クレムリンの壁墓所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯55度45分13秒 東経37度37分11秒 / 北緯55.75361度 東経37.61972度 / 55.75361; 37.61972

クレムリンの壁の前に、スースロフスターリンカリーニンジェルジンスキーブレジネフの墓が見える。アンドロポフの墓は、カリーニンとジェルジンスキーの間にあるが、見えない。レーニン廟はすぐ右にある。

クレムリンの壁墓所(くれむりんのかべぼしょ、ロシア語: Некрополь у Кремлёвской стены英語: Kremlin Wall Necropolis)はロシアモスクワにある「赤の広場」のクレムリンの壁に沿って作られた墓所である。

モスクワの「クレムリンの壁」墓所への埋葬は、1917年11月に10月革命の240人の親ボルシェビキの犠牲者が「赤の広場」に集団埋葬された時に始まった。1921年に行われた最後の集団埋葬の後、赤の広場での葬儀は通常、国家の儀式として行われ、著名な政治家軍事指導者宇宙飛行士科学者に対する最後の名誉な行事として扱われた。墓所は主に、レーニン廟(1924年に木材で建てられ、その後花崗岩で建て直された)の両側に存在している。

1925年から1927年にかけて、地中への埋葬は中止されて、葬儀はクレムリンの壁自体に焼却灰の埋葬として行われた。しかし地中への埋葬は、1946年にミハイル・カリーニンの葬儀で再開された。赤の広場で高官を葬る習慣は1985年3月のコンスタンティン・チェルネンコの葬儀まで続いた。

埋葬者[編集]

レーニン廟の裏にある革命元勲墓には現在12人が埋葬されている。

埋葬者氏名 役職 死亡年月日 埋葬年月日
ヤーコフ・スヴェルドロフ Свердлов Я.М.jpg 全ロシア中央執行委員会ロシア語版委員長 1919年3月16日 1919年3月18日
ミハイル・フルンゼ Frunze-grave-kremlin-wall-necropolis-july 2016.jpg ソビエト共和国革命軍事会議議長 1925年10月31日 1925年11月3日
フェリックス・ジェルジンスキー Дзержинский Ф.Э.jpg 国家保安総局長官・国家経済最高会議ロシア語版議長 1926年7月20日 1926年7月22日
ミハイル・カリーニン Kremlin Wall Necropolis 24.JPG 最高会議幹部会議長 1946年6月3日 1946年6月6日
アンドレイ・ジダーノフ Kremlin Wall Necropolis 05.JPG ソ連共産党政治局異員 1948年8月31日 1948年9月5日
ヨシフ・スターリン ソ連共産党書記長閣僚評議会議長 1953年3月5日 1961年11月1日
レーニン・スターリン廟から改葬)
クリメント・ヴォロシーロフ Voroshilov grave moscow july 2016 kremlin wall necropolis.jpg ソ連邦元帥・最高会議幹部会議長 1969年12月2日 1969年12月6日
セミョーン・ブジョーンヌイ Semyon Budyonny grave kremlin wall necropolis july 2016.jpg ソ連邦元帥 1973年10月26日 1973年10月30日
ミハイル・スースロフ DSC-0094-kremlin-wall-necropolis-suslov-tomb-july-2016.jpg ソビエト連邦共産党中央委員会イデオロギー担当書記 1982年1月25日 1982年1月29日
レオニード・ブレジネフ Leonid brezhnev grave kremlin wall necropolis july 2016.jpg ソ連共産党書記長・最高会議幹部会議長 1982年11月10日 1982年11月15日
ユーリ・アンドロポフ Yuri andropov grave in the kremlin wall necropolis july 2016.jpg ソ連共産党書記長・最高会議幹部会議長 1984年2月9日 1984年2月14日
コンスタンティン・チェルネンコ Konstantin chernenko grave kremlin wall necropolis july 2016.jpg ソ連共産党書記長・最高会議幹部会議長 1985年3月10日 1985年3月13日

1919年にヤーコフ・スヴェルドロフが埋葬され、その後フルンゼジェルジンスキーカリーニンジダーノフの5名が同所に埋葬。その後クレムリンの墓所を整備するにあたってセルゲイ・メルクーロフロシア語版の手による胸像と墓碑が設置された。

死後に防腐処置を施されレーニン廟に遺体が安置されたヨシフ・スターリンは、ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判の煽りを受け遺体が火葬された後、この地に埋葬されている。

その後、クレムリンの壁墓所に葬られる名誉に付された政治家・革命家・軍人の中でも、とりわけ重要人物とみなされた者がこの地に遺体が埋葬されることが暗黙の了解となり、国家元首である最高会議幹部会議長を務めたヴォロシーロフ、初のソ連邦元帥であるブジョーンヌイ、党第二書記として強大な影響力を保持し「クレムリンのキングメーカー」との異名を取ったスースロフ、そして最高指導者たるソ連共産党書記長を務めたブレジネフアンドロポフチェルネンコが埋葬された。

その一方重職を経験しても失脚した人物は決してクレムリンで埋葬されず、何れも首相経験者だったモロトフマレンコフフルシチョフ、最高幹部会議長を務めた後に引退に追い込まれたミコヤンポドゴルヌイ、ソ連最初で最後の大統領のミハイル・ゴルバチョフノヴォデヴィチ女子修道院の墓地に埋葬されている。1989年7月にアンドレイ・グロムイコが死去した際には、グロムイコが最高会議幹部会議長経験者ということもありクレムリンへの埋葬をソ連政府が提案したものの、家族がこれを断りノヴォデヴィチ墓地に埋葬されている。

納骨者[編集]

クレムリンの壁には、陸相アレクサンドル・ヴァシレフスキー国防相アンドレイ・グレチコ、同じく国防相ゲオルギー・ジューコフ宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンなどの遺骨が納められている。最後に葬られた人物は、1984年12月に死去した国防相ドミトリー・ウスチノフである。

なお1920年代~1930年代かけては外国人の共産主義活動家も同地で納骨され、ジョン・リードクララ・ツェトキン、日本人の活動家だった片山潜も葬られている。

参照項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]