺】とはなりません。との部分は誤解されると思いますので取り消しの上、ご訂正頂ければと思います。【歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件の方を採用することが増えている】についてはすでに証明済みについては、お手数ですが該当箇所の提示をお待ちしてます。
  • Miki08氏のご意見に同意します。ガイドラインに論点先取りの記述が併記されてなければ、その制約を受けないということでしょう。NPOVに関しては、そもそも南京大虐殺がPOVとはならないと考えます。--kei 2011年3月15日 (火) 13:04 (UTC)
Wikipedia各言語版の記事名を以下に記します。(記事数の多い順に10言語(日本語版除く)、括弧中は単語の意味を示す)
英語版
Nanking(南京) Massacre(大虐殺)
ドイツ語版
Massaker(大虐殺) von Nanking(南京)
フランス語版
Massacre(大虐殺) de Nankin(南京)
ポーランド語版
Masakra(大虐殺) nankińska(南京)
イタリア語版
Massacro(大虐殺) di Nanchino(南京)
スペイン語版
Masacre(大虐殺) de Nankín(南京)
ロシア語版
Японские(日本) военные(軍事) преступления(犯罪) в Нанкине(南京)
ポルトガル語版
Massacre(大虐殺) de Nanquim(南京)
オランダ語版
Bloedbad(大虐殺) van Nanking(南京)
スウェーデン語版
Nanjingmassakern(南京大虐殺)
中国語版
南京大屠殺
このように、総記事数上位10言語のうち記事名に「事件」を採用しているものはありません。ほとんど全ての言語において「大虐殺」が使用されており、使用されていないロシア語においても「軍事犯罪」となっています。
また、Googleでの検索結果は
"南京事件"
約1,040,000件
"南京大虐殺"
約1,330,000件
と、Amazonでの検索結果は
"南京事件"
657件
"南京大虐殺"
715件
と、なっています。Googleでは約290,000件、Amazonでは58件「南京大虐殺」という名称の方が「南京事件」よりも多くヒットします。
これらの事を以て「南京事件」という名称より「南京大虐殺」という名称の方がより一般的でありWP:NCに則ればより相応しいと判断できます。この状況で記事名を「南京事件」という名称にする合理的理由はどこにもありません。
また、附記しておきますと、実際にこの事件があったかどうかは記事名を決定する上で問題ではありません。WP:NCにもあるように、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」であることが重要なのです。そして、名称の通用しやすさを考えると、上記のWikipedia各言語版の議事名に加え、Googleでの検索結果、Amazonでの検索結果、さらに上でkeiさんが示されました外務省のページで「南京大虐殺」という呼称が用いられていること、これらの全てが「南京大虐殺」という名称の正当性を支持します。
さて、ここで「南京大虐殺」の正当性を提示しましたが、反対される方にはここで私が示したものよりも強い正当性を「南京事件」なる名称について提示してもらいたいものです。 --Gnqnf 2011年3月19日 (土) 14:07 (UTC)
随分強気なコメントですが、あなたがあげた根拠はほとんど全て既に議論されているものです。ここは日本語版のため、他言語版に従わなくてはならない理由はなく、用例数についてもさんざん議論されています。根拠なくといわれてますが、学術用語なので学会のトレンドに従うべきというのがわたしの意見でそれ故、南京事件を支持しております。--Truesight 2011年3月19日 (土) 15:11 (UTC)
議論されていても、明確にそれを否定する論拠が見当たりません。他言語版に従う理由は無くとも海外ではどのような表現が一般的であるかの参考になります。また用例数について議論されても、それでもなお少数派である「南京事件」が妥当であるとの論拠は見当たりません。どのように学会のトレンドであるのか存じませんが、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」べきであることはさんざん指摘されています。阪神・淡路大震災は正式名称兵庫県南部地震です。マスコミが阪神大震災や関西大震災と表現し始め、「阪神・淡路大震災」の呼称が一般的なものとなりました。よって学会のトレンドは関係ないでしょう。--kei 2011年3月19日 (土) 15:37 (UTC)
あなたが上で他言語の用例を引いてきたとき、きちんと反論したと思うのですがここは日本語版ですので日本語の名称を載せるべきなのです。他言語は他言語です。たとえばロシアは南京大虐殺を使っていませんが、あなたの主張はロシア語版でも南京大虐殺を使うべきといっているようなものです。参考にもなりません。また一般用例数はほとんど拮抗しているような状況で有意な差はありません。このような中、大和屋敷さんが仰っているように、学会、教育界を中心に南京大虐殺→南京事件の書き換えが起こっていることをを考え合わせると南京事件を採用せざるをえないでしょう。また、学会のトレンドは関係ないと仰ってますが、Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意には「修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使ってください。より信頼できるのは、学術団体が関与しているものです。もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。」と書かれており、学会での用例を使用せよとされています。--Truesight 2011年3月20日 (日) 04:35 (UTC)
  • コメント えー、見たところ突然投票行動に移ってしまったようですので賛否を表明させていただきましたが、一応確認しておきますと、本節は賛否を投票によって問う場と考えてよろしいんですよね?その上でまずGnqnf氏、人にはさまざまな考えがあり、その上で差を埋めるための議論がなされ、投票という形になっているのに、ご自分の考えと違う人間が多いからといって「こっちが正しいのでなんでお前らはそっちに投票するんだ」とその場で言われるのは腑に落ちませんし、投票行動そのものを批判される謂れはないと申し上げておきます。それは賛成している方々に対しても同じです。また、Gnqnf氏は新規にアカウントを取得された方のようですが[69]、最初の編集が上記のようなコメントであるというのは通常では考えられないことであり、そういった方が上のような理由でご自分とは違う投票行動を行ったことユーザーについてバッシングされるというのは、申し訳ないですが何らかの思想信条をもった方による本投票に対する阻害、もしくは攪乱行為ではないかという疑惑を抱かざるをえません。また他の方のコメントにしても、ご自分の考えを支持しているからといってそれに追従し、そういった不自然な点や謂れなき批判についての指摘が一切なされていないというのは、中立性という観点から正直いって失望感を覚えました。--CHELSEA ROSE 2011年3月19日 (土) 22:06 (UTC)
経験則ですが、通常、 賛成 反対 を使用するのは、一種の合意形成に向けた投票(改名に限らず)を行う場合に限られると思います。当ノートページのログを見ても、使用されているのは正式な提案を行ったケース1例のみです。投票の段階でないのでしたら普通にコメントのみで意見を述べるべきであり、今回はタグを使用することによって周りまで引きずられる形になってしまいました。いずれにしましても、Gnqnfさん自身が最初に「投票」という言葉を使われており、そういった認識の元で、反対表明そのものに対する批判は、不当なものであることに変わりはないと氏にお伝えしておきます。--CHELSEA ROSE 2011年3月20日 (日) 16:27 (UTC)
  • コメント私の認識としては、まだ投票の段階ではありません。これだけの議論が白熱する問題ですから、ちゃんと投票所を設けて投票を行うべきでしょう。
    余談ですが、Truesightさんがkeiさんに対し「あなたが上で他言語の用例を引いてきたとき、きちんと反論したと思うのですが…」と書かれていますが、過去、その様な反論をした部分は見当たりません。そういう反論はNakata88さんの2011年2月25日 (金)の投稿ぐらいですね。それと書いている内容が、Nakata88さんに非常に似てきているように思えます。--ちゃんこなべ 2011年3月20日 (日) 13:05 (UTC)
  • コメント 外国語版での表現について:各国があの事件をどういったスタンスで見ているかの参考には十分なります。参考にしたからと言ってロシア語版に南京大虐殺を使うべきということにはならないでしょう。「参考にならない」と主張されたいなら、もう少し論理立った説明を願います。
「南京大虐殺→南京事件の書き換えが起こっている」について:当該ページは当初より長く「南京大虐殺」となってました。例え拮抗していようとも、あらゆる集計で依然として「南京大虐殺」が上回っているわけですから、南京事件を採用する理由ともなりません。そもそもが改名の論拠であった「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている」という論理が成立してません。
信頼できる情報源について:全くその通りだと思います。よって「学問的成果に値しない」東中野氏の主張は採用できません。写真についても彼以外に否定する人物がいない場合は、写真否定の根拠とはならないでしょう。但し、titleについては「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」べきと考えます。「阪神・淡路大震災」は一般名称であり、スジが悪いとされるマスコミが使い出したものです。--kei 2011年3月20日 (日) 14:28 (UTC)
