ニコライ・ネフスキー

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ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ネフスキー
家族とともに(1929年)
人物情報
生誕 (1927-11-09) 1927年11月9日
ロシアの旗 ロシアヤロスラヴリ
死没 2008年1月22日(2008-01-22)(80歳)
出身校 ペテルブルク大学東洋学部
学問
研究分野 言語学東洋学民俗学
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ニコライ・ネフスキー (Николай Александрович Невский, Nikolai Aleksandrovich Nevsky, 1892年3月1日(ロシア暦:2月18日)- 1937年11月24日) は、ロシアソ連の東洋言語学者東洋学者民俗学者。夫人は日本人。

経歴[編集]

ヤロスラヴリ出身。1914年ペテルブルク大学東洋学部中国・日本学科卒業後、日本に留学するが、ロシア革命によって帰国を断念して小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)・大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)で教鞭を執る。その間、柳田國男折口信夫中山太郎石浜純太郎らと親交を結び、日本民俗学アイヌ語宮古島方言ツォウ語西夏語などの研究を行った。1925年に北海道出身の萬谷イソと結婚する。

1929年ソビエト連邦共和国となった祖国に帰国し、レニングラード大学(旧ペテルブルク大学)の教授となる。しかし1937年10月4日、日本のためにスパイ活動を行ったとして妻とともに逮捕され、翌月レニングラードにおいて夫妻は「国家叛逆罪」により粛清(銃殺刑)された(スターリン粛清)。

その後のスターリン批判によって1957年11月14日に夫妻の名誉回復がなされ、1962年には生前の業績に対してレーニン賞が授与された。

Iso (Isoko) Mantani-Nevsky ( " Исо " Исоко Мантани - Невская 萬谷 ネヴスカヤ イソ 磯子 , 1901–1937). 彼らの娘, Yelena エレナ彼女は今日のように生きる [1] .

関連文献[編集]

初版(大佛次郎賞受賞)で、没年を1945年と記載したが、その後の関係者への調査で1937年であることが判明。新版では「死の真相」解明と、遺族(長年の交流がある)や関係者らのその後を増補した。
  • ネフスキー 『月と不死』(平凡社東洋文庫, 1977)、日本語で発表された論考集。岡正雄編・解説は加藤。ワイド版2003年
  • 『アイヌ・フォークロア』 魚井一由訳 北海道出版企画センター, 1991
  • 日本経済新聞、2012年11月13日(火)夕刊、「東洋学者ネフスキー 生誕120年 言語の才人 遺産は多彩」

参考文献[編集]

脚注[編集]