ナヌムの家

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ナヌムの家
各種表記
ハングル 낮은 목소리 - 아시아에서 여성으로 산다는 것
漢字
発音 ナジュン モクソリ - アシアエソ ヨソンウロ サンダヌン ゴッ
題: THE MURMURING[1]
(Najeun Moksori - Asiaeseo Yeoseongeuro Sandaneun Geot)[2]
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ナヌムの家 II
各種表記
ハングル 낮은 목소리 2
漢字
発音 ナジュン モクソリ 2
題: Habitual Sadness 2
(Naj-eun mogsoli 2)[3]
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ナヌムの家に建つブロンズ像「咲ききれなかった花」

ナヌムの家나눔의집、英語名:House of Sharing)は、かつて日本軍慰安婦であったと主張する韓国人女性数名と、日韓の若者を中心としたボランティアスタッフが共同生活を送っている施設のことである。ナヌムは朝鮮語で「分かち合い」、ナヌメチプで「分かち合いの家」の意。韓国京畿道広州市にある民間の施設で、「被害の歴史を昇華させ、世界的な歴史と平和、人権の聖地にすること」を目的に掲げている[4]。歴史資料館が併設されており、韓国側の立場に基づく慰安婦の説明の他、太平洋戦争や日本による朝鮮半島植民地支配についての歴史観も紹介している。

地図

概要[編集]

この民間施設で余生を送っている9人の元慰安婦とされる女性は、日本の戦争責任に対する問題提起を行い、「朝鮮半島への侵略行為」、「慰安婦制度」について、その被害者として日本政府に対し謝罪や賠償を求め続けている。自分たち慰安婦は日本軍に強制連行されたとし、日本軍による強制連行はなかったとする日本に対し「正しい歴史認識」を持つことなども訴えている。

元慰安婦たちはこの施設を訪れる人に対して、日中戦争から太平洋戦争の時期に中国大陸や南方戦線で慰安婦として働かされた体験談を語り、日本の「過去の蛮行」とその「清算」の必要性を訴えている。毎週水曜日にはソウルの日本大使館前の慰安婦像脇の歩道で韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などが主催する日本政府の公式な謝罪と賠償を求めるデモ(水曜デモ)に参加している。

併設する歴史資料館や活動の資金は、韓国内や日本など諸外国の市民・活動団体ならびに来訪者の寄付、および歴史資料館の入場料(2千 - 5千ウォン)宿泊料(2万ウォン)である。所長は安信権(アン・シングォン)。1年間の来訪者数は1万人。そのうち3000〜5000人が日本からの訪問者である[5][6]。ナヌムの家の支援団体として、宋連玉青山学院大学教授が共同代表を務める日本軍「慰安婦」記念館設立後援会がある [7]

この施設で共同生活する元慰安婦とされる女性
金君子(キム・グンジャ)
金順玉(キム・スンオク)
金貞分(キム・ジョンプン)
李容洙(イ・ヨンス)
李玉善李玉仙)(イ・オクソン)
姜日出(カン・イルチュル)
朴玉善(パク・オクソン)
裴春姫(ペ・チュニ)
柳善男(ユ・ヒナム)
鄭福壽(ジョン・ボクス)

この施設で亡くなった人
姜徳景(カン・ドクキュン)(1997年2月死去)
金順徳(キム・スンドク)(2004年6月30日死去83歳)
金外漢(キム・ウエハン)(2015年6月11日死去81歳)終戦当時11歳
他、9名

  • 尚、韓国女性家族部による政府登録元慰安婦は238人。2015年12月現在の生存者は46人、平均年齢は89,2歳[8](終戦当時19歳)。

沿革[編集]

