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郷野聡寛

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郷野 聡寛
基本情報
本名 郷野 聡寛
通称 ザ・ジャパニーズ・センセーション
(The Japanese Sensation)
DJ GOZMA
難攻不落のビッグマウス
GRABAKAの火薬庫
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-10-07) 1974年10月7日(49歳)
出身地 東京都東久留米市
所属 フリーランス
GRABAKA
→フリーランス
身長 176cm
体重 77kg
階級 ウェルター級
ライト級
バックボーン コマンドサンボ
キックボクシング
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郷野 聡寛(ごうの あきひろ、男性、1974年10月7日 - )は、日本の元総合格闘家東京都東久留米市出身。フリーランス。東京都立小平高等学校卒業。元全日本キックボクシング連盟ヘビー級王者。

ニックネームは「難攻不落のビッグマウスPRIDEでは、踊りやコスプレでの華やかな入場パフォーマンスで人気を博した。

来歴

1993年スポーツ会館コマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍。

1995年10月13日、トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上腕ひしぎ十字固めで一本負け。

1996年3月30日、トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。

1996年5月7日、修斗でプロデビューを果たした。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称された。

1999年5月29日、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。

パンクラス

2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、パンクラスを主戦場にする。

2002年12月21日、パンクラスでKEI山宮にKO勝ちを収めた。

PRIDE

2004年2月15日、PRIDE武士道に初参戦。『PRIDE 武士道 -其の弐-』でマウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。

2005年1月4日、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。

2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦。4Rに右ストレートでKO勝ち。全日本キックボクシングヘビー級王座となった(その後、2007年4月1日付けで返上)。

2005年3月6日、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。

2005年5月2日、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。

2005年5月22日、『PRIDE 武士道 -其の七-』でクラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。

2005年9月25日、『PRIDE 武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。

2006年6月4日、『PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日の『PRIDE 武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUND』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進めた。

2006年11月5日、『PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、判定負け。

2006年12月31日、『PRIDE 男祭り 2006』で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。

UFC

2007年11月17日、UFC初参戦となったUFC 78タムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、白星デビューとなった。また、サブミッション・オブ・ザ・ナイトに選出された。

2008年3月1日、UFC 82ジョン・フィッチと対戦予定であったが、1月に右手を負傷し出場をキャンセル[1]。2月上旬に手術を行った。10月18日のUFC 89にて復帰し、ダン・ハーディーと接戦するも1-2の僅差で判定負け[1]。3RにはUFCで禁止されているグラウンド状態の相手への打撃を行ったことで減点された。

2009年1月31日、UFC 94ジョン・フィッチと対戦し、大差(30-27、30-27、30-26)の判定負けを喫し、UFC2連敗となった[2]。この日の入場シーンではKEI山宮・大迫元喜と共に、矢島美容室のコスプレを披露した。この大会を最後にUFCとの契約が終了した。

戦極(SRC)

2009年6月9日、都内ホテルで行われた記者会見で、戦極に参戦することを表明した[3]

2009年8月2日、戦極初参戦となった戦極 〜第九陣〜ダン・ホーンバックルと対戦し、3Rに右ハイキックを顔面に受け失神KO負けを喫した。そのまま担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちを収めた。入場時には氣志團のコスプレをして、綾小路翔を従え『One Night Carnival』で入場した。

2010年3月7日、SRC12ディエゴ・ゴンザレスと対戦し、判定勝ち。

2010年7月3日、自身のブログにて同日付けでGRABAKAを退団したことを発表した[4]

2010年8月22日、フリー初戦およびライト級転向後初戦となったSRC14ジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、0-3の判定負けを喫した[5]

2010年12月30日の戦極 Soul of Fightに出場予定であったが、練習中に右足小指を骨折し欠場となった[6]

2011年5月29日、NJKFのMuayThaiOpen 16でTHAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦に出場し、準決勝で堤大輔、決勝で山崎陽一に判定勝ちし、優勝を果たした。

2011年8月7日、THAI FIGHT EXTREME JAPANでIT'S SHOWTIME73kg級王者ヨハン・リドンと対戦し、3Rにダウンを奪われ0-3の判定負けを喫した。

