ケイト・ショパン

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Kate Chopin
(ケイト・ショパン)
Kate Chopin.jpg
誕生 Katherine O'Flaherty
(キャサリン・オフラーティ)
1851年2月8日
アメリカ合衆国の旗ミズーリ州セントルイス
死没 (1904-08-20) 1904年8月20日(53歳没)
アメリカ合衆国の旗ミズーリ州セントルイス
職業 小説家
短編作家
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
活動期間 1890年- 1899年
代表作 「ディジレの赤ちゃん」(1893年)、「一時間の物語」(1894年)「嵐」(1898年)、『目覚め』(1899年)[1]
配偶者 オスカー・ショパン
公式サイト http://www.katechopin.org/
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ケイト・ショパンKate Chopin1851年2月8日1904年8月20日)は、アメリカ合衆国小説家著作家詩人。まれにショピンと表記されることもある。代表作は長編小説『目覚め英語版(The Awakening)』、短編小説「一時間の物語」等。アメリカ文学の新境地を切り開いた小説家で、現代的なフェミニスト文学英語版の先駆者として評価されている[2]

略歴[編集]

ショパンの母エリザ・オフラハティと異母兄ジョージ
結婚当時のショパン

ミズーリ州セントルイスで、アイルランド系移民で成功した裕福な商人のトーマス・オフラハティと、セントルイスのフランス人コミュニティの有力な一員で、フランス貴族の血を引くクレオールのエリザ・オフラハティ(旧姓ファリス。トーマスの2番目の妻)の間に、キャサリン・オフラハーティ(Katherine O'Flaherty)として生まれた[2]。父母の異なる文化・言語が混じった環境で育つ[3]

ローマ・カトリック教徒として育てられ、5歳の時に修道女たちが運営する聖心修道会の寄宿学校聖心アカデミーに入るが、直後に鉄道事故で父親を亡くし、いったん家に戻り、母・祖母・曾祖母という、賢く自立した3代の未亡人で構成された母権的な家庭で2年間暮らした[3][2][1]。曽祖母のヴィクトリア・ヴェルドン・シャルルヴィルは、ショパンの教育を監督し、家庭教師として教え、彼女にフランス語や音楽、過去のセントルイスの女性に関するゴシップを教え、人生を「明確に、大胆に」生きることの必要性を説いた[2][1]。ヴィクトリアはセントルイスで初めて夫と法的に別居した女性であり、その後5人の子供を育て、ミシシッピ川で海運業を営む自立的な人物だった[2][1]。寄宿学校では、修道女や、生涯の友人であるキティ・ガラシェと深い絆を結び、恩師のメアリー・オメーラに支えられ学んだ[2]。後の作品には、彼女が成長の過程で女性達から受けた養育、教育がベースにみられる[2]

ショパンは南北戦争の時代をセントルイスで過ごした[2]。この街の住民は北軍と南軍の両方を支持し、家々には奴隷がいた[2]。南北戦争がはじまると、南部連合を支持していたガラシェ一家はセントルイスを追われ、親友を失ったショパンは深い孤独に陥った[1]。1863年に曾祖母が亡くなり、その1ヵ月後、ショパンを可愛がっていた異母兄ジョージ・オフラハティ(23歳の南軍兵士)が、北軍の刑務所で腸チフスで死亡した[2]。ショパンは5人きょうだいの3番目だったが、彼女の姉妹は幼少期に死亡し、前妻が生んだ兄達は20代前半で死亡し、25歳を超えて生き延びたのは彼女一人だった[2]

1867年から1870年まで小さなノートに、日記やエッセイ、詩を書き、文章の模写を行っていた[2]。1868年に寄宿学校を卒業した時には、彼女は素晴らしい語り手であり、優等生で、若々しい皮肉屋、熟練したピアニストとして知られていた[2]。1868年にセントルイスの社交界にデビュー[3]。10代後半の彼女は、セントルイス社交界の花形になり、機知に富み、音楽にも多大な関心を寄せていたことが知られている[2]。この頃、ローマ・カトリック教会が女性を服従させていることに疑問を持ち始めた[2]

夫のオスカーと息子のジーン
ショパンと子供達。1877年

1870年にルイジアナ州の裕福な綿花農家の息子のオスカー・ショパンと結婚し、彼が綿の仲買人をしていたニューオーリンズに移住した。二人のロマンスの詳細は不明だが、ショパンは彼と結婚することで精神の自由を犠牲にすることはなく、葉巻を吸い、派手でスタイリッシュな服装をするなど、当時の女性として常識破りで、記憶に残る行動をしていた[2]。二人の結婚は幸せなものだったと考えられており、オスカーは妻の知性と能力を高く評価していたようである[1]。元フランス植民地クレオール(アメリカがこの地域をフランスから購入する以前から定着していたフランス語文化圏の流れをくむ小社会)文化の濃いニューオーリンズでの生活は、ショパンにとってカルチャーショックのようなものを感じさせた[4]。オスカーは過激な人種差別主義者で、南部の退役軍人による準軍事組織ホワイト・リーグに所属し、1874年にリバティ・プレイスの戦い英語版に参加している[5]

