金君子

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金君子(黄色いシャツ左から三人目)。在大韓民国日本国大使館前にて行われる慰安婦への謝罪と補償を求める水曜集会にて(2011年8月)

金 君子キム・グンジャ김군자1926年 - )は第二次世界大戦終戦前に自身が慰安婦であった旨各地で証言している韓国人女性。

略歴[編集]

本人のいくつかの証言を列記する。

  • 江原道平昌郡で生まれる。
  • ナヌムの家歴史館ハンドブックより。16歳のときある巡査の家の養女となる。その養父に「お金を稼げる場所があるので行っておいで、稼げなかったら帰ってくればいいから」と言われ、家まで連れにきた朝鮮人の軍人と一緒に・・・。
  • 2005年6月23日、北海道新聞での証言 「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた
幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。[1]
  • 2005年11月「東京の高校生 平和のつどい」における証言 「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に
私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。[2]
  • 2006年03月02日、朝日新聞。17歳の時、家に朝鮮人2人が来て「工場で働かせてあげる」と言われ列車で中国の琿春に連れて行かれ慰安婦となった
幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。
  • 2007年2月15日、米国下院対日非難決議案に関する公聴会での証言(秦郁彦による要旨)[1]
16歳で養父のチョイ(朝鮮人警官)から金を儲けてこいと追い出され「軍服」を着た朝鮮人の男から金になる仕事があると貨車に乗せられて、と申し立てている。

証言履歴[編集]

  1. ^ 幻の「従軍慰安婦」を捏造した河野談話はこう直せ! 秦郁彦 諸君 [2007.5]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]