2012年2月18日、約2年振りの総合格闘技での試合となったDEEP 57で中村大介と対戦し判定負け。ライト級での試合であったが郷野は試合前日の計量で規定体重から900グラムオーバーしたためイエローカード二枚が提示された状態で試合が開始された[7]

2012年5月4日、Bellator初参戦となったBellator67で当時のBellatorライト級王者マイケル・チャンドラーと対戦し、開始56秒でTKO負けを喫した。試合後の記者会見では総合格闘技選手として引退することを発表した[8]

人物

  • 相手のパンチをかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。
  • 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。
  • 親交のあるDJ OZMAを模したDJ GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行っている。
  • 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。
  • 1歳の頃、小児癌(肝芽腫)にかかり[9]、当時の生存率がほぼ0%という状況の中で大手術を受け奇跡の生還を果たしている(右の腹部に手術跡が残っている)。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。
  • ボクシング世界王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアを尊敬しており、ファイトスタイルの参考にしている。試合時のトランクス前部に「ROY JONES JR」の文字を入れていたこともある[10]。トランクス後部にはジェームズ・トニーのニックネームである「LIGHTS OUT」の文字を入れていた。

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
57 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
32 7 8 16 1 7 0
18 5 4 9 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× マイケル・チャンドラー 1R 0:56 TKO(パウンド) Bellator67 2012年5月4日
× 中村大介 5分3R終了 判定0-3 DEEP 57 IMPACT ~12年目の現実~ 2012年2月18日
× ジャダンバ・ナラントンガラグ 5分3R終了 判定0-3 SRC14 2010年8月22日
ディエゴ・ゴンザレス 5分3R終了 判定3-0 SRC12 2010年3月7日
桜井"マッハ"速人 2R 3:56 腕ひしぎ逆十字固め Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜
【DREAM vs SRC 対抗戦】
2009年12月31日
辛拉麺 5分3R終了 判定3-0 戦極 〜第十一陣〜 2009年11月7日
× ダン・ホーンバックル 3R 2:50 KO(右ハイキック) 戦極 〜第九陣〜 2009年8月2日
× ジョン・フィッチ 5分3R終了 判定0-3 UFC 94: St-Pierre vs. Penn 2 2009年1月31日
× ダン・ハーディー 5分3R終了 判定1-2 UFC 89: Bisping vs. Leben 2008年10月18日
タムダン・マクローリー 2R 3:19 腕ひしぎ十字固め UFC 78: Validation 2007年11月17日
近藤有己 2R(10分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 2006年12月31日
× デニス・カーン 2R(10分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 武士道 -其の十三-
【ウェルター級GP 準決勝】
2006年11月5日
ゲガール・ムサシ 2R 4:17 腕ひしぎ十字固め PRIDE 武士道 -其の十二-
【ウェルター級GP 準々決勝】
2006年8月26日
ヘクター・ロンバード 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の十一-
【ウェルター級GP 1回戦】
2006年6月4日
キム・デウォン 1R 9:00 腕ひしぎ十字固め PRIDE 武士道 -其の拾- 2006年4月2日
× ダン・ヘンダーソン 1R 7:58 KO(右フック) PRIDE 武士道 -其の九-
【ウェルター級トーナメント 準決勝】
2005年9月25日
ダニエル・アカーシオ 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の九-
【ウェルター級トーナメント 1回戦】
2005年9月25日
クラウスレイ・グレイシー 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の七- 2005年5月22日
ティム・マッケンジー 2R 2:53 TKO(右フック) パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年11月7日
栗原強 1R 2:15 KO(右フック) パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年6月22日
× マウリシオ・ショーグン 1R 9:04 KO(左フック) PRIDE 武士道 -其の弐- 2004年2月15日
ニルソン・デ・カストロ 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年11月30日
渡辺大介 2R 3:49 KO(左フック) パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年10月31日
ニルソン・デ・カストロ 1R 0:29 反則失格(ローブロー) パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR旗揚げ 10周年記念大会 2003年8月31日