  • Wikipedia他言語版のタイトル選定には出典はむろん、まともに議論した形跡すら記載されておらず、Wikipedia編集ルール上論外ですね。問題外の論点提示です。もうちょっとまともな提案をお願いします。google検索などは論外です。--大和屋敷 2011年3月20日 (日) 17:03 (UTC)他言語版がどのような編集状態(独自研究による)であろうが、Wikipedia日本語版としては「知ったことではない」のでは?この問題について関心が高いのはせいぜい日本と中国・台湾くらいですので、中国の英語がお上手なひとが英語版を立項して、そのまま無関心を根拠に放置されているのを、他言語版がさらに翻訳していったと考えるのが妥当でしょう。英語版について言及すれば、本来なら英語としてより根拠あるtitleは「THE RAPE OF NANKING」(極東軍事法廷判決文言)であるべきです。--大和屋敷 2011年3月20日 (日) 17:09 (UTC)これに相当する極東軍事法廷判決文言(和文)は「南京暴虐事件」です。--大和屋敷 2011年3月20日 (日) 17:21 (UTC)
  • コメント 大和屋敷さんは、keiさんが提示された観点について、「論外」「問題外の論点提示」「知ったことではない」などという感想を述べられていますが、これは、まともに議論する態度に思えません。もう少し冷静に、紳士的に議論を行ってほしいと思います。
    keiさんが提示された観点に関しては、Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件において「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と書かれていることからすれば、外国語の状況、googleの検索数は共に一般性を示す指標となります。これらを無視することは、Wikipedia:記事名の付け方に反することではないでしょうか?--ちゃんこなべ 2011年3月21日 (月) 13:12 (UTC)
  • 大和屋敷氏はまず「」付とカッコなしを区別頂けますようよろしくお願い申し上げます。と発言した後で、他のWikipedianにその解説を求めるのは筋違いではないですかと発言された件のご回答もしくは訂正をお願いします。今度は見落とされないようにアンダーラインを引いておきますね。
  • 諸外国ではあの事件をどのように見ているかを参考にすることに問題は無いと考えます。外務省での公式見解では、諸外国で恐らく一般的であろう名称である「南京大虐殺」の名称を使用してます。
  • 「中国の英語が上手な人が・・・」とされてますが、こちらは「南京大虐殺」の記述が多数を占めているとの事実を提示したのに対して、大和屋敷氏はこの問題について関心が高いのはせいぜい日本と中国・台湾くらいですので、中国の英語がお上手なひとが英語版を立項して、そのまま無関心を根拠に放置されているのを、他言語版がさらに翻訳していったと考えるのが妥当でしょう。と憶測の積み重ねで反論されています。これでは議論が成立しません。分かりやすく例を出しますと、その論理でいけばカティンの森事件はきっとポーランド人が、英語版を立項して、そのまま無関心を根拠に放置されてるのを、他言語版がさらに翻訳したことでしょう。あとダルフール紛争ルワンダ虐殺アウシュビッツでの数々の犯罪行為も全てそういうことになります。それと、ちゃんこなべ氏もおっしゃってますが、今後は大和屋敷氏が紳士的な発言をされることを望みます。--kei 2011年3月21日 (月) 14:15 (UTC)
  • keiさんとはすでに過去の議論で相互の論点を確認しておりまして、ノートの形式上keiさんの直後の投稿になり、あたかもkeiさんの投稿に対して過去の議論を蒸し返したかのような記述体裁になっており、もし誤解がありましたらお詫び申し上げます。当方の投稿は新規に提案されたGnqnf 2011年3月19日 (土) 14:07 (UTC)に対するものです。よろしくお願い申し上げます。いずれにせよ海外のWikipediaを直接の情報源にするさいには、その記述がどの文献によるものか、また中立性に問題があるのか検証いただくことが重要です。「南京大虐殺」にしたい派のWikipedianの方はもうすこしまともな論点の提示をお願いいたします。このままではラチがあきません。単なる多数派工作はいいかげんうんざりです。大和屋敷はスジのよろしいtitle案は「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」、現在の「南京事件」は中学校教科書では優勢、「南京大虐殺」は文献title数として多くみられる、という事実をくりかえし提示しているはずです。「外国語のWikipediaがー」みたいな得体のしれない判断材料を持ち込まないで下さい。--大和屋敷 2011年3月21日 (月) 17:52 (UTC)keiさんの下線部について。意味が分かりません。外務省の該当ベージはカッコつきです[70]。何をお尋ねになりたいのか意味がわかりません。--大和屋敷 2011年3月21日 (月) 18:09 (UTC)繰り返しますが百科事典として選択すべきスジの良いtitle案は「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」です。阪神淡路大震災兵庫県南部地震の論点提示は非常に良い比較対象の提示だと考えます。当該記事が「阪神大震災にすべきだよ派」「神戸大震災にすべきだよ派」「阪神淡路大震災にすべきだよ派」「大震災じゃなく震災にすべきだよ派」などtitleをめぐって改名合戦などが発生したと仮定したばあい(現実には論争はなく自明のものとして、無関心をおそらくの原因として無視あるいは放置されている[71])、百科事典としての「仮の」titleとして何がもっとも適切で合意が得やすいですか、という観点です。数の多寡に拘る限りこの記事のtitleは現実の、Wikipedia外の議論を持ち込み無意味な多数派工作となるだけです。数が多い少ないではなく「南京大虐殺」にすべきだというスジの良い論点の提案がありますか、と問うています。--大和屋敷 2011年3月21日 (月) 18:09 (UTC)
  • 合意形成を目的にこちらで発言してますので、対応を改めていただけるのであれば私への謝罪は必要ありませんが、議論参加されたGnqnf氏にも、もう少し配慮のある対応をしていただきたいと思います。「多数派工作」とか「いいかげんうんざり」などの表現も控えていただけることを望みます。
  • では本題ですが、私が外務省の「南京大虐殺」表記を提示したところ、大和屋敷氏は「「」付とカッコなしを区別頂けますようよろしくお願い申し上げます。仮に外務省の当該ページに依拠すると仮定したばあい、titleは【「南京大虐殺」】であって【南京大虐殺】とはなりません。」と返答されました。ところがPSIA氏が「なぜカッコを使用しているのか?疑問|kei氏にはそこらをお考えになっていただきたいものです」とされたのに対して私が「なぜカッコを使用しているのでしょうか」とやり取りしてるのを「ちょっと読ませて頂きましたが外務省の該当HPにおいてカッコつき南京大虐殺なる記章が表現されていますが、それはたんなる事実関係の確認ですので、他のWikipedianにその解説を求めるのは筋違いではないですか?」とされました。大和屋敷氏もPSIA氏も「」有りと「」無しを区別して考えることを要求していながら、後で大和屋敷氏は「解説を求めるのが筋違い」とされています。ことを荒立たせる意思は無いのであえて"誤解を与える"と表現してました。もっと直接的な表現もありますが、お汲み取りください。
  • 海外の表記に関しては、こちらが「十分参考になる」と意思表示した後、返答を頂いていないはずで論点を蒸し返すも何も議論は決着していないものと考えてます。「海外のWikipediaを直接の情報源・・・」とされてますが、ソース(記事の中身)についてはそれで構いませんが、目次の題名に関しては各国はどのように表現しているかを一つの参考にするのは問題無いと考えます。「南京大虐殺」は文献title数として多くみられる。Wikipediaの記事タイトルでも諸外国の多くがその表現を採用している。ということです。
  • 「南京暴虐事件」は一般的でないので反対ですが「南京虐殺事件」でしたらあの事件の中心的な象徴である「虐殺」という文字が含まれてますので、許容できるかなというところです。では、そちらの案で合意形成に向けて進めてみますか?--kei 2011年3月22日 (火) 15:51 (UTC)
  • 大和屋敷個人の現状分析によれば「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」が良さそうだと考えているのですが、南京軍事法廷を元とした情報が今のところ希薄すぎまして、南京での(おそらく中国語の判決であろうとおもわれる「南京大屠殺」に該当する和文とかの情報)の提示がないのだろうかと、チト待ちたい気分はあるのですが...。いかんせんWikipedianはどこの誰とも知れない無名の編集者だけの集団ですので、ここでいくら議論を煮詰めても、外部の、より適切な新情報により「あっさり」と転覆させられる可能性があります。ですので、編集者の諸氏には、あくまで仮の(百科事典上の)titleの選定として、何が妥当で解説的でスジがよい(検証可能性・中立性)か判断頂きたいと存じます。当方は「南京暴虐事件」のほうがチト百科事典的かなと感じるのですが、title「南京虐殺事件」は日中歴史共同研究の日本語版[72]で使用された語彙であり、叙述性として非常に優れていると感じています。合意形成について、他の方のご意見はどうでしょうか。【「南京暴虐事件」or「南京虐殺事件」】より【「南京事件」or「南京大虐殺」】がtitleであるべき、とする論点が御座いましたら提示をお願いいたします。--大和屋敷 2011年3月22日 (火) 17:48 (UTC)keiさんの前段の論点については過去ログをしっかり読み込んでください。ディベートではありませんので「論題を最後までひっぱって得点にしたほうが勝ち」はムダに枝葉末節の投稿を必要とさせ他の編集者の方に迷惑ですので、そのような論法は気に入らない相手を追放するときなどのさいなどに「効果的に」使用してください。m(_ _)mヨロシク--大和屋敷 2011年3月22日 (火) 17:59 (UTC)
枝葉末節で無く本筋のお話しをしてるはずなんですが。外務省HPの"南京大虐殺"表記で「」が付いているので、「通常とは取り扱いが違う」という主張をされるのなら、その理由を述べなければ否定したことにはなりません。「筋違い」というのは"「」"の記号の有無に意味は無いということを認められての発言だと思ってましたが、そうであるなら該当箇所の訂正をすべきですし、違うのならその理由をお知らせ願います。--kei 2011年3月24日 (木) 14:23 (UTC)

