「東京都立鷺宮高等学校」の版間の差分
→概要: 推敲・添削。要出典。出典を示さないままタグはがしをしないように。また、Wikipedia:ウィキプロジェクト 学校#記事の表現についてを熟読されたし。 |
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前身は東京府立高等家政女学校(後に東京都立中野高等家政女学校)。 |
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[[西武新宿線]][[都立家政駅]]から徒歩3分。{{要出典範囲|旧制中学、高校レベルでは日本で最初に通学用に駅が誘致された学校。全国の校名を冠した駅のうち、開校後に駅名が決まったものとしては唯一である}}厳密には下記沿革の通り当校の現在地移転は府立家政駅開業([[1937年]][[12月25日]])の後であり、移転計画に伴い新駅設置が先行した。 |
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校章の由来については、昭和17年から40年間 |
校章の由来については、昭和17年から40年間教壇を努めた鈴木豊子教諭から「[[はさみ|和鋏]]と[[チャコ]]と[[へら]]の3つを組み合わせてデザインしたもの」と伝えられている。 |
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尚、定時制は2007年度から募集停止、補欠募集のみとなる。(東京都立稔ヶ丘高等学校へ統合) 2010年3月に閉課。 |
尚、定時制は[[2007年]]度から募集停止、補欠募集のみとなる。([[東京都立稔ヶ丘高等学校]]へ統合) 2010年3月に閉課。 |
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1970年から15年間本校で教師を勤めた「本多啓二」教諭は、赴任直後に当時殺風景だった学校の緑化に勤め、これに同調する多くの生徒が「本多土建」と称して集まり、スコップ、つるはしなどを使って学校の緑化や施設の整備を行い、緑あふれる環境を作った(昭和50年6月30日付朝日新聞夕刊参照)。 |
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本校では犬を飼い、新聞等の話題に取り上げられたこともある。 |
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飼われた犬は「太郎(メス)」その子供の小太郎(オス)、二代目「太郎」の3匹である。 |
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初代「太郎」は生徒が拾ってきた犬を本多教諭が引き取り、学校内で飼っていたもの。 |
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学校内では原則放し飼い状態であり、朝礼等の学校行事にも参加していた。 |
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「小太郎」は校外への放浪癖があり、諸問題から繋がれることが多くなった。 |
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部活動面では軽音楽部が130名以上在籍。 |
部活動面では軽音楽部が130名以上在籍。近年では、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放送されている高校生バンド日本一を決める番組「[[音燃え!]]」に数組が(当時を含めて)同校の生徒によるバンドが出演、中には優勝したバンドもある。ほかに書道部も盛んで、推薦入試では書道部枠がある。 |
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1970年には70年代の日本3大ギタリストの一人、森園勝敏率いる「ムーリク」が学園祭等でクリームの完コピを演奏している。森園勝敏は後にディープ・パープル1975日本公演の前座を務める。 |
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1973年にはサッカー部が新人戦(第16回関東高等学校サッカー選手権大会東京都予選)にて、決勝で当時最強の帝京高校(古沼監督:7年連続全国選手権東京大会優勝中でよく1974年全国初優勝)を2-1で破り東京都第一位となり、併せて藤沢市での関東大会東京代表となる(1回戦で古河一とに0-0、延長戦で惜敗)。インターハイでは予選で不戦敗。 |
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2012年7月4日に開校百周年を迎える前後に、全面的に改築が行われる予定。 |
2012年7月4日に開校百周年を迎える前後に、全面的に改築が行われる予定。 |
2010年9月2日 (木) 09:03時点における版
東京都立鷺宮高等学校 | |
