トール・ヘイエルダール
| トール・ヘイエルダール | |
|---|---|
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1980年当時のトール・ヘイエルダール | |
| 生誕 |
1914年10月6日 |
| 死没 |
2002年4月18日(87歳) |
| 国籍 |
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| 研究分野 |
人類学 冒険者 |
| 出身校 | オスロ大学 |
| 博士課程 指導教員 |
クリスティン・ボネヴィー ヒャルマー・ブロッホ |
| 主な受賞歴 | ムンゴ・パーク・メダル (1950) |
| 配偶者 |
リーブ・コケロン・トルプ (1936–1947) ヨォーン・デデカム=シモンセン (1949–1969) ジャクリーン・ビアー (1991–2002) |
| 子供 | 5 |
| プロジェクト:人物伝 | |
トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl [tuːr ˈhæɪəɖɑːl] 発音例, 1914年10月6日 - 2002年4月18日)は、ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家。1947年に筏(いかだ)船のコンティキ号でペルーのカヤオ港から南太平洋のトゥアモトゥ諸島ラロイア環礁まで4,300マイル(8千km弱)の航海を行った。
漂流実験[編集]
当時はポリネシアの島々の住人(ポリネシア人)の起源は謎とされており、ヘイエルダール自身も調査を行った。その結果、南米ペルーにある石の像とポリネシアにある石の像が類似していること、植物の呼び方が似ていることなどを踏まえ、ポリネシアの住人の起源は南米にあると論文で発表した。しかしこの説は学会からの反対にあった。当時の技術では船で行き来することなど不可能であるというのがその理由だった。
1947年、ヘイエルダールとそのチームは、南米のバルサ材およびその他の地元の材料を用い、インカ帝国時代の船を模したコンティキ号を建造し、ペルーからイースター島への航海に挑戦した。巨石文化がインカ帝国から海を渡ってイースター島に伝えられ、同島に残るモアイ像が作られたことを実証しようとしたのである。コンティキはインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名で、いかだはインカ帝国を征服した当時のスペイン人たちが描いた図面を元に設計された。
コンティキ号は1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出航し、曳航船によってフンボルト海流を越えた後は漂流しながらイースター島を目指した。一行は出航から97日目に、トゥアモトゥ諸島のプカプカ環礁を望見しポリネシアにたどり着いたが、出航102日目の1947年8月7日にトゥアモトゥ諸島のラロイア環礁でコンティキ号は座礁した。
ヘイエルダールは1948年に漂流航海の模様をまとめた著書『コン・ティキ号探検記』を発表。同書は62ヶ国語に翻訳され、2000万部以上の大ベストセラーとなった[1]。また、彼らの航海を描いた長編ドキュメンタリー映画『Kon-Tiki』は、1951年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。
「漂流」には、当時(1940年代)の航法機器やボートなども使用していた。 またアマチュア無線により、ノルウェーを含む世界各国との交信を行っていた(コンティキ号#概要)。 食料に関しては、実験を名目にアメリカ軍から提供された保存食の他は海中から得た。ヘイエルダールは、「インディオの航海技術を立証するのが目的で、我々がインディオになる必要は無い」と述べていて、最初は保存食を用意して航海に臨むつもりだったようである。「筏のロープが波で擦り切れる」とか「バルサが水を吸って沈没するはず」など、航海前に出された否定的な意見を見事に覆したことで評判を呼んだ。ただし、建造を急ぐため乾燥していないバルサを使ったのが偶然に吉と出て、乾燥したバルサを使っていれば、海水の吸収が早くて沈没していた可能性があるとヘイエルダールは認めている。
1964年には、南太平洋の探検の功績に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた[2]。
また、1969年、「アステカ文明はエジプト文明と類似しており、エジプトからの移民が作った文明ではないか」と考え、古代エジプトの葦製の船に大西洋を渡る能力があることを証明するため、パピルスと呼ばれる葦で作った船「ラー号」で、モロッコのサフィからカリブ海を目指した。ラー号は5000kmを航海したところで破損したが、一年後の「ラー2号」による再挑戦ではカリブ海のバルバドス島まで到達した。なお、この時の航海には日本人カメラマンも同行した[3]。
1977年には、葦船「チグリス号」でイラクからパキスタンのカラチを経由し、アフリカ大陸のジブチまでの航海に成功している。
漂流実験の評価[編集]
