ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
カスティヨンの戦いにおけるジョン・タルボットの死

初代シュルーズベリー伯ジョン・タルボットJohn talbot, 1st Earl of Shrewsbury, 1384年/1390年 - 1453年7月17日)は、中世イングランドの貴族・軍人。百年戦争中のイングランド軍の主要な指揮官の一人であり、ランカスター朝における唯一のフランス軍総司令官fr)である。

生涯[編集]

初期の経歴[編集]

第4代タルボット男爵リチャード・タルボットとアンカレット(ストレンジ・オブ・ブラックメア卿の女性相続人)の次男として、シュロップシャーブラックメアにおいて生まれる。タルボット家はノルマンディーのコー地方に起源をもつノルマン人の家系である。

1404年から1413年にかけて、兄ギルバートと共にオワイン・グリンドゥール(オウェイン・グレンダワー)の反乱英語版ウェールズ方面の戦争に従軍した。また、ウェックスフォードに領地を持っていた事から、1414年の2月から5年にわたりアイルランド総督になるが、何度かの戦闘を行いオルモンド伯と対立したり、アイルランドにおける苛烈な統治と、ヘレフォードシャーでの残虐行為により告訴されている。

1420年から1424年にかけてフランスでの業務に携わっていたが、1425年にごく短期間にアイルランド総督に再び任じられている。また、1419年に兄が死去、1421年に姪アンカレット・タルボットも死んだことによって、タルボットとストレンジの男爵位を手に入れた。

フランスでの経歴[編集]

このように、タルボットの経歴は荒々しい辺境の領主としてのものが多かったので、荒っぽい手腕が役に立つような役職が彼には用意されていた。1427年に再びフランスに赴き、メーヌ地方での戦闘とオルレアン包囲戦で抜群の功績を立て、1428年から1429年にかけて行われたオルレアン攻囲戦でジョン・ファストルフ、第4代サフォーク伯ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールウィリアム・グラスデールと共に指揮官として活躍した。しかし、ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍の手によってオルレアンが解放されると、タルボットは他のイングランド軍と共に敗走した。

オルレアンでグラスデールが溺死し、ジャルジョーでサフォークがフランス軍の捕虜となったが、タルボットは戦後もモン=シュル=ロワールの戦いボージャンシーの戦いパテーの戦いでフランス軍と戦った。しかしパテーで捕らえられて以後、4年間虜囚の身となった末にフランス軍の指揮官ジャン・ポトン・ド・ザントライユとの人質交換という形で解放された。

タルボットと麾下の軍隊は解放後も軍事行動を続け、フランスから多くの町を奪回した。恐らく彼は当時最も大胆不敵な戦士でもあっただろうと考えられている。彼の部隊は、フランス軍の前進にたいする緊急機動部隊とも言うべきものであり剽悍であった。1436年の1月、タルボットは小規模な部隊を率いていたが、ルーアンの近くのリ(Ry)でラ・イルとザントライユの軍を敗走させている。翌1437年、クロトワでは大胆にもソンムの町を通過し、ブルゴーニュの兵を敗走させている。1439年の12月には、奇襲による側面攻撃でリッシュモン元帥の6000もの兵を潰走させ、翌1440年にはアルフルール英語版を奪還している。1441年には、4回もフランス軍をセーヌ川やワーズ川の向こうに追い払っている。

軍事的功績と並び出世が重ねられ、1442年には創設されたシュルーズベリー伯位に叙爵、1445年にはイングランド王ヘンリー6世からフランス王としてフランス軍総司令官に任ぜられた。更に1446年には、アイルランドの上級貴族としてウォーターフォード伯位が彼に授けられ、アイルランドの王室侍従長にも任じられている。

最期[編集]

だが、タルボットの奮闘とは別にイングランドは徐々にフランスの反撃で追い詰められ、1450年フォルミニーの戦いでリッシュモンがイギリス軍を打ち破り、フランス北部のノルマンディーを奪還した。これによりイングランドのフランス領は南西部のアキテーヌが残り、アキテーヌの都市ボルドーも翌1451年にフランス軍に奪われた。

奪回を図るイングランドは1452年、ボルドー市民の要請でタルボット率いる遠征軍をフランスに派遣、フランスに上陸したタルボットはボルドーを解放したが、翌1453年にアキテーヌへ攻め込んだフランス軍と対戦、7月17日のカスティヨンの戦いで敗死した。10月19日にボルドーも再度フランス軍に落とされ、百年戦争は事実上イングランドの敗北で終戦を迎えた。タルボットの心臓は、シュロップシャーのウィットチャーチにある聖オークマンド教会に収められている。

タルボットの将軍としての指揮能力には疑問が呈されており、パテーの敗戦やカスティヨンでの誤った情報に基づく無謀な突撃が証拠として挙げられている。

家族[編集]

タルボットは1406年3月12日、モード・ネヴィルと結婚する。モードは第5代ファーニヴァル男爵であるトマス・ネヴィル(トマスは第3代ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ドゥ・ネヴィルの息子)の女性相続人だった。このモードの権利によってタルボットは1409年の議会に出席、4人の子供が産まれた。

  • トマス・タルボット(1416年6月19日 - 1416年8月10日) - 父に先立ちボルドーで死亡
  • ジョン・タルボット(1417年頃 - 1460年7月11日) - 第2代シュルーズベリー伯
  • クリストファー・タルボット卿(1419年 - 1443年8月10日)
  • ジョウン・タルボット(1422年頃 - ?) - 初代バークリー男爵ジェームズ・バークリーと結婚

1425年9月6日、マーガレット・ボーシャンと再婚する。マーガレットは第13代ウォリック伯リチャード・ドゥ・ボーシャンとエリザベス・ドゥ・バークリーとの間の娘である。この結婚によって5人の子供が産まれた。

  • ジョン・タルボット(1426年頃 - 1453年7月17日) - 初代リール子爵、父と共にカスティヨンの戦いで戦死
  • ルイス・タルボット卿(1429年頃 - 1458年)
  • ハンフリー・タルボット(1434年以前 - 1492年頃)
  • エレノア・タルボット(1436年2月/3月頃 - 1468年6月30日) - サー・トーマス・バトラーと結婚。イングランド王エドワード4世の愛妾。
  • エリザベス・タルボット(1442年12月/1443年1月頃 - 1506年11月6日/1507年5月10日) - 第4代ノーフォーク公ジョン・ド・モーブレーに嫁ぐ。

関連項目[編集]

公職
先代:
新設
アイルランド王室侍従長
1446年 - 1453年
次代:
シュルーズベリー伯
イングランドの爵位
先代:
新設
シュルーズベリー伯
1442年 - 1453年
次代:
ジョン・タルボット
先代:
アンカレット・タルボット
タルボット男爵
1421年 - 1453年
次代:
ジョン・タルボット
ストレンジ・オブ・ブラックメア男爵
1421年 - 1453年
アイルランドの爵位
先代:
新設
ウォーターフォード伯
1446年 - 1453年
次代:
ジョン・タルボット