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ガリーナ・ジュガシヴィリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガリーナ・ジュガシヴィリ
Галина Джугашвили
生誕 Галина Яковлевна Джугашвили
(1938-02-19) 1938年2月19日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ
死没 (2007-08-27) 2007年8月27日(69歳没)
ロシアの旗 ロシア モスクワ
死因
墓地 ノヴォデヴィチ墓地
出身校 モスクワ大学
職業 翻訳家
ヤーコフ・ジュガシヴィリ (父)
ユリア・メルツァー英語版 (母)
家族 エフゲニー・ジュガシヴィリ (兄)
ヨシフ・スターリン (父方の祖父)
イェカチェリーナ・スワニーゼ (父方の祖母)
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ガリーナ・ヤコヴレヴナ・ジュガシヴィリ (ロシア語: Галина Яковлевна Джугашвили, 1938年2月19日 - 2007年8月27日)は、ロシアのフランス語翻訳家である。ヨシフ・スターリンの長男ヤーコフ・ジュガシヴィリの娘であり、スターリンの孫娘にあたる。彼女は父がナチスの捕虜収容所で死亡したという通説に一貫して異議を唱えていた[1][2][3]

生涯

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ガリーナ・ジュガシヴィリが葬られたモスクワのノヴォデヴィチ墓地。

彼女はモスクワで生まれた。母親はオデッサ出身の著名なユダヤ人ダンサーのユリア・メルツァー英語版であった。レセプションでユリヤと出会ったヤーコフはNKVD職員で彼女の2番目の夫のニコライ・ベッサラブ[4]と争い、結果離婚が決まった。ベッサラブは後にNKVDによって逮捕されて処刑され、ヤーコフはユリアの3番目の夫となった[2]

ヤーコフは第二次世界大戦中、赤軍の陸軍砲兵中尉であった。一般的に歴史家からはヤーコフは1941年にナチス・ドイツの捕虜となり、その後スターリンが彼と捕虜としていたドイツのフリードリヒ・パウルス元帥との交換を拒否したため、1943年に収監されていたザクセンハウゼン強制収容所で死亡したと言われている。アメリカ国防総省はヤーコフが強制収容所内で看守に撃たれたことを示す文章を所有しており、2003年にガリーナはそれを見たものの、父はドイツ軍の捕虜にはなっておらず1941年に戦死したと主張してそれを否定した。彼女は父が収容所にいたことを示す写真や手紙はナチスのプロパガンダであると主張し続けていた[5][1]

彼女はモスクワ大学文献学を学んで博士号を取得した。彼女はロシア作家同盟の一員であり、主にゴーリキー世界文学研究所英語版フランス語翻訳者として生涯働いた。彼女はモスクワに亡命中のアルジェリア人数学者で国際連合職員のフセイン・ベン・サード(Husein ben Saad)と結婚したが、旧姓を名乗り続けた。1971年11月15日に夫婦の間に息子セリム(Selim)が生まれた。セリムは生まれつき耳が不自由であった[6][3][7]

彼女は69歳の時にモスクワのブルデンコ軍病院で癌のため亡くなった[1]

参考文献

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  1. 1 2 3 “Galina Dzhugashvili, 69, Stalin’s Granddaughter, Dies”. ニューヨーク・タイムズ. 2007年8月29日. 2022年5月8日閲覧.
  2. 1 2 “Galina Dzhugashvili”. インデペンデント. 2007年9月10日. 2007年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2022年5月8日閲覧.
  3. 1 2 “Galina Dzhugashvili”. タイムズ. 2007年9月15日. 2011年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2022年5月8日閲覧.
  4. “Юдифь Исааковна Мельцер”. 2022年5月8日閲覧.
  5. The Times obituary refers to an interview published in Komsomolskaya Pravda in June 2006.
  6. “Дети Сталина. Глухой коллекционер советских игрушек”. 2017年1月17日. 2022年5月8日閲覧.
  7. “Stalin's granddaughter Galina Dzhugashvili dies at 69”. 2007年8月28日. 2007年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2022年5月8日閲覧.

外部リンク

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