ジョン・オブ・ランカスター

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ジョン・オブ・ランカスター (左)

ベッドフォード公、ジョン・オブ・ランカスター(John of Lancaster, Duke of Bedford、 1389年6月20日 - 1435年9月14日)は、ランカスター朝の王族。

イングランドヘンリー4世の三男であり、フランス摂政として百年戦争のイングランド軍を指揮した。

経歴[編集]

1389年6月20日イングランドヘンリー4世とその王妃メアリー・ド・ブーンの三男として生まれる。兄にイングランド王ヘンリー5世クラレンス公トマス、弟にグロスター公ハンフリーがいる[1]

1414年5月16日に一代限りの爵位としてベッドフォード公爵ケンダル伯爵英語版に叙される。同年11月24日には世襲貴族リッチモンド伯爵に叙された[2]

1415年からイングランド軍占領下フランスの防衛を任され、1422年に兄王ヘンリー5世が崩御すると次の王ヘンリー6世が幼王であることからフランス摂政に就任した[3]。幼い王に代わって百年戦争を指導し、1424年にはヴェルヌイユの戦いでフランス軍を破るなどした。1426年には海軍司令長官に就任した[2]

1427年には本国でヘンリー6世の補佐をめぐって弟グロスター公と義理の叔父ウィンチェスター司教ヘンリー・ボーフォート英語版が対立が深めたため、急遽帰国してその仲裁に当たっている[3]

1431年5月30日には捕らえたジャンヌ・ダルクを火刑に処した[3]。同年12月17日にはヘンリー6世をノートルダム大聖堂でフランス王に戴冠させたが、イングランド軍の劣勢は覆しがたくなりはじめていたため戴冠式後にはヘンリー6世を早々に帰国させている[3]

ブルゴーニュフィリップ善良公との同盟を堅持するため、ネーデルラントでのグロスター公と善良公の仲介も行っている。しかし、1435年に善良公とフランス王シャルル7世が和睦し、同年にジョンは失意のまま直後に死去した。以後イングランドは劣勢を覆せず、百年戦争の終戦を迎えることになる。

1423年トロワで善良公の妹アンヌと結婚した。1432年にアンヌと死別後、サン=ポル伯ピエール1世の娘ジャケッタと再婚した。いずれの結婚でも子は得られていない。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “Henry IV, King of England” (英語). thepeerage.com. 2015年3月22日閲覧。
  2. ^ a b Lundy, Darryl. “John of Lancaster, Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 森護 1994, p. 210.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

ジョン・オブ・ランカスター

6月20日1389年 - 9月14日1435年

イングランドの爵位
新設 ベッドフォード公爵
1414年1435年
次代:
廃絶
公職
先代:
エクセター公
フランス摂政
1422年1435年
廃止
先代:
エクセター公
海軍司令長官
(Lord High Admiral)

1426年1435年
次代:
第2代ハンティンドン伯