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過去の名称 | 東京府立高等家政女学校など |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
設立年月日 | 1912年7月4日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 13169F |
所在地 | 〒165-0033 |
東京都中野区若宮3-46-8 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東京都立鷺宮高等学校(とうきょうとりつさぎのみやこうとうがっこう)は、東京都中野区若宮三丁目にある都立高等学校。学制改革後の新制高校改組時に共学化され、現在の学校名である鷺宮高校となる。通称「鷺高」。
概要
前身は東京府立高等家政女学校(後に東京都立中野高等家政女学校)。
西武新宿線都立家政駅から徒歩3分。旧制中学、高校レベルでは日本で最初に通学用に駅が誘致された学校。全国の校名を冠した駅のうち、開校後に駅名が決まったものとしては唯一である[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。厳密には下記沿革の通り当校の現在地移転は府立家政駅開業(1937年12月25日)の後であり、移転計画に伴い新駅設置が先行した。
校章の由来については、昭和17年から40年間教壇を努めた鈴木豊子教諭から「和鋏とチャコとへらの3つを組み合わせてデザインしたもの」と伝えられている。
尚、定時制は2007年度から募集停止、補欠募集のみとなる。(東京都立稔ヶ丘高等学校へ統合) 2010年3月に閉課。
部活動面では軽音楽部が130名以上在籍。近年では、日本テレビで放送されている高校生バンド日本一を決める番組「音燃え!」に数組が(当時を含めて)同校の生徒によるバンドが出演、中には優勝したバンドもある。ほかに書道部も盛んで、推薦入試では書道部枠がある。 1973年にはサッカー部が新人戦(第16回関東高等学校サッカー選手権大会東京都予選)にて、決勝で当時最強の帝京高校(古沼監督:7年連続全国選手権東京大会優勝中でよく1974年全国初優勝)を2-1で破り東京都第一位となり、併せて藤沢市での関東大会東京代表となる(1回戦で古河一とに0-0、延長戦で惜敗)。インターハイでは予選で不戦敗。
2012年7月4日に開校百周年を迎える前後に、全面的に改築が行われる予定。
沿革
- 1912年7月4日 - 豊多摩郡立農業学校(現東京都立農芸高等学校)の附設実業女学校として創立。
- 1923年4月1日 - 東京府移管により東京府立中野実業女学校と改称。
- 1926年4月1日 - 改組により東京府立中野家政女学校と改称。
- 1929年4月1日 - 東京府立高等家政女学校と改称。
- 1938年4月1日 - 東京市中野区桃園町15から現在地に移転。
- 1943年7月1日 - 都制施行により東京都立中野高等家政女学校と改称。
- 1946年3月30日 - 東京都立鷺宮高等女学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革により東京都立鷺宮新制高等学校となる。
- 1948年6月1日 - 定時制課程設置。
- 1949年4月1日 - 男女共学実施。
- 1950年1月26日 - 東京都立鷺宮高等学校と改称。
- 2010年3月31日 - 定時制課程閉科。
交通
著名な卒業生
- 浅岡雄也 - 1987年卒(歌手、元FIELD OF VIEW)
- 飯尾和也 - 1999年卒 (サッカー選手)
- 池田洋二 - 1974年卒(日本サッカー協会理事、サッカー指導者)
- 榎本秋 - 1996年卒(えのもと あき、文芸評論家)
- 海江田万里 - 1968年卒 (かいえだ ばんり、政治家、衆議院議員)
- 假屋崎省吾 - 1977年卒(かりやざき しょうご、華道家)
- 木村浩吉 - 1980年卒(きむら こうきち、元サッカー選手、サッカー指導者)
- 蔵持不三也 - 1965年卒(文化人類学者、早稲田大学教授)
- 小林健二 - 1988年卒(こばやし けんじ、東京都議会議員/練馬区選挙区)
- 沢向要士 - 1973年卒(さわむかい ようじ、俳優)
- 三遊亭圓彌 - 1953年卒(さんゆうてい えんや、落語家)
- 関本淳子 - 1979年卒 (せきもと じゅんこ、旅行作家、エディター、ライター、温泉ソムリエ)
- 寺門ジモン - 1981年卒(てらかど じもん、芸人)
- 名木田恵子 - 1968年卒 (なぎだ けいこ、児童文学作家)
- HIROMIX/ヒロミックス - 1995年卒(フォトグラファー、DJ、モデル)
- 松本よしえ - 1979年卒 (ライター、イラストレーター)
- 村山直之 - 1984年卒(フリーアナウンサー)
- 群ようこ - 1973年卒(むれ ようこ、作家、 著書「都立桃耳高校」など)
- 森園勝敏 - 1972年卒(四人囃子のギタリスト)
- 山本龍二 - 1973年卒(俳優 青年座取締役)
- 米長邦雄 - 1962年卒(棋士、元名人、日本将棋連盟会長)