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'''ハウス・ミュージック'''('''house music''')とは[[1977年]]に[[アメリカ合衆国]][[シカゴ]]で誕生した[[音楽のジャンル一覧|音楽ジャンル]]の一つ。単に'''ハウス'''と呼ばれることが多い。[[シカゴ]]の[[同性愛者|ゲイ]]・[[ディスコ]]「ウェアハウス」が発祥とされている。80年代末~[[1990年代|90年代]]にかけて、ハウスの中心地はシカゴから[[イギリス]]に移ったが、イギリスでは様々な音楽との混合が試みられ、現在(2007年)ではアレンジ上の一手法として世界的に普及している。
{{独自研究}}
'''ハウス・ミュージック'''('''house music''')は、[[音楽のジャンル一覧|音楽ジャンル]]の一つ。日本では略して'''ハウス'''と呼ばれることが多い。[[1977年]]に、[[アメリカ合衆国]]の[[シカゴ]]の[[同性愛者|ゲイ]]・[[ディスコ]]「ウェアハウス」で発祥したとされる。[[1988年]]に大西洋を渡って[[イギリス]]で大ブームとなり([[セカンド・サマー・オブ・ラブ]])、その後さまざまな音楽ジャンルと混交しつつ現在に至っている。[[ヒップホップ]](hip hop)と併せて、ニュースクール・ミュージック(new school music)と呼ばれる。


ハウスは[[ヒップホップ]](hip hop)と併せてニュースクール・ミュージック(new school music)と呼ばれる。
== ==
1977年、[[ニューヨーク]]の「[[パラダイス・ガレージ]]」[[ディスクジョッキー|DJ]]を務めていた'''[[フランキー・ナックルズ]]'''<ref>'''名DJとして知られる[[ラリー・レヴァン]]'''の友人であり、自らも有能なDJであった</ref>が、[[シカゴ]]にオープンした「'''ウェアハウス'''」の主力DJとして招かれ、高い人気をそのレコードが「ハウス・ミュージックウェアハウス・ミュージック」として販売されたのが'''ハウス'''という呼び名の始まりと言われている。
[[Image:House Music Demo.ogg]]
この時点でのハウスミュージックはフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベル[[フィラデルフィア・ソウル]]フィリーソウル)の類似品の域を脱していなかった。の後、ナックルズはウェアハウス」の経営者と衝突して解雇され新たにシカゴでパワープラントという[[クラブ]]を立ち上げる。一方、「ウェアハウス」「ミュージック・ボックス」と名を改め、[[カリフォルニア]]から新たにDJ'''ロン・ハーディー'''を招聘する。このナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽シーンにおけるその地位を確立してゆく


==歴==
彼らのプレイスタイルは[[ラリー・レヴァン]]の「'''ガラージュ'''」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、[[ドラムマシン]]を導入したり、よりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちハウス・ミュージックの原型となった。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこの影響を受けて[[TR-909]](当時は音色にリアリティがいとて不人気だっさかんに使用するようになり、それらの曲が上記のクラブにフィードバックされ、TR-909はハウスにおけ必須の楽器しての地位確立した。
[[ニューヨーク]]の「[[パラダイス・ガレージ]]」[[ディスクジョッキー|DJ]]であった'''[[ラリー・レヴァン]]'''の友人で、自らも有能なDJであった'''[[フランキー・ナックルズ]]'''は1977年に[[シカゴ]]に新たにオープンした「'''ウェアハウス'''」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法で高い人気を博しが、こで彼がプレイしている音楽を地元のレコードが「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」として販売たのが'''ハウス'''という名の始まりと言われている。


この時点でのハウスミュージックはフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆる[[フィラデルフィア・ソウル]](通称フィリーソウル)およびその類似品であった。この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者と衝突からウェアハウスを去り、シカゴの別の場所でパワープラントという[[クラブ]]を始める。ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」「ミュージック・ボックス」と新たに[[カリフォルニア]]から'''ロン・ハーディー'''を後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中でその地位を確立する
ハウスミュージックはドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルを模したものが多かった。その意味では、少なくとも[[1980年代]]までは[[ソウルミュージック]]の派生物であったと言えよう。また、先駆者であるレヴァンがDJを務めていた「パラダイス・ガラージ」と同様に、初期のシカゴ・ハウスシーンもまた[[黒人]]の[[ゲイ]]客の中心であった。


