鄭雲燦
鄭雲燦 정운찬 Chung Un-Chan | |
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生年月日 | 1946年2月29日(78歳) |
出生地 | 韓国、忠清南道公州郡(現:公州市) |
出身校 | ソウル大学校卒業 |
前職 | ソウル大学校金融経済研究院院長 |
第40代 大韓民国国務総理 | |
在任期間 | 2009年9月29日 - 2010年8月11日 |
大統領 | 李明博 |
鄭 雲燦(チョン・ウンチャン、정운찬、1946年2月29日 - 、生年月日については後述)は大韓民国の経済学者、政治家。国務総理(40代)。ソウル大学校総長(23代)、同大経済学部教授を歴任。
経歴
- 1970年 ソウル大学校卒業(経済学学士)、韓国銀行行員
- 1972年 マイアミ大学経済学修士号取得
- 1976年 プリンストン大学経済博士号取得、コロンビア大学助教授
- 1978年 ソウル大学校経済学科教授
- 1983年 ハワイ大学副教授(招聘)
- 1986年 ロンドン大学経済学科客員副教授
- 1993年 ソウル大学校社会学科教務
- 1996年 ソウル大学校経済学部学部長、文化財団理事
- 1998年 第8代韓国金融学会会長、韓国金融研究院諮問委員
- 1999年 預金保険公社諮問委員
- 2000年 - 2001年 財政経済賦金金融発展審議会委員長
- 2002年 ソウル大学校社会科学大学学長
- 2002年7月-2006年7月 ソウル大学総長
- 2006年 韓国経済学会会長、ソウル大学校経済学部教授
- 2007年 第17代 韓国社会科学会協議会会長
- 2008年 第1代 ソウル大学校金融経済研究院院長
- 2009年9月29日 国務総理(~2010年8月11日)
- 2010年 済州世界7大自然景観選定汎国民推進委員会委員長
総理
- 首相に就任以降、世宗市問題に取り組んだ。
- 2010年7月4日、中央省庁移転計画撤回の法案が国会で否決された責任をとるため、李明博大統領に辞意を表明したと韓国メディアが報じ、補欠選挙などが全て終わった翌日の7月29日に公式に退陣を表明した。8月8日、後任の総理に金台鎬前慶尚南道知事が指名され[1](その後辞退)、8月11日に退任[2]。
著書
- 한국경제 죽어야 산다(韓国経済 死中に活あり)1998
- 한국경제 아직도 멀었다(韓国経済 未だ回復せず)1999
人物
- 趣味は野球観戦で斗山ベアーズとニューヨーク・ヤンキースのファンである。
生年月日について
鄭自身の説明によれば、実際の生年月日は旧暦の1947年2月29日である。だが出生時に生年が1946年と誤って登録されてしまった。その後、修正を申し出たこともあったが、証拠がないとして退けられたという[3]。そのため年齢は実際より1歳下である。国務総理のウェブサイトでも生年は1946年とされている[4]。
グレゴリオ暦でも1946年2月29日という日付は存在しない。
外部リンク
出典
- ^ “韓国、首相に47歳の前知事など内閣改造” (日本語). 読売新聞. (2010年6月1日) 2010年6月1日閲覧。
- ^ “鄭雲燦首相が離任「バランサーの役割担う」” (日本語). 聯合ニュース. (2010年8月11日) 2010年8月25日閲覧。
- ^ “정운영의 이슈 인터뷰 정운찬 서울대 총장” (朝鮮語). 中央日報 (中央日報) 2010年8月11日閲覧。
- ^ “国務総理室による鄭雲燦プロフィール” (朝鮮語) 2010年8月11日閲覧。[リンク切れ]
公職 | ||
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先代 韓昇洙 |
大韓民国国務総理 第40代:2009 - 2010 |
次代 尹増鉉 (権限代行) |
学職 | ||
先代 李基俊 |
ソウル大学校総長 第23代:2002 - 2006 |
次代 李長茂 |