この航海によって、南米からポリネシアへの移住が技術的に不可能ではなかったことが実証されたと一般には思われているが、南米大陸の太平洋側にはフンボルト海流という強力な海流が流れており、風上への航走能力を持たないいかだではフンボルト海流を越えてポリネシアへの貿易風に乗ることは困難である。実際、コンティキ号は軍艦に曳航されてフンボルト海流を越えた海域(陸地からおよそ80キロメートル)から漂流実験を開始しており、この点をもって実験航海としての価値はさほど高くないと指摘されている。
現在、人類学者・考古学者・歴史学者・遺伝学者などほとんどの研究者は、考古学・言語学・自然人類学・文化人類学的知見、および遺伝子分析の結果を根拠に、南米からの殖民は無かったとしている。ポリネシアへの植民はポリネシア人が考案した風上への航走能力を持つ航海カヌーを用いて、台湾から東南アジア島嶼部、メラネシア、西ポリネシア、東ポリネシアという順序で行われたと考えており、風上への航走技術を持たなかった南米の人々が自力でポリネシアに渡った証拠は無いと考えている。
その一方で、本当にフンボルト海流を筏で乗り越えられないかどうかは不明だとしてヘイエルダール説を擁護する意見も存在している。特にコロンブス以前から既に、オセアニア一帯で中南米原産のサツマイモが栽培されていたことから、南米からポリネシア方面への文化的影響は皆無ではなかったとする意見である。だが、この点についても南米先住民がポリネシアに航海したと考えるよりは、ポリネシア人が南米大陸に来航してサツマイモを持ち帰ったと考える方が自然であり、現在のところ研究者の大半はそちらの仮説を支持している。
また最近になって、カリフォルニア大学バークレー校の言語学者キャサリン・クラーらは、北米先住民チュマッシュ族とポリネシア系言語の語彙比較および出土物の放射性炭素年代測定から、ポリネシア人と北米先住民の文化接触の可能性を指摘した論文をCurrent Anthropology誌とAmerican Antiquity誌に投稿し、いずれの雑誌でも査読者の意見は割れたが、最終的にAmerican Antiquity誌に受領されて2005年7月号に掲載された。ただし、この論文ではポリネシア側からの文化接触の可能性は示唆できても、南米側からの能動的な接触の証拠にはならない。
また、「アステカ文明とエジプト文明との類似」についても、それぞれの文明が発生した年代が離れすぎており、「類似は偶然にすぎない」という説がほぼ主流である。特にピラミッドに関しては、技術が未発達な段階において、そこまで巨大な石造建造物を建設するには、どうしてもこの形にならざるを得ない(垂直に切り立った石壁とするには、ピラミッドよりも高い建築技術が必要である)ための類似であると考えられる。ただし、ミトコンドリアDNAハプログループXおよびY染色体ハプログループR1の不可解な分布は、エジプト・ヨーロッパからアメリカへの移住が存在したとする、彼の説を支持する可能性がある。
このようにヘイエルダールの学説には否定的見解が優勢であるが、自説を実証するために冒険を行ったヘイエルダールの業績自体は高く評価されている。ポリネシア人の東南アジア起源説を主張する学者たちからも尊敬の対象となっており、例えばこれまで唯一、オリジナルの古代ポリネシアの航海カヌーを発掘するなどの業績を持つ篠遠喜彦も彼への敬意を明言している。
邦訳された著作[編集]
- 『コンティキ号漂流記』水口志計夫訳 月曜書房 1951 のち『コン・ティキ号探検記』筑摩書房(新書)、筑摩書房(世界ノンフィクション全集)、筑摩叢書、ちくま文庫、河出文庫
- 『アク・アク(孤島イースター島の地下の世界)』山田晃訳 光文社 1958 のち『アク・アク 孤島イースター島の秘密』現代教養文庫
- 『葦舟ラー号航海記』永井淳訳 草思社 1971
- 『海洋の道 考古学的冒険』カール・イエトマル編,関楠生訳 白水社 1976
- 『ファツ・ヒバ 楽園を求めて』山田晃訳 社会思想社(現代教養文庫) 1976
- 『ティグリス号探検記 文明の起源を求めて』小川英雄,田中昌太郎訳 筑摩書房 1981 のちちくま文庫
- 『海洋の人類誌 初期の航海・探検・植民』国分直一,木村伸義訳 法政大学出版局 1990
- 『モルディブの謎』木村伸義訳 法政大学出版局 1995
脚注[編集]
- ^ 『コン・ティキ号探検記』(筑摩叢書)訳者後書き
- ^ “Medals and Awards, Gold Medal Recipients (PDF)”. Royal Geographical Society. 2016年11月30日閲覧。
- ^ 英雄、色を好む!『コン・ティキ』の冒険家の息子が語る父の素顔!
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Kon-Tiki Museum
- トール・ヘイエルダール – The Kon-Tiki Museum(日本語)
- Research, writings and a photograph
- Thor Heyerdahl expeditions
- the 'Tigris' expedition, with Heyerdahl's war protest
- Bjornar Storfjell's account: A reference of his last project Jakten på Odin