彼ら二人のプレイスタイルはレヴァンと彼プレイしたいわゆる「'''ガラージュ'''」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、[[ドラムマシン]]の使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちハウス音楽と呼ばれるスタイルの原型を築いた。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこのシーンに影響を受けて安価ドラムマシンを使用した作曲、それらの曲が上記の上のクラブで流されるにより、大きな影響持つことになった。
[[1980年代]]中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していく。決定打となったのは、[[1987年]]に[[イギリス]]のアーティストである[[M/A/R/R/S]]がリリースした『'''パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム''' (Pump up the Volume)』の世界的なヒット、及び[[1988年]]に[[イギリス]]で起こっ[[レイ (音楽)]]の流行(「[[セカンド・サマー・オブ・ラブ]]」であ。こうした出来事をきっにハウスの中心地はアメリカのシカゴからイギリスのンドンに移行る。現在、ハウスの主要な消費地はアメリカ国外ヨーロッパや[[日本]]である。ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている<!--(要出典)-->。


ハウス音楽はドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも[[1980年代]]までのハウスは[[ソウルミュージック]]の派生物であったと言えよう。また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンもDJや客層は[[黒人]]のゲイが中心であった。
[[1990年代]]に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。現在では[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]や[[イタリア]]を中心とした[[ヨーロッパ]]や[[オーストラリア]]、[[イスラエル]]、[[日本]]を中心とした[[アジア]]など、世界各地に大規模な支持層が存在する。


現在のスタイルが確立された[[1980年代]]中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなる。決定打となったのは、[[1987年]]に[[イギリス]]のアーティストである'''M/A/R/R/S'''がリリースした『'''パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム'''(Pump up the Volume )』の世界的なヒット、及び[[1988年]]に[[イギリス]]を中心に発生しムーメント「[[セカンド・サマー・オブ・ラブ]]」や[[レイブ (音楽)]]の流行などであろう。こうした出来事を境にするのようして[[アシッド・ハウス]]が大流行し、ハウスの趨勢徐々にアメリカからヨーッパに移行していくことになる。現在に至るも、[[ニューヨーク]]や[[サンフランシスコ]]のような一部の例外を除き、ハウス音楽の主要な消費地は誕生の地であるアメリカ国外であるヨーロッパや[[日本]]などである。ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている<<!--(要出典)-->>。
=== 日本での受容と発展 ===
日本では[[1980年代]]後半から、ディスコやクラブでハウスが少しずつプレイされ始めた。先駆的な小箱クラブは「エンドマックス」と「ピカソ」である。ゲリラ的なパーティーとしては「コニーズ・パーティ」が有名。DJとしては、[[1980年]]に渡米した[[高橋透]]、[[1986年]]に渡米し、パラダイス・ガラージでラリー・レヴァン等とともにプレイした[[NORI]]、おなじころ渡米し、Def Mix Productionsのメンバーとしてデヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズとともに活動した[[富家哲]](SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始めた中村直(NAO NAKAMURA)の名が挙げられる。[[1989年]]に東京芝浦で開業した大箱クラブ[[GOLD]](1989〜1994)には高橋、NORI、中村が参加している。ほかに「コニーズ・パーティ」のレジデントDJだった[[EMMA]]、のちに[[ハード・ハウス]]、[[プログレッシブ・ハウス]]・シーンの中心人物となった[[木村コウ]]がいる。[[1990年]]にはGOLDを追うように同傾向のクラブが続々と都内にオープンした。


[[1990年代]]に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。現在では[[アメリカ]]、[[イギリス]]や[[イタリア]]を中心とした[[ヨーロッパ]]や[[オーストラリア]]、[[イスラエル]]、[[日本]]を中心とした[[アジア]]など、世界各地に大規模な支持層が存在する。
[[1988年]]頃、[[福富幸宏]]<ref>現在ハウスのクリエイター、プロデューサー、DJとして著名</ref>が所属していたソドムが、最初にハウス・サウンドを取り入れたバンドとされる。歌謡曲シーンでは、[[1989年]]に[[小泉今日子]]が発表したアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」が早い例である。その後[[1992年]]頃までに、[[金沢明子]]、[[山本リンダ]]、[[谷啓]]、[[トニー谷]]らのハウス・リミックス曲が続々とリリースされ、ハウス・ミュージックは一般人にも広く認知されるにいたった。


