ラルフ・ネヴィル (初代ウェストモーランド伯)
| ラルフ・ネヴィル Ralph Neville | |
|---|---|
| 初代ウェストモーランド伯 | |
|
ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルと12人の子供達、ポル・リンブルク画 | |
| 在位 | 1397年 - 1425年 |
| 出生 |
1364年頃 |
| 死去 |
1425年10月21日 |
| 埋葬 |
1425年 |
| 配偶者 | マーガレット・スタフォード |
| ジョーン・ボーフォート | |
| 子女 | 本文参照 |
| 家名 | ネヴィル家 |
| 父親 | ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ドゥ・ネヴィル |
| 母親 | モード・パーシー |
初代ウェストモーランド伯ラルフ・ドゥ・ネヴィル(Ralph de Neville, 1st Earl of Westmorland, KG, 1364年頃 - 1425年10月21日)は、14世紀後期から15世紀前期のイングランドの貴族である。父はネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ドゥ・ネヴィル、母はパーシー男爵ヘンリー・ド・パーシーの娘モード・パーシー。ホットスパーは父方では従弟、母方では従甥に当たる。ヨーク朝の2代のイングランド王エドワード4世、リチャード3世は外孫にあたる。
生涯
[編集]イングランドのダラムのレビー城で生まれた。1388年、父の後を継いでネヴィル・ドゥ・レビー男爵になり、1397年にリチャード2世の命令で訴追派貴族の裁判に関わり、同年にウェストモーランド伯に叙爵された[1][2]。1402年にはヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの死によって空席のできていたガーター騎士団の一員になった。
1399年にリチャード2世の従弟のヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)がクーデターを起こした時はボリングブルックに寝返った。以降はヘンリー4世に仕え、義理の叔父のノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー・ホットスパー父子の反乱には与せず、1405年のヨーク大司教リチャード・スクループとトマス・モウブレー(婿の1人・ノーフォーク公ジョン・モウブレーの兄)の反乱を鎮圧した[2][3]。1415年7月ではイングランドに残り、ノーサンバーランドでスコットランド軍と戦っている。
1417年にヨーク公リチャードの後見人となり、1424年に娘のセシリー・ネヴィルと婚約させたが翌年に死去。長男のジョン・ネヴィルに先立たれていたため、ウェストモーランド伯位は孫のラルフ・ネヴィルが継承した。また、別の息子リチャード・ネヴィルは遺産相続と姻戚関係からソールズベリー伯となりネヴィル家は繁栄を迎えた[2]。
家族
[編集]最初の妻マーガレット・スタフォード(第2代スタッフォード伯ヒュー・スタフォードとフィリッパ・ビーチャムの娘)とは1382年に結婚した。1396年11月29日に2番目の妻ジョーン・ボーフォート(ジョン・オブ・ゴーントとキャサリン・スウィンフォードの娘・ヘンリー4世の異母妹)と結婚した。彼女の父方の祖父母はイングランド国王エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーであった。
マーガレット・スタフォードとの間に9人の子供がいた。
- モード・ネヴィル(? - 1438年10月) - モーレィ男爵ピエール・ドゥ・モーレィと結婚した。
- アリス・ネヴィル - 最初サー・トマス・グレイと結婚し、次にサー・ギルバート・ランカスターと結婚した。
- フィリッパ・ネヴィル - ダクレ男爵トーマス・ダクレと結婚した。
- ジョン・ネヴィル(1387年頃 - 1420年) - ネヴィル卿、ケント伯トマス・ホランドの娘エリザベス・ホランドと結婚。第2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル、ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ネヴィルの父。
- ラルフ・ネヴィル(? - 1458年2月25日) - メアリー・フェラーズ(サー・ロバート・フェラーズの娘、ジョーン・ボーフォートの初婚時に生まれた次女)と結婚した。
- エリザベス・ネヴィル - 修道女
- アン・ネヴィル - サー・ギルバート・アンフレヴィルと結婚している。
- マーガレット・ネヴィル(? - 1465年) - 最初にスクロープ・オブ・ボルトン男爵リチャード・スクロープと結婚し、次にウィリアム・クレッソナーと結婚した。
- アナスタシア・ネヴィル