オスカーは1879年に綿花の仲買いの仕事に失敗し、一家は1880年に、いくつかの小規模なプランテーションを所有する北のナッチトッシュ英語版教区のクルーティエビル英語版に移った[2]。オスカーは雑貨店を購入して経営し、ショパンは地域社会で活発に活動し、クレオールのコミュニティで交流し、後にこの場所が彼女の小説の重要な要素になった[2]。ショパンはここで時に馬に乗り、急用の際には馬に飛び乗って街の中を疾走する等、当時の女性として型破りで、やりたいことをして、無意味な伝統にしたがうことを拒んだ[2]。喫煙や、人目を引くファッション、性的な魅力が、人々の間で後まで語り草となっている。29歳までに5人の息子と1人の娘を出産した[2]

1882年に、夫オスカーが沼地熱(マラリア)で死去し、32歳で未亡人となった。12,000ドル(今日の約 100 万ドルに相当)の借金と6人の幼い子供が残された。急にレディから経営者に転身することになり、農園と雑貨店を続けようと努力したがうまくいかず、経済的困難に陥った[6][1]。この頃、地元のビジネスマンや既婚の農家と不倫をしていたと噂されており[1]、半世紀以上後に現地を訪れた伝記作家のトスは、不倫相手の娘が「ケイト・ショパンは私の両親の結婚を破壊した」と常々語っていたと伝えている[7]。母に生まれ故郷のセントルイスに戻ってくるように説得され、母の経済支援で1884年に子供と共に移り、経済的な問題がなくなり徐々に生活も落ち着いたが、まもなく母が死去。夫と母を次々に失ったショパンはひどいうつ状態に陥り、かかりつけ医や友人から、書くことが癒しになり、エネルギーを集中させることができ、収入源にもなるとアドバイスを受け、執筆を始めた[4][6]

1889年に短編作家としてデビュー[8]。最初の5作品の舞台は南部ではなく、発表された媒体も地方の小さな雑誌や新聞だった[8]。最初の長編小説『過ち(At Fault)』を執筆したが、編集者に出版を拒まれ、1890年に自費出版した[1]。この作品は、離婚問題を道徳ではない面から取り上げた最初のアメリカ作品だとされている。アルコール依存症や情事を描いており、否定的な評価を受けた[2]

ショパン

1891年にルイジアナのクレオールやアカディアン、黒人を題材にした「A No-Account Creole」と「For Marse Chouchoute」により、多くの購読者を抱える雑誌「センチュリー・マガジン英語版」と「ユース・コンパニオン英語版」の掲載が決まり、作家としての登竜門を上り、作品が幅広い読者の目に触れるようになった[8]。宇津木まり子は、「題材を模索していたショパンを『南部地方色作家』として位置づけ、彼女のその後の方向性を決定づけることになった。」と述べている[8]。1891年に短編小説「小川の向こうに(Beyond the Bayou)」を発表。

ショパンは作品毎に、執筆日、タイトル、ワード数、投稿した雑誌名とその日付、採用と不採用の別、その通知を受けた日付、作品に対して支払われた金額、出版された日付を綿密に記録し、作品の買取価格に印税の金額を列挙して累計していくリスト、作品のワード数を列挙して累計していくリストを作成し、日給やワード単価といった執筆の収入、費用対効果を記録し分析していた[8]。また、当時の作家には「家族の価値」を重視する道徳の守護者という役割があり、女性作家が評価されるためにはジェンター規範から逸脱しないことが重要だったため、ショパンも執筆より家事を優先すると語るなど、作家としての自身のイメージの演出に気を配った[9]

1890年代初頭には文学サロンを主催しており、彼女の「木曜会(Thursday’s)」には、創造的な得意分野を持つ人々が集った[2]。メンバーの多くは新聞の関係者で、彼女の作品は新聞で頻繁に批評され、書いた記事の多くは日刊紙に掲載された[10]。時折新聞に散文やエッセイを書き、翻訳の仕事も行った[10]。ノンフィクションの記事を地元や全国区の出版物に書くこともあったが、彼女の関心はフィクションにあった[1]。彼女は女性団体のメンバーでもあり、セントルイス・チルドレン・オブ・ソーダリティに参加し、名門クラブである「水曜日クラブ」の創立委員だった[2]

1892年から1895年にかけて、子供向けと大人向けの短編小説を書き、「アトランティック・マンスリー」や「ヴォーグ」、「センチュリー・マガジン」、「ユース・コンパニオン」などの雑誌に掲載された[2]。「アトランティック・マンスリー」や「ユース・コンパニオン」、「センチュリー・マガジン」は作家の登竜門としての役割を果たしていたが、ヴォーグ」はこれらとは趣が異なり、ショパンは「ヴォーグ」に19編と最も多くの作品を寄せた[11]。19世紀末当時、メディアにおいても女性を巡る問題の描写や主題設定に関する制約は厳しかったが、「ヴォーグ」は他の大手雑誌とは編集方針が異なり制約が緩く、ここでの執筆活動が、ショパンの作家としての自由度を高めたと考えられている[12]