日本では[[1980年代]]後半頃より、アメリカでの人気隆盛の動きに呼応する形でハウスを主体とするDJが登場するようになった。先駆的な活動を行ったDJ・アーティストとして、[[1980年]]に単身ニューヨークに渡り、ハウスを日本に伝導した[[高橋透]]を筆頭に、1986年に渡米し、ラリー・レヴァン等とともにパラダイス・ガラージでプレイを行っていた[[NORI]]、80年代後半に渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動を行った[[富家哲]](SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始め、[[1990年]]より芝浦で営業を開始したディスコ[[GOLD]]の立ち上げに、前述した高橋透、NORI等とともに関わった[[中村直]](NAO NAKAMURA)、[[1985年]]より活動を開始し、[[1989年]]に開催されていたパーティ「コニーズ・パーティ」のレジデントDJを務めた[[EMMA]]、[[1984年]]の活動開始以降[[ハード・ハウス]][[プログレッシブ・ハウス]]シーンの中心人物となった[[木村コウ]]等がいる。また、[[1990年]]に[[ディー・ライト]]の一員としてアメリカでメジャーデビューを果たし、『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒットを記録した[[テイ・トウワ]]の活動も特筆すべきであろう。
ハウスを日本に広めた人物として、[[テイ・トウワ]]の存在も重要である。彼はニューヨークで[[ディー・ライト]]を結成し、[[1990年]]に1stアルバム『World Clique』を発表、ヒットさせた。


[[1989年]]、[[小泉今日子]]がアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」を発売したことで、当時[[AERA]]でも記事になるなどハウスに対する注目度が一気に高まった。<br>
各クラブでは、現在に至るまで数多くのイベントやパーティが催されており、[[大沢伸一]](ハウスの特徴を取り入れた作曲家)や、[[‎ Fantastic Plastic Machine|田中知之]](Fantastic Plastic Machine)や、[[EMMA]]などのようなアーティストも多数現れている。また高橋透と、ハウス第2世代ともいわれるDJ[[MOODMAN]]、VJの第一人者[[宇川直宏]]がオーガナイズするウェアハウスパーティー[[GODFATHER]]は、 [[1998年]]から現在に至るまで、東京のアンダーグラウンド・ダンス・シーンを牽引している。
[[1990年代]]初頭には、GOLDの人気上昇、及び後を追うようにしてオープンした[[クラブ]]の大量発生、そしてハウスを標榜した数多くのDJやアーティストの登場などにより、日本におけるハウスの土壌は一定の定着を見た。<br>
以後、今日まで多くのイベントやパーティが催されている他、[[大沢伸一]]のようにハウスの特徴を取り入れた楽曲リリースを続けるアーティストや、[[‎ Fantastic Plastic Machine|田中知之]](Fantastic Plastic Machine)や前述の[[EMMA]]などのようなメジャーデビューを果たすアーティストなども多数現れるなど、現在まで様々な活動が続いている。


==特徴==
==特徴==
ハウスは[[ソウル・ミュージック|ソウル]][[ファンク]]・ディスコの[[リズム]][[ラテン音楽]]のリズム(特に[[ピアノ]][[パーカッション]]のパターン)の融合により誕生し、特徴としては極めて短い同じ[[音]]、同じ[[メロディー]]ラインを何度も何度も繰り返す[[小節]]が、[[曲]]の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どが[[アップテンポ]]な[[リズム]]で、BPM(beats per minute;[[音価]]の項参照)にしておよそ120前後の[[テンポ]]をとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。
ハウスはソウルやファンク・ディスコのリズムにラテン音楽のリズム(特にピアノやパーカッションのパターン)の融合により誕生し、特徴としては極めて短い同じ[[音]]、同じ[[メロディー]]ラインを何度も何度も繰り返す[[小節]]が、[[曲]]の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どが[[アップテンポ]]な[[リズム]]で、BPM(beats per minute;[[音価]]の項参照)にしておよそ120前後の[[テンポ]]をとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。


ハウスは、[[テクノ]]の各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。テクノの項を参照すればわかるとおりテクノはシカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあってその区別は難しく、現在では分類が不可能なミュージシャンも多数存在する。またジャンル分けの傾向としては、[[バスドラム]]間に[[ハイハット]]が入っていればハウス寄り、無ければ[[テクノ]]寄りという、アバウトな解釈もある。
ハウスは、[[テクノ]]の各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。テクノの項を参照すればわかるとおりテクノはシカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあってその区別は難しく、現在では分類が不可能なミュージシャンも多数存在する。