  • 慰安婦問題が日韓両国でクローズアップされた1991年ごろから、元慰安婦の女性たちへの生活支援を求める韓国内の世論が急激に高まった。
  • 1992年6月に「『ナヌムの家』建立促進委員会」が大韓仏教曹渓宗を中心とした仏教団体・各種社会団体により結成され、全国的な募金運動が開始された。
  • 集まった寄付などを元にして、1992年10月、ソウル特別市麻浦区西橋洞に「ナヌムの家」が開設された。
  • 1995年、京畿道広州市退村面源當里に移転。
  • 1995年7月、国連人権委員会ラディカ・クマラスワミ特別報告官が訪れ、元慰安婦たちへの聞き取り調査を行う。(クマラスワミ報告を参照)
  • 2013年、ロンドン五輪における朴鍾佑選手の竹島プラカード問題では「IOCが日本帝国主義の象徴である旭日旗を着て競技にでた日本体操選手は黙認し、故意性なく観覧席で投げた紙を持って『独島セレモニー』を広げた韓国サッカー選手に対して政治的行為云々して制裁を議論するのは差別的弾圧」と抗議を行った[9]
  • 2014年6月16日、ナヌムの家で共同生活する李玉善ら元慰安婦9人が、朴裕河が2013年8月に出版した『帝国の慰安婦』が自分たちへの名誉棄損だとして同書の出版差し止めと、1人あたり3千万ウォンの計2億7千万ウォンの損害賠償を求めて訴えた[10]
  • 2014年8月にローマ法王が韓国を訪問した際、法王の地方視察にナヌムの家を入れて欲しいと要望したが、法王庁に断られている[11]
  • 2015年7月、中東フリージャーナリスト土井敏邦朝鮮人従軍慰安婦に関する「記憶と生きる」と称するドキュメンタリー映画をリリースし、その映画のなかで同施設の取材も含まれている。

訴訟[編集]

ナヌムの家で共同生活する元慰安婦とされる女性9人による訴訟(当事者が高齢のため訴訟は慰安婦問題を掲げる人達により支援されており、原告である元慰安婦の中には訴訟そのものを認識していない人もいる)

  • 2013年日本政府に対し慰謝料の支払いを求めて申し立てた調停について、2015年12月ソウル中央地裁は損害賠償請求への移行を認めた。2015年12月の慰安婦問題の政府間協議において、その具体的な解決に合意しているが、元慰安婦たちは韓国政府から事前に話がなかったとして、今後別途この訴訟で日本の公的な謝罪と法的賠償を求める予定[12]
  • 2014年6月16日、世宗大学校教授朴裕河が2013年8月に出版した『帝国の慰安婦』について、自分たちへの名誉棄損だとして同書の出版差し止めと、1人あたり3千万ウォンの計2億7000万ウォンの損害賠償を求めてソウル東部地裁に民事提訴した[13]。2016年1月13日、ソウル東部地裁は朴教授に対し9000万ウォンの支払いを命じた。この著書の中で慰安婦について「自発的な売春」「日本軍と同志的な関係にあった」などの記載が「虚偽の事実を示し、原告の名誉と人格権を侵害した」としている[14]。これに対し朴教授は控訴する方針。
  • 同時に名誉毀損罪で刑事告訴も行っており、ソウル東部地検は朴教授を在宅起訴している。初公判は2016年1月20日(水)[15]

日本からの来訪者[編集]

日本からの来訪者は、日本共産党の国会議員[16]日教組等の教育関係者や市民団体・社会運動関係者、修学旅行の中高生が訪問している。また、一橋大学社会学科ではフィールドワークとして、ナヌムの家での奉仕活動に取り組んでいる[17]

日本人男性が「日本人の罪」と向き合うためにボランティアスタッフとして滞在していた[18]が、2012年12月にナヌムの家の事務所から解雇・業務停止を言い渡され、放逐されている[19]

2015年7月16日共同通信北海道新聞神戸新聞など日本の報道機関16社の論説委員や編集委員たち17人による訪問団が訪れ李玉善など4人に質疑応答を行った[20]

また、パレスチナ問題に詳しい中東フリージャーナリストの土井も1980年代ごろから我が国による朝鮮人の従軍慰安婦に対する人権侵害に対しても関心があり、ナムルの家及び同施設に居住していた従軍慰安婦を取材し、2015年に「記憶と生きる」と称するドキュメンタリー映画を制作し、同映画のリリース直後はフェミニスト北原みのりらとのインタビューを行った。

園長によるセクシャルハラスメント事件[編集]

2001年2月に、当時ナヌムの家の園長で曹渓宗の僧侶でもあった慧眞(ヘジン)が、女性職員数名に対して地位を濫用して性交渉を強要した事実があったと暴露された。韓国性暴力相談所に女性職員が「園長という地位を利用して、1997年2月から1998年の5月までひと月に2、3回ずつ性関係を強要された」と告発したことで公になったこの件について、慧眞は自ら会見を行い、事件について告白するとともに、園長職を辞任した[21]。結果的に罪に問われることはなかったが、僧籍を返還している。なお、慧眞は告発される直前の2000年12月に開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」に参加し、慰安婦問題について「反人道的な戦争犯罪」とのコメントを残している[22]