1893年に、「セレスタン夫人の離婚(Madame Celestin’s Divorce)」を含む13編が出版された[1]。続いて2冊の短編集『バイユーの人々(Bayou Folk)』(1894年)、『アカディの夜(A Night in Acadie)』(1897年)を出版し、批評家から好評を博し、作家として好調な滑り出しを見せる[2]。1894年に、夫の死の知らせに開放感を覚える女性を描いた短編小説『一時間の物語英語版The Story of an Hour)』を発表した。その後、「若きゴッセ博士(Young Dr. Gosse)」という小説を執筆したが、出版には至らず、嫌気がさして原稿を破棄してしまった[2]

彼女の小説や記事は世間の注目を集め、人気作家として、セントルイス社交界で数年間有力者であった[2]。この間、彼女はほとんどの時間を子育てにあて、週に1日か2日執筆していた[2]。執筆の収入だけで生活することはできなかったが、ルイジアナとセントルイスに所有する不動産からの収入もあり、ある程度余裕を持って暮らした[2]

『目覚め』(初版)

1899年に、クレオール社会を舞台に、上流階級の既婚女性エドナを主人公とする長編小説『目覚め英語版(The Awakening)』を発表[13]。この作品はセクシュアリティの解放をオープンに扱ったが、保守的な時代であり、当時の人々にとっては際どすぎたと言え、幾人かの批評家は芸術性を称賛したが、多くの反応は厳しく批判的なものだった[2]。ショパンは否定的な反響に落胆し、次の長編小説は中止され、短編小説の執筆に戻った[1]。小説家として完全に立ち直ることはなく、『目覚め』の失敗で社会的地位が低下して再び孤独に陥り、執筆活動は低調になり、その後の5年間で数編の短編小説を発表するに留まった[2][1]

1904年8月20日のひどく暑い日にセントルイス万国博覧会に出かけ、帰宅すると息子に頭痛を訴え、翌日意識不明になり、おそらく脳出血で22日に53歳で亡くなった[2][14]

作品解説・批評[編集]

初期の作品では、19世紀の北米のアフリカ系アメリカ人公民権運動、南北戦争の複雑さ、フェミニズムの萌芽などの身近なテーマや経験を取り上げている[1]。ショパンの短編小説は約100編あり、生前、特に長編小説と比べると、一般的に高い評価を得ていた[1]。ショパンは主に、フランスの短編作家ギ・ド・モーパッサンの影響を受けており、自然主義的な文体で執筆した[1]。彼女の作品は自伝的なものではないが、自らを取り巻く人々、場所、思想に対する鋭い観察から生み出された[1]。ショパンの作品は生前は批判にさらされたが、彼女の死後、初期のフェミニスト作家のパイオニア、第一人者として認められ、作品が再評価され、特に『目覚め』が重要な作品として注目された[1]

地方色[編集]

戦前・戦後の南部社会の観察など、周囲の環境が作品に大きな影響を与えており、ショパンは地方作家と呼ばれることもあった[1]。ショパンは、アイルランド系とフランス系の祖先を持ち、ルイジアナでクレオールやケイジャンの影響を受けて育ったことから、多様な文体を取り入れた[6]。当初はクレオール社会を描く、地方色の濃い短編小説を書いており、地方色豊かな作風が特徴の一つである[15]。この時代、民話や南部の方言、地域の体験などを取り入れた「地方色(ローカル・カラー)」を特徴とする作品が人気を博しており、ショパンの短編小説は、文学的にどうかというより、ローカル運動の一部とみなされるのが一般的であった[1]。ニューオーリンズを中心とするクレオール社会は、フランス文化に影響され男女の恋愛の自由度が高い地域で、既婚女性が若い男性と社交上親しくすることに寛容で、不倫も珍しくなく、短編小説でもこうした風土が利用されている[13]。その執筆活動は南北戦争が終わって20年以上後に始まったが、戦争の余波とルイジアナで過ごした時間に大きな影響を受けている[2]

彼女の重要な短編小説のひとつに、「ディジレの赤ちゃん英語版Desiree's Baby)」(1893年) がある。この物語は、当時論争の的になっていたテーマを率直に描いた初期の作品の一つで、赤ん坊のときに捨てられ、愛情深い家庭で養子として育てられた女性ディジレの短い結婚生活を描いた作品である[1][2]。夫との間に子供が生まれ、その子の肌の色が黒かったことから、夫は彼女を黒人系だったのかと罵り、家から追い出す[2]。皮肉なことにその数日後、夫は母が残した手紙を発見し、自分の方が混血であったことを知る[2]。ルイジアナのクレオールにおける人種差別と異人種間の関係をテーマとしており、アフリカ系の血筋を持つことで、法律や社会から差別や危険にさらされる当時の人種差別をはっきりと描いた[1]。ショパンが執筆していた当時、この問題は一般に公の場で取り上げられることはなかった[1]

当時、北部大手の雑誌編集者は、地方色文学を南北分断の解消のための方法の一つと捉えており、作品の中で平和的に白人優越主義を描くことを求めていたため、作家が黒人の卑屈さを強調するステレオタイプを多用する後押しとなっていた[8]。ショパンは短編小説で、白人に尽くす善良な黒人や、満ち足りた奴隷として黒人を描くことがあり、特に短編小説で黒人ステレオタイプが多用された[16]。彼女の作品の黒人表象は、夫オスカーの過激な人種差別と裏表とも言える白人優越主義の表れとなっている。宇津まり子は「ショパンのトレードマークとも言える性の探求すら、黒人を始めとする有色人種の女性に社会的に付せられたステレオタイプを利用する形で行われていることは認めざるを得ない。」と述べている[16]