ハウスには「[[4つ打ち]]」と称される、四分音符で1小節に4つの[[バスドラム]]音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしも4つ打ちではない。
ハウスには「つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしもつ打ちではない。
[[ドラムセット|ドラム]]のパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏に[[スネアドラム]]が入ることである(最近は代用として偶数拍にクラップが使われることも多い)
ドラムのパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏にスネアドラムが入ることである。
これは、[[1970年代]]のソウルやファンクのシェイクというリズムから影響を受けたためである。
これは、[[1970年代]]のソウルやファンクから影響を受けたためである。
「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する[[民族音楽]]との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。
「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。
さらにジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。
さらにジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。


ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる[[音源]]との融合体である。トライバルハウス(民族調)は[[打楽器]]([[コンガ]]、[[ボンゴ]]等)[[アフリカ]]系の[[楽器]]、リズムとの融合である。このように、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[クラシック音楽|クラシック]]、[[ラテン音楽]]、[[ジャズ]]、[[レゲエ]]、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした[[和太鼓]]との融合も出現している。
ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源との融合体である。トライバルハウス(民族調)は[[打楽器]]([[コンガ]]、[[ボンゴ]]等)[[アフリカ]]系の楽器、リズムとの融合である。このように、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[クラシック音楽|クラシック]]、[[ラテン音楽]]、[[ジャズ]]、[[レゲエ]]、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした[[和太鼓]]との融合も出現している。


==付随する音楽ジャンル==
==付随する音楽ジャンル==
90年代に入って以降、それまでに発生していたジャンルへの回帰傾向や、[[ジャズ]]や、[[テクノ]]や[[トランス (音楽)|トランス]]への接近と融合による新ジャンルの発生などが行われた結果、ハウス音楽のジャンルは拡散しつつある。現在では、'''[[ガラージュ]]'''('''garage ''')、'''[[アシッド・ハウス]]'''('''acid house''')、'''[[イタロ・ハウス]]'''('''italo house''')、'''[[トライバル・ハウス]]'''('''tribal house''')、'''[[ハード・ハウス]]'''('''hard house''')、'''[[ディープ・ハウス]]'''('''deep house''')、'''[[プログレッシブ・ハウス]]'''('''Progressive house''')等々、多岐にわたる細分化がなされている。特にこのうちで[[ガラージュ]](ガラージハウス)については、国によってその意味するところは大きく異なる(詳しくは[[ガラージュ]]参照)。詳しい各ジャンルの詳細については下記の関連項目を参照のこと。
90年代に入って以降、それまでに発生していたジャンルへの回帰傾向や、[[ジャズ]]や、[[テクノ]]や[[トランス (音楽)|トランス]]への接近と融合による新ジャンルの発生などが行われた結果、ハウス音楽のジャンルは拡散しつつある。また、[[ロッテルダムテクノ]]や[[ガバ (音楽)|ガバ]]への接近により生まれた[[ハッピーハードコア]]など、非常に早いテンポを基本とするジャンルや、テクノとのクロスオーバーが進んだジャンルも発生した。現在では、'''[[ガラージュ]]'''('''garage ''')、'''[[アシッド・ハウス]]'''('''acid house''')、'''[[イタロ・ハウス]]'''('''italo house''')、'''[[トライバル・ハウス]]'''('''tribal house''')、'''[[ハード・ハウス]]'''('''hard house''')、'''[[ディープ・ハウス]]'''('''deep house''')、'''[[プログレッシブ・ハウス]]'''('''Progressive house''')等々、多岐にわたる細分化がなされている。特にこのうちで[[ガラージュ]](ガラージハウス)については、国によってその意味するところは大きく異なる(詳しくは[[ガラージュ]]参照)。詳しい各ジャンルの詳細については下記の関連項目を参照のこと。


== 日本のハウス箱 ==
==日本のハウス箱==
*[[PRECIOUSHALL]]
*[[PRECIOUSHALL]]
http://www.precioushall.com/
*[[spacelab YELLOW]]
*[[spacelab YELLOW]]
http://www.club-yellow.com/
*[[GRAND Cafe]]
*[[GRAND cafe]]
*[[O/D]]2007年12月再OPEN
http://www.grandcafeosaka.com/
*[[Hamacho Hall]]
*[[O/D]]※クローズ中
*[[WOAL]]