コメント おじゃまします。言語上のニュアンス、文化、歴史・経緯の相違がありますので、必ずしも外国語版のWikipediaに準拠すべきだとは思いません。また、GoogleやAmazonでの検索結果もパーセンテージ的には僅差であり、慎重な議論が必要だと感じます。ノート全体を咀嚼した上で、またコメントしたいと思います。--貫鉄 2011年3月27日 (日) 05:56 (UTC)

  • ウィキペディアは正式名称を用いる必要はないですから、究極的には「南京事件」と「南京大虐殺」のどちらの呼称が日本語使用者にとってのコモンセンスであるのか、ということになるのでしょうがどちらの表現も書籍などで見られるために難しいですね。まだまとめておらず個人的な雑感の域を出ませんが、どうも他の辞典や辞書では南京事件という記述の方が多い印象を受けますが。--パンダ三郎 2011年4月21日 (木) 15:32 (UTC)

IPアドレス投稿者氏の投稿内容について、および保護依頼[編集]

2011年3月2日(水)04:13版[73]以降にリバート合戦が発生しており保護依頼を提出致しました。IPアドレス氏により投稿されました形式では「百科事典としての体裁をなしていない」ためリバートしてあります。おそらくIPアドレスさんは記事:南京事件 (1937年)をお読みになって、非常に問題があり、間違っている箇所があると(ご自身の知見から)考えられてコメントを挿入されたのだと考えますが、Wikiepdiaは百科事典ですので、第三者の訪問者(読者)が読んで百科事典とわかる体裁が必要になります。間違いのある現行記述については本文でそのあやまりを指摘する形式(「果たしてそうなのだろうか?」などで始まる一文)ではなく、引用元を明示のうえ記述を加筆するなり適切に修正して下さい。くりかえしますが貴殿が投稿されました「内容について問題がある」のではなく「体裁」の問題です。ある話題やtopicを記述するためには、信頼できる引用元を参照するかたちで「充分な」記述が必要です。--大和屋敷 2011年3月3日 (木) 18:33 (UTC)

  • 「体裁」を充たしていないという客観的な基準を提示することを求めます。あなたの主観的な判断でしかありません。また「体裁」が整えられていると見られる箇所もリバートしている理由の提示も求めます。--222.144.10.95 2011年3月4日 (金) 02:16 (UTC)
  • 大和屋敷さんに同意します。IPさんは、まず、記述のソースを付加してください。文末をそろえることも重要です。IPさんの主張を他の主張と同等の観点から見れるように文末を中立的表現にするように心がけてください。きちんとした信頼できるソースがあれば削除はほぼできません。Nakata88 2011年3月4日 (金) 03:42 (UTC)
編集方針にWikipedia:ウィキペディアは何ではないかがあります(2.2個人的なエッセイ・公開討論の場、2.3論評、の各項をお読み下さい)。当記事のようにとくにWikipediaの外で激烈な議論が行われているような主題記事については、とりわけWikipedia:検証可能性について慎重に記述してください。文献情報の紹介方法はWikipedia:出典を明記するというスタイルマニュアルが参考になります。なお百科事典としての体裁を満たしていないというのは大和屋敷による主観的な判断です。Wikipedia編集ルール上問題がある箇所については、以下問題箇所を個別指摘してありますので宜しくご検討ください(フリーアプロダのためリンク切れになりました<(_ _)>2011.3.5)大和屋敷 2011年3月4日 (金) 04:01 (UTC)
  • 丁寧・真摯な対応を取っていただき、ありがとうございます。65、編集方針に沿った形で書き直したいと考えています。66、御指摘の点に沿って撤回・修正させていただきます。「大規模な残虐行為」という語句は、単語の語感のみに依存してなんらかの印象を与えるだけの叙述であると考えられますので、これらの語句は「掃討戦」等のより具体的な表現方法に改めさせていただきます。67、御指摘の点は当然のことですが、便衣兵の安全区侵入は、それ自体が国際法違反です。中国側は、安全区を非防守都市として宣言しておりました(日本側は認めていない「1937年12月8日上海における日本大使館報道官発表」)。にもかかわらず、兵士を侵入させ武器・弾薬等を隠匿することは、背信行為に当たります。この点についてラーベも問題としています(ラーベ日記や1号文書いわゆるラーベの感謝状)。68、ハーグ25条については、原爆判決(東京地方裁判所 昭和38年12月7日判決)にて、防守都市に対して無差別攻撃が許されることを理由を提示して認めています。1949年のジュネーブ条約や議論が1937年の南京に適用されないことは、事後法の禁止の大原則によって明らかですので、削除の理由がありません。69、70、71、御指摘の点に沿って撤回・修正させていただきます。--222.144.10.95 2011年3月4日 (金) 08:00 (UTC)
「・・・にもかかわらず、兵士を侵入させ武器・弾薬等を隠匿することは、背信行為に当たります。」とありますが、もともと武器や敗残兵を難民区に入れないだけの実力を有していないこともあって日本側は中立とは認めなかったので背信行為とは言いがたいと思います。--Sweeper tamonten 2011年3月8日 (火) 14:19 (UTC)

タイトル差戻し提案[編集]

本タイトルは長く「南京大虐殺」となってましたが、2010年6月7日にあるユーザーより、「歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている」ことを根拠に改名提案がされました。当時の経過は下記の通りです。

2010年6月 7日 改名についての提起(これまでそういった議論は見当たらない)
2010年6月 7日 改名提案手続き(議論参加者及び投票者3名)
2010年6月14日 新たな投票者も無く締め切り、改名

となりましたが、下記点において矛盾が生じており、一旦記事名を差戻した上で改めて妥当なタイトルを検討すべきと考えます。(ここでは便宜上「南京大虐殺」を「虐殺派」、「南京事件」を「事件派」と表現します。)

  • 問題提起時の議論参加者3名のみで投票が行われ、新たな参加者が無かった。
  • 当時の改名についての提起者及び手続きと「賛成票」1は、至る所で「偏向的な編集」や「ルールの悪用」、「強引な編集を繰り返す」など問題の多いユーザーとされ、現在は無期限ブロック処分されている。(よって、時期が違えば提案すら無かったものであり、それを省いても賛成票1、中立1となる)
  • 事件派の「採用することが増えている」という主張は個人的な印象のみで、十分な統計データの提示や検証に基づいた議論も無かった。
  • 最近まで「南京大虐殺」のタイトル変更を強く否定していたユーザーは多重アカウントによる無期限投稿ブロックを受けており、結果、積極的に活動していた事件派2名が不正利用者であった。(当該ページで多重アカウントを使用していたとすれば、議論進行において非常に有害な行為)

対立する意見は下記の通りです。

事件派の論拠

  1. 歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えている
  2. 「南京大虐殺」はマスコミが使用しだしたものでスジが悪い
  3. 「虐殺」という文字使用は中立的でない

虐殺派

1の反論=個人の印象であって客観的なデータ提示や検証が無く進められているが、実際には、国会図書館OPAC検索や国立情報学研究所cinii検索のいずれも「南京大虐殺」が上回っている。
2の反論=「阪神・淡路大震災」もマスコミが使用したものであり、現在では正式名称以上にそちらが定着。また外務省公式HPでは「南京大虐殺」が使用されている。
3の反論=事件の性質を表現しているものであり、POVには当らない。タイトルのどの表現がPOVでどれが該当しないと主張するそれ自体がPOV

以上、出来れば合意形成を経てタイトルの差戻しをしたいと考えます。やむを得ず投票に至った場合は20~30人程度の投票ではなく、実際に一般的な名称がどちらかを確認するのも兼ねて、50名や100名程度の投票となることを希望します。

※以上の記述で誤りがある場合や議論進行において、合意した部分は修正する場合があります。不足した部分や認識に誤りがあればご指摘ください。--kei 2011年3月31日 (木) 13:03 (UTC)