女性の表現[編集]

彼女の作品のほとんどは、繊細で知的な女性の人生に焦点を当てたものであった[14]。ショパンの作品の特徴として、女性の解放、特にセクシュアリティの解放をオープンに取り上たことがある[4]。最初の長編小説『過ち(At Fault)』は、離婚した男に恋する30代のカトリックの未亡人テレーズを主人公としており、テレーズはのちの『目覚め』のエドナのように、外に向けた自分と内なる自分を調和させるのに苦労している[14]。彼女はカトリック教徒として離婚という考えを受け入れることができないが、愛する男性を自分の人生から締め出すこともできない[14]

1893年に「ヴォーグ」に掲載された短編小説『一時間の物語』は、現代のフェミニスト文学英語版(modern feminist literature)のジャンルに分類されており、多くの人が、この作品が現代のフェミニスト文学運動の始まりであると主張している[17][18][1]。夫の死の知らせを聞いた心臓病の女性ルイーズが、悲しみと混乱から、自由を噛みしめ、深い解放感と喜びを感じ、自己主張の強い衝動を自覚するまでの内面の過程を描いた『一時間の物語』は、ショパンの最も有名な短編のひとつとなった[1]。死の知らせは誤報であり、戻ってきた夫を目にしたルイーズは心臓病の発作で亡くなり、医師たちは彼女が「死ぬほどの喜びのあまりに」心臓病で死んだのだと言う[17]

ショパンは大きな変革の時代の中で、主に女性による環境で育ち、その影響が作品にも表れている[1]。作品の中で、個々の女性を一人の人間として、それぞれの欲求や願いを持つ複雑で立体的なキャラクターとして真剣にとらえて描き、そのためショパンは今日では「プロト・フェミニスト英語版」であると考えられている[1][6]。ただし、ショパン自身はフェミニストや女性参政権論者ではない[19]

当時は、女性は結婚と母性以外の欲望をほとんど持たない平面的な存在として描かれることが多く、ショパンが描いた自立と自己実現のために奮闘する女性像は、珍しく画期的なものだった[1]。ショパンは、家父長制の神話に対する女性の抵抗の形を様々に示し、作品のテーマとして多様な角度から取り上げており、その表現は時が経つにつれ変化した[1]。初期の作品短編小説では、家父長制に激しく抵抗する女性が描かれ、周囲から不信感を抱かれたり、狂気として退けられたりしていたが、徐々に作品に描かれる主人公の抵抗の戦略は、静かで密やかなものになっていき、周囲にすぐに悟られたり見捨てられたりすることなく、自分の望みを達成するようになった[1]。彼女が作品で行った女性の自立についての探求は、かなり後になるまで評価されることも賞賛されることもなかった[6]。ショパンは多くの意味で、時代に先駆けた女性であった[6]

嵐の晩に元恋人と一夜を共にする既婚女性を描いた「英語版The Storm)」も、あからさまにセクシュアリティを描いたことで、生前は出版されていない[20]。ショパン作品のセクシュアリティの表現は、当時のアメリカの「お上品な伝統」の読者にとって、風変わりで、眉をしかめるようなものであり、読者の常識を超えた革新的なものであった[20][13]。女性のセクシュアリティが、結婚からも、さらには恋愛からも独立したものとして描かれている点も、非常に新しかった[20]

ショパンは「結婚からの解放」「女性の自立」を繰り返し作品に描いたが、武蔵大学の新井景子は、女性の「解放」のテーマが「必ずしも明確なフェミニズム的告発としてではなく、より複雑で曖昧なものとして示されている点も特徴である。」と述べている[20]。「現在の状況に何となく不満な女性」というモチーフは、『目覚め』でも繰り返されている[20]

『目覚め』[編集]

1899年の『目覚め』は、ひとりの女性が独立したアイデンティティを確立するための戦いを探求した作品で、自己発見の超越的な旅の物語でもある[1][21]。女性のセクシュアリティ、性的な感情を描き出した実験的な小説であった[6][1]。当時、特に女性は道徳的であることが尊ばれ、セクシュアリティに対して世間は保守的であり、女性向け小説の世界では、感傷的で道徳的な家庭小説が流行していた。本作はあまりに時代を先取りしすぎていたと言え、保守的な時代に世論の激しい批判を浴びた[6][1]。ただし、現代の18禁小説のような露骨な性行為の描写があるわけではなく、瀧田佳子は「お上品な伝統という19世紀的アメリカの状況の中で、当然ながら十分に抑制された表現がなされている。よほど注意深く読まなければ、現代の読者にはどうしてこれがセックス・フィクションと呼ばれたのか見当もつかないだろう。」と述べており、本作が問題視されたのは、経済的にも世間的にも非常に恵まれているように見える主婦で母の主人公エドナが「伝統的な女性の地位をゆるがすような行動をとったからであるように思われる。」と述べている[22]