== 脚注 ==
==関連項目==
<references/>

== 参考文献 ==
* 湯山玲子 『クラブカルチャー!』 毎日新聞社、2005年 ISBN 978-4620317298

== 関連項目 ==
*[[NYハウス]]
*[[NYハウス]]
*[[シカゴ・ハウス]]
*[[シカゴ・ハウス]]
62行目: 55行目:
*[[Hi-NRG]]
*[[Hi-NRG]]
*[[ガラージュ]]
*[[ガラージュ]]
*[[ジャーマン・ハウス]]
*[[フレンチ・ハウス]]
*[[フレンチ・ハウス]]
*[[アフロ・ハウス]]
*[[アフロ・ハウス]]
*[[トライバル・ハウス]]
*[[トライバル・ハウス]]
*[[ミニマル・ハウス]]
*[[テック・ハウス]]
*[[テック・ハウス]]
*[[アンビエント・ハウス]]
*[[アンビエント・ハウス]]
76行目: 67行目:
*[[ガバ (音楽)|ガバ]]
*[[ガバ (音楽)|ガバ]]
*[[ハッピーハードコア]]
*[[ハッピーハードコア]]
*[[クリックハウス]]
*[[リキッド・ファンク]]
[[Category:ハウス・ミュージック|*]]
[[Category:エレクトロニック・ダンス・ミュージック|はうす*]]


[[Category:ハウス・ミュージック|*]]
==インタビュー記事==
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/11/takizawa_interv.html SOUND FINDER Interview with Kentaro Takizawa]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/09/interview.html SOUND FINDER Interview with DAISHI DANCE]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/07/interview-2.html SOUND FINDER Interview with COLD FEET]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/07/interview-1.html SOUND FINDER Interview with Flat Three]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/06/interview.html SOUND FINDER Interview with World Sketch]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/05/interview-1.html SOUND FINDER Interview with Joi]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/05/interview.html SOUND FINDER Interview with Ryo Kawahara]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2008/10/brisa.html SOUND FINDER Interview with BRISA]
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2007/03/joe_clausselldj.html SOUND FINDER Interview with Joe Claussell]


[[be-x-old:Гаўс]]
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[[es:House (música)]]
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[[et:House]]
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[[fi:House]]
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[[fr:House (musique)]]
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[[gl:House (música)]]
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[[he:האוס]]
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[[hu:House]]
[[hu:House]]
[[is:Hústónlist]]
[[it:House music]]
[[it:Musica house]]
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[[ko:하우스]]
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[[la:House]]
[[lmo:Müsega house]]
[[lt:House]]
[[lv:Hausmūzika]]
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[[simple:House music]]
[[simple:House music]]
[[sk:House (hudba)]]
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[[sr:Хаус музика]]
[[sv:House (musikstil)]]
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[[uk:Хауз]]
[[uk:Хауз]]
[[zh:浩室音乐]]
[[zh:浩室音乐]]

==外部リンク==
インタビュー記事
*ジョークラウゼル[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2007/03/joe_clausselldj.html]

*LAVA[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2007/07/interview.html]

2010年2月28日 (日) 18:56時点における版

ハウス・ミュージックhouse music)とは1977年アメリカ合衆国シカゴで誕生した音楽ジャンルの一つ。単にハウスと呼ばれることが多い。シカゴゲイディスコ「ウェアハウス」が発祥とされている。80年代末~90年代にかけて、ハウスの中心地はシカゴからイギリスに移ったが、イギリスでは様々な音楽との混合が試みられ、現在(2007年)ではアレンジ上の一手法として世界的に普及している。

ハウスはヒップホップ(hip hop)と併せてニュースクール・ミュージック(new school music)と呼ばれる。

来歴

ニューヨークの「パラダイス・ガレージ」のDJであったラリー・レヴァンの友人で、自らも有能なDJであったフランキー・ナックルズは、1977年にシカゴに新たにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法で高い人気を博したが、そこで彼がプレイしている音楽を地元のレコード店が「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのがハウスという名称の始まりと言われている。

この時点での「ハウスミュージック」はフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆるフィラデルフィア・ソウル(通称フィリーソウル)およびその類似品であった。この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者との衝突からウェアハウスを去り、シカゴの別の場所でパワープラントというクラブを始める。ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」を「ミュージック・ボックス」と改名し、新たにカリフォルニアからロン・ハーディーを後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中でその地位を確立する。

彼ら二人のプレイスタイルはレヴァンと彼のプレイしたいわゆる「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンの使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちにハウス音楽と呼ばれるスタイルの原型を築いた。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこのシーンに影響を受けて安価なドラムマシンを使用した曲を作曲、それらの曲が上記の上のクラブで流されることにより、大きな影響を持つことになった。

ハウス音楽はドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも1980年代までのハウスはソウルミュージックの派生物であったとも言えよう。また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンもDJや客層は黒人のゲイが中心であった。

現在のスタイルが確立された1980年代中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなる。決定打となったのは、1987年イギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム(Pump up the Volume )』の世界的なヒット、及び1988年イギリスを中心に発生したムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」やレイブ (音楽)の流行などであろう。こうした出来事を境にするかのようにしてアシッド・ハウスが大流行し、ハウスの趨勢は徐々にアメリカからヨーロッパに移行していくことになる。現在に至るも、ニューヨークサンフランシスコのような一部の例外を除き、ハウス音楽の主要な消費地は誕生の地であるアメリカの国外であるヨーロッパや日本などである。ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている<>。

1990年代に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。現在ではアメリカイギリスイタリアを中心としたヨーロッパオーストラリアイスラエル日本を中心としたアジアなど、世界各地に大規模な支持層が存在する。

日本では1980年代後半頃より、アメリカでの人気隆盛の動きに呼応する形でハウスを主体とするDJが登場するようになった。先駆的な活動を行ったDJ・アーティストとして、1980年に単身ニューヨークに渡り、ハウスを日本に伝導した高橋透を筆頭に、1986年に渡米し、ラリー・レヴァン等とともにパラダイス・ガラージでプレイを行っていたNORI、80年代後半に渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動を行った富家哲(SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始め、1990年より芝浦で営業を開始したディスコGOLDの立ち上げに、前述した高橋透、NORI等とともに関わった中村直(NAO NAKAMURA)、1985年より活動を開始し、1989年に開催されていたパーティ「コニーズ・パーティ」のレジデントDJを務めたEMMA1984年の活動開始以降ハード・ハウスプログレッシブ・ハウスシーンの中心人物となった木村コウ等がいる。また、1990年ディー・ライトの一員としてアメリカでメジャーデビューを果たし、『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒットを記録したテイ・トウワの活動も特筆すべきであろう。

1989年小泉今日子がアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」を発売したことで、当時AERAでも記事になるなどハウスに対する注目度が一気に高まった。
1990年代初頭には、GOLDの人気上昇、及び後を追うようにしてオープンしたクラブの大量発生、そしてハウスを標榜した数多くのDJやアーティストの登場などにより、日本におけるハウスの土壌は一定の定着を見た。
以後、今日まで多くのイベントやパーティが催されている他、大沢伸一のようにハウスの特徴を取り入れた楽曲リリースを続けるアーティストや、田中知之(Fantastic Plastic Machine)や前述のEMMAなどのようなメジャーデビューを果たすアーティストなども多数現れるなど、現在まで様々な活動が続いている。

特徴

ハウスはソウルやファンク・ディスコのリズムにラテン音楽のリズム(特にピアノやパーカッションのパターン)の融合により誕生し、特徴としては極めて短い同じ、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。

ハウスは、テクノの各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。テクノの項を参照すればわかるとおりテクノはシカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあってその区別は難しく、現在では分類が不可能なミュージシャンも多数存在する。

ハウスには「4つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしも4つ打ちではない。 ドラムのパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏にスネアドラムが入ることである。 これは、1970年代のソウルやファンクから影響を受けたためである。 「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。 さらにジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。

ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源との融合体である。トライバルハウス(民族調)は打楽器コンガボンゴ等)アフリカ系の楽器、リズムとの融合である。このように、ロッククラッシックラテン音楽ジャズレゲエ、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした和太鼓との融合も出現している。

付随する音楽ジャンル

90年代に入って以降、それまでに発生していたジャンルへの回帰傾向や、ジャズや、テクノトランスへの接近と融合による新ジャンルの発生などが行われた結果、ハウス音楽のジャンルは拡散しつつある。また、ロッテルダムテクノガバへの接近により生まれたハッピーハードコアなど、非常に早いテンポを基本とするジャンルや、テクノとのクロスオーバーが進んだジャンルも発生した。現在では、ガラージュgarage )、アシッド・ハウスacid house)、イタロ・ハウスitalo house)、トライバル・ハウスtribal house)、ハード・ハウスhard house)、ディープ・ハウスdeep house)、プログレッシブ・ハウスProgressive house)等々、多岐にわたる細分化がなされている。特にこのうちでガラージュ(ガラージハウス)については、国によってその意味するところは大きく異なる(詳しくはガラージュ参照)。詳しい各ジャンルの詳細については下記の関連項目を参照のこと。

日本のハウス箱

http://www.precioushall.com/

http://www.club-yellow.com/

http://www.grandcafeosaka.com/

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関連項目

外部リンク

インタビュー記事

  • ジョークラウゼル[1]