差し戻ししたいお気持ちは分かりますが、改めて提案する前に、これまでの議論で誰と誰が差し戻し賛成、誰と誰が差し戻し反対を表明しているか、これまでの賛否を一度整理・集計したうえでご提案いただきたいと思います。--miya 2011年4月2日 (土) 00:18 (UTC)
Nakata88さんがブロックされたのは事実ですが、ブロックされたユーザーの行為がすべてがすべて問題行為である訳ではないでしょう。Wikipedia:ページの改名に則ったもので改名提案の手続きにもなんら問題はなく、変更後半年間異議もなかった事を考えると期間が短く強引なものだったという事もありません。差し戻すべきだとお考えになるのはかまいませんが、前回のものと今回のものは分けて考えるべきだと思います。--はぬまん 2011年4月2日 (土) 08:22 (UTC)
先にも意見しましたが、改名提案が手続的に瑕疵があったものでもないですし、もう少し合意形成を丁寧にやるべきだったと思うだけで、問題はなかったと思います。誰が改名提案したかはそれほど問題視すべきものでもないかなと思います。--TENDERAS 2011年4月2日 (土) 10:15 (UTC)
もちろんルールを逸脱しているとは考えてませんが、当時の改名された論拠が成立していなく、それを参加者の誰一人検証や議論もなく進められているという点に少し疑問を感じています。ただ、その一つだけをとって差戻しというわけで無いことは上述の通りです。あと、現状でも「南京事件」を推す論理が反論される度に変わっており、今一つ明確な論拠が見当たりません。--kei 2011年4月2日 (土) 16:19 (UTC)
  • 「南京大虐殺」を推す明確な論拠が今一つ見当たりません。現状でも「南京大虐殺」を推す論理が反論される度に変わっています。「さしもどすべきだ」という主張だけが参加者の誰一人検証や議論もなく進められているという点に少し疑問を感じています。--大和屋敷 2011年4月2日 (土) 20:38 (UTC)

大和屋敷さん、「」についての返答が相変わらずありません。それともう少しマナーを持った書込みをしてほしいところです。--kei 2011年4月3日 (日) 04:38 (UTC)

