タークシン

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タークシン大王
สมเด็จพระเจ้ากรุงธนบุรี
鄭信

シャム国王
KingTaksin of Thonburi.jpg
タークシンの肖像画
(1767年、フランス人宣教師が描く)
在位 1767年12月28日 - 1782年4月6日
戴冠 1767年
別名 鄭信、宝、プラヤー・ターク
王朝 トンブリー王朝
出生 (1734-04-17) 1734年4月17日
アユタヤ朝アユタヤ市
死亡 (1782-04-06) 1782年4月6日(47歳没)
トンブリー朝トンブリー
埋葬 タークシン王廟
鄭鏞(実父)
プラヤー・チャックリー(養父)
居所 プラ・ラチャ・ワング・ダーン宮英語版
宗教 上座部仏教
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タークシン(Taksin、1734年4月17日 - 1782年4月6日)はタイトンブリー朝の王。華僑としてタイの君主となった。中国名は鄭信

同じ中国系タイ人であるタクシン・チナワットら「タクシン」名の人物と混同されるが、タークシン(ตากสิน)とタクシン(ทักษิน; Thaksin)はタイ語の綴りが異なり、別の名前である。

生涯[編集]

潮州出身の華人で、賭博場から税を徴収する役人鄭鏞の子として生まれ、父から鄭信と名付けられた。幼い時にタイ族のプラヤー・チャックリー(ラーマ1世とは別人)という官吏の養子となり、養父から「シン」(潮州語)と名付けられた。5歳の時に寺に入って13歳まで学んだ後にアユタヤで仕官した。その後も宮内の外国人学者達に積極的に教えを請うなど学問に励んでいたという。21歳でタイ族の伝統に則って出家して24歳で還俗し、王の小姓となる。タークの監察官に任命され、在任中に知事が死ぬと知事職に就いた。この時、ターク知事の称号に本名の「シン」が付けられて通用名「タークシン」となった。

泰緬戦争 (1765年-1767年)ビルマコンバウン王朝の軍が侵攻してきた際、タークシンはカンペーンペットの知事に就くため任地へ赴こうとしていたが、急遽アユタヤの防衛に加わった。しかし、エーカタット王が大砲の音で鼓膜が破れるのを恐れて「大砲は朕の許可を得てから撃て」と命じたにも関わらず、無断で砲撃したタークシンは罪を問われることになったためにラヨーンへ出奔する。タークシンは挙兵するとチャンタブリーを制圧した後、潮州系華人を集めてチャオプラヤー川を遡りアユタヤへ向かったが、すでにアユタヤ王朝は滅亡し、ビルマ軍によってアユタヤの町も徹底的に破壊されていたため、1767年タイ仏歴2310年)、下流のトンブリーに王朝を建てた。これがトンブリー王朝である。

タークシンは敵対するピサヌロークナコーンシータンマラートピマーイプラファーンなどの諸勢力を破り、さらにランナー王朝を服従させた。さらに、アユタヤ王朝の属国であったカンボジアラオスも回復した。在位15年間の大半を戦争に費やしたタークシンを支えた将軍がチャオプラヤー・チャックリー(後のラーマ1世)である。文化の面でも業績を残しており、アユタヤ王朝末期に散逸した文献の収集と整理にも力を入れた。タークシンの編纂した『ラーマキエン』は、多数ある版本の中でも最もよいものとされている。また、三島由紀夫の小説『暁の寺』で知られる寺院ワット・アルンラーチャワラーラームを修復するなど仏教も手厚く保護した。

タークシンは自分が中国系でアユタヤ王朝の王家の血を引いていないことに強いコンプレックスを抱いており、次第に精神錯乱を来すようになった。例えば、「朕は阿羅漢の境地に達した」と言い出し、僧侶に自分を礼拝するよう命じたが、タイの仏教では僧侶が民間人の阿羅漢を礼拝すること禁じているために数名の高僧が断った。これに怒ったタークシンは、彼らを捕えて僧籍を剥奪し鞭打ちの刑に処した。この事は民衆に衝撃を与え、各地で反乱が起こり始めた。また、鉱山の税務官が職権を乱用したことも民心の離反を招き反乱の原因となっていた。タークシンはプラヤー・サンに反乱鎮圧を命じたが、簒奪を狙ったプラヤー・サンは却って反乱者を集めてトンブリーを攻めて摂政に就き、タークシンは出家を強いられた。この時、チャオプラヤー・マハーカサット・スック(チャオプラヤー・チャックリー、ラーマ1世)がカンボジア遠征から戻り、民衆の支持もえて国権を掌握した。1782年タイ仏歴2325年)4月6日、タークシンはチャオプラヤー・マハーカサット・スックによって処刑され、トンブリー王朝はタークシン一代で滅亡した。

紙幣との関係[編集]

1980年代より約20年間発行されていた20バーツ紙幣の裏面に肖像が使用されていた[1]。現在では、2015年2月26日より新たに流通された100バーツ紙幣の裏面で肖像が復活した[2]

脚注[編集]

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関連項目[編集]