物語は、夫レオンスと子どもたちとグランド島に避暑に訪れたエドナが、良き主婦のラティニョル夫人、ピアニストのレーズ嬢、後に恋することになるロベールらと交流する島での日々を通して、夫に従い子どもに尽くすという女の役割に縛られた自分の生活に疑問を抱くようになることから始まる[23]。レオンスは当たり前に、彼女を所有物として見ていることが描写される[22]。エドナは自身の芸術的・創造的な可能性に目覚め、主婦としての務めを放棄し、絵を描く[23]。これは彼女にとって自己表現と個人主義の一形態であるが、第二の目覚めである性的な目覚めが絡み、混乱しながら芸術家を目指すことは途中で辞めてしまう[21][23]。エドナは自分が一人の人間であり、他人の所有物になることなく選択ができるのだと自覚し始め、選ぶことが自分に何をもたらすかを探求し、夫以外の男性ロベールと惹かれ合う[21]。エドナはロベールによって情熱に目覚めるが、他の男性と肉体関係を持つ[21]。最後の目覚めは、自己・自我の目覚めであり、「眠りから覚める」メタファーで表現される[21]。「宇宙における自分の存在について、自分と周囲の関係について」真剣に考えはじめ、孤独の中で超絶主義者のラルフ・ウォルド・エマーソンの本を読む姿が描かれ、彼女が新しい人生を始めようとしていることが示唆される[22][21]。夫の支配下で縛られた妻・母であることから独立しようと、夫の知人より自分の友人関係を優先する等、生活の中で様々な試みを行い、夫との間に軋轢が生じる[22]。一人の人間として目覚めていき、ロベールに対して魂も体も与えたいと思う真実の愛を抱いていることに気付き、彼女はロベールと愛を確かめ合うが、彼は人妻との許されない関係を続けることを拒み、去ってしまう[22]。作中で、翼の折れた鳥はエドナの失敗を象徴し、海は性欲・欲望を、そして自由と脱出を象徴している[21]。物語の最後、彼女は季節外れのグランド島を訪れ、裸で海に入り、入水自殺したことが暗示される[21][23]

当時この作品は、女性のセクシュアリティを探求し、厳しく制限された女性の性規範に疑問を投げかけていることで、広く批判され、検閲さえ受けた[1]。「セントルイス・リパブリック」紙は、この小説を「毒」と呼んだ[1]。文章は賞賛するが、道徳的な理由でこの小説を非難する批評家もいた[1]。例えば「ネイション」紙は、ショパンがこのような「不快」な作品を書くことで才能を無駄にし、読者を失望させたと書いた[1]。また当時の批評には、エドナは少女時代に恋愛に過度な夢を見て、大人になっても少女のような夢の中におり目覚めておらず、作中におけるエドナの「目覚め」は、自分が犯した不倫という罪の自覚であるという理解もみられた[24]

「目覚め」が罪の自覚だという理解は明らかに誤読であるが、米塚真治は、主人公が「目覚めていない」ことが作品の肝であるという指摘は的を射ていると述べている[24]。エドナは同性の友人たちとの交流を通して性に目覚め、少女時代の夢を取り戻していき、目覚めと夢見ることが並行して進行している[24]。米塚真治はこれを実存主義を鍵に読み解き、性を非日常の契機にエドナに起こった「目覚め」は、マルティン・ハイデッガーの哲学で言う、事実性の世界(現実、日常)に目覚め、本来性から逃避して日常の中に眠っている状態から、本来性に覚醒することであり、ここに夢見ることが目覚めることであるという逆説が生じる[25]。本来性に目覚めたエドナは、ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』の登場人物と同様に、激しい実存的不安に襲われる[25]

エドナはどのようなあり方にも収まらず、最後入水自殺するという曖昧とも言える人生の結末には、さまざまな議論がある[22]。例えば、彼女の精神的勝利の象徴として捉えるパー・セイヤーステッド英語版らの肯定的解釈や、彼女の敗北を示すというスザンヌ・ヴォルケンフェルド(Suzanne Wolkenfeld)らの否定的解釈がある[26]。アダム・バージェスは、エドナの自殺は子供たちの将来と幸福を守るためだと述べており、彼女は物語の最後で母親としての自分の役割を自覚し、子供たちに自分の命を与えるが、自分自身を与えることはなかったと解釈している[21]。瀧田佳子は、「『新しく生まれた生き物のように』この世界に目を見開いて、素っ裸で立つエドナの姿には、世紀転換期の新しい女の誇らしい自立への挑戦がみてとれるのではなかろうか。」と読み解いている[22]。米塚真治は、ショパンはエドナを夢見心地に自殺させることで、目覚めたエドナは再び日常の中に眠り、夢を見続ければよいのかと、ややシニカルに問いかけており、そこに彼女の先見性・オリジナリティがあると賞賛している[25]

非直線的な物語と自我の揺らぎ[編集]

『目覚め』で描かれた、衝動的、情緒的にふるまうエドナの物語は一貫性がなく、彼女は自我と衝動や欲望が矛盾して苦しみ、やるせない感覚に満ちた場面が幾度も描かれる[13]。エドナは、確固とした道徳や思想を失った現代人の自我の「ゆらぎ」を体現する、新しいタイプの主人公であった[13]