おいら、今まで流れを見てただけの人だけど、大和屋敷氏の弁解を聞きたいかな。答え待ってるよ。じゃ--118.105.192.8 2011年4月3日 (日) 06:01 (UTC)
  • keiさん、何を質問してるのかわからんです。IPアドレスさんは「弁解」とかレッテル貼って逃げないでくれよ。「」についての返答って何のことを聞きたいのですか?提案に関係のない話題なら私のノートにでも投稿してもらえませんかね?南京大虐殺にすべきだとするまっとうな根拠が提示できないからといって、他のWikipedianを個人攻撃することで何事かを立証したようなフリは止めてもらいたいです。提案者は南京大虐殺にすべきであるという積極的な根拠をまず提示してください(過去にすでに充分に議論されつくした論点を除いて、です)。--大和屋敷 2011年4月3日 (日) 06:30 (UTC)
  • どうも個人攻撃でお茶を濁されてるようでイヤなので、keiさんの要約とは別に過去の議論を整理しておきたいと思います。論点は当wikipedia記事のtitleをどうするか、ということです。Wikiediaはその性質上、titleは選ばなければなりません。主要なtitle案は「南京事件」「南京大虐殺」があります。Wikipedia記事の選定に関するガイドライン[74]によれば「認知度が高く」「曖昧でない」「正式な名称」が好ましいとされています。過去のWikipedianの報告によれば「南京事件」「南京大虐殺」の認知度は拮抗しています。ただしいずれも「正式な名称」と呼べるべき根拠が発見・提示されていません。「南京事件」「南京大虐殺」とも対象とされる事件の範囲については論者によりブレがあり「曖昧でない」と言い切れるものではありません。極東軍事裁判の判決文によれば「南京暴虐事件」「THE RAPE OF NANKING」です。南京軍事法廷によれば「南京大屠殺」のようです(未確認)。外務省のHPの歴史問題Q&A[75]ではカッコつきで「南京大虐殺」という文字が使用されていることが報告されています。大体こんなところです。さてkeiさんは私に「なぜ外務省のHPで「」で記述されているのか大和屋敷さん答えてください」と質問しています。で、回答します。それは外務省に質問してください。私は外務省の職員ではありませんので。ただのどこの誰ともわからない無名のいちWikipedianです。宜しくお願い申し上げます--大和屋敷 2011年4月3日 (日) 06:45 (UTC)外務省・日中歴史共同研究[76](PDF.P.267~270以降)では「南京虐殺事件」としています(中国語対訳は「南京大屠殺」)。--大和屋敷 2011年4月3日 (日) 06:58 (UTC)
  • 大和屋敷さん、何度も申し上げてますが、当時の改名の論理が成立していないということです。「南京大虐殺にすべき」ではなく「改名の論理が成立していないので一旦戻すべき」ということです。これは「」の件同様、何度も書いていることです。
  • 外務省HPカッコつきで「南京大虐殺」という文字が使用されているとされてますが、通常と取扱が違うということであるならば、どういった意味で「」を使用しているのかをご説明くださいと再三申し上げています。ご説明できないのであれば、反論できていないということです。--kei 2011年4月4日 (月) 13:29 (UTC)
  • 「通常と取扱が違うということであるならば、どういった意味で「」を使用しているのかをご説明ください」とご質問頂きましたが、くりかえしますが、なぜそのように外務省HPが表現してあるのかは、外務省に直接お問い合わせ下さい。外務省代表電話は03-3580-3311です。--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 13:47 (UTC)そもそも大和屋敷は「通常と取扱が違うということであるならば」などという仮定を主張していないハズなのでkeiさんは典型的なストローマンの誤謬に陥ってる可能性があります。--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 15:17 (UTC)くりかえしますが、提案者は当該記事titleを南京大虐殺、あるいは「南京大虐殺」にすべきだとする積極的な理由を開示してください。提案者が質問に回答せず、議論参加者に質問をあびせることで論点を回避し続ける態度は不誠実です。--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 15:17 (UTC)「大和屋敷さん・・・当時の改名の論理が成立していないということです」とのことですが、まずその主張がすでに論駁されて結論を見ているはずです。あなたが個人的にいつまでも納得されていないだけです。つぎに、仮に(仮構として)keiさんの主張が成立するというという虚構を想定したとして、なぜ南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」なのですか、と問うています。なぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」なのですか?積極的な理由をご解説ください。--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 15:27 (UTC)
  • むしろ中国の古典的論法に従うなら、南京大虐殺事件は南京事件ではない。大虐殺とは範囲と行為の凄惨性の概念であり、この概念がむすびついた南京大虐殺事件とは南京事件とは異なる(白馬非馬説)。この場合、白馬は馬ではないというのは詭弁であり、南京大虐殺事件とは南京事件のことである。--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 16:18 (UTC)
  • ところでkeiさんは「南京虐殺事件」というtitle案はどう思いますか。「南京大虐殺」の方が良いですか?--大和屋敷 2011年4月4日 (月) 16:18 (UTC)
  • まず、「当時の改名の論理が成立していない」という部分に反論が無いということは、同意したということでよろしいですね。
  • 通常と違うと思うが、理由は分からないということですか?もしこれで反論出来ていると思っているなら、「議論」というのを理解されてらっしゃらない。それを説明する責任は異を唱えた側にあります。こちらはそれに意味は無いという主張ですので、わざわざ外務省に聞く理由が存在しません。理由も述べず意味が違うとか、挙句に理由はそっちが調べろとまで言い出されますと、言い方が悪いですが、単にケチをつけているだけで議論ではありません。
  • 当初「」付とカッコなしを区別頂けますようよろしくお願い申し上げます。仮に外務省の当該ページに依拠すると仮定したばあい、titleは【「南京大虐殺」】であって【南京大虐殺】とはなりません。
とされてましたが今回
「通常と取扱が違うということであるならば」などという仮定を主張していないハズとされてます。「区別しろ」と言っておきながら「通常とは取り扱いが違うというような主張はしていない」では相互で矛盾してませんか?この二つを読み取って、では一体何を主張したいのか意味が分からないんですが。
  • 以前から、チェリーピッキングとか枝葉末節やストローマンの誤謬など難しい言葉を使用されてますが、普段から使わない言葉を無理に使うと引用自体が間違っていたり、逆に自身の行動がそっくり当てはまったりしてしまうことがありますので、無理にご使用にならないほうが良いですよ。それと一つお願いですが、思いつくたびに記述されると返答する側も本筋でない、枝葉末節なものにまでお付き合いしないといけなくなるので、出来るだけ返答や反論は頭の中で一旦整理して、まとめて記述していただきたいと思います。--kei 2011年4月5日 (火) 14:26 (UTC)
  • 議論参加者に提案内容と関係のない話題を質問することで論点をそらさないようご協力いただきますようお願い申し上げます。提案者はなぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」だとすべきとお考えで今回のご提案をなさっておられるのですか?積極的な理由をご解説ください。このままでは何もご提案がなされていないのだと判断せざるを得ません。--大和屋敷 2011年4月5日 (火) 17:52 (UTC)
2の反論において外務省公式HPでは「南京大虐殺」が使用されている。と記述しているにも関わらず、大和屋敷氏は不十分な反論のみで「関係のない話題」や「論点をそらす」など申されてますが、どちらがそのような行動をされてるかは見る人が見れば分かることです。こちらが再三質問していますが、何かキチンと返答するには都合の悪い質問だったのでしょうか。--kei 2011年4月8日 (金) 15:36 (UTC)
討論に復帰させていただきます。今のkeiさんの発言からすでに1週間経ちましたが、大和屋敷さんからの返答がまだありません。反論できなければkeiさんの提案もそろそろ投票段階に移動していいでしょうか。--Zhxy 519 2011年4月16日 (土) 03:37 (UTC)
  • 議論参加者に提案内容と関係のない話題を質問することで論点をそらさないようご協力いただきますようお願い申し上げます。提案者はなぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」だとすべきとお考えで今回のご提案をなさっておられるのですか?積極的な理由をご解説ください。このままでは何もご提案がなされていないのだと判断せざるを得ません。--大和屋敷 2011年4月16日 (土) 12:48 (UTC)提案時からすでに半月を迎えており、そろそろ今般のkei氏による提案については根拠なしということで閉鎖工程に入りたいと思います。よろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年4月16日 (土) 12:53 (UTC)
  • keiさんは、最初の提案の中で、「南京大虐殺」と「南京事件」について、それぞれ論拠を整理されていますので、「南京大虐殺」を推す理由もそれで十分でしょう。Zhxy 519さんも提案されている通り、そろそろ投票にすべきだと思います。投票提案を否定する積極的な根拠もないと思われます。--ちゃんこなべ 2011年4月16日 (土) 13:24 (UTC)
ほとんど同じような内容となってしまうために控えておりましたが、投票とのことで改めて発言します。前回「南京大虐殺」から「南京事件 (1937年)」へと改名されたことを差し戻す、というのなら問題なく行われた合意を差し戻す行為であり反対します。また、改めて「南京事件 (1937年)」から「南京大虐殺」へと改名すべきだとの御主張ならこのような不満はありません。あくまで「差戻し提案」に対して改めての反対を表明させていただきます。また、同時に投票行為そのものにも反対させていただきます。--はぬまん 2011年4月16日 (土) 16:06 (UTC)
  • 「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」への改名提案を行いたいと考えていた矢先に、この不毛な差し戻し提案が出されてウンザリしているのですよ。いいかげんマトモな提案理由の提示をお願いできませんか?南京大虐殺とすべき説得的な理由は何ですか?--大和屋敷 2011年4月16日 (土) 17:27 (UTC)改名手続きが少数のものによりなされたので瑕疵があるだとか、議論(Wikipedianによる)が尽くされていない、だとかいう民主主義的な話しをしているのではないですよ!。信頼できる外部の文献を渉猟し考量した結論として、「南京暴虐事件」「南京虐殺事件」「南京事件」というtitleではなく「南京大虐殺」が適当であると評価する根拠を提示してください。提案者に御座いますのでしょうか?--大和屋敷 2011年4月16日 (土) 17:38 (UTC)
  • コメント投票は最終的な手段なので出来れば合意形成を図りたかったんですが、議論参加者の多くがそれを望むのであれば否定しません。今度の投票はより広く告知されることを望みます。大和屋敷さん、今後は"「」"についての返答をした上で議論参加いただきたいものです。それとノートにて反論しておきました。納得のいく返答ができなければキチンとした謝罪をお待ちしてます。--kei 2011年4月17日 (日) 02:07 (UTC)※インデントにつき箇条書きにしました。--Zhxy 519 2011年4月17日 (日) 04:03 (UTC)
  • コメント大和屋敷さんがこのページにおける今までの方々が提示した根拠をキチンと読んだのか疑問を抱えています。ちゃんと一つ一つご本人からの反論をなさったんでしょうか。また、「南京大虐殺」移行の議論が尽くされてない様な発言をなされば、「南京事件(1937年)」移行に関する議論はさらに尽くされてなく、移行自体が性急な編集だと言えるのではないか。一週間前のkeiさんの返答や質問をキチンと対応せずに議論閉鎖を求める行為は、くれぐれも話題をそらそうと思われることではないようにして頂きたい。--Zhxy 519 2011年4月17日 (日) 03:58 (UTC)
まず「一旦記事名を差戻した上で改めて妥当なタイトルを検討すべき」とせねばならない理由がありません。差し戻してから検討せずとも妥当なタイトルで合意できるのならば一度差し戻す必要性がありません。過去の合意に対して不満があるからといってその不満点を元に合意を覆そうというのは過去の議論に参加した方に対し失礼なのではないでしょうか?先にも申したとおり別の改名提案で元の「南京大虐殺」にするべきだ、という主張ならばかまいません。合意そのものに問題があるのであれば差し戻しもやむなしでしょう。しかし前回の合意において合意形成は問題なく行われており手続き上も問題がありませんし、反対意見のなかった議論に検証がないから不当だというのも主張として無理があります。事件派虐殺派の主張論拠は改名提案においては根拠足りえますが、前回の議論ではこのような意見対立自体なかったのですから差し戻すべき根拠にはなりません。--はぬまん 2011年4月17日 (日) 09:10 (UTC)
過去の合意に対し不満を抱えるのはウィキペディアの議論においてよく見られることである。再提案するのはまさしくウィキペディアの礼儀に沿った行為であり、議論もせず単に自分の判断ですぐ差し戻すようなこととは全く違います。さらにおっしゃった「議論に検証がないから不当だというのも主張として無理があります」ですが、検証のない議論を記事に反映するのは当然検証可能性と対立し、「合意」としての成立がより認められなくなるのだろう。特定の議論にレッテルを貼り付けるつもりはありませんが、この点についてのご認識をより深化していただければと思います。--Zhxy 519 2011年4月19日 (火) 12:23 (UTC)
例えば刑事事件において有力な証拠に基づき警察サイドが容疑者を逮捕したとしても、その逮捕の根拠であった証拠が覆れば当然ながらその容疑者は釈放されます。ここで警察サイドが「適切な手続きをもって容疑者を逮捕したのだから容疑者を釈放するのは、その当時捜査・犯人逮捕した警察官に対して失礼だ」と主張しても論理的に正しくないのはご理解いただけると思いますが、これと同じようには考えられませんか。--kei 2011年4月19日 (火) 12:46 (UTC)
ですから「別の改名提案で元の「南京大虐殺」にするべきだ、という主張ならばかまいません」と申しております。今回の議論に際して改めてWikipedia:合意形成を読み直しましたが議論の中身を検証せねば合意が成り立たないようなことは書かれていませんし求められてもいません。合理的な期間内に異論がなければ提案がそのまま決定事項となる、そして前回の議論では異論がなくそのまま合意とされた。それはそれでそれ以上のものではないでしょうと申しているのです。今回検証した結果別の名前の方が良かった、そう仰るのであれば改名提案してそう主張なさればよろしい。そこに前回の合意は関係なく、検証が正しければ前回の合意にいちいちケチを付ける必要もないのです。さらに差し戻したあとにも改名議論を続けるというお話である以上、そのような行為は処理としても手間且つ無駄で必要性がありません。差し戻さなければ議論ができない理由もないでしょう。改名議論がなされている中でご自身の主張が正しいのであれば、一度差し戻すという主張自体本来不要なのです。
(ここから12:46の版を読んでです)警察の例え話はまったく分かりません。職務上のものとウィキペディアン同士の議論では例える対象として適していないように思われます。--はぬまん 2011年4月19日 (火) 13:09 (UTC)
keiさんの例はつまり失礼がなかったという説明であると個人的に思います。「差し戻す提案」か改めて「改名提案」かは提案者keiさんの意見も少しお待ちしたい。--Zhxy 519 2011年4月19日 (火) 14:13 (UTC)
「差し戻す提案」もしくは「改名提案」については「差し戻す提案」を引っ込めることで議論が進展するのであればそれに合わせますが、はぬまん氏は「改名提案」であれば「南京大虐殺」へのタイトル変更に同意するということですか。--kei 2011年4月19日 (火) 15:19 (UTC)
誰も意見を変えるなどとは申しておりません。差し戻し提案に対する反対であり前回と今回の改名提案は別として考えるべきだ、と既に先にも申している筈ですが。改名提案の中身がどのような主張であっても人それぞれで「南京大虐殺」と主張なさるのも自由だ、というだけです。改名提案にしても投票を持ち出されるのならより強固に反対しますが、議論が進むのであれば殊更必要以上に議論に参加するつもりはありません。どのような内容であれ議論の結果も受け入れます。--はぬまん 2011年4月19日 (火) 16:26 (UTC)

はぬまんさん、了解しました。有難うございます。できれば他の議論参加者にもご意見をいただきたいです。--kei 2011年4月20日 (水) 15:26 (UTC)

  • コメント:今までの「大虐殺」を支持する根拠は十分だと個人的に思います。ですから提案の形がどうであれ今のところ異議を唱えるつもりはありません。--Zhxy 519 2011年4月21日 (木) 01:23 (UTC)
  • コメント:先ほど、この議論の趣旨を履き違えた書き込みをしてしまいましたので削除しました。私は個人的には「大虐殺」という表記は好みませんが、ウィキペディアは私の好みで決めるものではありませんし、特に提案を否定する問題性も見受けられないので私もいいかと思います。--パンダ三郎 2011年4月21日 (木) 06:35 (UTC)
  • コメント この議論はすでに半年以上も膠着状態にあり、Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論するの状態を過ぎているのは明らかです。これ以上、議論の進展が認められない以上、Wikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票に移るべきだと思います。はぬまんさんにお聞きしますが、いかなる理由により、投票に反対されているのでしょうか?結局、現状を維持したいがために議論を長引かせているようにも見えてしまいますが…。--ちゃんこなべ 2011年4月21日 (木) 12:28 (UTC)
  • 今般の差し戻し提案が提出されましたのは。keiさんによる2011年3月31日(木)13:03(UTC)によるものです。議論を無用に混乱させないため正確な情報提示をお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年4月21日 (木) 14:03 (UTC)
ウィキペディアンが投票を嫌うのがそんなにおかしい話ですか?持論ですが、投票がまかり通るのであればそれまでの議論自体そもそも無用のものとなるでしょう。その議論に参加しているウィキペディアンの思想とその数によって結論付けられるようなものは受け入れかねます。Wikipedia:論争の解決における投票は調査投票であり今回のような議論の結論を導き出すプロセスではありませんし。半年以上であるから投票を行うべきだという主張も根拠に欠きます。--はぬまん 2011年4月21日 (木) 14:10 (UTC)
  • コメント 投票は議論において合意形成が得られなかった場合に採られるステップなので、反対意見があったとしても影響は無いものと考えます。大和屋敷さん、こちらでの参加目的が非難することに変わってきているように見えてしまいます。以降、議論参加したいのなら先に「」の意味と私への謝罪を先に済ませたうえでお願いします。--kei 2011年4月21日 (木) 14:31 (UTC)

まず考慮すべき点としては同じ趣旨の話題は今までにこの話題以外でも何度かされたため、もうある程度は論点は整理されていることがあります。まだ見ていないという方は一度、拝見するのがいいかもしれません。そして、これ以降に新しい情報や論が提供されるのであれば議論を続けることに意義はあるかもしれませんが、もしもこれ以上の新しいものがないのであれば投票に移行してもかまわないと思っています。肯定派と否定派の意見が出しつくされた上でまとまらないのであれば、それは議論が既にお互いの価値観の違いのレベルで食い違いという高度な段階になっている可能性が高いからです。当たり前の話ではありますが、ノートにおける「同意」とは全会一致のことを指すわけではないですから、ある程度の方が賛同するのであれば投票でもかまわないと思っています。このまま投票するかしないかという議論に引きずりこまれて、この問題自体が煙に巻かれることがあってはその方が問題ですしね。--パンダ三郎 2011年4月21日 (木) 14:40 (UTC)

ウィキペディアは多数決主義ではありませんという方針を無視する発言が続き正直呆れます。ウィキペディアにおける投票は調査投票でありその調査投票も結果を議論の結論とする事は出来ません。調査投票行うのであれば行うに足る理由をご説明いただきたい。ただ議論が長引いて疲れたからと投票を持ち出されるのは甚だ問題行為としか思えません。議論が進むかと安心していたところで何故投票を行うという方向に戻されるのか、私には理解できません。--はぬまん 2011年4月21日 (木) 14:51 (UTC)
  • コメントこの話題の前に存在した改名提案の話題でも一度かなり議論はされ尽くした所はあると思うので、個人的にはこれ以上の議論によって一体何が発展するのかは疑問です。はぬまんさんには何か提供できる新しい論や情報はあるのでしょうか?「あるかもしれない」でこの話題以前からかなり続いた話題をこれ以上に悪戯に引き延ばす意味はあまり感じません。個人的には既に「合意に至るのが難しいときや、一人あるいは少数のユーザーが合意を無視していると思われるとき」という状況になっていると思われます。残念ながら、もう今の状況は投票をするべきかしないべきかという話題で「合意に至るのが難しいときや、一人あるいは少数のユーザーが合意を無視していると思われるとき」になってしまっていますが…--パンダ三郎 2011年4月21日 (木) 15:13 (UTC)
正直改名議論に参加された訳でもない途中参加のパンダ三郎さんが投票を推進されても議論の状況を把握なさっているのか疑問を覚えるのですが…。聞きますが誰が合意を無視しているというのですか?合意に至れなかった、という結論であってもそれはそれで一つの答ではありませんか?議論が頓挫したからといって投票を行ってまで結論とするのはウィキペディアとしては問題以外の何物でもないと私は考えます。わざわざ投票は駄目だと方針で言及されているのは何故なのか?既に申していることですが私は議論の結果としてどのようになっても受け入れます、ただ投票というのならそれは御免被る。真っ当にウィキペディアの流れに沿ったものとなるのならそれでよいと言っているに過ぎません。改めて聞きますが誰が合意を無視しているというのですか?どのような合意に至れそれを誰が無視しているという状況にあるのか?そういったことを踏まえて投票と仰っていらっしゃるのでしょうか?私にはとてもそうは見受けられない。Wikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」の投票は調査投票を指すのであり多数決にて決めよということではない。Wikipedia:調査投票の方法ではその調査の結果を結論としてはならぬとなっている。このようなルールである以上現状の出されている案を調査投票しても多数決をする行為となんら変わらずそれは合意とはとても言えない。それこそ無効として差し戻されるべき合意となるのです。--はぬまん 2011年4月21日 (木) 15:33 (UTC)
  • 私の言葉は「合意に至るのが難しいとき」にかかっており、「一人あるいは少数のユーザーが合意を無視していると思われるとき」には特別かかっていないので誰かが合意を無視しているという意図では申しておりません。なにかはぬまん氏が勘違いしてしまったのであれば、言葉が足らず申し訳ありません。私が言いたいのは単純に議論が既に膠着化しているのではないかということです。何かまだこの議論に発展性を見いだせるのであれば私も投票に移らないでいいと思っております。「具体的にどのように膠着してるのか説明してみろ!」と言われると私も説明は難しいのですが、3,4人の方が投票を了承する程度にはそう見える状況であることは確かなんだと思います。もちろん、多数決を根拠に多数決をする気はありません。--パンダ三郎 2011年4月21日 (木) 15:45 (UTC)
ですから議論を進める為に調査投票を行うべきだとしてもそれに足りる理由をお示しいただきたいと申しているのです。その3,4人の方が投票というのは調査投票として仰っていらっしゃるのか?私には多数決と仰っているようにしか見えないし、そうではないとしても現状行なえる調査投票は多数決にしか見えず合意を邪魔するものとしかならない。意見がまとまらないから2つどれかに絞る為に調査投票を行いましょう、そういう話なら分かります。しかし現状のように絞られた上ではただの多数決となる。本来意見が出しつくされているなら如何様なりとも結論を導き出せる状況となっているのではないのでしょうか?--はぬまん 2011年4月21日 (木) 15:58 (UTC)
  • 差し戻し提案者はなぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」だとすべきとお考えで今回のご提案をなさっておられるのか、早く説明してくださいませんか?出来ないのなら今般の提案を撤回して頂かないと、つぎの改名提案が提示できないので困っているのですが。--大和屋敷 2011年4月21日 (木) 18:44 (UTC)
  • コメントはぬまんさん、前回の参加者3名の投票によって改名された手続き全般および現状タイトルの維持を支持する一方で、今回は投票となることを強く反対することに矛盾を感じますが、その点もう少し詳しくご説明いただけませんか。--kei 2011年4月22日 (金) 15:44 (UTC)
  • コメントはぬまんさん、もう少し冷静に議論されることを望みます。
    今回の議論は、ノート:南京大虐殺(2010年12月14日)以来続いているものであり、記事名は、現状の「南京事件」を維持するのが良いのか、または以前の「南京大虐殺」へ変更(差し戻し)するのが良いのか、または更に別名(「南京虐殺事件」「南京暴虐事件」など)が良いのかを論議しているものです。
    この議論では、多くの方から、多くの意見がなされ、それぞれ多少の優劣はあるもの、ほぼ拮抗した論拠の提出により、議論が膠着しているのが現状です。私が投票を支持するのも、現状として議論が膠着しているからです。
    議論を進展させる必要があることは、誰の目から見ても明らかです。その為に、投票は一つの方法として妥当と言えるでしょう。もちろん、そのほかに議論を進展させる方法があるのでしたら、その方法も検討すべきだと思います。
    さて、はぬまんさんは投票を否定すると仰られるわけですから、他に何か議論を進展させる方法をお持ちなのだと推察します。その方法をご提示願います。
    もし、議論を進展させる方法に持ち合わせがなく、かつ、投票を拒否するというのであれば、議論の進展を妨害していると考えざるを得ないのではないでしょうか?その点、よろしくご考慮ください。--ちゃんこなべ 2011年4月23日 (土) 00:25 (UTC)
ですから方針を無視しないで頂きたい…。前回の改名提案は何度も申しているように反論がなかったために提案がそのまま採用されたのであり、多数決によって決められたわけではありません。翻訳途中で草案となっていますがWikipedia:投票は議論の代用とはならないとされます。議論が進まないからと投票をすべきだというのはウィキペディアンの姿勢としてあるまじき発言です。ちゃんこなべさんはどのようなルール上の根拠で多数決で決めるべきだと仰っているのでしょう?すでに申していますがWikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」は調査投票ですよ?頓着して結論が出ない、それはつまり改名すべきだという主張にも難があるという証左にもなるでしょう。改名すべきだすべきでない、そのどちらかの意図ありきで議論をするからそのような袋小路となるのです。その行き詰まりを投票で打開する、だなんていうのははっきり言って議論を行う上での怠慢です。論点が絞られているのでしょう?だったらそれに対して改めて参加者が意見を出し合うだけでも議論が進むでしょう、ただその改めての意見を投票としてはいけませんよ?--はぬまん 2011年4月23日 (土) 04:25 (UTC)
  • まず、はじめに、差し戻し提案者はなぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」だとすべきとお考えで今回のご提案をなさっておられるのか、早く説明してくださいませんか?出来ないのなら今般の提案を撤回して頂かないと、つぎの改名提案が提示できないので困っているのですが。--大和屋敷 2011年4月23日 (土) 05:11 (UTC)何の建設的な情報の提示もなく、ただ「前回の改名投票が不備であった」といった仮構の論点のみを提示する今般の差し戻し提案は数の暴力に訴えた完全なWikipedia編集ルール違反である可能性があります。まず提案者、あるいはその同調者の方は、なぜ「南京大虐殺」が「南京事件」より適切なtitleであるのか、検証できる情報の提示をお願いします。要は「ごにょごにょ言うまえに、探してきなさいよ」ということです。ずっと待たされるのはいい加減にしてもらいたいのです。最初から探す手間をめんどくさがりみずから提示する意欲は無いのなら、いったん引っ込んでください。--大和屋敷 2011年4月23日 (土) 05:17 (UTC)
  • 3月31日に今般の差し戻し提案がだされましたので、4月30日くらいまでは待たせていただきますので、それまでに提案者及びその同調者の方は「南京虐殺事件」や「南京暴虐事件」、「南京事件」より「南京大虐殺」あるいは「「南京大虐殺」」だとすべきだという説得的な資料を『探してください』。あるいはすでにお持ちのはずなのでそれを提示してください。4月30日までに明記がない場合はいったん(提示すべき資料がまだ発見できていない)と考え、今般の差し戻し提案は根拠がなかったものとして、別の改名提案(「南京暴虐事件」ないし「南京虐殺事件」への改名提案)を提起したいと考えます。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年4月23日 (土) 05:24 (UTC)
  • はぬまんさん、現状タイトルは「賛成2(提案者を含む)、反対0(現状維持よりコメント1)で、一週間経過しました」ということで変更されましたが、これはどう見ても議論が尽くされた結果、改名されているわけでなく多数決である投票によって改名されています。はぬまん氏の論理でいけば、これも強く反対すべきものであり、受け入れがたい結果となっていませんか?--kei 2011年4月23日 (土) 14:04 (UTC)
  • 差し戻し提案者のkeiさん。なぜ南京虐殺事件や南京暴虐事件、南京事件より南京大虐殺あるいは「南京大虐殺」だとすべきとお考えで今回のご提案をなさっておられるのか、早く説明してくださいませんか?--大和屋敷 2011年4月23日 (土) 14:08 (UTC)
keiさん話を聞いてください。何度も申しているように反論がなかった結果の合意は合意形成として手続き上なんら問題がありません。提案してリアクションがなかったのならまだしも参加者もいたのですし、多数決で決定されたというようなことはないでしょう。何より改名すべきだとされる方に投票を推進されるとそれだけ改名すべきだという根拠に自信をお持ちでない様に思えてきます。論拠が確かであれば多数決など取らずともよいでしょうと申しているのですが。--はぬまん 2011年4月23日 (土) 15:28 (UTC)
  • コメント:「投票を推進されるとそれだけ改名すべきだという根拠に自信をお持ちでない様に思えてきます」と思われるのは個人の自由でしょうがないが、どんな記事でもその議論において力ずくで通そうという可能性が絶対無いとは言えないだろう。南京事件(1937年)改名以来このページに残された議論は、まさにWikipedia:投票は議論の代用とはならないの実践ではないのか?むしろ現実的に今の膠着状態を皆さんに認識されて欲しい。--Zhxy 519 2011年4月25日 (月) 08:17 (UTC)
発言の意味を理解しかねます。投票こそ力ずくです。ちゃんこなべさんが本議論をZhxy 519さんにお知らせしたり、Zhxy 519さんが尖閣諸島の話をちゃんこなべさんkeiさんにしにいったりと、参加者の行動含め投票に対して危惧感を抱いております。このような行動の方が投票を主張されてはいざ投票となれば同じようなことをされるのでは、と考えてしまいます。--はぬまん 2011年4月25日 (月) 08:32 (UTC)
  • はぬまんさん、話をすり替えないで下さい。私は手続きが不正だと言ってるわけではありません。
当時の改名に至ったやり取りを再掲いたします。
南京大虐殺を「南京事件 (1937年)」に改名することを提案します。歴史学の分野でも、教科書でも客観的な記述として南京事件 (1937年)の方を採用することが増えているので、そちらに統一した方が妥当だと考えるからです。Nakata88 2010年6月7日 (月) 05:02 (UTC)