フラービオ・モウラ 5分2R終了 判定2-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年5月18日
クリストファー・ヘイズマン 5分2R+延長1R終了 判定2-0 THE BATTLE FIELD ZST 2 2003年3月9日
チェール・ソネン 5分2R終了 判定0-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年2月16日
KEI山宮 3R 3:49 TKO(右ストレート) パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年12月21日
渋谷修身 5分3R終了 判定0-0 パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年8月25日
窪田幸生 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年5月11日
× 近藤有己 3R 0:52 TKO(タオル投入) パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年12月1日
KEI山宮 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年10月30日
ダスティン・デニス 5分3R終了 判定1-0 DEEP2001 in YOKOHAMA 2001年8月18日
渡辺大介 2R 0:52 TKO(タオル投入) パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年6月26日
ムリーロ・ニンジャ 5分3R終了 判定1-0 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年5月1日
アイヴァン・サラヴェリー 1R 3:06 KO(右バックスピンキック) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年1月19日
須田匡昇 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年11月12日
アンディ・ウォン 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年5月22日
ラリー・パパドポロス 5分3R終了 判定0-1 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年1月14日
× ランス・ギブソン 5分3R終了 判定0-2 SuperBrawl 13 1999年9月7日
× マット・ヒューズ 5分3R終了 判定0-3 修斗 the Renaxis 1999 10years Anniversary 1999年5月29日
マルコス・シウバ 5分3R終了 判定1-0 修斗 the Renaxis 1999 Devilock Fighters 1999年1月15日
アドリアーノ・デ・スーザ 1R 2:46 腕ひしぎ十字固め 修斗 1998年11月27日
マチュー・ロッカ 1R 3:12 腕ひしぎ十字固め 修斗 Shoot the Shooto XX 1998年4月26日
× ラリー・パパドポロス 5分3R終了 判定1-2 修斗 1997年10月12日
中尾受太郎 5分3R終了 判定0-1 修斗 1997年6月25日
長野常道 3分5R終了 判定3-0 大道塾 THE WARS IV
【修斗公式戦】
1997年3月11日
藤原正人 3分4R終了 判定3-0 修斗 1997年1月18日
× 草柳和宏 4R 2:52 腕ひしぎ十字固め 修斗 1996年10月4日
須田匡昇 4R 0:33 チョークスリーパー フリーファイト川崎 1996年7月28日
× トッド・ビョーナサン 3R 1:12 腕ひしぎ十字固め 修斗 1996年5月7日
× 村上一成 3分2R終了 判定 トーナメント・オブ・J '96
【2回戦】
1996年3月30日
割田康士 1R 0:54 アキレス腱固め トーナメント・オブ・J '96
【1回戦】
1996年3月30日
土居龍晴 3分2R終了 判定2-0 大道塾 THE WARS III
【総合格闘技特別ルール】
1996年2月17日
× イーゲン井上 1R 1:33 腕ひしぎ十字固め トーナメント・オブ・J '95
【2回戦】
1995年10月13日
村上一成 1R 2:25 KO(右ハイキック) トーナメント・オブ・J '95
【1回戦】
1995年10月13日
× 奥田康則 1R 1:51 アンクルホールド トーナメント・オブ・J '94
【1回戦】
1994年4月23日

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ヨハン・リドン 3R終了 判定0-3 THAI FIGHT EXTREME JAPAN 2011年8月7日
山崎陽一 3R終了 判定3-0 MuayThaiOpen 16
【THAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦 決勝】
2011年5月29日
堤大輔 3R終了 判定3-0 MuayThaiOpen 16
【THAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦 準決勝】
2011年5月29日
× 山本優弥 3R終了 判定0-3 Krush初代王座決定トーナメント~Triple Final Round~
【スーパーファイト】
2011年4月30日
× 桜木裕司 2R 1:17 KO(右ストレート) パンクラス PANCRASE 2005 SPIRAL TOUR
【全日本キックボクシング連盟公式試合】
2005年3月6日
西田和嗣 4R 1:33 KO(右ストレート) 全日本キックボクシング連盟「MOVING」
【全日本ヘビー級タイトルマッチ】
2005年2月6日
コンボイ山下 3分3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「SURVIVOR」
【全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦】
2005年1月4日

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク