ウラジーミル・コマロフ
| ウラジーミル・コマロフ | |
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妻子と共に 遺された家族は後にガガーリンの世話を受けることになる。 | |
| 宇宙飛行士 | |
| 国籍 |
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| 生誕 |
1927年3月16日 |
| 死没 |
1967年4月24日 |
| 他の職業 | 技術者 |
| 階級 | ソ連空軍大佐 |
| 宇宙滞在期間 | 2日03時間04分 |
| 選抜試験 | Air Force Group 1 |
| ミッション | ボスホート1号, ソユーズ1号 |
ウラジーミル・ミハイロヴィチ・コマロフ(ロシア語:Владимир Михайлович Комаров, ラテン文字転写:Vladimir Mikhaylovich Komarov, 1927年3月16日 - 1967年4月24日)は、ソビエト連邦の宇宙飛行士。
モスクワ出身。15歳で初めて飛行機の操縦を経験し大学で航空学を専攻の後に空軍入り。空軍では戦闘機の技術者やテストパイロットとして従事していた(階級は大佐)が、1960年に最初に選ばれた宇宙飛行士たちの一人となり親友の間柄となるユーリイ・ガガーリンともこの時初めて同僚となる[1]。
コマロフは宇宙飛行士にはなったものの、ボストーク4号の飛行を予備クルーとして支援にまわり、その後ボスホート1号で自ら初めて宇宙飛行を体験した。その後ソユーズ計画が始まりコマロフもガガーリンと共に計画に携わるが、開発時点から様々な問題点が指摘され現場からは計画の中止を具申する意見まで出たが、ロシア革命50周年の記念すべき年のメーデーでその偉業を世界に示したいソ連当局は半ば見切り発車の形で打ち上げを強行した[1]。
1967年4月23日にコマロフが搭乗するソユーズ1号の打ち上げが行われたが、宇宙空間に入ると事前に指摘されていた欠陥が露呈しコマロフはたった一人でそれらのトラブルに対処しなければならなかった。管制室と当局の押し問答の末ソユーズ1号の大気圏再突入が決定したが、帰還カプセルのパラシュートが絡まって開かず地面に激突。機体は炎上し消火活動が行われたものの、コマロフは炭化した遺体が一部発見されただけだった[2]。40歳没。
コマロフは世界で最初に宇宙事故の犠牲となったパイロットだった。その遺灰は赤の広場のクレムリンの壁に埋葬された。
関連項目[編集]
小惑星 (1836) コマロフ、月のコマロフ・クレーターは彼の名にちなむ。
2006年、オーストラリアの作曲家ブレット・ディーンは、サイモン・ラトルから『惑星』と共に録音する宇宙関連の作曲を委嘱され、管弦楽曲『コマロフの墜落 (Komarov's Fall) 』を作曲した。
出典[編集]
- ^ a b 男の友情 - ロシア宇宙開発史
- ^ “死ぬとわかっていながら宇宙に飛んだ、旧ソ宇宙飛行士コマロフの悲劇”. ギズモード・ジャパン (2011年3月23日). 2011年3月27日閲覧。