(賛成)「南京大虐殺」の用語は、肯定派の一部が使用しており、片や否定派は使用していません。一方、「南京事件」は肯定派である笠原や否定派である東中野など両者が使用している用語でもあり、中立的であると考え、賛同いたします。ちなみに改名提案をしっかりするならばWikipedia:改名提案に則って行うべきかと思います。--PSIA 2010年6月7日 (月) 11:28 (UTC)

(コメント)ご指摘ありがとうございます。改名提案の手続きを行いました。Nakata88 2010年6月7日 (月) 14:46 (UTC)

(コメント)個人的には「南京事件」でもいいとは思いますが、南京大虐殺論争という対になる項目があるので、それと整合性が取れなくなる可能性もあります。また太平洋戦争と大東亜戦争、支那事変と日中戦争といった具合に同じ事象にたいし二つの項目が存在しているので、規定文で断りを入れることで対処すればよいともいえます。そのため現状維持寄りのコメントとさせていただきます。--C・K・K 2010年6月7日 (月) 15:26 (UTC) 南京大虐殺論争は、論争ですし、大東亜戦争は名称の説明なのでそれぞれ独立する理由がありますが、太平洋戦争と大東亜戦争、支那事変と日中戦争といった具合に同じ事象にたいし二つの項目が存在していること自体が、理由があれば名称が変わってもいいという点で、この名称変更の正当化理由にになるのではないでしょうか。Nakata88 2010年6月7日 (月) 15:35 (UTC)

賛成2(提案者を含む)、反対0(現状維持よりコメント1)で、一週間経過しましたので移動しました。なお、ノートページについての移動は異動先に同じ名前のページがあったためできなかったので、管理者に依頼します。Nakata88 2010年6月14日 (月) 08:45 (UTC)