慰安婦問題に関わってきた山下英愛(やましたよんえ、ブリティッシュコロンビア大学アジア研究所客員研究員)も、韓国における性暴力事件は加害者よりも被害者女性を責める風潮があるとし、この事件についても大半の韓国のインターネットのユーザーらが、被害者女性を責める論調であったことを挙げ、また「慰安婦運動」をしている者達が、この事件の真相究明と解決のための積極的な行動をしなかったことも挙げて、同じ性暴力でありながら加害者(日本)を責める「慰安婦運動」は、性暴力運動というよりも、韓国独特の民族運動的性格なものといえるのではないか、と論じている[23]

ドキュメンタリー[編集]

  • 『ナヌムの家』、1995年、"The Murmuring"
  • 『ナヌムの家 II』[24]、1997年、"Habitual sadness"

ともに監督は、ピョン・ヨンジュ(변영주、邊永柱)[25]。 なお、『ナヌムの家 II』に関しては毎日新聞の試写会紹介記事の虚報と、訂正記事におけるさらなる虚報が問題となった[26][27]

アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ナヌムの家 allcinema 2011年8月8日閲覧。
  2. ^ 낮은 목소리 - 아시아에서 여성으로 산다는 것 (低い声 - アジアで女性として生きるということ) KMDb 2011年8月8日閲覧。
  3. ^ 낮은 목소리 2 (低い声 2) KMDb 2011年8月8日閲覧。
  4. ^ 聯合ニュース 2009/11/01 11:43 [1]
  5. ^ 日本人男性として加害直視、元慰安婦の訴え代弁/川崎出身の村山さん(『神奈川新聞』2009年12月14日付)
  6. ^ 統合ニュース 元従軍慰安婦の憩いの場 「ナヌムの家」が20周年 2012-08-11 14:38:48 [2]
  7. ^ 日本軍「慰安婦」特集(8):ナヌムの家と関わって 池内靖子 (下)
  8. ^ 毎日新聞2015年12月29日日韓解決合意 元慰安婦「名誉回復を」 意向聞かれず「拙速」
  9. ^ 韓国経済(聯合ニュース)2012.8.14 [3]
  10. ^ 元従軍慰安婦ら、「帝国の慰安婦」の著者パク・ユハ教授と出版社を告訴 サーチナ 2014年6月18日
  11. ^ ローマ法王:韓国に出発へ 元慰安婦の女性らミサに”. 毎日新聞 (2014年8月13日). 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月15日閲覧。
  12. ^ 読売新聞1月14日(木)
  13. ^ 元従軍慰安婦ら、「帝国の慰安婦」の著者パク・ユハ教授と出版社を告訴 サーチナ 2014年6月18日
  14. ^ 読売新聞1月14日(木)
  15. ^ 読売新聞1月14日(木)
  16. ^ 「慰安婦」問題解決に全力/韓国 記念式典に笠井氏出席 しんぶん赤旗 2013年8月11日
  17. ^ 2012年韓国フィールドワークより [4]
  18. ^ 神奈川新聞 2009年12月14日 「日本人男性として加害直視、元慰安婦の訴え代弁/川崎出身の村山さん」[5]
  19. ^ 日本軍「慰安婦」特集(8):ナヌムの家と関わって 池内靖子 (下)
  20. ^ キム・ギソン記者 (2015年7月17日). “日本の言論機関幹部17人が「ナヌムの家」訪問、慰安婦被害者と非公開で面会”. ハンギョレ. http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21354.html 2015年7月17日閲覧。 
  21. ^ 2001年2月19日朝鮮日報
  22. ^ 韓国「ナヌメチプ」園長が女性問題で辞任|http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/nanumechip.html
  23. ^ 目次: 『戦争責任研究』 総目次「季刊 戦争責任研究」 34・35、2001冬-02春、日本の戦争責任資料センター
  24. ^ ナヌムの家 II allcinema 2011年8月8日閲覧。
  25. ^ 변영주 (ピョン・ヨンジュ) KMDb 2011年8月8日閲覧。
  26. ^ 1998年2月4日毎日新聞夕刊 「憂楽帳」佐藤由紀
  27. ^ 映画新聞 1998年8月1日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]