ジョーン・ボーフォートとの間には14人の子供がいた。
- キャサリン・ネヴィル - 1411年1月12日に第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレーと結婚し、次にサー・トマス・ストレンジウェイズと結婚。3回目はボーモント子爵ジョン・ボーモントと、4回目はサー・ジョン・ウッドヴィル(イングランド王妃エリザベス・ウッドヴィル弟)と結婚した。
- エレノア・ネヴィル(? - 1472年) - 最初ブルクハーシュ男爵リチャード・ル・デスペンサーと結婚し、次にノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーと結婚した。
- リチャード・ネヴィル(1400年 - 1460年) - ソールズベリー伯
- ロバート・ネヴィル(? - 1457年) - ダラム司教
- ウィリアム・ネヴィル(? - 1463年) - ケント伯
- エドワード・ネヴィル(? - 1476年) - バーガヴェニー男爵、初めウスター伯リチャード・ド・ビーチャムの娘エリザベスと結婚、次に初代ノーフォーク公ジョン・ハワードの妹キャサリンと結婚。
- アン・ネヴィル(1411年頃 - 1480年) - バッキンガム公ハンフリー・スタフォードと結婚、次にマウントジョイ男爵ウォルター・ブロント(1474年没)と結婚。
- セシリー・ネヴィル(1415年 - 1495年) - ヨーク公リチャードと結婚し、エドワード4世、リチャード3世らを儲けた。
- ジョージ・ネヴィル(? - 1469年) - ラティマー男爵、ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの娘エリザベスと結婚。
- ジョン・ネヴィル - 早逝
- カスバート・ネヴィル - 早逝
- トマス・ネヴィル - 早逝
- ヘンリー・ネヴィル - 早逝
- ジョーン・ネヴィル - 修道女
ネヴィル家はラルフとリチャードの2代で多くの貴族と姻戚関係を結んだが、後の薔薇戦争ではそれぞれが敵味方に分かれ、戦争を繰り返した。子孫の内、エレノア、リチャードとセシリーの子孫がパーシー家、スタンリー家やイングランド王家と結び、現在に至る。
系図
[編集]| ジョン・ネヴィル ネヴィル・ドゥ・レビー男爵 | モード・パーシー | エドマンド・オブ・ラングリー ヨーク公 | ジョン・オブ・ゴーント ランカスター公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| トマス・モンタギュー ソールズベリー伯 | ラルフ・ネヴィル ウェストモーランド伯 | ジョーン・ボーフォート | ヘンリー4世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| アリス・モンタギュー | リチャード・ネヴィル ソールズベリー伯 | ウィリアム・ネヴィル ケント伯 | コンスタンス・オブ・ヨーク | リチャード・オブ・コニスバラ | ヘンリー5世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジョン・ネヴィル モンターギュ侯 | リチャード・ネヴィル ウォリック伯 | アン・ビーチャム ウォリック女伯 | セシリー・ネヴィル | リチャード・プランタジネット ヨーク公 | ヘンリー6世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジョージ・ネヴィル ベッドフォード公 | エドワード4世 | ジョージ・プランタジネット クラレンス公 | イザベル・ネヴィル | リチャード3世 | アン・ネヴィル | エドワード・オブ・ウェストミンスター | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| エリザベス・オブ・ヨーク | エドワード5世 | マーガレット・ポール | エドワード・プランタジネット ウォリック伯 | エドワード・オブ・ミドルハム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 サリー公 |
軍務伯 1400年 - 1412年 |
次代 ノーフォーク公 |
| 先代 ヘンリー・"ホットスパー"・パーシー |
スコットランド東部国境警備責任者 Warden of the East March 1405年 - 1417年 |
次代 不明 |
| 先代 ノーサンバランド伯 |
スコットランド西部国境警備責任者 Warden of the West March 1405年 - 1420年 |
次代 第5代ソールズベリー伯 |
| 爵位・家督 | ||
| 先代 新設 |
ウェストモーランド伯爵 1397年 - 1425年 |
次代 ラルフ・ネヴィル |
| 先代 ジョン・ネヴィル |
レイビーのネヴィル男爵 1388年 - 1425年 | |