以上のように、議論参加者3名、5発言、7日間によって改名されました。しかも改名の論拠は
  1. 「採用することが増えている」という個人的な印象
  2. 「南京大虐殺」の用語は、肯定派の一部が使用しており、片や否定派は使用していません事実誤認
と、いずれも誤った情報によってなされています。最後の賛成2(提案者を含む)、反対0(現状維持よりコメント1)で、一週間経過しましたに至っては、誰が見ても議論によって合意形成されたわけでなく、はぬまん氏が強く嫌う投票によってなされたもの以外には見えません。--kei 2011年4月27日 (水) 14:11 (UTC)
話のすり替えなどしていませんし私には改名議論を進めればよいところを前回の合意を無効として己の望む形にしようという、keiさんの議論展開の方が話のすり替えであるように思えます。そもそもなぜ投票が駄目なのかを考えれば自ずと答えは出るはずなのですが。投票では議論による合意とならないから問題なのです。そして、前回の合意は議論がなされWikipedia:合意形成によるところの「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」として合意なされたのです。どこをどう取れば投票だという話になるのでしょうか、私にはkeiさんの態度がいつまでも「納得」しないという風に思えてきます。いままで議論の頓着を理由に投票を主張される方がいらっしゃいましたが、このように話を聞かれなくては頓着もするでしょう。大和屋敷さんに対しても同じ質問を繰り返すのでなく、聞かれていることを答えてから改めて自分の聞きたいことを聞くという風に議論を進めることもできるのではないでしょうか?--はぬまん 2011年4月27日 (水) 15:13 (UTC)
(追記)誤った情報と言えるかは個人によって異なる面もあり、その点において不当であると合意を差し戻せるものではないと思います。合意形成において正しい情報でなければ合意とはならない、そのような事はないでしょう、あくまでウィキペディアン個人個人の限界もあります。そして、誤っているとするなら改名議論でそれを指摘して話していけばよいことでしょう、それをわざわざこんな形で話を進めるからややこしくなるのです、と何度も申しているのですがなぜお分かりいただけないのか私には分かりません。--はぬまん 2011年4月27日 (水) 15:27 (UTC)
  • 新情報の提示があるのかと期待しておるのですが、いまだkei氏からは「前回の改名には過失があった」との趣旨の強弁しか回答がありません。3月31日に今般の差し戻し提案がだされましたので、4月30日くらいまでは待たせていただきますので、それまでに提案者及びその同調者の方は「南京虐殺事件」や「南京暴虐事件」、「南京事件」より「南京大虐殺」あるいは「「南京大虐殺」」だとすべきだという説得的な資料を『探してください』。あるいはすでにお持ちのはずなのでそれを提示してください。4月30日までに明記がない場合はいったん(提示すべき資料がまだ発見できていない)と考え、今般の差し戻し提案は根拠がなかったものとして、別の改名提案(「南京暴虐事件」ないし「南京虐殺事件」への改名提案)を提起したいと考えます。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年4月28日 (木) 02:06 (UTC)「差し戻してからあらためて改名提案すべきだ」などという架空の差し戻し提案の強弁も止めて頂けるよう予めお願い申し上げておきますよ。今般のkeiさんの議論のように、なんら新資料の提示のない、たんに他のWikipedianの編集行為のみを非難するような議論は、編集作業の足止めを目的としているものでありウンザリしております。keiさんの当記事における貢献は本編記事では一切なく、ノートにおいて外務省HPの記載を発見してきただけなのですからあまり大きな顔しないでいただきたいです。--大和屋敷 2011年4月28日 (木) 02:12 (UTC)
  • 皆さん、冷静になりましょう。
Wikipedia:記事名の付け方 によると、記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。「南京事件」や「南京事件 (1937年)」と聞いても、多くの人は何のことかわからないと思います。「南京虐殺事件」では、何かの殺人事件をイメージするかもしれません。南京大虐殺、南京虐殺、南京暴虐事件 なら、どんな出来事か理解しやすいように思います。知名度でいえば、2011年2月15日に詳しく述べましたが、日本の百科事典、XX事典、辞書では、”南京大虐殺”が一般的です。--Miki08 2011年4月28日 (木) 12:00 (UTC)
ええ、ですから改名の議論として何がよいのかという議論になるのならいいのです。実際的にどの言い方が一般的かという検証能力は私にはないので、そういった議論となるのであればお任せしますし異を挟むつもりもないのですが、何が正しいのかと言う議論ではなく前回の合意を差し戻してという方法論となるのなら私のような人間が出てくる余地があってしまうわけです。ですから私としてはぜひとも全うな議論をしていただきたいと思っているわけなのですが、差し戻しやら投票やらと言われるのでそれはおかしいでしょう、と申しているわけです。--はぬまん 2011年4月28日 (木) 12:29 (UTC)
前回の改名では合意形成の要件である検討や議論の余地は見当たらないため、投票にあたることをいくら説明したところで議論の進展に変化はありませんでしょうから、一旦この議論からは離れます。さて、記事タイトルがどうあるべきかの本質的な問題は、どの名称が”一般的”であるかということになると考えます。これは即ち大多数がどちらを使用しているかということになりますから、広範囲に行う投票はそれを伺う一手段となりますので有効な方法と言えるでしょう。--kei 2011年4月28日 (木) 15:32 (UTC)
ようやくと言いましょうか、調査投票の必要性に対しての言及をいただけたのですが、既に触れているようにWikipedia:調査投票の方法において投票結果をそのまま合意とするのは問題だとされているわけです。さらにもう一点。名称は一般的なものが望ましいわけですが、その判断にウィキペディアンの投票を用いるというのも問題でしょう。「ウィキペディアンにとっての一般的=世間の一般的」とすることはできないと思います。--はぬまん 2011年4月28日 (木) 15:51 (UTC)
「ウィキペディアンにとっての一般的=世間の一般的」とすることはできないと思います。と否定してしまっては、こちらで合意形成した結論も世間一般での結論ではないということになります。それとも具体的な根拠をお持ちの上で否定されますか?--kei 2011年4月28日 (木) 16:25 (UTC)
  • Wikipedia記事の選定に関するガイドライン[77]によれば「認知度が高く」「曖昧でない」「正式な名称」が好ましいとされています。都合の良い記述のみ引用して他の記述を無視するかのような提示は控えてください。--大和屋敷 2011年4月28日 (木) 16:31 (UTC)「認知度が高い」基準の場合、当記事title剪定において「南京事件」「南京大虐殺」は拮抗しており決定不能(外部の・現実の事情により)であることはすでに議論され、複数のWikipedianにより検証されていることです。この基準にのみ依拠するtitle剪定は不可能です。--大和屋敷 2011年4月28日 (木) 16:31 (UTC)
正直keiさんの発言がいかなる思考から出てきたものなのか理解に苦しみます…。我々はあくまで一ウィキペディアンに過ぎずウィキペディアの記事名として何がよいのかを議論しているに過ぎません。世間一般に対してこの記事の出来事に対しての命名権を持っているわけでもなんでもなく、世間一般での認知度に関しては大和屋敷さんが仰っているように議論が既になされています。その議論を踏まえてなぜ改めてウィキペディアンの一般認識を問わねばならないのか、多数のデータの後にわざわざ少数のデータを基に議論しても何の意味もないと思うのですが。--はぬまん 2011年4月28日 (木) 17:21 (UTC)
はぬまんさん、解釈を都合良く使い分けるように見えることで理解に苦しんでいるのはこちらも同じです。だからこそ議論しているのですから、そのような発言は不要と感じます。認知度に関しての議論は南京大虐殺が多いとの資料を提示してもなぜか大学から出版されたものだけをピックアップしたチェリーピッキングや外務省の「南京大虐殺」記述を示しても、何ら根拠を示さずに「」があるので意味が違う、よってすでに否定されたものと言い張るようなストローマンの誤謬を用いられ、進展が見られないからこそだと考えます。--kei 2011年4月29日 (金) 11:21 (UTC)
解釈を都合よくと言われてもこちらとしては方針やガイドラインを根拠として主張しているのですが。解釈の仕方を言い出すのであればご自身の都合のいいように解釈し前回の合意を投票だと主張されているように感じます。ですからガイドラインに基づいた合意形成ですから問題ありません、と申しているに過ぎません。その私の主張に対しkeiさんはこれといった投票だといえる根拠を示されず主張を繰り返されるので、それはあくまで貴方が主観的にそう思われるだけではないでしょうか、という次第です。
細かい議論に関してはタッチしないと言明し、かつ私の関わっていないやり取りを持ち出されても対処しかねますし、投票を行うという言い訳にもなりません。意見が拮抗し論争もある話題であればこそ長い時間をかけて慎重に行うことは悪いことではないでしょう。拙速に投票までして結論を急ぐ必要はまったくないと思います。--はぬまん 2011年4月29日 (金) 12:11 (UTC)
方針やガイドラインを根拠とされているとのことですが、「ウィキペディアンにとっての一般的=世間の一般的」とすることはできないというご発言はガイドラインのどちらに記載されてますでしょうか。それと私の関わっていないやり取りを持ち出されても対処しかねますという点も、現行タイトルが当時の不完全な情報を根拠とした結果となっているので、それを踏まえてタイトルがどうあるべきかという議論に参加されているのですから、それを考慮した議論をすべきと考えます。--kei 2011年5月1日 (日) 02:43 (UTC)
常識的なレベルの話だと思うのですがね…。大体ウィキペディアで行われた調査投票の内容を確認されたことがありますか?投票といってもkeiさんが期待するような大人数が集まるとは限らないのですよ?第一、一般論を論じるうえでウィキペディアンというウィキペディアというものに参加しているというバイアスがかかった上のものと、今回検証された学術上のものとでは雲泥の差があるでしょう。
前回議論でストローマンの誤謬だのといった話があるのならまだしも、今回の議論でしかも私がした論理展開でもなんでもないことを持ち出されても困ります、というだけです。大体、提案者であるkeiさんが反論者に対してその提案の理由を説明するのでなく、反論の隙を探すような論理展開をなされては提案が通るわけがないでしょう。調査投票が世間の一般論足りえる理由ぐらいはお示しください。--はぬまん 2011年5月1日 (日) 03:56 (UTC)
  • 差し戻し提案から1ヶ月が過ぎ、投稿[78]させて頂いたように「南京大虐殺」とすべき積極的な検討材料が現時点で提示されておりませんので、この議論はいったん引き取らせて頂き新たな改名提案を提起させて頂きたく存じます。記事をより良いものにするための編集検討を今後ともよろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 03:19 (UTC)
不可。議論進行中なので妨害行為です。--kei 2011年5月1日 (日) 03:31 (UTC)
  • 差し戻し提案から1ヶ月が過ぎ、投稿[79]させて頂いたように「南京大虐殺」とすべき積極的な検討材料が現時点で提示されておりませんので、この議論はいったん引き取らせて頂き新たな改名提案を提起させて頂きたく存じます。記事をより良いものにするための編集検討を今後ともよろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 03:19 (UTC)keiさんの今般の議論への参加態度について広くご意見を賜りたいのでWikipedia:コメント依頼/疑問を提出致しました。--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 04:13 (UTC)