アメリカ文学者の平石貴樹は、近代文学の初期の女性作家たちの作風の傾向として、プロットが弱く、日常生活の描写に優れているという特徴がみられるが、その理由に「女性作家たちの『プロット』に対する不信」があると考え、背後に「人生を一貫した計画や冒険などの展開とみなす、近代的自我の人生観[注釈 1]そのものを、アメリカン・ドリームに支配された男性たちの『勝手な夢』(少なくとも、社会参加のままならない自分たちには『無縁な夢』)としてしりぞける思想、あるいは情緒」がひそんでいたのではないかと分析し、そう考えさせる作品として、『目覚め』を挙げている[15]

同性愛的要素[編集]

1896年の「ライラックの花(Lilacs)」は、修道院で子供時代を過ごし、5年程春に修道院を訪問していた女優のアドリアンが、ある年突然修道院に訪問を拒否され、互いに深い愛着を持っていたアドリアンとシスターのアガサが、修道院の内と外で泣き崩れるという物語である[28]。作中では訪問拒否の事情やアドリアンの人生の詳しい説明はされておらず、読者が女優という職業に抱くイメージ、偏見を作品に読み込み、アドリアンの生活や彼女が抱える問題、訪問拒否の理由等を想像させる構成になっており、女優のアドリアンはパリで爛れた生活をしており(パリでどんな暮らしをしているかは作中では描かれておらず、読者の想像である)、それが知られてしまったというヘテロセクシュアル解釈と、アドリアンとアガサが愛し合っていたというレズビアン解釈がある[28]

また、1897年の「フェドーラ(Fedora)」には、最後に女性同士のキスシーンがあり、こちらもレズビアン解釈が行われてきた[28]。また、『目覚め』でも、エドナと同性の友人たちとの交流には、多分にセクシュアルな要素がある[29]

再評価[編集]

『目覚め』は半世紀以上もの間文学的価値を見出されず、数十年間絶版になっていた[2]。彼女の作品は、死後ほとんど忘れられていたが、1920年代に短編小説がアンソロジーに掲載されて徐々に読まれるようになり、1930年代にはショパンの伝記が書かれた[2]。伝記では短編については良く述べられているが、『目覚め』は否定的な扱いだった[2]。研究者たちは1950年代までに、『目覚め』が洞察に満ちた心を打つ長編小説であると考えるようになっていった[2]。パー・セイヤーステッドが1969年に全集を編纂し、ショパン研究の端緒を開いた[16]。パー・セイヤーステッドは伝記で、ショパンがいかに「アメリカ文学に新しい境地を開いたか」論じ、これがよく知られており、ショパンは1970年代以降に高く評価されるようになった[20]フェミニスト文芸批評英語版家によりフェミニズムの観点からの読み直しが行われ、研究者たちはフェミニストの観点から彼女の作品を批評・評価し、ショパン作品の登場人物が家父長制の構造に抵抗していることに注目した[1]。現在では20世紀の最初のフェミニスト作家のひとり、第一人者とみなされており、重要な位置を占めている[4]。一方、米塚真治は、生前のショパンと『目覚め』の読解から、ショパンがフェミニズムのイデオロギーから距離を取っていたという見解を示し、フェミニスト視点による解釈には強引さがあるとみており[19]、フェミニスト批評以外のアプローチもみられる。

今日では、エミリー・ディキンソンルイーザ・メイ・オルコットと並んで分類されることもある[1]。彼女たちもまた、社会の期待に背を向けながらも、充実感と自己理解を得ようとする自立的な女性の複雑な物語を書いており、このような女性像は当時珍しく、女性文学の新境地を示すものであった[1]

1999年には「Kate Chopin: A Reawakening」というドキュメンタリーが作られ、ショパンの人生と作品について語られた[1]。彼女は同時代の他の有名作家に比べて主流文化で取り上げられることは少ないが、文学史における影響力は否定できない[1]。その画期的な作品群は、女性の自我、抑圧、内面といったテーマを探求する、後のフェミニスト作家に続く道を開いた[1]。彼女の作品、特に『目覚め』は、アメリカ文学の授業で教えられることが多い[1]

テレビドラマ『Treme』第1シーズンの最後から2番目の回で、教師は新入生に『目覚め』を課題として与え、次のような注意を与える。(シーズンの終わりを予想しようとする視聴者への警告とも解釈できるシーンである。)[30]

「時間をかけて読んでほしい。言葉そのものに注意を払いなさい。作品のアイデアを、始まりと終わりの観点から考えないように。プロット主導のエンターテインメントとは違って、現実の人生に終わりはないのだから。そういうものなんだよ。」[30]

主要作品・邦訳[編集]

  • Emancipation. A Life Fable. (1869年後半または1870年初頭に執筆。1963年出版[31][32]
    • 「解放 : 人生の寓話」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
  • With the Violin(1889年)[33]
    • 「ヴァイオリンをかかえて」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 [34]
  • At Fault(1890年、自費出版。過ち[35]
  • Mrs. Mobry's Reason(1891年)
    • 「モブリー夫人の理由」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • A No-Account Creole(1888年。1891年に書き直し)
  • For Marse Chouchoute(1891年)
  • A Harbinger(1891年)
    • 「恋の先触れ」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Doctor Chevalier's Lie(1891年)
    • 「シュヴァリエ先生の嘘」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Beyond the Bayou(1891年)
    • 「小川の向こうに」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Ripe Figs(1892年、熟したイチジク)
  • Caline(1892年)
    • 「キャリン」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • At the Cadian Ball(1892年、The Storm の前日譚)
    • 「ケイジャンの舞踏会で」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
  • Désirée's Baby (1893年。1894年『Bayou Folk』に収録)
    • 「デジレの赤ん坊」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
    • 「デジレの赤ん坊」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
    • 「デズィレの赤ちゃん」 『目覚め』宮北惠子、吉岡惠子 訳、南雲堂、1999年。 
    • 著梅垣昌子 訳「ディジレの赤ちゃん」 『悪魔にもらった眼鏡』亀山郁夫、野谷文昭 編訳、名古屋外国語大学出版会〈Artes mundi叢書 : 知の扉が開かれるときには 世界文学の小宇宙 ; 1 (欧米・ロシア編)〉、2019年。 
  • Madame Celestin's Divorce(1893年。1894年『Bayou Folk』に収録[36]。セレスティン夫人の離婚)
  • An Idle Fellow(1893年)
    • 「何もしない男」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • A Matter of Prejudice(1893年、偏見の問題)
  • A Respectable Woman(1894年、「ヴォーグ」掲載。同年『A Night in Acadie』収録。立派な女性[36]
  • The Story of an Hour (1894年)
    • 「一時間の物語」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
    • 「一時間の物語」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
    • 「一時間の夢」 『愛と皮肉の名作物語 : 風変わりな英米短篇集』名作の会編 ; 内田深翠、菊川忠夫、佐原弘一 共訳、海苑社、2006年。 
    • 馬上紗矢香 訳「一時間の物語」 『病短編小説集』石塚久郎 監訳、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2016年。 
    • 著梅垣昌子 訳「一時間のできごと」 『悪魔にもらった眼鏡』亀山郁夫、野谷文昭 編訳、名古屋外国語大学出版会〈Artes mundi叢書 : 知の扉が開かれるときには 世界文学の小宇宙 ; 1 (欧米・ロシア編)〉、2019年。 
  • Regret(1894年、後悔)
  • The Kiss(1894年)
    • 「キス」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Her Letters(1894年)
    • 「妻の手紙」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
    • 佐藤宏子 訳「手紙」 『ゴースト・ストーリー傑作選 : 英米女性作家8短篇』川本静子、佐藤宏子 編訳、みすず書房、2009年。 
  • Dead Men's Shoes(1895年)
    • 「死者の靴」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Lilacs(1896年)
    • 「ライラックの花」 『女たちの時間 : レズビアン短編小説集』利根川真紀 編訳、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、1998年。 
  • A Pair of Silk Stockings(1896年)
    • 「絹のストッキング」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Aunt Lympy's Interference(1896年)
    • 「リンピィ小母さんのおせっかい」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • The Blind Man(1896年)
    • 「ブラインド・マン」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • The Locket(1897年)
    • 「ロケット」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • Elizabeth Stock's One Story(1897年)
    • 「エリザベス・ストックの遺作」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • The Storm(1898年)
    • 「あらし」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
  • The Awakening (1899年)
    • 『めざめ』杉崎和子 訳、牧神社、1977年。 
    • 「目覚め」 『目覚め』瀧田佳子 訳、荒地出版社、1995年。 
    • 「目覚め」 『目覚め』宮北惠子、吉岡惠子 訳、南雲堂、1999年。 
  • The White Eagle(1900年)
    • 「白い鷲」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 
  • The Wood Choppers(1900年)
    • 「薪割」 『ケイト・ショパン短篇集 : 南部の心象風景』杉崎和子 編、桐原書店、1988年。 

映像作品[編集]

  • The Return of the Alcibiade:テレビドラマシリーズ「The Adventures of Jim Bowie」の1956年の一話。[37]
  • Five Stories of an Hour: 1988年のテレビ映画。[37]
  • The Joy That Kills:1894年の『一時間の物語』の映画。[37]
  • The End of August:1981年の『目覚め』の映画。[37]
  • Grand Isle:1991年の『目覚め』の映画化。[37]
  • The Storm:2009年の「嵐」の短編映画。[37]
  • Historia de una hora:2009年の『一時間の物語』の短編映画。[37]
  • Kate Chopin's the Kiss:2013年のテレビドラマシリーズの一話。[37]
  • Kate Chopin's the Locket:2014年の短編映画。[37]
  • Kate Chopin's a Pair of Silk Stockings:2014年の短編映画。[37]
  • Kate Chopin's a Respectable Woman:2014年の短編映画。[37]
  • The Joy That Kills:2016年の『一時間の物語』の短編映画。[37]
  • Ripe Figs:2017年の短編映画。[37]
  • A Matter of Prejudice :2017年の短編映画。[37]
  • Dr. Chevalier’s Lie:2018年の短編映画。[37]
  • Regret:2020年の短編映画。[38]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 近代的自我の人生観は、弱体化した宗教にかわって強まった現実・世俗への関心、個人主義的な独立心や主体性、目標の実現のために自分自身を鼓舞し努力する姿勢の3つを特徴とする[27]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar Biography of Kate Chopin, American Author and Protofeminist”. ThoughtCo. 2022年9月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an KATE CHOPIN ‐ Novelist And Short Story Writer”. HISTORY OF AMERICAN WOMEN. 2022年9月18日閲覧。
  3. ^ a b c 新井 2013, p. 77.
  4. ^ a b c d 新井 2013, pp. 77–78.
  5. ^ 宇津 2017, p. 29.
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  9. ^ 宇津 2017, pp. 27–28.
  10. ^ a b Kate Chopin”. angelfire.com. 2022年9月19日閲覧。
  11. ^ 宇津 2017, p. 30.
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  13. ^ a b c d e 平石 2010, pp. 276–279.
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  15. ^ a b 平石 2010, p. 277.
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  20. ^ a b c d e f 新井 2013, p. 78.
  21. ^ a b c d e f g h i Adam Burgess. “Kate Chopin's 'The Awakening' of Edna Pontellier”. ThoughtCo. 2022年9月19日閲覧。
  22. ^ a b c d e f g 瀧田佳子 世界名作文学館 『目覚め&解説』 - ウェイバックマシン(2008年1月8日アーカイブ分)
  23. ^ a b c d 梶谷 2018, p. 1.
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  25. ^ a b c 米塚 1997, pp. 78–79.
  26. ^ 梶谷 2018, pp. 1–2.
  27. ^ 平石 2010, pp. 16–17.
  28. ^ a b c 宇津まり子. “Kate Chopinの“Lilacs”における異性愛と同性愛の二重性について”. 日本アメリカ文学会. 2022年9月19日閲覧。
  29. ^ 米塚 1997, p. 76.
  30. ^ a b Treme - as a season ends, so does a life”. The Atlantic (2010年6月15日). 2022年9月22日閲覧。
  31. ^ Kate Chopin’s Short Stories: Composition and Publication Dates”. The Kate Chopin International Society. 2022年9月20日閲覧。
  32. ^ ケイト・ショパン「解放 生きることの寓話」翻訳
  33. ^ The Literary Works of Kate Chopin”. All Roads Lead to New Orleans. 2022年9月30日閲覧。
  34. ^ ケイト・ショパン”. 石川研究室. 2022年9月30日閲覧。
  35. ^ Kate Chopin: At Fault”. The Kate Chopin International Society. 2022年9月30日閲覧。
  36. ^ a b 倉橋 2003, p. 70.
  37. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Kate Chopin”. IMDb. 2022年9月19日閲覧。
  38. ^ Kate Chopin “Regret” Film”. The Kate Chopin International Society. 2022年9月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 板橋好枝高田賢一 『はじめて学ぶアメリカ文学史』 ミネルヴァ書房〈シリーズ・はじめて学ぶ文学史②〉、1991年、124-125頁。
  • 米塚真治「ケイト・ショパン vs フェミニズム」『Otsuma review』第30巻、大妻女子大学、1997年7月、 73-84頁、 NAID 110000097749
  • 平石貴樹 『アメリカ文学史』松柏社、2010年。 
  • 新井景子 著「ケイト・ショパン」、諏訪部浩一 編 『アメリカ文学入門』三修社、2013年。 
  • 倉橋洋子「ケイト・ショパンの短編にみるアメリカ南部の女性と行動規範」『東海学園大学研究紀要 分冊2 人文学・健康科学研究編』、お茶の水女子大学大学院英文学会、2003年3月、 69-78頁、 NAID 110004706177
  • 宇津まり子「ケイト・ショパンの黒人表象と『ヴォーグ』 : "Désirée's Baby"と"La Belle Zoraïde"」『山形大学紀要 人文科学』第18巻、山形大学、2017年2月15日、 23-38頁、 NAID 120005983064
  • 梶谷眞衣「「アーティストになる」という逸脱 : ケイト・ショパンの『目覚め』(1899)におけるエドナの表象」『英語圏研究』第14巻、お茶の水女子大学大学院英文学会、2018年、 1-9頁、 NAID 40021842371

読書案内[編集]

  • Chopin, Kate, and Kate Chopin. The Storm, and Other Stories: With the Awakening. Old Westbury, N.Y.: Feminist Press, 1974.
  • Rankin, Daniel S. Kate Chopin and Her Creole Stories. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1979.
  • Boren, Lynda S., and Sara deSaussure Davis. Kate Chopin Reconsidered: Beyond the Bayou. Southern literary studies. Baton Rouge: Louisiana State University Press, 1999.
  • Toth, Emily. Unveiling Kate Chopin. Jackson: University Press of Mississippi, 1999.
  • Nolan, Elizabeth, and Janet Beer. Kate Chopin's The Awakening: A Sourcebook. Routledge literary sourcebooks. London: Routledge, 2004.
  • Green, Suzanne Disheroon, and David J. Caudle. Kate Chopin: An Annotated Bibliography of Critical Works. Westport, Conn. [u.a.]: Greenwood Press, 1999.
  • Springer, Marlene. Edith Wharton and Kate Chopin: A Reference Guide. Boston: G.K. Hall, 1976.

外部リンク[編集]